第5話 穏やかに過ごすために
東堂の言葉を聞いて、澄の表情は凍りついた。
「記憶を隠すって、つまり無理やり忘れさせるってこと?」
質問をぶつける声は震えていた。
「違う!適切な時期が来るまで思い出さないようにするんだ」
力を込めて東堂が答える。
「そんなの怖いよ……。僕だけ何か起こったか分からないようにされるなんて……」
澄は涙声になっていた。
琳は腕を組んだ姿勢のまま、静かに二人を見ていたが、口を開いた。
「澄くん、貴方はまだ子供なのに、この状況の中で生きていく覚悟をしないといけないのよ?現実について来れるの?これから毎日覚悟をし続けられる?かなりの重荷をその歳で背負うのよ?」
「それは……慣れれば……」
口ごもりながらも澄は反論しようとする。
「慣れるなんて簡単な事じゃない。人間の感覚なんて簡単に壊れるんだ。俺や琳さんが落ち着いてこの環境に順応できたのは、きちんと時間をかけて教育を受けたからだ」
澄は俯いて東堂の言葉を聞いた。顔を上げるのが怖かった。
東堂がすぐ隣に来て、感情を押さえようとして余計に力んだ声で話を続ける。
「もう何年かして、ふさわしい教育と社会の問題に関する予備知識を学んでから、徐々に記憶が目覚めるようにする。記憶を奪われるのとは違うんだ。」
そこで東堂は深く息を吸った。そしてただ一言付け加えた。
「頼む」
切実な声だ、と澄は思った。恐る恐る東堂を見上げる。予想通り東堂は悲しげだった。
「これは、殆ど命令なのよ。ただ、澄くんに全く知らせず記憶管理をしてしまうと……澄くんが思い出した時に何年も騙されていたと感じてパニックになるリスクがあるから、前もって知らせてるの」
淡々と正直に琳は説明し、最後に大きく息をついた。
「命令……聞くしかないんだ……どれくらい忘れるの?東堂さんや琳さんの事は?」
「そこまで隠したりしない……今回の侵入者の事と今日話した外部の問題に関する事を中心に隠す。あとは君がこの研究所に不信感を持った時、今度は失敗しないように言葉を選んで誘導するくらいだ」
東堂の言葉に、澄はがっくりと肩を落として言った。
「分かった」
数秒の間の後、東堂が返事をした。
「ああ……済まない」
「では、スタッフに連絡します」
琳が相変わらずよく通る声で言った。
澄に処置が行われている間、処置室の外で待っていた東堂がふと思いだし、琳に話しかけた。
「あのロボット、アケビと名乗ったと……」
「ええ、そうね」
「アケビって植物の」
「そうでしょうね。蔓で絡まる植物の名前」
「絡まる、か。澄に絡みつく、という意味だったのかな……」
数日後、記憶を隠された澄は自由時間に読書をしていた。植物の生態についての本だった。
「あれ?東堂さん、どうしたの?急に」
「ただ顔を見に来ただけだ。気にしないで……読書中か」
「うん、生物の授業が面白かったから」
東堂は本のタイトルを確認すると呟いた。
「植物の本か」
「うん。ここにはない植物が色々……。いつか色んな植物を見に行きたいなぁ……。あ、そのうち、いつかでいいから」
「ああ……ちょっと見せて」
何かを考えいるような表情でひょいと東堂は本をとった。そしてぱらぱらとページをめぐりながら話す。
「まあ、見慣れない植物には気をつけるんだな」
「ん?うん……」
怪訝な表情で見上げる澄に対して、東堂は静かにぽつんと言った。
「植物には、毒を持ったものもあるんだよ」
それから手にした本で軽くポンと澄の頭を叩いた。
終
変わらぬ日々の外側に 肥後妙子 @higotaeko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます