異世界診療所へようこそ!-「私はあなたを助けません」メンタル限界の俺に、ツンデレ銀髪エルフがそう言ったー

不可思議はっぱ

異世界診療所へようこそ!-「私はあなたを助けません」

「私はあなたを助けません」


 銀髪のエルフは、冷たい目で俺を見下ろしていた。


 長い髪が黄昏色の光を受けて絹のように輝いている。透き通るような白い肌、優雅に尖った長い耳。美しい。息を呑むほどに。


 でも、その碧い瞳には温度がない。


「助けてください。変わりたいんです」


「助けられるのは、あなた自身だけです」


 どうして。なんでこんなことになった。


 ——話は、今朝から始まる。


    ◇


 月曜日。午前十時。週次の進捗会議。


 俺——神崎蒼太(かんざき そうた)、二十八歳——は、椅子に座りながら自分に言い聞かせていた。今日こそ怒らない。今日こそ冷静でいる。


「では、神崎くん。先週の企画書について」


 村上課長。四十五歳。細い目、薄い唇、いつも人を見下すような表情。


 俺は立ち上がり、説明を始めた。


「新規顧客向けのキャンペーン企画です。ターゲット層を——」


「ストップ。その前提がもう間違ってる」


 まだ三十秒も経っていない。課長は資料を見てすらいない。スマートフォンをいじりながら、適当に否定しているだけだ。


「正直に言おうか、神崎くん。こんな企画、学生でも出さないよ」


 その瞬間、頭の中で何かが切れた。


「いい加減にしてください!」


 気づいた時には立ち上がっていた。


「資料も見ないで何がわかるんですか! 人の三日間の仕事を三十秒で否定して、それが上司のやることですか!」


 会議室が凍りついた。十人以上の視線が、全部俺に集まっている。


 その中に、佐々木凛(ささき りん)の顔があった。入社二年目の後輩。いつも俺を慕ってくれる、数少ない存在。


 その凛が、今にも泣きそうな顔で俺を見ていた。


 ——また、やってしまった。


    ◇


「次に問題を起こしたら、クビだ」


 部長室で、俺は最後通告を受けた。これで三度目だ。


 山本部長は厳格な人だった。俺の言い分には一切耳を貸さない。でも——課長の肩を持つわけでもなかった。


「村上の態度にも問題がある。それは私も把握している」


 部長は書類に目を落としたまま言った。


「だが、感情的に怒鳴り散らすのは論外だ。正当な主張も、伝え方を間違えれば暴言になる。……わかるな?」


「……はい」


「次は、ない。下がれ」


 厳しい。だが、不公平ではなかった。それだけに、言い返す言葉がなかった。


 その夜、六畳のワンルームで天井を見つめていた。


 また怒ってしまった。また失敗した。


 凛の泣きそうな顔が、頭から離れない。守りたかったはずの後輩に、あんな姿を見せてしまった。


 変わりたい。本当に変わりたい。でも、どうすれば?


 誰か、助けてくれ——


 そんな願いを抱えたまま、俺は眠りに落ちた。


    ◇


 目を開けると、見知らぬ天井があった。


 木造の、温かみのある天井。窓の外は黄昏色に染まっている。太陽は見えないのに、世界全体がオレンジと紫の中間のような光に包まれている。空には二つの月。


 ——夢だ。


「お目覚めですか」


 振り返る。部屋の入り口に、エルフが立っていた。


 銀色の髪。透き通るような白い肌。切れ長の碧い瞳。そして——長く、優雅に尖った耳。


 美しい。人間離れした美しさだった。絵画から抜け出してきたような、現実感のない美貌。


 心臓が跳ねた。こんな存在を前にして、平静でいられるわけがない。


「ここは黄昏の診療所。私はセレン。三百年ほど、この場所で人の心を診ています」


 三百年。その数字が、現実味を持たずに頭を通り過ぎる。


「お願いです。変わりたいんです。助けてください」


「私はあなたを助けません。助けられるのは、あなた自身だけだからです」


 突き放された。でも——


「一つだけ、教えておきます。あなたは、怒りを『敵』だと思っていますね」


「当然です。怒りのせいで、全部台無しにしてきた」


「怒りは敵ではありません。あなたを守るための本能です」


 意味がわからなかった。


「朝が来ます。帰りなさい」


 視界が白く霞み始める。その時、肩に温もりを感じた。


 毛布だった。いつの間にか、俺の肩にかかっている。


「あれ……これ、いつの間に」


「……さっきです」


 セレンが目を逸らした。


「診療所は冷えますので。あなたが風邪でもひいたら、余計な手間が増えます」


「あ……ありがとうございます」


「感謝は不要です。私のためですから」


 そう言いながら、セレンの長い耳がぴくりと動いた。


 ——なんだろう、この反応。


 そして俺の意識は白い光の中に溶けていった。


 目が覚めると、火曜日の朝だった。見慣れた六畳の天井。


 夢だったのか。でも、肩にはまだ、毛布の温もりが残っている気がした。


 そして——セレンの横顔が、頭から離れなかった。


    ◇


 火曜日は、課長を避けて過ごした。その夜、また診療所にいた。


 扉を開けた瞬間、ハーブの香りがした。テーブルの上に、湯気の立つカップが二つ。


 ——二つ?


「来ましたか」


 窓際から、セレンの声。背を向けたまま、外を眺めている。


「あの……このお茶、もしかして俺の分ですか?」


「たまたまです。分量を間違えただけです」


「でも、カップも二つ——」


「偶然です。それ以上詮索しないでください」


 セレンの耳が、ぴくぴくと動いている。


 ——待っててくれたんだ。そう思うと、胸が温かくなった。


「ありがたくいただきます」


「……勝手にしなさい」


 お茶を一口飲む。優しい味がした。


 窓際に、セレンが立っていた。その後ろ姿を見た瞬間、なぜか胸が高鳴った。


 セレンがゆっくりと振り返った。黄昏の光が、彼女の輪郭を縁取っている。


 息を呑んだ。逆光の中のセレンは、まるで絵画のように美しかった。


「あの...俺は、怒りの感情をどうやって乗り越えたらいいのでしょうか?」


「怒りのピークは、六秒。その六秒を乗り越えれば、怒りに支配されずに済みます。後は自分で考えなさい。私はあなたの教師ではありません」


 突き放された。苛立ちが込み上げる。でも、それをぶつける気にはなれなかった。


「……わかりました」


 診療所の出口に向かう。扉に手をかけた時、背後から小さな声が聞こえた。


「……手元のものに、意識を向けてみなさい」


 振り返った。セレンは窓の外を見ていた。


 窓ガラスに、セレンの顔が薄く映っている。その唇が——ほんの少しだけ、柔らかく曲がっている気がした。


    ◇


 水曜日、午後。村上課長が俺のデスクに近づいてきた。


「神崎くん、この資料のミス、どうするつもり?」


 書類を叩きつけられた。血が昇っていく。


 六秒だ。一、二、三……手元のペンを握る。四、五——


「聞いてるのか?」


 課長の嘲りの顔が目に入った。カウントが、吹き飛んだ。


「だから、すみませんって言ってるでしょう!」


 また、やってしまった。


     ◇


 その夜、診療所で俺は床に座り込んでいた。


「……やっぱり無理だ」


 どれくらい経っただろう。目の前に、湯気の立つカップが差し出された。


「ハーブティーです。声が枯れていると聞き取りにくいので」


 セレンが、俺の隣に座っていた。近い。花のような香りがする。心臓が跳ねた。


 一口飲んだ。温かい。体の中心が、じんわりと温まる。


「……体が強張っています。仕方ない。一つだけ教えます」


 セレンが両手を握ってみせた。


「五秒間、思い切り力を入れて。今度は、一気に力を抜いて」


 言われるまま、俺も手を握る。力を込めて——ストン、と抜いた。じわっと手のひらが温かくなる。


「心と体は繋がっています。体を緩めれば、心も少し楽になる」


「……本当だ」


「ありがとうございます、セレンさん」


 セレンはすぐに立ち上がって、窓の方を向いた。


「別に、大したことはしていません。……あなたが落ち着かないと、診療所の空気が悪くなるだけですから」


 窓ガラスに、セレンの顔が映っていた。その耳が——少しだけ、赤い気がした。


    ◇


 木曜日の朝。出社してエレベーターを待っていると、後ろから声がかかった。


「神崎くん、おはよう」


 振り返ると、経理部の田中さんだった。五十代の女性で、誰にでも愛想がいい——のだが。


「昨日の会議、大変だったんですって? 村上課長に怒鳴っちゃったとか」


 噂が広まっている。嫌な予感がした。


「まあ、気持ちはわかるけどね。でも、やっぱり怒鳴るのはよくないわよねぇ」


 わかってる。言われなくても。


「若い人って、すぐカッとなるから——」


 イラッとした。血が昇り始める。


 ——六秒だ。


 手元の鞄の持ち手を握った。革の感触に意識を向ける。


 一、二……田中さんの声が遠くなる。三、四……呼吸。吸って、吐いて。五……手の力を抜く。六……


「——だから、気をつけなさいよ?」


「……はい。ご忠告ありがとうございます」


 驚いた。自分でも驚くほど、普通の声が出た。


 怒りは消えていない。でも、支配されていない。


 小さな、本当に小さな成功だった。


    ◇


 木曜日、昼休み。凛が俺のデスクに来た。


「先輩、お昼ご一緒しませんか」


 会社近くのカフェで、凛は言った。


「先輩が必死で私たちのために戦ってくれてるのに、私は見てるだけだった。それが……ずっと心残りで」


「いや、あれは俺が悪い」


「醜くなんかないです。先輩は、いつも私たちのことを考えてくれてる」


 凛が、俺の目を真っ直ぐに見た。


「先輩なら、絶対にできます。私、信じてますから」


 胸が詰まった。俺は——その信頼に、応えたいと思った。


    ◇


 その夜、診療所で俺は話した。


「守りたい人がいるんです。俺を信じてくれてる後輩が」


 テーブルには、今夜もハーブティーが二人分。もう「分量を間違えた」とは言わなかった。


 沈黙が落ちた。セレンの耳が、かすかに動いた。


「……二百年前。あなたに似た人が、いました」


 初めて、セレンが言葉を詰まらせた。


「その人も、あなたと同じことを言いました。『変わりたい』『大切な人を守りたい』と」


 セレンがゆっくりと振り返った。その目に、今まで見たことのない影が差していた。


「私は、その人を助けようとしました。毎晩、傍にいて、答えを教えて、手を取って導いた」


 セレンの視線が、遠くを見つめる。


「でも、私は間違えました。優しくしすぎたのです」


 セレンの目に、光るものがあった。涙——だろうか。思わず、手を伸ばしそうになった。


「その人は、私に依存するようになりました。自分で考えることをやめ、私の言葉を待つだけになった。そして、私がいなくなった時——」


 言葉が途切れた。


「——その人は、立てませんでした」


 俺は言葉を失った。


「だから私は、もう同じ過ちを繰り返しません。あなたを助けません。答えを与えません。……あなたは、自分で立たなければならない」


 ようやく、理解できた。セレンが冷たいのは——本当に、俺のことを思っているから。


「……ありがとうございます」


 俺は手を伸ばすのをやめた。代わりに、少しだけセレンの近くに座り直した。


 セレンが身じろぎした。


「……近い」


「すみません」


「……いえ。そのままでいいです」


 小さな声だった。セレンは窓の外を向いたまま、動かなかった。


 その耳が、赤くなっている。


 ——可愛い。不意に、そう思った。


「そうだ!今朝、少しだけうまくいきました」


 俺はエレベーターでの出来事を話した。セレンは窓の外を見たまま聞いていた。


「……そう」


 それだけだった。でも、窓ガラスに映ったセレンの顔が——ほんの一瞬、微笑んだように見えた。


「あなたの中に、『べき』が多すぎます」


 セレンが振り返った。


「完璧でなければならない。怒ってはいけない。——それは、誰が決めたのですか」


「……誰って……」


「あなた自身です」


 頭を殴られたような衝撃だった。


「怒りを生み出しているのは、上司ではない。あなたの『べき』が裏切られた時、怒りが生まれる」


「俺の……『べき』……」


「上司はこうあるべき。仕事はこう進むべき。——その『べき』が、あなたを苦しめている」


 セレンの目が、真っ直ぐに俺を見ていた。


「他人は変えられない。でも、自分の反応は——自分で選べます」


「選べる……」


「私は、そう信じています」


 セレンが目を逸らした。


「……あなたが、自分で選べる人だと」


「セレンさん——」


「忘れなさい。今のは独り言です」


 セレンが窓際に戻っていく。


「現実で、あなたを待っている人がいます。その人を守れるのは、誰ですか」


 答えは——わかっていた。俺だ。俺しかいない。


「……わかりました。俺は、現実に戻ります。そして、自分で選びます」


 視界が白く染まり始める。


「セレンさん。また、来ます」


「……勝手にしなさい」


 俺は扉に向かった。その背中に、かすかな声が届いた。


「……気をつけて」


 振り返る。セレンは窓の外を向いていた。


「今、何か——」


「何でもありません。独り言です」


 その声は、どこか嬉しそうだった。


    ◇


 金曜日、午後三時。


 オフィスに、村上課長の怒鳴り声が響いていた。


「何度言ったらわかるんだ!」


 視線を向けると——凛が、課長の前に立っていた。震えている。目に涙が浮かんでいる。


「こんな簡単な作業もできないのか! この程度の仕事もできないなら、さっさと辞めろ!」


 俺の中で、怒りが爆発しかけた。


 でも——ここで怒鳴ったら、全部終わりだ。クビになる。凛を守ることもできなくなる。


 選ぶんだ。俺が、自分で。


 手元のペンを握った。六秒だ。


 一……課長の声が遠くなる。ペンの冷たさ。金属の硬さ。そこに意識を集中する。


 二……指の感覚。握っている。確かに握っている。俺は今ここにいる。


 三……呼吸。吸って、吐いて。セレンの声が聞こえる。「体を緩めれば、心も少し楽になる」


 四……手の力を、少し抜く。じわっと温かくなる。怒りはある。でも——支配されていない。


 五……セレンの顔が浮かんだ。「あなたは、自分で選べる人だと」


 六……


 怒りのピークが、過ぎていった。


 頭がクリアになる。感情はある。でも、感情に操られていない。俺は、俺のままだ。


 俺は、静かに立ち上がった。


「課長。それは、パワハラです」


 自分でも驚くほど、落ち着いた声だった。


 課長が振り返る。周囲の視線が集まる。でも、怖くなかった。


「大声で人格を否定する発言は、パワハラに該当します。『使えない』『辞めろ』という言葉は、明らかに不適切です」


 周囲がざわめいた。


「周囲にも証人がいます。この状況で叱責を続けるなら、然るべき対応を取らせていただきます」


 課長の顔が赤くなった。


「お前……月曜のこと忘れたのか? 次やったらクビだって——」


「忘れていません。でも、これは違います」


 俺は課長の目を真っ直ぐに見た。


「これまでの俺は、感情に任せて怒鳴りました。でも今は違う。俺は冷静に、事実を述べています」


「神崎の言う通りだ」


 振り返ると、山本部長が立っていた。


「村上課長。今の発言、私も聞いていた。会議室に来なさい。今すぐだ」


 課長が部長に連れられて消えていく。その背中が、ひどく小さく見えた。


「よく言った……」

「俺も前から思ってた」


 小声が、広がっていく。


 俺は、まだ信じられない気持ちで立っていた。やった。六秒、数えられた。怒りに支配されずに、自分で選べた。


「先輩……」


 凛が、涙を浮かべて俺の前に立っていた。


「ありがとう、ございます……先輩、かっこよかったです」


 その言葉が、胸に染みた。


    ◇


 その夜、眠りに落ちると、診療所にいた。


 セレンが窓際に立っている。いつもと違う。背中の空気が、柔らかい。


「セレンさん。俺、できました」


 長い沈黙。やがて、セレンがゆっくりと振り返った。


「……そうですか」


 その目が、いつもより優しく見えた。


「……頑張りましたね」


 小さな声だった。でも、確かに聞こえた。


「今、なんて……」


「な、何でもありません。聞き間違いです」


 セレンが顔を背けた。耳が、真っ赤だ。


 ——可愛い。ずっと思っていた。気づかないふりをしていただけだ。


「では...もう、あなたはここに来る必要はありません」


 その言葉に、胸が締め付けられた。


「あなたは、自分で立てる人だと証明しました。これからも自分の感情と共に、上手に生きていきなさい」


 視界が、白く霞み始める。もう、時間がない。


「セレンさん。また——会いたいです」


 セレンの目が、大きく見開かれた。


 長い沈黙。三百年を生きたエルフが、言葉を失っている。


「……あなたが、本当にそう願うなら。この診療所は、消えません」


 その声は、今までで一番柔らかかった。


「じゃあ……」


「勘違いしないでください。私が待っているわけでは……」


 言葉が途切れる。


「……別に、待っていてほしいと言われても、困るだけです」


 俺は笑った。初めて、心から。


「わかってます。でも、俺は来ます。必ず」


 視界が白く染まっていく。


「俺、たぶん——」


 言葉が途切れた。言えなかった。でも、いい。次に会った時に言えばいい。


 最後に見えたのは、セレンの顔だった。頬が、ほんのり赤く染まっている。そして——かすかに、微笑んでいた。


    ◇


 土曜日の朝。窓の外は晴れている。


 スマートフォンを見ると、凛からメッセージが来ていた。


『先輩、本当にありがとうございました! 村上課長、異動になるみたいです!』


 笑みがこぼれた。あの理不尽な日々が、終わる。


 窓を開けた。深呼吸をする。吸って、止めて、吐いて。


 俺は変われた。自分の力で。自分で選んで。


 怒りは消えていない。これからも、腹が立つことはあるだろう。でも、もう支配されない。六秒を数えて、自分で選ぶ。


 そして——今夜、また眠りに落ちたら。あの黄昏色の診療所で、銀髪のエルフが待っている。


 きっと「待っていません」と言うのだろう。でも、お茶を二人分淹れて待っているのだろう。


 ——好きなのかもしれない。


 自分でも驚くほど、自然にそう思った。


 風が、優しく吹き抜けていく。


 俺は行く。何度でも。


 それが——俺が選んだ、道だから。


   ◇


 ある日の夜。


 眠りに落ちると、俺はまた診療所にいた。


 テーブルの上に、ハーブティーが二つ。湯気が静かに立ち上っている。


 窓際に、銀色の髪が揺れている。セレンが振り返った。その目が、ほんの一瞬——驚いたように見開かれた。


「……来たのですか」


「言っただろ。何度でも来るって」


 俺は、セレンに近づいた。


「もう、来る必要はないと言ったはずです」


「必要がなくても来る」


「……」


「会いたいから」


 セレンの耳が、真っ赤になった。


「っ……勝手にしなさい」


 顔を背ける。でも、その声は——どこか嬉しそうだった。


「お茶、いただいていいですか」


「……もう淹れてあります」


「待っててくれたんですね」


「待っていません。たまたま、二人分——」


 言葉が止まった。今さら、その言い訳は通じない。


「……仕方ないでしょう。あなたが来ると、わかっていたので」


 ようやく、認めた。俺は笑いをこらえながら、カップを受け取った。


「ありがとうございます」


「……別に」


 セレンが窓際に戻る。俺も、隣に座った。


 二人で、黄昏色の空を眺める。二つの月が、静かに浮かんでいる。


「……セレンさん」


「何ですか」


「俺、たぶん——」


「言わなくていいです」


 セレンが遮った。


「三百年生きてきて……こんな気持ちは、初めてなので」


 小さな声だった。震えていた。


「……だから、今は。もう少しだけ、このままで」


 俺は何も言わなかった。ただ、隣にいた。


「……ありがとう」


 セレンの声が、かすかに聞こえた。


「独り言ですから。聞かなかったことに、しなさい」


 俺は笑った。


「わかった。聞かなかったことにする」


 セレンの耳が、赤い。


 窓の外では、黄昏の光が静かに揺らいでいる。


 俺たちの夜は、まだ始まったばかりだ。


 【おしまい】


-------------------

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

この物語は「怒りとどう向き合うか」をテーマに、ツンデレエルフとの夢の中で訪れることができる診療所という形で描いてみました。


日々ストレスを抱えながら頑張っている方に、少しでも「明日も頑張ろう」と思っていただけたら嬉しいです。


セレンさんの「助けません」は、実は一番優しい言葉なのかもしれません。


もしこの物語を気に入っていただけたら、★での評価やフォローをいただけると、とても励みになります!


それでは、またどこかでお会いしましょう。

——あなたの六秒が、うまくいきますように。

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