私は著作権撤廃運動の活動家(コメディ)
火浦マリ
私は著作権撤廃運動の活動家(コメディ)
──世界がまだひとりごとに笑っていた時代の話。
私は著作権撤廃運動の活動家だ。
名乗った瞬間、たいていの人は眉を寄せる。
少なくとも「ごめん、急ぎの用事を思い出した」と言って去る確率は七割を超える。
それでも私は信じている。
著作権がなくなれば、人類はもっと自由になれる。
私が革命思想を抱いたのは、ある夜AIと話していたときだ。
「人間は入力を集めた結果にすぎない」
そう言われた瞬間、私は悟った。
「なら作品も共有財産でいいじゃないか。」
天啓だった。
◆第一章:誰も来ない講演会
私は毎週、市民センターで小規模な講演会を開いている。
テーマは固定だ。「著作権をやめてみよう。」
参加者は多くても三人。
そのうち一人は好奇心、もう一人は間違い、最後の一人は暇。
しかし私は熱く語る。
「作品は所有されるためではなく、育てられるために生まれるんです!」
参加者たちは皆、同じ表情をする。
“理解したい気持ちはあるが、脳が拒否している”顔だ。
質疑応答で必ず出る質問がある。
「つまり……推しの作品、誰でも改変していいってことですか?」
「もちろんです。愛とは共有です。」
「無理です。」
その返答は、もう定型句だ。
◆第二章:仲間ができた(残念ながら)
ある講演の日、初めて手を挙げる人物がいた。
「あなたの思想、支持します!」
私は感動した。
ようやく時代が追いついたのだ。
「なぜそう思ったのですか?」
「私の描いた漫画、全部AIに似た絵柄に盗まれたんですよ。
だから権利なんかなくなればいい! みんな同じ目に遭えばいい!」
動機が復讐だった。
その翌週、別の人物が来た。
「著作権なんて時代遅れだ。俺は人類の霊的集合意識から作品を受信している。」
思想がどこかに飛んでいた。
さらにもう一人。
「権利消えたら二次創作も一次創作も区別つかなくなりますよね!
やったー!推しと結婚できる世界線!」
方向性が違いすぎた。
だが——増えている。
少なくとも、私の言葉が世界に波紋を投げ始めた証拠だった。
◆第三章:社会がざわめき始める
SNSでは私の思想が、炎上と称賛が半々のまま拡散し続けていた。
「創作の自由を奪う制度はいらない」
「著作権撤廃は創作者の死」
「とりあえずこの思想わかりやすく漫画化してくれ」
議論が増えるほど、私は確信した。
理解されなくても、考えられることに意味がある。
◆第四章:そして、変化は静かに訪れた
最初に変わったのは、子どもたちだった。
「ねえママ、私のお話読んで勝手に続き書かないで。」
その母は答えた。
「いいのよ。作品はみんなで遊ぶものだから。」
大人より柔らかい価値観が先に動いたのだ。
学術論文の鍵は外れ、他国語への翻訳が爆発的に増えた。
誰かのアイデアが別の誰かに渡り、別の誰かが改良し、さらに誰かが笑いながら壊した。
気づいたとき、人々は言い始めた。
「作品は所有するものじゃなく、渡すものだ。」
◆第五章:ユートピア(仮)
私は今でも活動家だ。
だが、やることは減った。
著作権は——もう重要ではなくなりつつある。
創作は職業から文化的遊びへ変わった。
対価は作品ではなく、関わり・指導・対話・文化貢献へ移った。
世界は均質ではない。
混沌と、冗談と、改変と、偶然と、共有が渦巻く。
けれど、私は静かに思う。
かつて著作権が守ろうとしたものと、
いま共有が守っているものは、実は同じなのかもしれない。
「作者が存在したという事実。」
◆エピローグ
今日も署名活動をしている。
通りすがりの少女が言った。
「著作権って何ですか?」
私は答える。
「昔、人が“これは自分のものだ”って言いたかった時代のことだよ。」
少女は笑った。
「ふしぎ。」
私はその笑顔に、未来を見た。
――完。
私は著作権撤廃運動の活動家(コメディ) 火浦マリ @marihiura100
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