日常の隙間で〜ホラー短編集〜
花奈冠 桧
第1話『ハイビーム』
車のヘッドライトには2つのモードが存在する。
それが、ハイビームとロービーム。
ハイビームは遠くの道まで照らしてくれる。
ロービームは減光するすれ違い用。
道交法では夜間走行時はハイビームが基本とされているが、対向車や前走車が存在する場合にはロービームに切り替える必要がある。それは、相手が歩行者であっても同じで、単純だが意外と面倒な操作だ。
さて、私は2年ほど前に車を乗り換えたのだが、最近の車は賢いもので、前方に何もなければハイビーム、何かあればロービームに切り替えてくれる。これで、ライトの切り替え忘れで対向車からパッシングで指摘される心配はなくなり、私は大いに感動していた。
そんな便利な自動切換えシステムなのだが、最近あることに気が付いた。
何もないのにロービームに切り替わるのである。
私は仕事柄、夜間に車を走らせることが多いのだが、田んぼのあぜ道、高速道路、トンネル、どう考えても前方には何もないのにロービームになる区間がある。不思議に思ってはいたものの、一瞬のことなのでそこまで気にしたことはなかった。
ある日、夜間に山沿いの道を走っていた時のこと、また何もないのにライトがロービームに切り替わった。その時は何も思わなかったのだが、少し行った先にガソリンスタンドがあり、そこで給油しているときに、ふと思った。
あの区間には一体なにがあるのだろう。
幸い10分ほど歩けば行けそうな場所だったので、行ってみることにした。
夏真っ只中であったが夜風が涼しく、灯りはなく周りは真っ暗だったが、空を見上げると星がよく見えた。
たまには運転だけじゃなくて、歩いてみるのも悪くないななどと思っていると、目的の場所にたどり着いた。
一車線の道路の脇にはガードレールが敷いてあり、その先は崖だ。遮るものもないため遠くの街明かりがよく見える。ぱっと見渡してみたが、やはり、ロービームに切り替わる原因になるようなものは見当たらなかった。他の道とどう見ても同じ景色だ。
そろそろ車に戻ろうとしたとき、ガードレールの下に何かあるのに気が付いた。
こんな時間だし、車が来ることはほとんどないとは思っていたが、念のため左右確認をして、何があるのか走り寄って確かめた。
靴だった。なんの変哲もない有名ブランドのスポーツシューズ。運動と縁がない私でもスポーツ選手がよく愛用していると何かで見たことがある。ということは、この靴の持ち主は、なにかしらのスポーツ選手だったのだろうか。そして、ここで……。
そんな思いに耽って靴を眺めていると、靴の中に何か押し込められているのに気が付いた。それは茶封筒で、「遺書」と書かれていた。
正直に言えば、私は少しワクワクしていた。不謹慎なのは分かっている。
だが、退屈な日常を送る私にとって、これから死を選ぶ人間の思いに触れることは、まさに刺激的な非日常となっていた。
封筒の中身は、遺書の内容が書かれていると思われる三つ折りにされた紙と、一枚の写真だった。無理やり靴に押し込められたからか、どちらも皺が寄っている。
写真を見ると、競技トラックを背景に爽やかな笑顔を浮かべる青年の姿があった。
ユニフォームと競技トラックから、陸上選手のようだった。写真を見ると、この、人生に何の迷いもなさそうな爽やかな青年が、この結末を選んだことに、なんとも言えない気持ちになった。
遺書には、陸上競技に人生をかけていたこと、怪我が原因でその道を絶たれた絶望が綴られていた。家族や友人への謝罪。今までの人生への感謝。 文章は理路整然としていて、青年の真面目さが滲んでいる。
そして最後に
だれかいっしょにきてください
私は思わず手紙を投げ捨て、後ずさった拍子に靴も崖へ蹴り落してしまった。
正直この瞬間に車が来てなくてよかったと思いつつ、逃げるようにして車に戻った。
行きのときとは違い、夜風の涼しさも、よく見える星空も、どうでもよくなっていた。
車の中で一息ついて、いろいろ考える。今まで、何もないのにロービームに切り替わった場所――あそこでも人が死んでいるのだろうか。というか、さっきのあの場所も本当に人が死んだのか?靴と遺書があっただけだ。実際に死体を見たわけでもない。
警察に通報したほうがいいだろうか。でも、靴も遺書も崖下に落としてしまった。
しかも、あの遺書には名前が書いてなかった。有名選手だとしてもそういう情報に疎い私には分かりそうにない。一応行方不明者情報がないか検索してみたが、彼の情報は見つからなかった。
結局、よくないとは思いつつも警察に通報はせず、そのまま普段の日常を送ることにした。その後もあの道を通ることがあるが、やはりあの場所でロービームに切り替わる。他の道でも同様だ。でも、調べようとは思わない。
——それにしても、彼はなぜ最後の一文を入れたのだろうか。あの写真も、遺書に写真を同封するのは普通のことなのだろうか。
どれだけ考えても、答えは出ない。本人に聞かなければ分からない。しかし数か月以上経った今でも考えてしまう。
あの爽やかな笑顔と最後の一文が、脳裏に焼き付いて離れない。
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