探偵鏡花は今日も霊をみる

月本むう

影逅の聞視

人混みは嫌いだ。只でさえ人間の声が煩わしいのに余計にその雑音が大きくなる。

原因は僕自身の体質にある。

―――霊の声が聞こえる。

こんな事を言っても誰にも信じて貰えない。何より厄介なのは霊の声しか聞こえないのだ。

声は聞こえても姿を見る事は出来ない。

誰がどこで何かを発している声が四六時中、耳元に囁いてくる感覚は気味が悪い。

そんな自身の特異体質もあり必然的に大通りを避けるようになった。

この車田市は駅前こそ近年大きな建造物が軒並み立つようになったが、信号を二つ三つほど進めば閑散な風景へとたちまち変わる。平成初期の古びた建造物が顔を覗かせれば人通りがぐんと減る。人混みに紛れて囁かれる声でない方が幾分かマシだ。

「おいおい、こんな可愛いお嬢ちゃんが何のようだ?」

「お前そんな口説き方あるかよ」

それでも、僕の耳には陳腐な口説き文句が聞こえてくる。霊が霊を口説くなんて。

姿が見えない男の声を無視して歩みを進める。この道は雑居ビルが立ち並びビルとビルの間の路地裏などにはよく霊が潜んでいるようだ。

見たことはないけど……

はやく目的地へと向かおうと歩を早めようとした瞬間だった。

「ぎゃぁあああああああああああ」

先ほどの霊が悲鳴をあげたようだ。僕には関係のないところで。

―――霊が悲鳴?

足を止めて引き返す。悲鳴が聞こえた路地裏を慎重に覗き込んだ。薄汚れた場所だった。ゴミは散乱し昼間だというのに薄暗い。

そんな場所に不釣り合いな姿が一人。僕の目に見えているのだから人間に違いなかった。

小柄な少女。その手には金属状の棒が握られていた。

「―――え」

思考が一瞬停止する。だってその女性は―――。



「ねぇ、その特異体質どうにかなんない?」

助手席に乗り込むやいなや鏡花はダッシュボードに足を投げだし退屈そうに欠伸をした。

ハンドルを握る岩山はその言葉に一瞬だが肩をふるわせた。

「どうにかならないかと言われても」

上擦った声が岩山から漏れる。彼自身の持つ『特異体質』は岩山の人生に大きな影響を与えている。現にこうして助手席にいる鏡花と行動を共にしているのもそれが原因だ。

周囲の安全を確認してから岩山はアクセルを踏み込んだ。

「いやぁ、なんかの間違いで事故とか起きたら困るだろ?」

「事故ってなんです?」

岩山の視線が助手席の鏡花へと滑った。

黒いニーハイソックスを纏った艶やかな足元が投げ出されており、白の短いプリーツスカートでは隠しきれない程よく肉付きのある太ももが無防備にさらけ出されている。彼女が大きく背筋を伸ばすと黒のパーカーから腹部が少し覗いた。岩山の鼓動が一瞬早くなる。

誤魔化すように岩山は目元をかいた。

「―――ほら、事故起こりそうじゃない?」

「こ、これは特異体質関係ないですよ」

「あぁ、男性特有の体質かぁ」

岩山は視線が見抜かれていた事を指摘され顔を赤く染める。咄嗟に反論するも当の鏡花はニヤリと口角を吊り上げた。

岩山の雇用主である鏡花は控えめに言っても美人だった。ブロンド色の長い髪。真紅に輝く瞳。

まるで人形の様に美しい顔立ち。

「いくら私が可愛いからって手を出すなんて事してくれるなよ?」

「し、しませんよ。それに僕がそんな事するはずないじゃないですか」

「へぇ。私の足。ずっと見てたじゃない」

「ずっと見ていた訳じゃありません。たまたま見えただけで」

「なーんだ。岩山君はやっぱり私の足みてたんだ。ケダモノだね」

岩山が再び鏡花へと視線をやった。助手席から上目遣いの鏡花と視線が交錯した。

鏡花はわざとらしく口元を指先でなぞり妖艶な笑みを浮かべる。

「や、やめてくださいよ」

「なにを?私は何もしていないじゃない」

「僕の事を揶揄ってます」

「揶揄っちゃいけないの?」

「ダメです」

「へーそう。ところで岩山君。前はみてね」

今日こそはこのまま揶揄われ続ける訳にはいかない。そう心に強く誓った岩山は意識を運転に集中しようとした。が、すぐに前方車両との距離が近すぎたことを察して思わずブレーキパッドを踏む足に力を込めた。車が急停止し、岩山と鏡花の体がグラりと揺れる。当然の様に後続車からはクラクションが浴びせられた。

「やっぱり事故が起こりそうじゃない」

何故かドヤ顔をする鏡花を見て岩山はため息をつく。どうにかしてこの邪悪な雇用主に一泡吹かせてやりたい気持ちが沸々と湧いてくる。それすらも日常茶飯事の感情だが、岩山自身、自らの特異体質を考えるとこの上なく『支障が出ない』職場なので余計にたちが悪い。

岩山は気を取り直して車間距離を十分にとってからアクセルをゆっくりと踏み込んだ。

「鏡花さん。ところで今日って」

「んー。あぁ、地縛霊がでるんだと」

ドアウィンドウに頬杖をつきながら鏡花は答えた。

「土地や建物、場所にしがみついている霊の事ですよね?」

「そうだね。言葉通りさ。今回の依頼はその地縛霊を祓ってくれーてことらしい」

「祓うって……専門外じゃないですか」

「本当だよ。私は探偵だよ?それなのに霊を祓うだのなんのって。なんでこんな依頼しかこないのさ」

嫌気がさすと小言を添えて鏡花は悪態をついた。鏡花は市内に事務所を構え探偵業を営んでいる。だが専ら依頼される内容は霊がらみのものしかない。

「なんかこう私の推理がピキーンと光る事件起きないかなー」

「一体、どんな事件を待ち望んでいるんですか?」

「どんなって、それはアレだよ。古い手記から始まるパッチワークの死体を作った殺人事件とか、傾斜のある館での殺人事件とかさ。この際、暗い坂の上にある巨木の事件でもいいよ」

「どんな事件ですか、それ」

「岩山君は本格を知った方がいいと思う。大体、霊退治ってさー。オカルトはミステリと対極にあると思うんだけど」

「鏡花さんが呪われているんじゃないですか?」

「それ。君にだけは言われたくないね」

岩山が余計な一言だと思った瞬間には既に時遅く。嫌味の籠ったカウンターパンチを食らってしまう。

「そもそもなんで鏡花さんは除霊なんて出来るんですか?」

「あぁ。私のは除霊じゃないよ―――あ」

「え?」

「あー。そこ右ね」

鏡花の指示通り岩山はウインカーを出してハンドルを切った。先ほどまで走っていた駅前は通り過ぎ、大通りから一本外れた立体駐車場が目の前に現れた。「ここでいいよ」と鏡花が言うので岩山は言う通り立体駐車場へと車を進める。

「それで、除霊じゃないって?」

三階ほどで駐車スペースが開いていたので岩山は車を停めた。先ほど鏡花が言いかけた言葉が気になり問いかけてみる。

「あぁ、君は見たことないんだっけ?」

既に車から降りている鏡花は後部座席から荷物を取り出している。大きめのボストンバックを抱えていた。

「……ないですよ。今までも」

岩山も車を降りる。「荷物持ちますよ」と岩山が言うも「君が持っていると意味がない」と言い鏡花はその大きなボストンバックを肩にかけた。

小柄な鏡花に余りにも不釣り合いな黒革のボストンバック。岩山もその中身は知らされていない。

「それで。除霊じゃないって」

「あぁ、霊だろうが何だろうが殺すだけだから」

「霊を殺すって?霊はもう死んでいるから霊なのでは?とんちですか?」

「なぁ。君にこの話するの何回目だと思う?」

心底呆れた様に鏡花は気だるそうに口を開く。二人は車を挟んで言葉を交わしていた。高身長の岩山からは鏡花の揺れる頭部がちらちら覗いている。

「僕は初めて聞きましたよ」

「そう思っているのは君だけだよ。ほら、いくよ」

ボストンバックを抱え鏡花はエレベーターの方へと歩を進める。その後をゆっくりと岩山が追いかけた。一見すると親子ほどの身長差の二人だが、主従関係で言えば見た目とは逆だった。

「あっ」

エレベーターを待っている間に鏡花は声をあげた。

「なんです?もう視えたんですか?」

岩山は肩がビクリと震えた。百八十センチ以上ある長身の岩山は背中を丸めて周囲を見渡すように視線を泳がしている。

「まぁーね。岩山君と違って私は視えるから」

一方で鏡花は胸を張って見せた。鏡花の視える能力は文字通り霊が視える。

その能力、はたまた呪いのせいで霊の絡みの依頼が毎週のように事務所に送られてくる。「おかげで生活には困らない」とは鏡花の弁だが本人は不服なよう。

「ど、どんな霊なんです?」

「ははっ視えないと不便だねー」

「いや、不便じゃないですよ。びっくりしなくて済みます」

「今、君の―――」

「わあああ」

鏡花の指さした先を岩山が振り返る。岩山は霊を視る事は出来ない。当然、背後に霊が居ようが居まいがそこには誰の姿もない。慌てふためく岩山を見て鏡花はケタケタと笑い声をあげながらエレベーターのボタンを押した。上を指す矢印がついたボタンがオレンジ色に点灯した。

「いやぁ、愉快だね」

「僕は楽しくないですよ」

「私は楽しいけどねぇ」

未だに口元をニヤつかせている鏡花に岩山は腹が立ってきた。仕返ししてやろうと思いエレベーターが来るのを待った。

「屋上ねー」

「屋上……立入禁止になっていますが」

エレベーターに乗り込んだ鏡花と岩山。屋上へのボタンは『立入禁止』とシールが貼られていた。

「関係ないよ。用があるのはそこだから」

「で、でも……」

「嫌なら君は階段でいきなよ。私としては大柄な男と二人きりで狭い密室に閉じ込められる方が怖いなぁ」

丸まった岩山の背中に投げた鏡花の言葉はおどけていた。岩山は無言でボタンをシールの上から押した。ゆっくりと扉が閉ざされる。

上昇する密室。箱を昇降させる駆動音が響いている。それともう一つ。

荒い息遣いが鳴った。

「どうかした?」

心配の念が籠った鏡花の声。それを背後から受け取った岩山は突如として振り返る。

「―――いたっ」

零れた声。漏れる吐息。岩山は体格差にものをいわせた。鏡花の両腕を掴みそのまま壁に体を押しつけた。背中を強打した鏡花は「うっ」とうめき声を漏らす。バストンバックはその弾みで鈍い音を立てて床に落下した。

「な、なんだい。今日はやけに積極的じゃないか」

「う、うるさいですよ。あなたが揶揄うから」

「へぇー揶揄うと君はケダモノになってしまうのか」

鏡花がその拘束を振りほどこうにもビクリともしない。それでも、彼女の口から皮肉は止まらなかった。反抗的な動きを見せた事で岩山も押さえつける力が強くなる。

「男と女。それも、この体格差。勝てると思っています?」

「おっと。それは中々に神経質な問いだね。でも、この場合において何をもって優劣を決めるんだい?―――って痛いよ」

虚勢を張る鏡花の顔が苦痛に歪んだ。岩山が彼女の腕をより強く握ったからだ。

「あぁー。君の後ろに幽霊が―」

棒読みすぎる鏡花の声に岩山は呆れかえった。鏡花が主演女優を務めたらネットで大荒れするレベルの演技力だ。

「その手には乗りませんよ」

「それは残念だ」

直後、口元が歪んだ。

―――チン。とエレベーターが最上階についた音が鳴った。エレベーターの扉がゆっくりと開かれる。

「いやぁ、中々面白かったよ」

エレベーターから降りる鏡花はボストンバックを拾い上げ満面の笑みを浮かべていた。それは恐ろしい程に晴れやかだ。それとは対照的にエレベーター内では股間を抑え苦悶の表情を浮かべる岩山がいた。

鏡花は駐車場の端へと走っていくと黒く滲んだ手すりを見つけた。安全の為、落下防止のフェンスが備えつけられていたが何かしらの台などの補助があれば乗り越えるには容易だった。

「岩山君、早く来なよ。あそこに霊がいるから」

夕暮れ時、殺風景の屋上。その中心へ鏡花は指を差す。今度はそこへ小走りで駆け寄っていくと鏡花は身振り手振りで体を動かしている。時折、振り返り岩山の方へと視線を送る。未だに股間を抑えた中腰の岩山はゆっくりと歩き横に並んだ時には鏡花は動きを止めていた。

「視えない?」

「視えないですよ」

「聞こえない?」

「―――え?」

岩山はそっと目を閉じた。意識していなかったが鏡花といる時は霊の声が聞こえていなかった。

たまたま近くにいなかっただけかも知れない。

『―――シテ。―――カエ―――』

が、それは気のせいだったようだ。岩山は自身の血の気が引いていくのを感じた。確かに声が聞こえた。岩山には聞き覚えのある声の気がした。

「一ヶ月前。ここで飛び降り自殺があったの知ってる?」

「へ、へぇー。そうなんですね」

岩山は自身の鼓動が速くなるのを感じていた。無意識のうちに目元を指先でかいた。

「ねぇ、それ癖?」

「何がですか?」

「目。かくの」

「どうですかね。意識していないので。癖なんだと思いますけど」

「岩山君にそんな癖。今までなかったでしょ」

鏡花のその言葉はやけに透き通って聞こえた。

岩山は体が一瞬ぐらつくような感覚を味わい、思わずその足に力を込めた。確かな感覚がアスファルトを踏みしめている。

そんな岩山を一瞥し鏡花は言葉を重ねる。

「今ここにいる地縛霊ってさ。あー君には視えないだろうけど。一ヶ月前にここで自殺した子なんだ。で、その彼女が自殺したって場所がそこ」

鏡花はその場所を指さした。先ほど、鏡花が確認した手摺とは真逆の方向だった。

岩山は黙って鏡花の顔を見つめている。

「もう一度聞くよ。岩山君―――聞こえるの?」

鏡花の声は冷たかった。彼女は霊がいると指を差した地点で『そこに座っている誰かの頭を撫でるような仕草』をした。

「な、なにも―――」

『ねぇ、イッショニ、落ちてクレルって言ったよね』

岩山の言いかけた言葉は何処からか聞こえてくる声に塗りつぶされる。

彼には姿が視えないそれは岩山自身に向けられた言葉だと頭の中で揺れた。

「ねぇ、岩山君。君の特異体質ってなんだっけ?」

ゆっくりと立ち上がった鏡花は真っすぐに岩山を見つめている。その目は恐ろしく鋭く、冷たかった。

「れ、霊の声が聞こえる事です。鏡花さんだって知っているでしょ?姿は視えないけど声は聞こえる」

「残念だけど違うよ。岩山君。君は『乗っ取られやすい』だよ。ほんとその特異体質どうにかなんない?」

苦虫を噛むような表情をして鏡花はため息をつく。視線は相変わらず岩山を貫いている。

『初めて会話した時』と同じ言葉を言われて岩山は思わず身震いした。

「で、でも。僕は岩山です。乗っ取られている感覚もないですし」

「そりゃーそうさ。君に憑いてる霊。自分が死んでいるって気づいてないんだもの。でも、記憶と人格に齟齬がでてる。このままじゃ岩山君、本格的に乗っ取られちゃうよ?」

鏡花は笑って恐ろしい事実を並列した。岩山は思わず喉を鳴らす。

「ど、どういう意味ですか?」

「一ヶ月前の飛び降り自殺。まぁこれはなーんにも事件性のない自殺なんだけどさ。ここであった自殺は二件。一つは、ここにいる呪縛霊の彼女。そして、もう一つは岩山君に憑いている霊の男」

鏡花は岩山の、正確には岩山の背後を指さした。

「二人は一緒に飛び降り自殺しようとしたんだけどさー。男の方がチキって女の子だけが落下して死亡。まぁそれだけならいいけどねぇ。彼女の凄惨な死を目撃した男は発狂して自分の眼球を潰してそのまま落下死。その現場があっちってわけ」

淡々と鏡花は説明する。もう一度指を差し直した方向は先ほど彼女が黒く滲んだ手すりを見つけた場所だった。

「えっと、それって」

「だからー岩山君に取りついた霊は死を自覚していない霊。生前、死の間際で自らの眼球を潰しているから霊が視えない。っていう世にも奇妙な霊ってわけ」

「じゃあ僕が今、霊の声が聞こえているのは?」

「そもそも霊だから。で、霊が取りついているから。普通の霊が取りついたらいつも岩山君も視えているよ」

岩山の青かった顔が更に濃くなっていく。

「そ、そんな事って。それじゃ、僕は一体どうしたら」

「安心しなよ、岩山君」

鏡花は笑顔でボストンバックを下ろすとそこから金属性の棒を手に取った。それを得意げな顔で横凪ぎに振るうと金属性の棒は更に伸び七十センチ程の長さになった。実に鏡花の身長の約半分の長さだ。

「あのー鏡花さん。まさかと思いますけど」

「心配するなよ、岩山君。いつもの事さ」

「ちょっと、まっ―――――」

直後、岩山の脳が揺れる。彼が最後に視た景色は笑顔で金属性の棒を自らに振るう雇用主の姿だった。



長身の岩山の体が崩れ落ちた。その体から黒い靄が飛び出し宙を漂った。

「ほんと毎度、迷惑な体質だなぁ」

頭を無造作に搔きながら鏡花は岩山に一瞥もせず呪縛霊の少女がいた場所へと視線を写した。

気づけばそこには霊が二人いた。男女の霊だった。

二人は恋人のように抱きしめあっている。それをみて鏡花は吐き気を催した。

「あんさー、そんなに両想いならなーんで自殺しようとすんの。ほんと意味わからないなぁ」

二人の霊は鏡花へと言葉を向ける。

『ありがとう』

鏡花はそう言っているように感じた。

感じたというのは事実だ。鏡花は霊は視えるが霊の声は聞こえない。

読唇術を用いて二人の霊の言葉を想像したに過ぎなかった。

「こんな事で感謝するくらいなら。自分の命に感謝して生き続けるべきだったの。はぁ。見ているだけでイライラする。さっさと成仏してくんなーい?できないなら私が黄泉へ送ってあげるけど」

鏡花は手に持った金属性の棒をぶっきらぼうに振って見せた。二人の霊は慌てるような仕草を見せるも鏡花に一礼した。

「わかったからはやく行って」

幸か不幸か鏡花の声は霊に届く。男女の霊はゆっくりと浮遊し、空高く飛び上がるとやがて夕焼けの中、霧のように消えていった。

「まったく。こんなの探偵の仕事じゃないよ」

誰に聞かれるまでもなく愚痴をこぼす。

「おい、起きろ。いつまで寝てるんだ、岩山君」

金属性の棒で助手の腹部をつつく。「ぐっ」という鈍い声と共に岩山の瞼がゆっくりと開いた。

「あれ……鏡花さん?」

「なに寝ぼけてるの岩山君。霊はいなくなったから事務所、帰るよ」

「えーと、もしかして俺また憑かれてました?」

「はぁ、今回もそこの記憶とんでるの?」

上半身だけを起こし頭を掻きながら寝ぼけた事を言う岩山に鏡花は頭の血管が千切れそうなほど怒りがこみ上げてくる。

と、同時に悪戯めいた想像も頭をよぎった。

「今回の岩山君は酷かったよ。こんな美少女の私に乱暴を働くのよ」

鏡花は目元を抑えて涙を拭う仕草を見せる。

「美少女って、鏡花さん。そりゃ見た目は学生ですけど年齢は―――」

「なっ、うるさい。黙れ。でくの坊、唐変木。役立たずの助手め」

鏡花は乱暴に金属性の棒を振り回して岩山へと叩きつける。「痛いからやめてください」と半笑いで言う彼の姿をみて余計に腹が立ってきた。

「あーもう。ムカつく」

金属性の棒をボストンバックに押し込むとそれを岩山へと放り投げるとエレベーターの方へと足早に歩いていく。岩山も当然とばかりにそれを受け取るとサッと立ち上がり彼女の後へと続いた。

「鏡花さん、怒んないでよ」

「怒ってない。大体、いつも憑かれる君が悪い。助けてあげてるこっちの身にもなって欲しいね」

「そうしたいのは山々なんですけどね」

そういって力なく零した声と共に岩山は鼻の頭をかいた。

鏡花は足を止めて振り返ると岩山の顔を見上げるように見つめた。

「その癖やめたら?」

「え?なんかやってました俺?」

「―――やっぱいい。やめなくて」

鏡花は何故か自身の顔が赤くなるのを感じ再び歩みを進めた。その訳は全く分からなかった。

きっと学術的な謎があるに違いないと荒唐無稽な発想が頭をよぎり頭を左右に振ってその思考を振り払った。



帰りの車内。依頼主である立体駐車場の管理人には連絡を済ませ本日の仕事を完了させた。ラジオから流れる流行の曲に鼻歌交じりでハンドルを握る岩山とは対照的に鏡花は気だるそうにドアウィンドウに頬杖をついていた。

「鏡花さんどうかしました?」

彼女の雰囲気を察して声を掛けた。

「べつにー。もっと私の推理がピキーンと光る事件や依頼を待ち望んでいるわけ」

またいつものが始まったと岩山は言いかけた言葉を飲み込んだ。

「でも、霊退治なんてアンダーグラウンドな感じかっこよくありません?」

「かっこよくないよ。どうせならバイクにまたがって爽快に登場したい。そういうのがいい」

「鏡花さん免許持ってましたっけ?」

「―――ないよ!憧れない?事件の解決やピンチにかっこよく登場するの?」

「あぁ、白馬の王子的な?」

「そうそう騎士的なやつ」

鏡花がわざわざ言い直したのも、突っ込もうと思ったがこれ以上雇用主が癇癪を起してもたまらないと思い岩山は黙って聞くことにした。それにしても、鏡花の愚痴はいつにもまして多かった。

「―――大体さ、霊の癖に人間にナンパってどう思う?いや、実際に声は聞こえないけど雰囲気と口の動きでわかるじゃん?ねぇ、ちょっと聞いているの岩山君」

「え、ええ」

実際、岩山はほとんど聞き流してはいた。

「本当に?」

鏡花から上目遣いで眼差しを向けられ、内心鼓動が跳ね上がったが顔には出さないようにした。

「ほ、本当です。鏡花さんにはいつも、その迷惑というか助けられてて、なんというか俺にとっての騎士は鏡花さんだなーて」

岩山はしまったと心の声が漏れそうになった。愚痴の前の会話を引きあいに出してしまった事に。恐るおそる鏡花の顔を見ると目を泳がせながら口を尖らせていた。

「そ、そうだよ。私のおかげで君がいるんだからね。なんなら助手として私の活躍の記録を小説にしたためるといいよ」

直後に満面の笑顔を浮かべ鏡花にその報酬は自分だけが独り占めしたいと思った。

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