「リキッド」

ナカメグミ

「リキッド」

 朝、鏡を見る。前髪をかきあげる。右の口元にあるほくろに目をやる。夜の店でのバイト中にスカウトしてくれた社長は、これが気に入って声をかけてくれた。

 当時18歳。社長が昔好きだった、有名作家と結婚した女優が、同じ場所にほくろがあったという。興奮していた。そして今の仕事を始めた。

 23歳。今、売れている。


         *   *   *

 

 今日の体調をチェック。いつも通り。スウェットの上下からスポーツウェアに着替える。1室につくったトレーニングルーム。ひと汗、かく。

 ダンベルを持ち上げる。筋肉は大切。特に上腕筋。背筋も。映る場所を美しく。

 筋肉量も必要。足の力は言わずもがな。撮影時間は長い。レッグプレス。筋肉を売りにはしていないから、適度に。しなやかに。

 シャワーで汗を流す。どうせ現場でも浴びるが。シャワー室前の洗面ルームにつけた全身鏡でチェック。体にキズはない。唇にリップクリーム、手にはハンドクリームをたっぷり。ともに無香料。共演者への気遣い。

 体にあとがつかない、ゆるめの私服に着替えて家を出る。


       *     *     *   


 雑居ビルの一室。スタッフが準備を進めている。カメラマン、照明、ライト、レフ板。監督に挨拶する。服を脱いで白いガウンを羽織る。準備ができたら、スチール撮影。白味を帯びた粘度の高い液体を、指先から腹の筋肉に垂らす。


 今日の共演者と挨拶して雑談を交わす。事情は監督から聞いている。リラックスしてもらう。よい作品をつくるため。彼女がこれからのぞむことへのハードルが、いかに高いか、知っている。俺はプロ。必ず、いかせる。


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 本番。ベッドの上。額に唇を押し当てる。口と口とを合わせる。開く。大切なのは音。唇、中の粘膜、歯ぐき。舌で舐めて、からめて。甘咬みして。画だけではだめ。音を鳴らす。五感が大事。左耳へ。息をかける。耳たぶを甘咬み。穴に舌を入れる。音を出す

 

 首筋へ。吐息をかける。唇を這わせる。舐める。右手は別の場所へ。もむ。つまむ。ねじる。頭を下へ。かじる。吸う。舐める。舌が見えるように。

 意識するカメラのアングル。同時にスタッフの存在を忘れる集中力。

 

 相手の反応を見る。息の荒さ、肌の汗。タイミングをはかる。触る。指を入れる。ほぐす。指先を満たすあたたかい液体。そろそろか。

 入れる。動く。早く。抜きかける。言葉を言わせる。また早く。遅く。嬌声に合わせて。相手の位置は画的に問題ない。

 抜く。出す。独特のにおい。息があらい。汗ばむ。

 

運動よりはるかにつかう、体力と神経。今日の仕事は1本。終了。俺はプロ。


        *     *     *


 2週間後。午後9時過ぎ。今日は2本。スタジオが入る雑居ビルを出る。中華でも食って帰るか。夕飯には遅い時間帯。脂肪がつかないメニューを。

 右腰に何かがぶつかった。



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 地方のまちで居酒屋をやっています。カウンターと小テーブル2つで12人。店名は出身地の島の名前です。店のためにお金が必要で、あの日、仕事をしました。

 

 引き受けたのは、店を続けるためです。結婚、子ども、家族。いわゆる普通の幸せを諦めて、手に入れた私だけの城です。失いたくなかった。おばんざい風の料理と刺し身。常連客はいます。でも料理の腕と経営の才覚は別です。お金に行き詰まりました。1日でかなり稼げると、自分から応募しました。


       *  *  *  *  *


 本番は苦しかった。悔しかった。43歳。年相応に醜くなった体を、複数の人の前にさらす。人前ではしない行為をする。20歳年下の青年に気を遣われながら。気持ちいいはずがない。快感などあるはずがない。いけるはずがない。

 でもお金を伴う仕事なので、いったふりをしました。

 

 居酒屋には、いろいろな客が来ます。酒を飲むと理性がゆるむ。本性が滲み出る。男はたいてい、おばさんの私は欲求不満だと、上から決めつけてくる。勘違いもはなはだしい。結婚こそしていませんが、私は恋人と週2回はしています。夜も。時には朝も。ただその恋人にまったく経済力がないから、あの仕事を引き受けました。


 細くて長い、手入れの行き届いた若い指より、節くれだって荒れた指先の方が感じる快感もある。本物の快感は、唾液まみれ、体液まみれになってしまうもので。ゴムをつける間抜けな間とか、もう考えられないほどに。避妊は必要でしょうけれど。

 でもそれは、両者ともに合意があってのことで。

 

       *  *  *  *  *


 あの青年に好意も恨みもありません。ただあの日の屈辱を、どこかで晴らしたかった。頭では理解していたつもりでも、心が納得しなかった性行為の屈辱を。

 雑居ビルの前で待ち伏せて、あの日の悔しさをぶつけてしまいました。でも哀れなおばさんをいかせてやると思い上がった時点で、あの青年の負けかもしれません。

 あの日私は、カメラの前でだまされたふりをしました。だましたつもりが、あのときの記憶に、こんなに苦しむことになるとは。誤算でした。

 

 あの青年を、日ごろ使っていた刺身包丁で刺したのは、私です。

(了)

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「リキッド」 ナカメグミ @megu1113

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