【短編ホラー】圧縮と積載

ささやきねこ

Log & Dialogue / 深夜保守記録

「……で、どこが止まってるって?」


「三階と四階の間っすね。積載オーバーで安全装置が働いたって通報です」


 深夜一時。警備員も仮眠に沈む時間。

 俺たちエレベーター保守会社の夜勤組は、いつも通りスマホの通知で叩き起こされ、工具箱を片手に現場へ向かう。


「で、これがそのボードか」


 制御盤に映るカゴ内の積載量は1200キロ。

 見た目は誰も乗っていない。空っぽのはずだ。


「定員オーバーって……空ですよ?」


「ほら、数値は正直なんだよ。見えない客が乗ってるか、天井が乗ってるかだ」


「は、はあ」


 後輩はまだ若い。半年そこらじゃ、こういう現場に慣れるわけもない。

 俺は無言で非常灯を確認すると、天井点検口を開けてカゴ上へよじ登った。


「うわ……なんすかこれ。雪?」


「……まあ、似たようなもんだよ。摩耗粉だ」


 カゴの天井からレール、ケーブルまで、白い粉が薄く積もっている。

 まるで長年放置された倉庫みたいになっているが、ついさっきまで動いていたはずのエレベーターだ。


「カビっすか?」


「いや、硬いものが擦り減った粉だ。触ってみろ」


 後輩は恐る恐る指先で掬い上げる。

 ジャリッ、と硬質な音。


「……え、これ、なんか小さな粒が……」


「セラミックの欠片。まあ、歯だろうな」


「えっ」


「そんな顔するなよ。歯って意外と固いんだぜ? 金属より粘る。だからこうやって残るんだ」


 後輩は眉を寄せ、尻ごみした。

 工具箱を引き寄せ、俺はブザー音のする方へ進む。


「ほら立てよ。先にカウンターウェイトを見に行くぞ。原因はどうせそっちだ」


 シャフト内は、非常灯の赤い光に照らされ、鉄の骨格が浮かび上がる。

 遠くでワイヤーがわずかに軋む音。

 グリスの黒と骨粉の白と、錆ついた鉄色の世界。


「おい、ライトもう少し上向けろ。ほら、コイツだ」


 カウンターウェイトは、巨大な鉄ブロックが何段も積まれた奴だ。

 普段なら全部が同じ鉄の質感のはず。だが——


「先輩、これ……一番上だけ色、違いません?」


「うん。素材も違う」


 そのブロックだけ妙に滑らかで、硬質なはずなのにどこか革製品のような柔らかみがある。


「あの……この模様……スーツっぽく見えません?」


「気のせいだよ」


 言いつつ、俺は点検ハンマーを振りかざす。

 カン、カン……という鉄の音ではなく、


 ボフッ、ボフッ


 中身がぎゅうぎゅうに詰まった乾いた塊を叩く時の音が響く。


「ちょっとはみ出してるな。センサーが感知して積載エラー出したか」


「は、はみ出すって……コレが?」


「そうそう。角を落とせば大丈夫」


 俺は淡々と角を叩き削り、粉がふわりと舞い上がる。

 焦げたゴムと石灰の匂い。


「……ま、これでセンサーは通る」


「しかし……何でこんなのが挟まるんです?」


「このビル、代謝がいいんだよ」


「代謝?」


「ほら、過剰な質量は圧縮して釣り合い重りに回す仕組みだろ。これはそういう建物なんだよ。設計書に書いてある」


「そんなこと、学校じゃ習いませんでしたけど」


「そりゃそうだ。一般人には見えない話だからな」


 後輩の喉が乾いた音を立てて鳴った。

 白い粉がついた手袋を見下ろし、言い淀む。


「……これって、まさか」


「言うな。ただの摩耗粉と異物。な?」


 俺たちは顔を見合わせる。

 後輩の手がわずかに震えていたが、何も言わなかった。

 偉い、やっと一人前に近づいてきたな。


「よし、動かすぞ」


 制御盤に戻り、非常運転を解除する。

 カゴがゆっくりと動き始め、各階のランプが順に灯っていく。


「はい、業務完了。帰るぞ」


「……はい」


 ロビーに戻ると、一人のサラリーマンがまだ残業していた。

 クタクタのスーツ、肩に食い込むカバンの重み。


「すみませーん。もう動くんですか?」


「ええ、どうぞ。お気をつけて」


 彼がエレベーターに乗り込む。

 ドアが閉まりかけた時、俺はふと呟いてしまった。


「あの人、いい重さになりそうだ。来週あたり、また呼ばれるかもな」


「……先輩」


「冗談だよ、冗談」


 しかし後輩の視線は、彼の足元に舞った白い粉を見て釘付けになっていた。


 ほんのわずか。

 肩のあたり、黒い布地にうっすらと圧縮痕のような縞が走っていた気がした。


 エレベーターの扉が閉まる。


 その瞬間、

 遠くで、積載ブザーがひとつ鳴った。


 ピッ。


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END / 次回点検指示:未定

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