第2話『名画座』



私は映画館が好きだ。



映画、ではなく映画館がだ。



もちろん映画も好きなのだが、映画の魅力は映画館あってこそのような気がする。



最近はサブスクで映画が好きなだけ見られる時代であるし、実際私も何度か試したこともあるのだが、どうにも合わなかった。家の中の景色が、すぐに私を現実に引き戻してしまう。でも映画館では、場内が明るくなるまで現実は来ない。



そんなわけで、私は映画館で過ごす時間が好きなわけだが、とりわけ気に入っているのが名画座での体験である。



名画座——もしかしたら知らない人もいるかもしれないので一応簡単に説明しておくと、早い話が昔の映画を上映している劇場のことだ。

基本的に入場料金が千円前後と安く、2~3本立てで上映され作品ごとの入替制もない。現在のシネコンは指定席制だが、名画座は大体自由席制なのも特徴の一つだ。



映画館というだけで、どこか特別な魅力を感じているが、名画座はそこから更に、独特な空気を醸し出す。劇場ごとに異なるその空気感に魅せられ、私は名画座巡りの虜になった。



ある時、とある地方に出張に行くことになった。

初めて訪れる地方で、すでに名画座巡りにハマっていた私は、新規開拓のチャンスといき込んでいた。仕事終わりに事前に下調べしておいた名画座まで、タクシーを使う。タクシーの運転手には、「あんた、その若さで中々マニアックだな。」みたいなことを言われた気がしたが、方言がきつくてよく聞き取れなかった。



寂れた商店街の一角に据えられたその名画座は、受付の照明が切れかけているのか明滅を繰り返しており、看板の文字のフォントも古臭く、いかにも名画座という感じで趣深い。受付の三十代半ばといった感じの女性が、気怠い感じに会員カードを作るか聞いてきたので作っておいた。次来るまでに存在してるか怪しいが、やはり投資はしておかなくては。



チケットを買ってロビーに入ると、10人ほどが上映開始を待っていた。思っていたより少ない。休日前のゴールデン帯でこの人数。会員カードを作ったのは失敗だったかもしれない。そんなことを考えながらスマホを眺めて数分、入口が空いたのでゾロゾロ薄暗い闇に吸い込まれていく。



場内は割と広く、座席数はざっと100以上といったところだった。映画館と言ったら真ん中の席、というのがポリシーな私は真ん中にずんずん進んでいたのだが、他の観客はそれぞれ端の方に流れていった。後ろに流れていった人たちはともかく、前に流れていった人たちは一体どうしてそんなところに座るのか。



聞くところによると、名画座には自分の指定席が決まっている常連客もいるらしい。彼らにとっては、そこが特等席なのだろう。



そうこうしているうちに2本立てのうち1本目の映画が始まった。本命は2本目だったので、正直、1本目には期待していない。しかし、期待していない映画に心を動かされる――というのは名画座ではよくあることで、この映画も例にもれずラストシーンでは目頭が熱くなってしまった。



スタッフロールが流れ出し、感動の余韻に浸ろうとしていた時だった。



後方から凄まじい破裂音響き渡った。



あまりに突然のことに跳ね上がって後ろを振り返ると、最後列に座っていた男性が立ち上がり、手がちぎれんばかりに拍手をしていた。貼りついた笑顔が、スクリーンに照らされ浮かんでいる。



呆気に取られていると、後方左右端に座っていた男性と女性も立ち上がり、割れんばかりに拍手をしだした。そして、残りの観客も一斉に立ち上がり全力の拍手を送っている。10人ほどとは思えないほどの拍手で劇場は大盛り上がりだ。



クライマックスの涙はとっくに引っ込み、困惑の渦に飲まれながら、――この作品、そんなカルト的な人気の作品だったのか?私も立ち上がって拍手すべきか?などと考え辺りを見渡して、気付いた。




左にいる人、こっち向いてる。




貼りつけたような笑顔で、こちらに向かって全力で拍手している。

血の気が引くのを感じながら、右を向いた。



同じだった。



恐る恐る、後ろを確認する。スクリーンを見ていると思っていたが、違う。

どうみても私を見ている。



慌てて前方の座席を見る。 逆光で黒いシルエットになっているが、頭の向きがおかしい。スクリーンに背を向けて、背もたれ越しにこちらを向いている。



全員が、私に向かって貼りつけた笑顔で拍手している。



気付いたら呼吸は浅くなり、嫌な汗で服はビショビショに濡れていた。



――早く、逃げないと。



足に力が入らないまま、座席にしがみつきながら這うようにして出口を目指した。拍手はずっと鳴り響いている。乾いた破裂音が、逃げる背中に重くのしかかる。顔を上げたら、あの貼りついた笑顔があるのかと思うと怖くて地面しか見られなかった。

右側にいた人とすれ違うときは、ひたすら謝罪の言葉を繰り返し、許しを請うた。



永遠のような時間をかけて、出口から転がり出て扉を閉めたとき、あんなにけたたましくなっていた拍手が一瞬でやんだ。



腰が抜けてまともに歩ける状態ではなかったが、今しがた閉めたドアから奴らが出てくる恐怖から、文字通り這いずりながら映画館を後にした。今思えば、その時の私自身の姿のほうが他人から見れば最高にホラーだったろうが、幸いなことに誰かに見られることはなかった。2本目の本命を見そびれたことに気付いたのは、出張先のホテルで迎えた朝のことだった。



その後、その名画座に行く機会はなく――機会があってもいったか怪しいが――数年後に閉館してしまったとネットニュースで知った。



ちなみに、あれから私は映画館が怖くなり映画館に通うことをやめてしまった……ということは全く無く、相変わらず劇場に映画を見に行くし、名画座にも足繫く通っている。



ただ、真ん中の席に座るのは避けるようになった。真ん中の席なんて、大概最初に取られる席なので、ポリシー貫いて諦めて次の上映に……なんてする必要がなくなったので、むしろ映画ライフは快適になったのかもしれない。



今は、後方や端の席に座るようにしている。




次の誰かを待つために


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日常の隙間で〜ホラー短編集〜 花奈冠 桧 @hanakanmuri_kaede

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