第3話 私の愛称は

「急にどうかした? ユグドミラティナの名前が呼びにくい、ってことはないと思うけど」

「早口で十回言ってみても、そう言えますか?」

「それはユグユグだの、ミラチィって言うかも」


 王様が噛み噛みだったのを気にしていないわけじゃなかったのかな。

 俺も存在しない顎髭をもしゃもしゃしたくなるかもしれない。


「そうでしょう? 竜は人類や魔族と違って己の名しか持ちません。竜は独りでかえり、独りで育ち、独りで生きていきます。個で完結する存在だからです。親から与えられるのは魂に刻まれた名前だけ」


 ユグドミラティナは淡々と竜の話を続ける。


「まあ、例外もありますが。竜にとって独りは当たり前のことです。でも、私はその当たり前が寂しいので、せめて呼びやすい愛称が欲しいなと思いまして」


 しかし、想像よりも重い悩みだった。


「だから、ロスに考えてほしいんです」

「俺……? 俺でいいのか?」

「はい。ロスがいいんです」

「分かったよ。愛称、か」


 余計に難題だ。

 今の話を聞くとふざけた名前は付けられない。


 こういう名付け、苦手なんだよなあ……。

 既にユグユグとミラチィは王様にとられてしまったので……どうしよう。


「難しく考えなくていいですよ。ロスが呼びやすい愛称でいいです。だってロスが一番私の名前を呼ぶでしょうから」


 俺が真剣に悩んでいるの察し、ユグドミラティナは穏やかな声で伝えてくれた。


 顔にでも出てたかな。

 いや、今は見えないよな。

 空気かな?


「ありがとう……じゃあ。ユグドミラティナを単純に縮めて――ユミナ、はどう、かな?」


 我らながら単純だ。

 自信をもって言い出せないのが情けない。

 君は脳筋だからなあ、と笑う相棒が脳裏をよぎったけど。


「ユミナ! はい、ユミナ! 私の愛称はユミナ! ふふっ、誰かに親しみを込めて愛称で呼ばれるのは嬉しいものですね、ロス! 私はユミナです!」


 ユミナは嬉しそうに俺が名付けた愛称を連呼し、大きく円を描いて喜びを表現した。


「そうだな、ユミナ。誰かに呼ばれるのは嬉しいよな」


 ユミナは無邪気だ。

 当たり前のことを改めて思い出させてくれる。


 千年くらい生きてきたらしいけど、それを感じさせない。

 まあ、長命な種族はエルフもいるし、身近にはドワーフの老夫婦もいるし。

 無邪気なお姉さんはどんな種族にだっているだけだ。


「じゃあ、改めて。ユミナ。よろしくな」

「はい! よろしくお願いします! ロス!」


 お互いの名前を呼び合う声が、夕焼けに染まる空に消えていく。

 眼下では木々が太く高く伸び始め、アウトマン辺境伯領の森に入ったのを教えてくれた。


 そして、少し先の方で禿げ上がった地面が広がっている。

 巨大なクレーターができていた。

 急いで空を見上げる。


「ユミナ、上空から魔物が来る。回避に専念して」


 手短に伝え、刀の柄に手をかけ、迎撃の準備をする。


「はい、ロス。しかし、相手は随分速い――」


 ユミナが喋り終わる前に跳び上がる。

 頭上の夕闇から二つの流星が煌めき――交差し、墜落した。

 木々を吹き飛ばし、やかましい衝突音を響かせる。


 ユミナの背に着地し、改めて眼下にできた新しいクレーターを確認する。

 中心地点には黒色の鎧を纏ったような二匹の魔鳥まちょうの――死骸。

 首をねられ、赤い血を流して絶命している。


「メテオライトレイブン。今みたいに急降下した勢いで地表を削って、地中の鉱物を好んで食べる魔物だよ。降りてもらっていい?」

「正に隕石の如き魔鳥なのですね。私も始めて遭遇しました」


 ユミナと共にメテオライトレイブンの死骸がある場所に降り立つ。


「刀を始めとした金属製の装備も食べるし、特に貴金属の装飾品なんかはデザートみたいなものかな。だから、俺の刀を餌だと思ったんだ」 


 体長はそれぞれ5メートルほど。

 今までで一番の大物かもしれないけど、ユミナと比べると小さく見えてしまうから不思議だ。


「たとえ相手が自分よりも大きくても恐れず特攻する。好戦的な性格だから厄介なんだよな」


 しっかり血抜きできているか確認しながら、ユミナに説明する。


 二匹とも一息に首を撥ねた。

 おかげで心臓はまだ生きていると錯覚して動いているらしく、首から血が流れ落ちている。


「クレーターがたくさんある場所は気をつけろ、避けて通れ。それがアウトマン辺境伯領で商いをする行商人の鉄則だよ。逆に言えば、こいつらがいる場所には上等な鉱物が眠っている証拠なんだ。中でも過酷な縄張り争いを勝ち抜いたつがいは、キングとクイーンの名を示すように頭に冠をできる」


 雄には王冠クラウン、雌には頭飾りティアラ

 それぞれ頭の上で誇らしげに黒く輝いている。


「こいつらみたいにね。王都だと高値で売れるんだ。売買価格を見て驚いたからよく覚えている。喫茶店の資金の足しになるかな」

「では、幸運の遭遇でしたね。それにしてもロスは物知りなのですね」

「村のみんなの受け売りだよ。この刀だって餞別せんべつにもらったものだからさ。メテオライトレイブンの砂肝や外皮から精製した隕鉄鴉鋼メテオライトレイブンメタルっていう、まんまの名前の金属が使われてて――」


 ユミナに事情を打ち明ける中、ふと刀を見て思ってしまった。


「なあ、ユミナ。もしかして、俺。鳥臭い?」

「いえ? 鳥臭いなんて思いませんが」


 ユミナは俺に顔を近づけてクンクンと全身を嗅ぎ回った。


「ロスはお香の匂いがしますよ」

「え? お線香? 灰っぽい感じ……?」

「優しく落ち着く感じの匂いですよ」


 イメージしづらいけど、褒めてくれているのは分かる。


「ありがとう。違うならいいんだ」

「どういたしまして。しかし、ロス。急に匂いなど気にしてどうかしましたか? 返り血を浴びたわけでもないようですが」

「いや、俺に対して聖女様がよそよそしい感じというか、会話を避けられているのは鳥アレルギーとかじゃ? と思ってさ」

「なるほど、そうでしたか。安心してください。重ねて言いますが、ロスは鳥臭くありませんよ」


 疑問は解決してないけど、一つは潰せた。

 ユミナの意見に安堵しつつ、思ったことをそのまま吐露する。


「考えすぎだよな。そもそも臭いならマンドラゴラ臭のがまだあるよな。俺の家、マンドラゴラ農家だから――あ」


 ポキン、と刀が折れた。

 刀身が根元から綺麗に真っ二つ。

 それこそメテオライトレイブンみたいに。

 ポキン、と折れて、刀身が無残に地面に転がった。


「折れちゃいましたね……」


 ユミナが改めて事実を口にする。

 刀が機嫌を損ねたのか、限界を迎えたのか、むしろよく保ってくれたと言うべきか。

 これまた一つはっきりしているのは、俺が悪かった。


 魔王討伐の旅で唯一の相棒と言える存在に対し、言うべきセリフじゃなかった。


「ごめん。帰ったら修理してもらおう……。丁度、いい素材も手に入ったし」


 刀身を丁寧に布でくるみ、バックパックにしまう。


「問題はどうやってメテオライトレイブンの死体を運ぶかだけど」

「そこは私に任せてください。残さず全て持っていくのですか?」

「ありがとう、ユミナ。できるのなら全部かな。メテオライトレイブンの肉は筋肉質で噛みちぎるのも一苦労だけど、栄養豊富で特に鉄分がたくさん。煮込み料理にしたり、燻製にしたりして越冬えっとうする時に重宝ちょうほう――まずい」


 ユミナと話すのが楽しくて、一番大事なことを忘れていた。

 夕暮れということは、もうすぐ夜が訪れる。

 夜は魔物が活性化しやすい時刻だ。


 昔、身をもって経験したはずなのに気を抜きすぎていた。


「どうやら新しい魔物のようですね」


 クレーターと森の境目、木々の隙間から魔物の眼光が一つ、二つと増え始める。

 メテオライトレイブンの肉は魔物にとってもごちそうだ。


 遙か上空を悠々と飛び、急降下して大地を荒し、外皮は鎧のように硬い。

 仕留めるチャンスは少ない。


 そんな滅多にお目にかかれない新鮮で栄養価の高いお肉が、見通しの良い場所で血を流している。

 どうぞお食べくださいと言っているようなものだ。


「ユミナ。ここを頼む」

「分かりましたが、ロス。全て殺して大丈夫なのですか?」

「興奮状態だから可能な限りは始末しておきたい。下手に放置して万が一、他の人に被害がいくのは避けたいからさ。何か問題はある?」


 これはあくまで人類、ここで暮らす俺達のやり方だ。

 竜であるユミナにとってはまた別の視点、考えがあると思ったけど。


「いえ、問題がないようでしたら」


 木々が急成長し、枝が杭のように左右に広がって魔物を突き刺した。


「大地に還しましょう」


 今まで聞いたことのない無慈悲な声で呟いた。

 豊穣竜だけあって木を操る魔法が得意なんだろう。


 しかし、ここはアウトマン辺境伯領。

 獰猛な魔物は数多く、そう簡単に恐れをなして逃げ出さない。

 今も記憶に残る学生時代を回想する。


「――え? アウトマン辺境伯領って本当に人が住んでるの?」


 セントリア学園に無事入学した俺に対し、王都でずっと暮らしてきた貴族出身の同級生M君の衝撃発言から抜粋。

 悪意なき純粋さから出た言葉の分、余計に、効いた。


 アウトマン辺境伯領は辺境らしい生態系を維持し、魔王を討伐した今も変わらない。

 魔物は増える一方だ。


 ユミナの先制攻撃に刺激された第二陣の魔物達が飛び出し、クレーターを駆け下りてくる。

 小規模の魔物行軍スタンピードというやつだ。


 刀が使えない今、俺の唯一の武器は身体だけ。

 殴り、蹴り、一撃で絶命させていく。

 ユミナもメテオライトレイブンの死骸を守りながら、木を操って支援をしてくれる。


 しかし、魔法を見る度に思うけど、便利で不思議だ。

 いったいどんな感覚で操作しているのやら。

 自分で使えないから余計にそう思ってしまうのだろうけど。


 そういえばクロウ先生が基礎魔法学の補習で教えてくれたような、気がする。


 特に命がある存在を操るのは高難易度であるとか、なんとかである、とか。

 自身の魂を魔力で世界とつなぎ合わせ、拡張なんとかである……いや違ったである?


 復習しながら襲いかかる魔物を殴り蹴り殺し、ユミナが魔法で木を操り串刺しにする。

 3分後、魔物行軍を制圧し、一息入れる。


「ユミナは大丈夫だった?」

「私は座って魔法を使ってだけですから大丈夫ですよ。ロスの方こそ怪我はないですか?」

「俺も怪我はしてないよ。だけど」


 魔物の死骸が積み上がった小山を前にし、その血で染まった拳を振り払い、嗅いでみる。


「本当に鳥どころか魔物臭くなったかな」


 またユミナが俺の手を嗅いで笑う。


「はい、今度こそ魔物の匂いがしますね。水浴びしてから帰りますか? きっと気持ちいいですよ」

「それもいいね。でも、本格的に暗くなる前に帰ろうか。またスタンピードに巻き込まれても困るし。それに」


 一ヶ月ほど離れていた故郷に思いをせる。


「村に水浴びに負けないくらいの気持ちいい場所ができてるかもしれないからさ」

「水浴びにも負けない、ですか? それは楽しみですねっ、ロス」


 戦いの疲れも感じさせずにはしゃぐユミナに、頷き笑う。


「楽しみだ。ユミナ、今度こそ帰ろう――ヘルバ村に」

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転生勇者の後日譚は灰色で終われない ~魔王を討伐した俺の出る幕はもうないと思ったので、故郷の辺境に帰って喫茶店でも開いてのんびり暮らします~ 春海たま @harumigyokuro

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