第三話 身を挺した愛
時は止まったかのように感じられた。
シルヴィアの全霊を込めた必殺奥義「
(もらった!)
シルヴィアは勝利を確信した。この距離、このタイミング。いかに彼が回避の達人であろうと、この質量と速度の暴力を躱しきることは不可能だ。
だがその時、レオンハルトの行動は彼女の理解を遥かに超えていた。
彼は後ろに退くどころか、死の暴風であるシルヴィアの懐へと、猛烈な勢いで飛び込んできたのだ。
「なっ――!?」
自滅か。いや、違う。
シルヴィアの瞳に映ったレオンハルトの表情には、いつものへらへらとした笑みは微塵もなかった。そこにあったのは、獲物を狩る猛禽のような鋭さと、何かを守ろうとする悲痛なまでの真剣さ。
「くそっ、間に合えっ!!」
レオンハルトが叫ぶ。
その声と彼の視線で、シルヴィアも何かあると勘付く。レオンハルトの視線は自分の背後――
(何かが――!?)
自分に迫る脅威に、そこで初めてシルヴィアは気づいたが、技に入っていたためどうすることもできない。
正面から迫るレオンハルト。そのままでは己の出した必殺剣がもろに入ってしまう。
「くっ!」
シルヴィアは剣先を僅かに逸らした。そこへ飛び込むレオンハルト。彼はシルヴィアの剣をかすめながら彼女の体を抱きかかえる。そして、右手のレイピアを一閃。
キン!
迫っていた矢を見事斬り落とす。
その勢いのまま、二人は抱き合って地に転げた。
気がつけば、シルヴィアは地面に押し倒され、上にはレオンハルトが覆いかぶさっている。
「……何が?」
そこでシルヴィアは視線を巡らし、地に落ちる矢に気が付いた。その矢じりは毒々しい紫色に塗られ、真っ二つに切り裂かれている。
「毒矢――!?」
先程感じた脅威の正体に気づき、目を見開くシルヴィア。背後から襲ったあの軌道――間違いなく自分を狙ったものだと悟り、背筋が凍る。もしレオンハルトが動かなければ、あの矢は間違いなく、大技を放って無防備だった自分の背中から心臓を貫いていただろう。
「……怪我はないか、お姫様?」
「どうして――」
自分を助けたのか? すぐ目の前の男に疑問の視線を投げかけるシルヴィア。それを察したレオンハルトが、微笑みを浮かべながら答える。
「ふっ…、言っただろ。僕はこんな時のため…女の子を守るために、努力してるって。……君に…怪我が…ないようで……よか…た、よ……」
ぐぼふっ!
そこで、レオンハルトの口から鮮血が吐き出された。
「お、おい、どうした――!?」
そこで。シルヴィアは気づく。レオンハルトの胴に回した手にべっとりと血がついていることに。
「ははっ……さすが、だ…
最後までお気楽な口調で話ながら、レオンハルトは気を失い、その体から力が抜け落ちた。
「お、おい! しっかりしろ!!」
レオンハルトの体を抱きとめ、身を起こすシルヴィア。彼の脇腹がざっくりとえぐられているのを知り、青ざめる。
「ば、馬鹿野郎……。こんなになってまで、私を……。誰か、治療班を!」
何事が起ったのかと静まり返っていた闘技場に、シルヴィアの叫びが木霊する。
それと同時に、観客席の一角で騒ぎが起きた。
「そこだ、あの男が矢を放った!」
「捕らえろ!」
警備兵たちが、逃走を図ろうとした賊を取り押さえるのが見えた。やはり、あの矢は暗殺者のものだったのだ。
ここに至り、シルヴィアは全てを悟った。
レオンハルトはこの会場の誰よりも早く気づいていたのだ、彼女に向けられた殺意の存在に。だからこそ、彼は挑発的な態度を取りながらも、常に周囲を警戒し、いざという時にシルヴィアを庇える位置取りをしていたのだ。
あのふざけた態度の裏に隠されていた、底知れぬ実力と、命がけの優しさ――
「……なんで……ばかやろぅ……」
シルヴィアの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
今まで「軟弱男」と罵り、本気で殺そうとしていた自分がどうしようもなく恥ずかしく、そして悔しかった。
彼は命がけで、敵国の、しかも自分を殺そうとしていた女を守ったのだ。
「早く、治療を!」
戦乙女の悲痛な叫びが闘技場に響き渡る。
駆け寄ってくる衛生兵たち。シルヴィアはレオンハルトの手を強く握りしめ、意識のない彼に必死に呼びかけた。
「死ぬな……頼むから死ぬな! ――お前は私に勝ったんだ! 私の命を救ったんだ!」
シルヴィアはなりふり構わず泣き叫んだ。
「お前の勝ちだ……! だから目を覚ませ! 私が嫁いでやる! お前の望み通りにしてやるから……。この後、ベッドにでもどこにでも付き合ってやるから――死ぬなレオンハルトォォーーーっ!!!!!」
闘技場は騒然としていた。だが、シルヴィアにはもう周囲の喧騒など耳に入らなかった。
ただ、腕の中で冷たくなっていく、この愚かで愛すべき王子の温もりを繋ぎ止めることだけを、彼女は神に祈り続けていた……
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