完璧なノイズの収束
不思議乃九
完璧なノイズの収束
【第一部|犯行:音が消える瞬間】
東京・渋谷区。
地下に沈む防音スタジオは、響野誠という音楽プロデューサーの“耳”そのものだった。
ここでは、音は物理現象ではなく、
意志によって選別される情報だ。
録音されなかった音は存在しない。
削除された音も存在しない。
響野は、それを疑わなかった。
壁面にはヴィンテージ機材が整然と並び、
僅かな電磁ノイズが、呼吸するみたいに空気を震わせていた。
その部屋で——青年・高柳カイトは、自分の存在を否定された。
「君の音は、ただのノイズだ」
その一言が、高柳の内部で張り詰めていた何かを断ち切った。
次の瞬間。
ヴィンテージ・シンセサイザーのユニットが振り下ろされ、響野の頭部に沈む。
スタジオに、異様なほど均質な静寂が落ちた。
——ノイズは、完全に消えた。
衝動の直後とは思えないほど冷静な意識のまま、
高柳は“音の痕跡”の消去を始める。
響野のPCを開き、DAWのセッションを深層構造ごと削除。
古いアナログ機材が拾う微細なモーター音すら恐れ、
電源タップから高感度マイクやケーブルを一本ずつ引き抜いた。
“音”を殺すためだけの、徹底的な行為。
最後に、響野の指先で弄ばれていたUSBメモリをポケットへ押し込む。
それは、自分を“ノイズ”と呼んだ男から奪い返した、唯一の証だった。
スタジオを後にする高柳。
そして彼は気づかない。
・引き抜いた電源タップに、微細な“使用痕”が残ったことを
・USBメモリの奥に、響野による“最後のプロデュース”が隠されていたことを
すべては、これから回収される。
⸻
【第二部|捜査:沈黙の構造】
事件から二日後。
御子柴警部は、あまりに“整いすぎた沈黙”に違和感を覚えた。
「……静かすぎる」
DAWデータは“完璧に”消されている。
アナログ機材群は“同時に”断絶している。
これは偶然ではない。
意図された “音の死” だ。
御子柴は思考を巡らせる。
情報は消えても、
消去という行為そのものは痕跡を残す。
データを消せばログが残る。
電源を断てば断絶が残る。
静寂を作ろうとした思考こそが、犯人を指し示す。
犯人は——
音を理解し、音を恐れ、音を消すことに執着した人間。
事情聴取の高柳は静かに言う。
「厳しい言葉をかけられました。だから、すぐに帰ったんです」
だが、
・完全削除には20〜30分必要
・ケーブル断線作業でさらに時間がかかる
・“すぐに帰った”という供述とは明らかに矛盾
御子柴は、電源タップに残った埃のわずかな乱れから、
“最後に抜かれた一本”——古いデジタルミキサーへと辿り着く。
このミキサーは常時、数秒分の環境音をバッファに保存するタイプだ。
電源オフで消えるが、急激なケーブル抜きのときだけ、一部が凍結する。
御子柴は、その一点に賭け、解析を命じた。
⸻
【第三部|真相:ノイズの復活】
数日後。
御子柴の机に届いた解析データには——“断片音”が残っていた。
微かな呼吸。
掠れた声。
そして死の直前の一句。
『……それでいい。君の“ノイズ”は……』
取り調べ室でそれを聞いた高柳は、顔色を変える。
御子柴は告げた。
「響野誠は、聴覚過敏を伴う神経変性疾患だった。
純粋なデジタル音は、彼にとって“無音”と同じだった」
高柳の喉が震える。
「彼が聴けたのは——感情の濁り、衝動、不協和。
つまり、生きた人間の “ノイズ” だけだ」
御子柴はUSBメモリを置いた。
「これには隠しトラックとして“遺言”が残っている」
再生された声は、狂気と創造の境界に立っていた。
『高柳カイト。
君のノイズは、まだ純粋すぎる。
完璧なデジタル音源は、今やAIでも作れる。
だが、君が僕を殺したことで生まれる “罪のノイズ”——
それだけは、アルゴリズムには生成できない。
これが、僕の最後のプロデュースだ。』
高柳は呟く。
「……僕は、響野さんの掌の上にいたんですか」
「そうだ。
殺意も、行動も、沈黙さえも。
すべては “ノイズを与える装置” として計算されていた」
長い沈黙のあと、高柳は目を上げた。
破滅と才能が同居した光が宿っていた。
「……違います。
僕は、響野誠を超える音を作る。
遺言のためじゃない。
僕自身のノイズのために」
御子柴は調書を閉じた。
倒叙ミステリとして事件は即日解決した。
だが“音とは何か”という問いだけが、沈黙の底で揺れ続けている。
響野が聞こえなかった「完璧な音」。
響野だけが聞こえた「生のノイズ」。
どちらが音楽だったのか。
あるいは、音楽とは結局——
誰かの耳が選別した“ノイズの集合”なのかもしれない。
御子柴には、答えはなかった。
ただひとつだけ確かだったのは。
高柳カイトの中で、響野のノイズが今も鳴り続けている、ということだった。
完璧なノイズの収束 不思議乃九 @chill_mana
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