三
それは白髪に蒼白い顔をした初老の紳士で、頭には
その老紳士も私の情報募集に応じて来社した一人だが、見た感じお金に執着はなさそうだし、欲得まみれのギラギラした詐欺師のような印象はない。
なんだか博学そうな雰囲気も醸し出しているし、植物学者か何かだろうか?
「あなたがお探しの果実はこちらではないですかな?」
応接の机を挟んでソファに腰掛けた老紳士は、そう言って風呂敷包みを卓上に広げた。
「これは……」
そこにあったものに、私は見憶えがあった……柑橘のようでもあり、
無意識の憶測に眠っていた記憶が、私にそうだと言っている……間違いない。これは、あの時の果実だ!
「こ、これです! これが探していた果実です! で、でも、いったいどこでこれを……」
予期せぬその再会に驚嘆し、狂喜乱舞しつつもしどろもどろになりながら私は尋ねる。
「いや、まだそうだと断言するには早いですよ? さ、どうぞ舌でも確かめてみてください」
だが、老紳士はもったいぶるかのように、そう言って私の歓喜に待ったをかけると食べるよう促す。
「…え? あ、はい……」
言われずとも、この蠱惑的な香りを嗅んでからはもう涎が止まらない。私はすぐさま果実を手にとると、下品にもムシャムシャと果汁を撒き散らしながら齧りついた。
「……う、美味い! こ、この味だ! ……あの時食べたのはこの果実です!」
「ほう。そうですか。それは良かった……」
口いっぱいに果実を頬張りながら、私がその感動を叫ぶように伝えると、老紳士はそんな私を見てニンマリと蒼白い顔で微笑む。
「じつは
そして、食すのに夢中な私を他所になんだか奇妙なことを言い出す。
「あなたはどこでその実を手に入れたのかと尋ねましたね? もちろん、
「……え?」
黄泉の国……あの世……不穏なその言葉に私は思わず手を止めて彼の話に耳を傾ける。
「あなたは、この実をなんだとお考えですか?」
「そ、それはやはり、トキジクノカクノミ……」
さらに問い質す老紳士に、思わず正直に思うところを口にしたのだが。
「トキジクノカクノミ? ハン! 不老長寿の実ですと? 真逆のものと勘違いしてるとは、こりゃなんとも傑作ですな」
すると老紳士はバカにしたように鼻で笑い、嫌味混じりに私の仮説をきっぱりと否定する。
「〝ヨモツヘグイ〟という言葉をご存じですか? 黄泉の食物を口にしたものは、たとえ死していなくとも二度と現世に戻ることはかなわないのです。そして、あなたが食したその果実はまぎれもなく黄泉の国のもの……」
唖然と固まる私に対して、穏やかな口調で老紳士はさらに語りかける。
「本来なら、あなたも母親同様、あの時、実を食した時点で黄泉の住人となるはずでした。ところが、
「母さんが……私を……」
図らずも聞かされたその事実に、瞬間、弾かれるかのように頭の中の霧が晴れ、私はすべてを思い出した。
〝あなただけでも、あなただけでも生きて!〟
不意に、悲壮な顔でこちらを振り返る母さんの姿とともに、そんな叫び声が脳裏に甦る。
……そうだ。あの時、追いかけて来る黒い影達の前に母さんが立ちはだかり、背に隠れる私に逃げるよう言ったのだ。
幼かった私はわけがわからず、本能的な恐怖に任せて母さんの言う通り独り逃げた……母さんをその場に残したまま……。
だから、私は独り山中で倒れていたのだろう……今まですっかり忘れてしまっていたのは、堪え難い恐怖や罪悪感から心を守ろうとする自己防衛反応だったのかもしれない。
「さらに、邪魔な坊主が浅知恵にもあなたの名前を変え、法力に守られた檻の中に匿ってしまった。おかげでこちらは手がかりを失い、すっかりあなたを見失ってしまいました」
無くした記憶を取り戻した私に、さらに老紳士は苦々しげに続ける。
そうか……そういうことだったのか……和尚さまはすべてをわかった上で私を預かり、そして、もとの名前まで捨てさせて……私は名前を変えたその時から、ほんとにそれまでの私とは別の人間として生きていたのである。
「最早、諦めかけていたところ、あなたのこの情報募集ですよ。SNSですか。便利な時代になったものです……あなたにしても情報を得る道具だったのでしょうが、我々としても貴重な情報収集の場となりました」
私は、大変なミスを犯してしまったのかもしれない……和尚さまの機転で長年逃げおおせていたというのに……そして、新たな家族もでき、これほどまでの社会的成功をも収められたというのに……食欲に駆られた軽率な行動によって、すべてが台無しになってしまったのだ。
「かつてのあなたがヨモツヘグイをしたことはすでに明白。そして、今の名のあなたもたった今、わたしの目の前でその実を食しました。今度はもう逃げられませんよ?」
今さらながらに大きな過ちを自覚する私に、老紳士は死刑宣告でもするかのように告げる。
「あ、あなたはいったい……」
すでになんとなくはわかっていることではあったが、その認識の是非を確認すべく、私はうわずった声で彼に尋ねる。
「我らは黄泉の国からの使者──〝死神〟と呼ぶ者もおります。さあ、だいぶ遠回りになってしまいましたが、今度こそ一緒に黄泉へ来てもらいましょうか」
やはり、そうだったか……知らなかったとはいえ…いや、知らなかったからこそ、より繋がりを消して隠れていられたのかもしれないが、彼ら死神はずっと私をつけ狙い続けていたのだ……なのに、一度ならずに二度までも、私はヨモツヘグイをしてしまった。彼の言う通り、最早、黄泉から逃げることはできまい。
……だが、黄泉の国へ行けば、またこの果実の至高の味を堪能することができる……。
我ながらなんとも暢気なものだが、それほどまでにこの果実の味は魅力的なのだ。
己を死者の国へ連れてゆこうとする死神を前にして、私はそれも悪くないな…と思った。
(トキジクノカクノミ 了)
トキジクノカクノミ 平中なごん @HiranakaNagon
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