冬に花はあろうか? そう問うと意外とあったりします。
しかし寒うございますから、暢気な凡百である私は眺めている間はポケットに手を入れたいもの。その仕草は人に失礼であることと同様に、花にも失礼です。その花の背後に控える人々にも失礼でして。
寒風が吹くと、浮ついた気持ちは掻き消え、考える他になくなります。
三作にて描かれる人物は、冷めた様子で、伶俐に事を進めます。それが破滅への道でも、それを知った上で。
つまらぬ駄洒落ですが、冷めた、とは、醒めた、を表すのでしょうか。浮つくことなく、歩を進め、手を伸ばし、未来へ伸びるはずの糸へと鋏を差し出して。
良い鋏なのでしょう。糸の切れ端に解れはございません。
冬に咲く花を題材にした三つの掌編はいずれも静かで美しく、それぞれに異なる余韻を残す。
「枇杷」は密かな告白と温和さを、「侘助」は控えめで簡素な佇まいを、「梅」は忠実さと忍耐という高潔であり『決して許さぬ』という気配を宿す。
二面性の怖さを書かれたら右に出る者がいないのではないか?という著者。
三作すべてが印象深いが、とりわけ私が心を強く掴まれたのは「枇杷」であるため、本レビューではまずこの一編から触れたい。
本作「枇杷」は、冬に咲く花という静謐な題材を用いながら、告白と裏切り、そして復讐を一気に噴出させる掌編である。
前半では、山の冬景色と少女・空風の無邪気さが丹念に描かれ、枇杷の花の香りが穏やかな幸福の象徴として機能する。その空気があるからこそ、「密かな告白」という花言葉を帯びた求婚の場面は、自然で甘やかな余韻を残す。
しかし後半、その花が「殺す」毒へと反転した瞬間、物語は容赦なく地獄へ落ちていく。特筆すべきは、空風の復讐が激情ではなく、長年沈殿させた記憶と理性の上に成り立っている点だ。
彼の一人称で積み重ねられる九年間の回想は、彼自身の情が本物であったことを示しつつ、それでも免罪されない罪の重さを突き付ける。
終盤、空風が覚醒する描写は妖しく美しく、被害者と加害者、人の境界が反転する瞬間に強烈なカタルシスを生む。
枇杷という花の二面性を、愛と毒、告白と告発として見事に物語化した、冷たくも鮮烈な一編であり私の心を捉えて離してはくれないのだ。
こんなに母語に不自由を感じることもありません。
というのも、こちらの作品、それだけでは到底表せないというのに、私には「美しい」のひと言しか出てこないのです。
なんとか別な言葉を捻り出したのがレビュータイトルなのですが、もう一度挑戦するなら、一話目「枇杷」は「切ない」、二話目「侘助」は「耽美」、三話目「梅」は「完全」……と……いったところではありませんね、やっぱり違うんです。
私にはこの作品を評し表する言葉がありません。もう、見っともなく「読めばわかる!」と叫ぶくらいのことしかできないのです。
まったくどうしましょう、なんて悲しいんでしょう、もどかしいんでしょう……。
ええ、もう諦めて限界まで息を吸います。
——「読めばわかる!」
もうだめですね、このまま「私もこんな素敵な世界を描く才が欲しかった」などと、本来隠すべき正直なところをぶちまけてお終いにします。
まったくこんなに恥ずかしいこともありませんが、これでひとりでも多くの方がこの作品に出会えたなら、作者さまにこの作品に出会えた喜びを伝えられたなら、それでただ満足なのです。
幻想的で美しい…と見せかけて、恐ろしい
情念を紡ぐアリアドネの様な作家である。
その巧緻に紡がれた糸は、数多の目を
心を捕らえて離さないのだろう。
冬の花、と聞いて枇杷を思い浮かべる者は
そうはいない。又、侘助や梅に至るや
花が齎すイメージとは又違った話を
創り出す。
扠。
仲の良い歳の離れた男女の山歩きから
枇杷の木を見つける。彼の枝に鬼遣らいの
効果がある事を識る者は少ない。
また、侘助とは藪椿の一種で、好んで
茶席に飾られる。元は茶から派生したこの
椿は、いつも花首を俯かせている。
梅は百華の兄と謂われ、どの花々よりも
いち早く咲くという。その高潔は、寒い
冬を耐え忍んでこそ。
花を生ける様に紡がれる幻想譚は、その
花を識るからこそに鮮やかに生きる。
人を識り、怪異を語る。
その妙味を、とくとご覧あれ。