第4話 産寧坂(さんねいざか)を下りる

 春信は娘の姿を探して欄干から身を乗り出した。真下の様子がよく見えないが周りで騒ぐ声はする。


「ああもう! なんて娘だい」


 春信はばたばたと参道を駆け下りた。


「ちょいとごめんなさいよ。どいとくれ、道開けてくんな!」


 張り出しの舞台下へ行く道を探す。植え込みの中へ踏み入り、この辺りかと見定めたところで声を張り上げた。


「お嬢ちゃん! どこだい、お嬢ちゃん! 返事しとくれ!」


 声をかけながら辺りを歩き回ってようやく花の丸模様を見つけた。駆け寄って娘を抱き起こし、ぺちぺちと頬を叩く。


「お嬢ちゃん起きとくれ、お嬢ちゃん!」


 うん、と眉をしかめ、娘が目を開けた。


「気がついたかい、よかった。あたしがわかるかい?」

「絵描きの……」

「大丈夫かい、どこか痛むところはないかい」


 娘はさっきまでの威勢が消えている。ふるふるとふるえたかと思うと、わっと泣き出した。


「怖かったあ、怖かったよう。あんな怖いもんやなんてぁれも言うてへんかった」


 しゃくりあげながらそれだけ言うと娘はまた泣き出した。


「大丈夫だよ、お嬢ちゃん。もう大丈夫だから」


 飛び降りた衝撃で思い詰めた自分の心もはじけ飛んでしまったのだろう。怖かったと泣きじゃくる娘を抱きかかえたまま、春信は赤子あかごをあやすように大丈夫だと繰り返す。


 いつまでも泣き止まない娘をあやしながら怪我はないかと様子を見た。細かな枝や下生えのおかげか、擦り傷切り傷は多けれど見た目に大きな怪我はなさそうだ。


「まったく……無茶するんじゃないよ、お嬢ちゃんのことを大事にしてる親御さんが悲しむだろう」

堪忍かんにんえ。わたし、とんでもないことしてもたんやね」

「それは家に帰って言いな」


 娘が少し落ち着いてきた様子を見計らって春信は立てるかと聞いてみた。だが、どうやら足を捻ったらしく立ち上がりかけて顔をしかめている。


 これで怪我もないとなれば、この娘は人ではないかもしれないなどと思っていたくらいだ。やはりどこかしらが痛むところがあったかとむしろ安心した。

 春信は背中を向けてしゃがむ。


「ほら、おぶってやるから。背に乗りな」

「嫌や、そんなん恥ずかし」

「そんなこと言ってる場合かい。今更恥ずかしいもなにもあったもんじゃない」


 もしかしたら具合が悪いのは足だけではないかもしれない。そもそも五体満足でいることが奇跡のようなものだと娘を叱りつける。


「とにかく歩くのはやめときな」


 おずおずと手をかける娘の重みが背にかかった。

 坂道を下りていく道すがら好奇の目を向けられはしたが、気にしている場合ではない。


「ちゃんと診てもらわないといけないよ。お医者か、お嬢ちゃんの家を教えてくんないか」

うちまで送ってもろてええの?」

「送るのはかまわないが、お医者は家から近いのかい? おっ、と」


 産寧坂さんねいいざかの途中でつまづきかけた。


「転ばんでよかった」

「お嬢ちゃんをおぶってるしなあ。転んだら大変だ」

「ここで転ぶと命が縮むんやて」


 怖い怖いと春信は聞き流して歩いていく。


「もうすぐ。そこまっすぐ行って二つ目ん角ぉ曲がったとこ……どないしよ、喧嘩したまんま、なんも言わんで飛び出してもたんや。きっとお父はん怒ってはる」


 角を曲がった途端、数人が通りをうろうろと歩き回っているのが見えた。白髪しらが頭がこちらを振り向き、目と口が大きく開けられる。


ゆう!」


 老人といっていい年齢としだった。あたふたと駆け寄ってくる。


「お父はんや」

「あんなに心配してくれてんじゃないか。ちゃんと謝るんだね。下ろして大丈夫かい」


 春信は父親が駆け寄ってくる間に娘を背から下ろした。


ゆう、お前は……」

「堪忍。お父はん堪忍しとくれやす」


 父親の目に現れているのは心配と怒りと、春信に対する不審だろう。

 失礼しますと春信はふたりの間に割り込んだ。


「お嬢さんが怪我をしているようなので、お医者を呼んでやっていただけませんか」


 そう告げると老人は大慌てで医者を呼ぶようにと周りに声をかけた。


「すんまへん。娘を家まで連れてきてくれはったんですな。おおきに、ありがとうさんでございました。些少やけどお礼を差し上げたいんやが」

「お気持ちだけいただいときます。どうぞお大事になさってください」


 春信はぺこりと頭を下げた。自分にはやらなくてはならない事がある。


「ちょいと人を探してますんで、あたしはこれで失礼します」

「人探しどすか。ほな、お礼代わりにそのお人探し、儂に手伝わしてもらえへんやろか。名ぁ知られとる人やったら儂もそこそこ知っとりますさかい」

「ありがとうございます。正直、京には伝手つてがなくて困っておりました。助かります。西川にしかわ祐信すけのぶという絵師を探しているんですがご存知ですか」


 老人は不思議そうな顔になり、春信に問いかけた。


「その絵師ぃ探してどないしはるんです。版元さんの関係のお方どすか」

「弟子に……いえ、なんでもありません。お会いできるかもわからないので、会えたらその時にお話したいと思います」

「そうどすか、ほなら……」


 老人はさらさらとなにかを書きつけ、それを春信に手渡した。


「明日、その場所に行きなはれ。うてくれるやろと思います」

「ご存じだったのですか! ありがとうございます」


 祐信は高名な絵師だ。いずれ誰か知っている人にたどり着くとは思っていたが、この老人が祐信と知り合いだったことは嬉しい驚きだ。娘が気になるからと足早に去っていく老人に、春信は深く頭を下げる。


 こんなに早く目当ての絵師にたどり着けたのは、きっと清水寺の観音様のおかげだろう。春信は心のうちに観音様にも手を合わせ、また深く頭を下げたのだった。

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春信の錦 kiri @kirisyu

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