キマイラ〜合成獣〜

羊原ユウ

第1話 不夜城のキマイラたち

全く鬱陶しい奴等だ。鮮やかなネオンや照明の照らす商店街の中を全速力で疾走しながら呉辰雄くれたつおは内心で舌打ちした。


着ている黒地に細い縦縞のスーツの上着の裾が風にはためき、胸元や腰にかけて肌に刻まれた獣の頭部や爪痕を模した派手な刺青タトゥーがあらわになるが気にしてはいられない。背後からキマイラを狩るC機関の制服を着た男女が口々に何かを叫びあい、執拗に呉を追いかけてくる。


(畜生。俺は一体どこでミスった)


呉はぎり、と歯を噛み締める。ずっと走っているせいか息が少し荒い。こんな奴ら今この場でキマイラの能力さえ使えれば……一瞬で片付けてやるのに。


ただ逃げ続けることしかできない自分が歯がゆい。だが人目のある場所では無駄な殺生とキマイラの力は使わないという誓いを呉は自らに立てていた。だから逃げている。


息を切らせながら走り続ける呉の目に商店街のアーケードと隣接するビルの隙間が映る。これだ。


呉は黒いスーツをはためかせながら咄嗟の判断でビルの隙間に入り、大きな体を縦にして蟹這いのような体勢で息を潜めた。数分もたたないうちにC機関の制服がすぐ目の前を通り過ぎて行く。


(やり過ごせたか? )


頭をもたげた小さな不安に呉は隙間から顔だけを少し出して周囲の様子を伺う。通りには誰もいない。


冷えた夜の空気が鼻腔を刺激して気持ちよい。そのままホッと一息つくと冷や汗がどっと吹き出し、脚が震えて口の中が渇く。鼓動が外にも聞こえるのではないかというくらいに煩い。


呉は暴れる鼓動を落ち着かせるため大きく何度か深呼吸すると肩から下げた麻袋を背負いなおし、近くにある森に向かった。


僕らの住むその町は夜に支配されていた。空は常に闇のような黒か深い紫がかったような色で、時おり塔のように聳そびえ立つ高層ビルの屋上から月が顔を出す。


不夜城。前にどこかで聞いたそんな言葉がぴったりだと思う。夜が明けない町は実に非現実的で、幻のようだった。


窓の外に淡く輝く月が見える日には5歳違いの妹の蓮れんと一緒に暮らしているアパートの部屋のベランダに出てそれを2人で眺める。夜空に浮かぶ月は手で触れれば今にも崩れ落ちてしまいそうだった。


呉はC機関の追跡を振り切った後、森の中で狩ったばかりの今日の獲物を携えてアパートに戻った。部屋のインターホンを3度、続けて鳴らすと蓮がドアの隙間から顔を出す。外にいるのが呉だとわかると表情がぱっと明るくなった。


「おかえり、おじさん!」

「おう蓮、ただいま。今日もいい子にしてたか?すぐに晩飯作るからテレビでも見て待ってろよ」


呉が玄関を上がってくると悠太が素早くドアを閉めた。悠太と蓮の頭をなでた後、呉は部屋の奥にある狭いキッチンに行き肩から下げた麻袋の中身をまな板にのせる。一瞬だけ濃い血の臭いがした。小柄なウサギに見えるが本来ならないはずのコウモリに似た小さな羽が背中に生えていた。


「それ、ウサギ?」


後をついてきた蓮が呉がまな板の上に取り出したキマイラの死体を見て途端に目を輝かせる。


「ああ。そうだ。蓮、ウサギ好きだったっけか」

「うん、好き」

「そっか。じゃあ明日は……生きてるやつを持ってきてやろうか?」


呉がそう言うと蓮は大きく頭をふって「うん!」と返した。それからしばらくして呉がウサギのキマイラの肉と野菜を煮こんで作ったクリームシチューを食卓に鍋ごと持っていくと悠太と蓮から小さな歓声があがった。


下処理をしてから一口サイズに切ってよく煮こんだ肉は柔らかく、まるで牛肉のような食感と味だった。よほど美味しいのか悠太と蓮からおかわりの声が止まらない。


「そんなに美味しかったか?腹こわすからほどほどにしとけよ」


呉があきれた顔をしてからシチュー皿を受け取り、鍋の中身を注いで2人に手渡す。こんなことならもう少し多めに狩ってくればよかった。


すっかり中身が空になった鍋を持って薄暗い洗い場に持っていく。まな板に置いたままの麻袋を取り、食卓に使っている部屋からは見えない死角に座りこむ。


袋を開けて中に残したままだった内臓とわずかに肉片がついた骨を指先でつまみ、呉は口に放りこんで咀嚼する。舌に鉄の味が広がった。


翌日。悠太を先に学校へ送り出すと呉は蓮に留守番を頼み、昨日狩りに出かけた森へと再び向かった。肩に下げた麻袋には新鮮な湧き水と牧草が入っている。


呉はうっそうとした森をしばらく歩き、大木の近くの巣穴を見つけるとしゃがみこんで中へ声をかけた。


「……奥さん、ここにお水と牧草置いときますんでよかったらお子さんたちと召し上がってください」


巣穴の中はしん、としていて静かだ。呉が立ち上がり麻袋を背負い直した時、耳に『このキマイラ殺し。私の夫を返しなさいよ……!』という呪詛のような言葉が返ってきた。


呉は振り返る間もなく巣穴から飛び出してきた母ウサギに背中を蹴られ、子ウサギたちに手の甲や体のあちこちに噛みつかれた。 


片手から血を流しながら逃げまわるウサギたちを捕まえると呉は無理矢理に両手で抱きかかえる。もう一発母ウサギの蹴りが鼻にヒットした。


森からウサギたちを説得して蓮のことを伝え、ひとまず麻袋に入ってもらった。キマイラゆえに抱きかかえていれば目立つ。アパートに帰ると蓮が出迎えた。


呉は玄関をかけあがり、急いで麻袋の紐を緩めると中で今にも窒息しそうだったウサギたちが部屋のカーペットをひいた床に鞠のように転げ出た。


「ほら蓮。約束してたウサギ、連れてきたぞ」


呉がそっと子ウサギの1匹を抱き、蓮のほうに手渡す。蓮に抱かれた子ウサギは少し震えていたがおとなしかった。


『あら珍しい。あの子が人間に抱かれるなんて』


呉の耳に母ウサギのつぶやきがした。もう1匹の子ウサギは呉の着ているスーツをよじ登り、広い肩に落ち着いていた。


「そうなんですか?」

『ええ。夫と私が人間は怖いものだと教えているから』


呉が小声でたずねる。キマイラ同士の会話なので普通の人がみればウサギに話しかけている変なやつだと思われるだろう。


呉が借りている部屋に飼育用のケージはないのでウサギたちの寝床には急きょ空いた段ボールを設置し、持ち帰ってきた湧き水と牧草を改めて食べてもらった。満腹になったらしく母ウサギに体をひっつけて子ウサギたちが寝始める。蓮が触ろうとしたので片手で静止する。


午後になると悠太が帰宅した。部屋の隅の段ボール箱で眠っているキマイラのウサギたちを見ると「どうしたのそれ?」と不思議がった。

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