鼻腔をくすぐる馥郁・後編

 事件現場にいたという理由で啓介と雪音も少しだけ警察から取り調べを受けた。警察から聞いた話では救急隊を呼ぶのが早かったからか、ケビンは一命を取り留めたが未だに眠っているらしい。

 百舌たち三人は関係者ということもあり、啓介たちが解放された後も警察から話を聞かれているようだった。


「折角のデートだったのに台無しになってしまいましたね」

「台無し?何をいうんだ雪音。本来の目的である謎探しは達成することが出来たじゃん。台無しどころか成果ありだよ」

「啓介さんにとっては、ですけどね」


 五回目にしてやっと啓介を誘うことが出来た雪音は、突発的に起こった謎によりチャンスを逃していた。

 啓介が心惹かれる誘い文句を餌にしたばかりに、謎を見つけた啓介は雪音よりも謎に惹かれて誘蛾灯に近づいていく虫のように雪音のもとを離れていった。


「いやー。ケビンさんが一命を取り留めてくれて良かった良かった」

「結局何が原因だったんでしょうか」

「ん?多分毒殺未遂」

「それじゃ事件じゃないですか。そうなるとあの中に犯人がいるっていうことになりません?」

「居るだろうねえ。因みに雪音は僕たちが話していた事を聞いていたよね?」

「勿論です」


 雪音はスマホと財布程度しか入らないような小さいバッグから手帳とペンを取り出した。

 スマホを使えば簡単にメモを取れる時代だが、探偵に憧れる啓介に習って雪音も気になることは手帳でメモを取ることにしている。啓介に気に入られるために形から入っている女の子なのだ。


「事件の犯人って分かるかな?」

「もしも、これがミステリの世界で誰かが起こした殺人事件だったらと想像して仮説を立ててみました。本当に事件だとは思わなかったですけどね」

「いいね。推理なんて法的効力は一切ないんだから好き勝手妄想して自分の結論を出すべきだ。正しい答えなんて本人に聞くか、警察が導き出してくれるからね」


 啓介が探偵活動をする時の口癖、『推理なんてただの妄想。当たれば重畳。自己満足の塊』。推理に相手を拘束する能力もなければ、相手を罰する力もない。自分の妄想を口に出して、道理が通ればそれで満足できる。自己満足こそが推理なのだと。


「それで雪音の推理を聞かせて貰ってもいい?」

「良いですけどどこかに座りませんか?」


 提案を受けて少し歩いた先にある公園へと向かう啓介たち。日も暮れた公園には、そこを本拠地としている子どもたちの姿はなく、空蝉のような遊具だけが冷たくなっている。

 自動販売機でホットコーヒーを二本買ったあと、ベンチを見つけて二人で座る。

 一本は雪音に渡して啓介は蓋を開けた。


「私が注目したのはケビンさんが残したメッセージ。『offi』です。これは英語で柩を表す『coffin』を書こうとしたのでしょう。外国人の方に名前を説明するときに枢さんが言ったのではないでしょうか」

「ふむ」

「恐らく三人がお手洗いに行った時に毒物を仕掛けました。マスターと話していたとは言っても見られていたとは言ってませんでしたし」


 雪音は公園の街頭を頼りにメモ帳を読み上げていく。

 一見筋が通っている推理だが、即効性の毒とはいえ手に入りやすいものは二十分から三十分程度かかる。ケビンは最初の一口目以降コーヒーには口をつけておらず、次に口をつけたあと倒れてしまった。枢が毒を盛るタイミングではケビンが倒れたタイミングに説明がつかない。


「僕の推理とは違うね」

「――そうですか。因みに探偵さんの推理をお聞かせ願えますか?」

「そうだなあ」


 啓介は飲みかけのコーヒーをベンチに置いて立ち上がる。


「僕が思う犯人は百舌さんだ。焦点は雪音と同じでケビンさんが書いた『offi』の文字。雪音の説明だと『coffin』は英語だ。ケビンさんはオランダ人。恐らく『offi』が表していたのはオランダ語でコーヒーを意味する『koffie』じゃないかな」

「最初の文字が分からないと何とも」

「雪音には言ってなかったけど、手帳の書き始めに何か文字を書いた跡があったんだよ。インクが出なかったんじゃないかな。それに気づいたケビンさんは残る力を込めて文字を書いた。その時に握っていたペンを離さないまま倒れた」

「では百舌さんが毒を入れたタイミングっていつなんですか?」

「マスターの元から運ぶときじゃないかな。あのタイミングで毒を入れれば、ちょうど三十分後位に症状が出るはず。その後コーヒーを口にしなくても大丈夫ってこと。量が少なかったから死には至らなかったことは幸いだったね」


 コーヒーはオランダ語の『koffie』に由来している。オランダ人であるケビンは苦しみからコーヒーに何かが含まれていたことを直感で理解し、母国語で書き記していたのだ。

 メモ帳の次のページを鉛筆か何かで擦れば隠された文字が浮かび上がってくるだろう。

 ケビンに毒を盛る事が出来た人間はタイミング的にも百舌しかいなかった。匕首も枢も、百舌の考えた殺人計画に巻き込まれた演者に過ぎない。


「僕と雪音の推理、どちらが正しいかなんて僕たちには分からない。実はケビンさんが持病があって倒れたかもしれないしね。あくまで僕たちの推理は妄想にすぎない。事実確認は警察がやってくれるさ」

「私たちは謎解きをする探偵であって犯人を追い詰める警察じゃないですからね」

「そういうこと。人が被害にあったという答えに辿り着くためのレールを自分で敷くのが僕の思う探偵さ。真実が知れることに越したことはないけど自己満足で終幕としようか」


 啓介はベンチに置いていたコーヒーを手に取り、残りを一気に飲み干した。喫茶店のコーヒーでは勿体なくてできない飲み方は缶コーヒーだからこそできるものであった。

 コーヒーを飲み干した啓介を見て、雪音も残りを喉に通す。既に冷めてしまい人肌程度の温度となったコーヒーは火傷することなく中身を空にすることができた。


「やっぱり喫茶店のコーヒーには及ばないなあ」

「缶コーヒーも美味しくなっていると言われていますけどね」

「ルブランで鼻腔をくすぐる香りを思い出すとあそこで飲みたかったよ」

「一杯のコーヒーよりもひとつの謎をとったのは啓介さんですよ」

「苦いことを言ってくれるね」


 二人は歩いて公園から抜け出し、雪音を送り届けるために冬霞家へと向かう。

 雪音の歩幅に合わせて、いつもより小さくゆっくりと啓介は歩みを進める。謎狂いとして謎を一番に考えている啓介だが、他のことを疎かにしているわけではない。自分に懐いてくれている雪音のことを大切に思っているし、これからも一緒に探偵をしていきたいとも思っている。


「そう言えば」


 車通りの少ない道では騒音がない。

 啓介のつぶやきは夜に乗って、何にも邪魔をされずに雪音の耳に届いた。


「どうしました?」

「雪音。今日の格好とても似合ってる」


 そのまま歩き続ける啓介と、驚きから立ち止まってしまう雪音。

 本日顔を合わせてから既に六時間以上経過しているが、今更になって啓介は雪音を褒めてくる。遅くなっても、デートだと意気込んで準備した雪音の苦労が一気に報われた気がしていた。


「もっと早く言ってくださいよ」


 先を歩く啓介には聞こえていないと信じて、雪音は照れながら呟く。前を行く啓介は靴の音を鳴らして前を進むだけで、足を一切止めない。先を行く啓介に置いて行かれないように、いつもよりも大きい歩幅で雪音は歩き出した。

 啓介の甘い言葉は珈琲の苦味を忘れさせるほどに雪音の心を震わせる。


【鼻腔をくすぐる馥郁 完】


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鼻腔をくすぐる馥郁 人鳥迂回 @shinsuke0625

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