此処も地獄

閒中

此処も地獄

くだらねぇ人生だ。


毎日決まった時間に起き、決まった電車に乗り、特に話も合わねぇ奴等と仕事をし、クタクタになりながら帰宅したら生産性のない動画やSNSを観て、刺激も感動もない一日を終える。

その繰り返しだ。

TVやネットには政治やら宗教やら物価高やら自然災害やら、俺の暗い人生を更に暗くするような情報が溢れている。


「だからこの世は地獄だよぉ。」


週末、珍しく立ち飲み屋で飲んでいた俺は、相席していた男に酔った勢いで長々と管を巻いていた。

「この世は地獄、ですか?」

俺より若く、なかなか整った容姿のその男は俺と同じ量の酒を飲んでいるにも関わらず、顔色一つ変わっていない。

黒いロングコートを纏ったその男は、所作や言葉遣いに品があるが、俺の言葉を聞いて何だか少し楽しそうだ。

「そうだよ、地獄だ。最低の地獄だよぉ。

もう俺なんて死んでるようなもんだよぉ。」

俺がテーブルに突っ伏すと、男は静かに俺の耳元で囁いた。


「大正解です。」


え?と顔を上げると、男は薄く微笑んでいた。

「よく分かりましたね。

実は此処は、貴方たちの世界で言うところの、“あの世”です。」

今日は良い天気ですね、と雑談をするように自然に男は言った。

「貴方は既に──死んでいます。」


俺は理解ができずに固まっていた。

「えっ、ちょっと待って。何言ってんの。

冗談にしては酷くない?俺生きてるし。」

俺はしどろもどろに反論する。

「だってあの世ってさ、何かこう、みんな白い服着て、何かこう、雲の上をふわふわ〜って歩いて楽しくのんびり暮らしてるイメージなんだけど。」

俺の言葉に男は吹き出す。

「それは人間の想像ですよ。

あの世は死んだ人間の数だけあります。

貴方の“あの世”は、此処です。」


勿論、趣味の悪い冗談だろう。

だが、冗談には思えない不思議な説得力が男にはあった。

「貴方は此処で貴方として生を終えるまで暮らし、また現世に生まれ変わるのです。」


俺は顔を引き攣らせたまま周りを見渡した。

立ち飲み屋はガヤガヤと賑わっている。

外では人々が行き交い、車が走り、建物の窓からは明かりが漏れていた。

此処が、あの世?

俺が今生きている人生は、本当ではない?

こんなにもリアルなのに。


「──それで、改めてお聞きしたいのですが。」

男は静かに口を開いた。

「貴方にとって“此処”は、どんな世界ですか?」


問われて俺は、この世界で過ごした今までの人生を思い返してみた。

小さい頃の思い出、友達、初恋、部活、就職…。

一つ一つが鮮明に頭に浮かぶ。

あぁ、色々あったな。

出会いも別れも。

良いことも嫌なことも。

何だかんだあったけど、此処はやっぱり………。


「──やっぱり地獄、だよ。」

俺たちは笑いながらお互いのビールグラスを軽く合わせた。





〈終〉

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此処も地獄 閒中 @_manaka_

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