鼻腔をくすぐる馥郁・中編

 雪音が救急隊員を誘導し、ルブランの中で倒れていたケビンを運び出す。ケビンに付き添おうと救急隊員の後をついて行こうとする三人を啓介は制した。


「ここは救急隊員に任せましょう。この子が警察にも連絡してありますので、僕たちはここに残って警察の指示に従ったほうがいいかと思います」


 三人はこの場で一番冷静な啓介の言葉を聞いて、掛けていた椅子へ座り直した。

 当の雪音は警察に連絡などしておらず、啓介の発言の意図が読めず動揺していた。小動物のような眼が揺れ動いており、感情が表情から読み取れる。


「ちょっと啓介さん。私警察なんて呼んでいませんよ」


 啓介の元へと近寄った雪音はあたふたしながら小声で話しかけてきた。


「5分ほどしたら外へ出て連絡してもらってもいい?」

「今すぐ連絡しなくていいんですか?」

「もしかしたら運ばれたケビンの様子から救急隊が連絡してるかもしれないし。それに面白くないかい?」

「面白い?もしかして――」

「ケビンさんが何故いきなりうめき声を上げて意識を失ったのか、気になって珈琲の香りも意識から外れてしまうくらいさ」


 この状況に、ケビンが倒れた情報の全てが詰まっている。

 持病で急に倒れたと言う可能性もゼロではないが、苦しみながら書き記した「offi」の文字が啓介の脳裏に何度も映し出させる。

 ミステリ小説などである、ダイイングメッセージに似た言葉を解き明かさねば、落ち着いて珈琲の香りを楽しむことはできない。


 非難の目を向ける雪音が被っているキャスケット帽に手をかけ、目線を遮るように深く被らせた。小柄な雪音は啓介にされるがまま、その行動を見届けるしかない。

 啓介は呼んでいない警察を待つ間に、椅子に座っている三人に声を掛けることにした。


「こんにちは皆さん。ここであったのも何かの縁ですし自己紹介をしましょう」

「良縁とは思えないがな」

「匕首さん。この青年が居なければ私たちは取り乱していましたよ」

「このような状況には慣れているので動揺せずに動けてよかったです。僕の名前は神宮寺啓介。高校二年生です。警察が来る前に少しお話を聞きたくて」

「私は百舌もず。こちらがとぼそ。今、口が悪かったのが匕首あいくちです。それで聞きたい話とは何でしょうか」

「先ほどの男性、ケビンさんとの関係と何が起こったのかを」


 啓介の自己紹介に対し、丁寧に対応をしてくれたのが百舌。動揺が身体に現れ、貧乏揺すりをしているのが枢。そして啓介を訝しげな目で見続けている男が匕首という。三人共スーツに身を包み、髪形もしっかりと整えていることから仕事の最中なのだろう。足元に目を向けても、磨かれて喫茶店の光を反射しており、身嗜みに気を使っていることが伺える。

 三人に何が起こったかを問う啓介だったが、見ず知らずの高校生に状況説明をする道理が彼らに彼らには無かった。


「何で神宮寺くんに言わなきゃなんないんだ」

「僕に、と言うよりもあちらのマスターの為ですね」


 マスターは店の商品でケビンが倒れたとなれば冷静では居られない。意味もなくカウンターの中を歩き回り、警察が来ることを待ち侘びている。


「店の中で起こった事に気が気じゃないでしょう。第三者である僕が橋渡しをしたほうがいいと思いまして」

「私たちも何が起こったのか分かってはいないので状況整理をする過程でいいのならお話しします」

「おい、百舌」

「僕もいいと思う」

「枢まで」


 それまで黙っていた枢も話していいという百舌の肩を持つ。多数決では二対一になりマイノリティ側に立ってしまった匕首は折れるしかなかった。


「まず聞きたいのは先ほど倒れた男の人は誰なのでしょう」

「あの方は私たちの商談相手――私たちは会社の同期なのですが、本日はオランダから商談に来たケビンとこちらで親睦を深ていたのです」

「商談で緊張するだろ?折角日本に来たんなら少しは落ち着いて話したくてな」

「親睦を深めると商談も纏まりやすくなるんですよ」


 倒れた外国人はケビン。商談でオランダから日本へ来日していた。三人は会社の同期で、ケビンとの商談を任せれており、商談ノ休憩として喫茶店を利用していたのだ。

 彼らの話を纏めると、商談でこの店を選び四人ともコーヒーを注文する。マスターがコーヒーを運ぼうとした時、気を利かせた百舌がマスターの元へ行き席までコーヒーを運んできた。

 ケビンは一口だけコーヒーを飲んだあと、中々手を付けなかったが、冷めたコーヒーよりも熱いコーヒーが好きな匕首が飲むように薦めるとケビンが口をつけて苦しみだした、ということらしい。


「ケビンさんはコーヒーが駄目だったのです?アレルギーや薬の弊害などがあったとか」

「何度か商談をしているがそんな話は聞いたことがない。以前にもコーヒーは飲んでいるし、ケビン自身もコーヒーが好きだと言っていた。日本の缶コーヒーにもきょうみがあったみたいだあ」

「先ほどお手洗いを借りた時にもいい店の雰囲気だと言っておりましたし」

「俺もしっかりと聞いたぞ」

「ん?お手洗いは三人で行ったのですか?」


 百舌の口振りからトイレに三人が集まっていた事になる。


「偶々な。ケビンがトイレに行きたくなるタイミングで俺と百舌も行きたくなっただけ」

「僕は一人で待っている間は、マスターとお話してました」


 啓介がマスターに目を向けると、マスターは赤ベコの如く首を振っていた。マスターは自分に非がないことを認めてもらうのに必死なのだ。


「警察も来ますし、最後にひとつだけ聞かせてもらってもいいでしょうか」

「どうぞ」


 啓介はカウンター席に座りながら足をぶらつかせている雪音を一瞥し合図を送る。アイコンタクトを受け取った雪音は、すぐに動きを始めてルブランの外へ出た。


「ケビンさんが意識を失ったあともペンを頑なに離そうとはしませんでした。最後に記したであろう『offi』って何の事だと思いますか?」


 啓介が指差す先にはケビンが使っていた手帳がある。苦しみながら何かを伝えようと必死に書いた文字。


「分かんねえな。『Office』とかか?」

「苦しみながら会社のことを考えるなんて、ケビンさんは社畜だったのかな。僕はそこまでのことは考えられないかも」

「全く見当もつきません。ケビンが倒れたことと関係ないんじゃないですか?」

「最後に書いた文字が気になっただけなので特に理由はないかもしれません」


 一通り話を聞き終わったタイミングで、遠くから聞こえるサイレンの音がルブランの中に響く。


「あとは署の方で話を聞かせてもらいます。まあ、僕は警察ではないただの高校生なのですが」


 冗談交じりに声を掛ける啓介の言葉を既に三人は聞いていない。


「会社の方に連絡をしないといけませんね」

「大事になっちまったな」

「残業無しで帰れるといいけど」


 苦しんで倒れたケビンを見て、啓介が最初に思い浮かんだのはアレルギーやアナフィラキシーによる呼吸困難であった。ケビンは何度もコーヒーを飲んでおり、自分からコーヒーを頼んでいたことから病気の線は消える。缶コーヒーに興味を示す人間がコーヒーで身体に影響を及ぼすとは考えにくい。

 次に考えられるのは何らかの毒による殺害計画。ケビンの安否は分からないが、救急隊に運ばれた時は呼吸をしていなかった。可能性としては毒による呼吸困難の線が強くなっている。

 

 現実問題として他人を毒殺しようなんてミステリの中で起こる殺人事件のようだった。喫茶店で事件を起こす理由もなければ、商談相手を殺す理由もない。

 ただ啓介は知りたいだけなのだ。コーヒーの香りに包まれた謎を。

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