第4話 日常へ戻るには
東堂の声で、澄は目が覚めた。しかし、その声は自分に対しての呼びかけではない。口調で琳と会話中なのだと朦朧としながら澄は理解した。
「せっかく安定した環境で今まで育ててきたのにこれで偏りが……」
「偏りはもう前から出ていたわ。この子、だいぶ不信感を持っていたでしょう?ここに」
「それはそうですが……澄、起きたのか」
澄と目が合った事で、琳と東堂の会話は切り上げられた。数秒間、誰も話さない。琳は腕組みをして壁際に佇みながら澄を見つめ、ベッドの横の椅子に座っていた東堂はただ横たわる澄の顔をじっと見つめていた。
その眼差しを受けて、澄はぼんやりした頭にふと思い浮かんだ質問をしてみた。
「あの子、なんだったの?ロボット?宙に浮いてたけど」
澄は、アケビと名乗り東堂に撃たれた少女の姿をした何かを思い出しながら訊いた。
東堂は苦々しく答えた。
「そうだ……廉価版の最新型だったよ。今、みんなが分析してる」
「……分かった」
澄は上半身を起こした。前髪が耳にかかる。
「ねえ、東堂さん。僕はなんなの?もう教えてよ」
東堂はため息交じりに、そのつもりだと返事をした。
その後を補足するように琳が言う。
「前置きがちょっと長くなるけど」
「うん。いいから教えて」
澄の返事を聞くと東堂は説明し始めた。
「今から半世紀ほど前に、異常な行動をとる人が大量に現れ始めた。古来からある、
そこまで言うと立ち上がり、東堂は澄のベッドの横のサイドテーブルから水差しを取った。グラスに水を注ぎ、澄に差し出す。
喉が渇いていた事に気がついた澄はグラスを受け取り、三口ほど飲む。水は常温だった。
「その人達を調べると、知能も脳も正常なんだよ。ただ行動や発想が異常なんだ」
「異常って、どんなふうに?」
澄の疑問に東堂は眉間に皺を寄せて、言葉に詰まった。その様子を見た琳が説明する。
「欲望のままに生きる人達なのよ。状況に合わせた行動ができないの。それでいて、捕まるとなぜ捕まったのか理由は分かってた。子供が思春期にわざと悪いことをして、自分はここまでできるから凄い人間だって思い込むことがあるけど、年齢関係無くそういう行動をとる人が異常に増えたわ。勿論犯罪も増えた。嫌な話題だけど、性犯罪も」
琳はそこまで言うとはあ、と息をついて言葉の区切りとした。
「そして、文化と文明を守るために適切な人間の育て方の研究が始まったの。ここがその研究所。私も東堂さんもここで産まれて育ったの。まあ、貴方の先輩みたいなものね。出身地は同じでも、血縁は無いから」
「先輩……」
澄は確認するように呟いた。しかし、分からない事がひとつ。
「あの、小さい時にここ以外に住んでいたと思うけど……」
自分の謎の記憶について二人に質問した。
「君は間違いなくこの研究所生まれだ。三歳の時に連れ去られたんだよ。二年近く探した」
苦々しく東堂が言った。
「え、何で?」
「さっき説明した、欲望のままに生きる人達を支持する人達によ」
冷静に琳が説明を始めた。
「は?そんな人いるの?」
「いたのよ。欲望のままに生きる事を偽善から解放された進化だと主張し始めてね。この研究所を進化を止める組織と見做してるわ。あいつらは。正しく進化させるために研究所の子供を救い出すって理屈で貴方を攫ったのよ」
「あの、今日来たアケビっていうロボットも、その組織の?」
「そうだ」
今度は東堂が短く答えた。東堂と澄を交互に見て、琳が続ける。
「澄くんはね、とてもバランス良く育ってたの。遺伝的な性質もあるとは思うけど、ここ出身でも私や東堂さんは偏りのある性質に育ったから。まあ、偏りに合う特技を身につけて、ここで働けてるけど。偏りのない人は、今の時代は希少なの。だから澄くんがバランス良く育って、みんな喜んでた」
「そうだったんだ……」
澄は持っていたグラスの残りの水をゆっくりと揺らし、それをぼんやりと眺めながら言った。
「以上が、君が知りたがっていた事だ。こんな形でいきなり教える予定じゃなかったんだが」
そこまで言うと、静かに東堂は深呼吸をした。
沈黙が訪れる。琳まで無言で目を伏せている。
違和感を感じた澄が口を開いた。
「あの……」
「なんだ?」
「話は終り?」
「いや、まだある。君にお願い、というより命令になる」
「えっ」
澄の腕に鳥肌がたった。
「最近、君の性質に偏りが見られるようになっていた。それに加えて、今回の件だ。君は精神的にダメージをかなり負っている。性質の偏りは強くなるだろう。それを食い止めたい」
「君はこの研究所の養育の貴重な成功例なんだ」
東堂が澄に歩み寄る。澄は思わず身体を固くした。
「早く言えば、記憶を数年隠しておきたい」
東堂は振り絞るように言った。
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