第四話 剣と口づけ

 闘技場での暗殺未遂事件から数週間後。事態は劇的な展開を見せていた。


 捕縛された暗殺者の背後関係を洗った結果、事件はアークランド国内の和平反対派による暴走だけでなく、その糸を引いていたのが新興都市国家群「リベル」であることが判明したのだ。

 両国が争っている隙に経済覇権を握ろうとしていたリベルにとって、アークランドとヴォルガルドの同盟は悪夢に他ならない。


 「共通の敵」の存在が明らかになったことで、長年いがみ合っていた両国は皮肉にも「真の協力関係」を結ぶこととなった。和平条約の締結は急ピッチで進み、その象徴であるレオンハルトとシルヴィアの結婚式も、予定より大幅に前倒しされることになったのである。


 そして、アークランド王城の美しい庭園――

 秋晴れの穏やかな午後、そこには信じがたい光景が広がっていた。


「あーん、レオン様ぁ。これ新作のタルトですよぉ」

「んー、甘酸っぱくて美味しいね。君の唇みたいだ」

「きゃっ! レオン様ったら!」


 胴に包帯を巻いたレオンハルトが、庭園のベンチに優雅に腰掛け、またしても数人のメイドに囲まれて談笑していたのだ。生死の境をさまよった重傷人とはとても思えない元気な様子である。シルヴィアとの婚姻が正式に決まったというのに相も変わらない軟派ぶりだ。


 そこへ、カツカツと怒りを孕んだ足音が近づいてくる。


「……貴様ぁっ!!」


 現れたのは、純白のドレスに身を包んだシルヴィアだ。ただし、その腰にはしっかりと護身用の短剣が帯びられている。


「命拾いしたばかりだというのに、また鼻の下を伸ばして! 怪我人は大人しくベッドで寝ていろと言ったはずだぞ!」


 シルヴィアの怒声に、メイドたちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 二人きりになった庭園で、レオンハルトは悪びれもせず、いつものへらへらとした笑みを向けた。


「やあ、シルヴィア。今日も綺麗だね。怒った顔も素敵だけど、眉間に皺が寄ると台無しだよ?」

「誰のせいだと思っている! 私がどれだけ心配したか……」


 シルヴィアは顔を赤くし、言葉を詰まらせた。


 あの日、血まみれで倒れた彼を見た時の絶望感。意識が戻るまで枕元で祈り続けた夜。

 それなのに、回復した途端にこれだ。彼女の中で、安堵と嫉妬と苛立ちがないまぜになり、感情が爆発した。


「ええい、もう知らん! その腐った性根、私が叩き直してやる!!」


 堪忍袋の緒が切れたシルヴィアは、腰の短剣を引き抜き、レオンハルトに向かって踏み込んだ。

 本気の殺意はない。だが、少し脅してやらなければ気が済まない。

 鋭い突きがレオンハルトの鼻先を掠める――はずだった。


「おっと」


 レオンハルトは座ったまま上体をわずかに逸らし、切っ先を回避。そのまま流れるような動作で立ち上がると、シルヴィアの突き出した腕を取り、くるりと彼女の体を回転させた。


「なっ――!?」


 景色が回る。次の瞬間、シルヴィアの背中はレオンハルトの広い胸板に預けられ、腰を強い力で抱きすくめられていた。

 背後から抱擁される形だ。耳元に、彼の吐息がかかる。


「……放せ! 傷口が開いたらどうする!」

「平気さ。君を守った名誉の負傷だからね」


 レオンハルトの声色は、いつもの軽薄なものではなかった。低く、甘く、鼓膜を直接震わせるような男の色気を帯びていた。


「……」


 シルヴィアの抵抗する力が弱まる。


「……君は強いね、シルヴィア」

「当たり前だ。私は戦乙女ヴァルキュリアと……」

「でも、これからは僕が守るよ。剣からも、矢からも、悲しみからも」


 レオンハルトはシルヴィアの身体をゆっくりと反転させ、正面から向かい合った。

 至近距離で見つめ合う二人。

 レオンハルトの碧眼は、真っ直ぐにシルヴィアを射抜いていた。そこには一点の曇りもない、真実の愛が浮かんでいる。


「女の子はみんな好きだよ。可愛いし、守ってあげたい」


 彼はシルヴィアの頬に手を添える。


「でもね、心から愛しているのは……たぶん、君だけだ、シルヴィア」

「うっ…ずるいぞ、貴様……」


 シルヴィアの顔が完熟したトマトのように真っ赤に染まる。

 反論の言葉を探そうと唇を動かした瞬間、レオンハルトの顔が近づき――その唇が塞がれた。


「――……」


 優しく、しかし強引な口づけ。

 戦場では無敵を誇った戦乙女ヴァルキュリアも、この攻撃を防ぐ術は知らなかった。


 全身の力が抜け、シルヴィアの指先から短剣が滑り落ちる。


 カラン、コロン……


 落ちた短剣がベンチにあたり硬質な金属音が、辺りに響いた。それは、彼女の完全なる敗北と、幸福な降伏を告げる音だった。


「………………」


 長い口づけの後、離れた二人の唇。

 シルヴィアは潤んだ瞳でレオンハルトを睨みつけたが、その表情にはもう怒りはなかった。


「……一生、私だけを見ていろよ。もし浮気したら、今度こそ本当に刺すからな」

「肝に銘じておくよ、僕の可愛い戦乙女ヴァルキュリア


 二人は微笑み合い、再び強く抱きしめ合った。


 かつて争い続けた二つの国は今、この二人によって強固な絆で結ばれようとしている。

 最強にして最愛の夫婦の物語は、まだ始まったばかりであった……



Fin


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軟派王子と堅物姫の政略結婚物語 ~見合いに来た王子があまりにも女好きで、姫はつい決闘を申し込んでしまいました~ よし ひろし @dai_dai_kichi

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