第4話
贄子の呼びかけに応じ、夜の敷地に一つの影が浮かび上がる。
黒衣のスーツを身に纏い、歳不相応なシワを顔に目立たせた青年は伏し目がちに火傷の少女を見つめた。
口を中々開かないのは、逡巡でもあるのか。
すると待ち切れないとばかりに嘆息を零し、アクセントの外れた英語が飛び出す。
「れでぃを待たせるのは関心しませんね、瞬さん。キチンと依頼は完遂しましたよ」
「……本当に、永久がいたのか?」
「先生の話した苦界院永久の特徴と一致し、経験則的にも地縛霊の特徴と合致しましたし、ほぼ間違いないかと」
「地縛霊……」
文字通り地に縛られた霊。
学生としての姿のまま囚われた事実に、瞬と呼ばれた青年は表情を暗くする。
「十年前の冬だったな、永久が突然姿を消したのは。
それが数日前の学校で見つけたと思ったら、また急にいなくなって……」
仕事が立て込み、夜遅くまで残って片付けていた頃の話である。
なんとか日が変わる前に帰宅せねばと廊下を進んでいたところ、懐かしい黒髪がたなびく瞬間を目撃した。幼馴染の気配に駆け出したものの残滓すらも窺えない現場を不思議に思い、ちょうど受け持ったクラスにいた贄子を頼ったのが事の始まり。
「苦界院の場合ですが、彼女はでっどの事実にすら気づかず同じ毎日を過ごしていたと推測できますね」
「毎、日……?」
「いえーす、十年ともなれば大体三六五〇日くらいでしょうか。その間ずっと同じ一日を繰り返していました。彼女を襲った化物も本質的には彼女に降りかかった悲劇、死とでも言いましょうか、その再現程度の意味しかありません。
自分の死に気づかない霊が事実を知るために何度も殺され続ける、めにーめにーある話です。そのために周囲の雑多な思念を即席の悪霊としてしまうのも」
教室で目を覚ましては化物に襲われ、図書館を頼るも逃げ切れずに殺され続ける。工場へ無意識に足を運んだのは、生前の彼女も意識が朦朧としていたためか。
淡々と語る少女へ注ぐ瞬の眼差しが歪む。
怒り、とも異なる感情に苦虫を噛み潰す様に何かをいうつもりはない。
具体的な関係こそ知らない。が、長年共に歩んできた幼馴染が、無二といっていい間柄の存在が地獄を味わっていることも知らず、のうのうと生を満喫していたのだ。
忸怩たる思いに支配されても仕方がない。
「永久、十年も苦しんできた君を……俺はッ」
「しかし本当によかったのですかー、贄子さんに対処を一任してしまって。ちょっと頑張れば最期に言葉を交わすくらいならやれましたが」
堪え切れず両手で顔を覆う瞬を一目し、疑問を口にする。
永久の除霊の際、彼女が可能な限り苦しまないようにする以上の指示は受けていないのだ。
だからこそ学校からの脱出に付き合い、更には事実に気づく前に夢という嘘を言ってまで成仏させた。別に最短で事態を収束させろと言われれば、出会った側から鉛筆で突き刺せば終わった話でもある。
贄子個人としても好まない手段なだけで。
「そ、それは……」
指摘に口ごもるも、やがて観念した瞬は重い口を開く。
「永久は生前の、学生時代の姿だったんだ……そんな彼女の前に、今の俺を見せるのは忍びない……
まるで彼女を置き去りにしてしまったような罪悪感があってな……」
「懸命な判断ですね」
永久は季節の経過すらも理解できていなかった。
なれば幼馴染が青年の姿を見せたところで状況を理解できるとは思えず、下手なショック療法は彼女自身の悪霊化すらも招きかねない。
ならば疑問は氷解したと、贄子は踵を返して帰路に着く。
途中、足を止めると右手を上げた。
「そういえば、瞬さんはパンドラの箱って知ってますか?」
「……希望が入っているという箱のことか?」
意図の読めない質問を不審に思いつつ、教師らしく生徒の疑問に答える。
「それがどうした?」
「いえす、あらゆる厄災を封じ込めつつも最後に希望が残ったというぼっくす。
ですが、あれには別の解釈もあるらしいですよー」
「別の解釈……?」
「入っている希望というのが未来を見る力……つまり封じているからこその希望、という解釈です。
そのドラム缶の中身、見るのでしたら覚悟した方がいいですよ」
ただ死体が遺棄されているだけならまだいい。
問題はわざわざ建築科辺りから備品を強奪してまでコンクリートに埋めた意味。計画的ならばともかく、人一人を埋没させる重量など学生が単なる証拠隠滅で運ぶものでもあるまい。
予想がつくからこそ、贄子は忠告を残して現場を後にする。
直視に堪えぬ有り様の想像がつくからこそ。
「苦界院永久……偶然席が同じだったよしみです。今日は銭湯に浸かって風呂上りには牛乳を飲みますから、贄子さんに乗り移るなり何なりして堪能しましょう」
遠目で彼女を発見した教室での一幕を思い出し、贄子は殊更時間をかけて校門を潜った。
苦界院永久と走る世界で一番長い夜 幼縁会 @yo_en_kai
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