幽閉の守り人

真花

幽閉の守り人

 幽閉と言っても座敷牢のようなところではなく、マンションの一室の壁の一つがくり抜かれて鉄格子になっていて、その鉄格子のこっち側に守り人のいる場所が確保されている、そう言う構造になっている。出入りは鉄格子からしか出来ないし、窓は五センチしか開かない。トイレのプライバシーは守られているけど、風呂は同性の守り人が立ち会う。それは、中に紐を持ち込めないのと同じ、自殺防止のためだ。

 夜勤の守り人から引き継ぎを受けて椅子に座る。椅子からは部屋の中が一望出来る。アヤメはテレビを観ていた。だいたいいつも午前中はテレビを観ている。僕はそれを見る。昼になれば昼食が運ばれて来るからそれをアヤメに渡し、食べ終えたら引き上げる。それ以外はただぼうっとアヤメを見るだけの仕事だ。僕の担当期間は一年。馴れ合いを生まないように短く人を変える必要があると説明された。過去に別の幽閉で長年同じ担当者が守り人をしていて、ついに幽閉されている人物と一緒に逃げたことがあったかららしい。僕達は会話をすることを一切禁止されていないし、むしろ話し相手として用意されている節があるし、当然のことながら鍵を持っている。

「ねえ」

 テレビを消してアヤメが鉄格子の近くに座る。クッションを尻に敷いている。アヤメは資料によればもう三十年ここにいる。連れて来られたのが二十歳のときだから、もう五十歳になる。白髪はなく、常にすっぴんの肌は年齢に比してハリがある。声だけは年齢相応に枯れ始めている。アヤメは体育座りをして体を軽く揺すりながら僕を待つ。僕は椅子を滑らせて鉄格子の側に寄せる。

「どうしましたか?」

「外に行きたいの」

「それは出来ません」

「知ってる」

 アヤメはくすくすとサボテンのように笑う。もう何回このやりとりをしたか知れない。アヤメは笑いをピタ、と武道家の技のように止める。

「ねえ、私が何をしたって言うの? ただ高貴であると言うだけで閉じ込めていいの?」

 僕は答えられない。アヤメがここにいる理由は極秘であり、僕達には伝えられていない。ネットで検索してみてもアヤメのことは出て来ないし、この幽閉自体が一般には知らされていない。でもここにはアヤメがずっといるのだから、三十年前に何かがあったことは確かだ。それは法とか刑に収まらない何かで、僕には想像もつかない。

「閉じ込めちゃダメでしょ? ほら、鍵を出して、私を連れ出してよ」

「それは出来ません」

 アヤメはふう、とろうそくを吹き消すような息を吐く。視線を揺らして、壁に向ける。

「本当に、高貴なだけなんだよ。何も悪いことはしてない。まあ、言ってもしょうがないか。タカナシは固いからね。つまらない男だって言われない?」

「真面目なだけです」

「そう? じゃあさ、手を繋ごうよ。それくらいいいでしょ?」

 アヤメは鉄格子からすっと手を伸ばす。僕の椅子まではまだ距離がある。小さな手が握られることを求めて開かれている。

「ダメです。基本的に接触は禁止です」

「固っ」

 アヤメは手を引っ込める。その引き具合に切なさがあった。

「タカナシは恋人、いないでしょ?」

「僕のことは秘密です」

「誰にも話しやしないって。と言うか秘密って言った時点でいないよね」

「秘密です」

「私も恋人作ったりしたかったなー。人生の美味しいところが全部ここの中で終わっちゃった。それで死ぬまでここでしょ? 何のために生かされているのかすら分からない」

 言いながらアヤメの視線は野生のように険しくなった。僕にはどうしようもない。僕は一年間だけここを守るだけの人間だ。

「つらいとは思います」

「絶対思ってないね。ソツなくやり過ごそうとしているのはバレバレだもの。第一、もうすぐ交代でしょ? 私のことなんてすぐに忘れちゃうんだ」

 アヤメはそんなことをしていないのに、あかんべーをされた感覚があった。

「きっと忘れません」

「いいよ、忘れても。それより、ここから一緒に逃げようよ。あるんでしょ? 鍵」

「それは出来ません」

「そう言うと思った」

 アヤメは立ち上がって奥のテレビの前に行き、ソファに座ってチャンネルをいじり始めた。僕は椅子を元の場所に戻して、テレビを観ているアヤメを見る。いつも同じような会話をする。それもあと少しだ。守り人はキャリアにとってかなり有利に働く。キャリアを捨ててまでアヤメと逃げたいような奴は配属されない。それはつまり、僕はアヤメを利用していると言うことだ。アヤメが人生を閉じ込められていることを看過することで、僕は利益を得る。アヤメと話せば話すだけ、そのことが胸を圧迫するようになった。その分だけ、僕は固くなった。自分の出世が他人の人生の損失の上に立つことを当たり前だと思わなくてはいけないことが、心をひしゃげた。僕は普通の顔をしてアヤメと話をする。その内実をアヤメに見透かされている気がする。

 アヤメはテレビを観て笑っている。その笑顔が悲しい。幽閉されてなければ、もっと、テレビだけではない色々な人と色々なことをやって、多くの感情を得たはずだ。恋人、結婚、出産もあったかも知れない。不幸なこともあっただろう。平坦で、単調な毎日を余儀なくされて、テレビで笑う。辛うじて人間と接するのが守り人とだ。その守り人たる僕が、固くてつまらない。夜勤者もいるから全部ではないけど、世界との本当の窓口である僕は、もう少しやわらかくてもいいのかも知れない。でも、そうしたらきっとボロが出る。僕は淡々とこの業務をこなす必要がある。自分の未来のために。僕の中から鉛のように重いため息が漏れる。

 昼食が来るまでアヤメはずっとテレビを観ていた。昼食は僕も同じものを食べる。鉄格子の下の方にある受け取り口から食事を渡し、僕は僕の机で、アヤメは室内のテーブルで食べる。

「今日のカレーは美味しいね」

「そうですね」

「タカナシは料理するの?」

「しません。いや、秘密です」

「いいんだよ、言っても。私も料理はほとんどしなかったなー。必要がなかったから」

「そうなんですね」

「遊びでお菓子を作ったりはした。タカナシは好きなお菓子は何?」

 それくらいは言ってもいいだろう。

「大学芋です」

「おお、大学芋。美味しいよね。……タカナシは守り人やってて、罪悪感とかないの?」

 僕の心臓に直接杭を打ち込まれて、ドキン、と強く脈打つ。

「秘密です」

「あー、あるんだね。いいよ、隠さなくても。段々固くなって来てたのはそう言う訳なんだね。いい奴だね。つまらない男だけど」

「つまらない男で、いいです」

「そうだね」

 それから僕達は黙ってカレーを食べた。僕の心臓は強く打ち続けた。額から汗が出るのは辛いからじゃなかった。無言のまま空の食器を受け取って、アヤメはベッドで雑誌を読み始めた。勤務交代までアヤメは話しかけて来なかった。僕はアヤメを見ながら自分のしていることの黒い側面を直視させられ続けた。僕はジリジリと消耗して、それはまるで焼き鳥が焼かれるみたいで、いつもよりかなり多量にお茶を飲んだ。アヤメの無言が、経る時間の分だけ僕を擦り減らして、これまでの累積の時間の分だけ僕を閉じ込めた。一年で交代な理由は馴れ合いよりもこっちなのではないだろうか。耐え切れなくなれば、許されない行動に出る可能性が跳ね上がる。アヤメは常に脱出への誘惑をし続けるから。アヤメを外に出せば、僕を苛むものは消える。それが太陽を見るよりも強烈に分かる。自分のキャリアを棒に振ることとの天秤が機能しなくなるまであとわずかだ。任期もあと少し。どっちが早いか。

 夜勤者が来て、僕は帰る。帰り際にアヤメが「お疲れ様」と手を振った。

「ありがとうございます。それではまた明日」

 僕はバランスを取り戻したみたいに固く応えた。でも内情は変わっていなかった。帰路でも家に帰っても同じだった。寝て、起きたときにすぐに思い出して胸が巨大な手のひらで押さえ付けられたみたいに重くなった。その胸のまま勤務交代をして、アヤメに挨拶をする。

「おはようございます」

「今日は外に連れてってくれるかな?」

「それは、……出来ません」

 一ヶ月後、任期が終わり、最後の日もアヤメの調子も僕の具合も変わらなかった。

「今日で終わりです」

「最後に手を握ってよ」

 僕の中身はもうぐちゃぐちゃになっていた。ずっと断り続けていたけど、最後にくらいはいいのではないか。どうせ明日には会わないのだから。

 僕は手を出して、アヤメの手を握った。

「うん。固いのは表面だけだね。やさしい手をしてる。きっと本当はつまらない男じゃないんだね」

 アヤメは機嫌よく笑って、ギュッギュッと手に力を入れる。

 アヤメが大切だ。……そんなはずあるか。アヤメを外に出したい。いや、それは違う。

「外に出して」

 僕は手を引っ込める。ブチ、と繋がれていた手がほどける。僕は自分の手を見て、アヤメを見て、また手を見る。僕は楽になってはいけない。理性で判断しなくてはならない。アヤメを外に出すことは僕のキャリアの終わりを意味する。積み上がった罪悪感とか胸のへこみとかが強力にアヤメの解放の後押しをするけど、それはしてはいけない。僕はつつがなく最終日を終えて、明日からは新しい職場に行く。心臓が強く駆ける。呼吸がそれに従って早くなる。僕は魔物を前にした子供のように震えている。祓うように声にする。

「それは出来ません」

「ちぇっ。ケチ。カタブツ」

「ごめんなさい」

 自分で、何で謝っているのか分からなかった。僕は職務を遂行しているだけなのに。でも、その言葉は僕の根っこから飛び上がって口から溢れた言葉だった。アヤメはそれを吸い込んで、今まで見たことのない慈しみのある微笑みを僕に向けた。

「いいよ。一年間お疲れ様」

「ありがとうございます」

 それからアヤメはベッドに行って、そのうちに勤務交代者がやって来た。僕は最後にアヤメに声をかけた。

「一年間ありがとうございました。それでは、失礼します」

「固いよ。じゃあね。元気でね」

「お元気で」

 幽閉の場所を出て、僕は何度も振り返りながら進んだ。胸の中のぐちゃぐちゃは今日の分だけ悪化していた。これがいつまでそこにあるのか、一生持って行くのか、全然見当がつかない。分かるのは僕はアヤメの人生に乗っかってこれからも生きると言うことで、最後の笑顔はまるでそれを許してくれるみたいだった。それはつまりより強力に僕を縛る。

 大きく息を吸って、可能な限り吐き出した。胸の中は全く変わらなかった。


(了)

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