癒し=残酷。
海空丸
第1話
最近笑っていない。
(笑っていないって自覚できているだけ僕は、幸せなはずだ。)
なんてことを思いながら毎日確認もしない溜まった
郵便物を、取りに行く。
なんで今日に限って、ポストを覗いたんだろう。
差出人のない封筒。
中にはたった一行。
「癒しの観光ツアーへようこそ。」
その文字を見た瞬間、久しぶりに胸の奥が
ざわついた。
何かに誘われているようなそんな感覚に
襲われた。
けれど、行き先は書かれていない。
気になり玄関の外に出ると、
白いバスが停まっていた。
どこかの観光会社のものに見えたけど、ロゴがない。
ドアがゆっくりと開く。
運転手が笑った。
白い髭にサングラス――目が見えない。
「お迎えに上がりました。」
低い声。でもその声は不思議と優しかった。
気づけば僕は、バスの中に足を踏み入れていた。
車内には十数人の乗客。
みんな、影があるように僕は見えた。
目を伏せている人。
泣きはらしたような目の女の子。
静かな空間にエンジンの音が響き、
バスは静かに動き出した。
車内は静かだ。
みんなの感情が流れてくる気がした。
僕の座った席の隣には、小学生くらいの女の子がいる。
こんなに小さい子が。
なぜか、話しかける事はできなかった。
窓の外には森が続き、やがて人工の明かりが消えた。
運転手の低く穏やかな声が聞こえてきた。
「はじめまして苦しい思いをしてきた皆様。
本当によく頑張ってこられました。
私も長い間、苦しい日々を過ごしてきました。
だからこそ、皆様の気持ちがよく分かります。
でも、それでも生きなければいけない世の中のようです。
この旅は、そんなあなたたちへの“癒しのツアー”です。
景色を見て、ここにいる人と一緒に感じ、
ほんの少しでも心が軽くなればと思います。」
運転手の声は穏やかで、
その言葉が車内の空気をやわらかく包んだような気がした。
運転手はゆっくりとシートに腰を下ろし、
ハンドルに両手を添えた。
車内に再び沈黙が戻る。
かすかなエンジン音だけが響いていた。
「――それでは、出発いたします。
目的地は、“心が軽くなる場所”です。
どうぞ最後まで、ごゆっくりお楽しみください。」
その言葉と同時にバスが動き始めた。
静かに、
まるで何かに導かれるように道を進む。
最初は穏やかだった。
窓の外に流れる景色も、美しくて、少し
懐かしかった。
だけど、ふと違和感を覚えた。
――あれは?
小さな黒い影が、いくつも転がっていた。
「え……」
隣の女の子が、かすれた声を漏らした瞬間、
バスは急に速度を上げた。
ドンッ――
金属の軋む音と、重い衝撃。
僕の体に伝わる、タイヤの振動、なんだろう。
…なんか、味わったことないような感触。
止まらない。
車は何かを次々と、確実に踏みつぶしていった。
叫び声、鳴き声が響きわたる。
運転手は冷静な表情を浮かべていた。
(こんなのおかしい。僕はまだ苦しまなければいけないのか…)
隣で女の子は、震えていた。
両手で耳を塞いで小さくうずくまっている。
声すらも出ていなかった。
自分に嫌気がさした。
この子に話しかける事もしない。
自分のことばっかり。こんな人間にいつの間になっていたんだろうな…。
車はまだ止まらない。
その子を見ている事に苦しさを感じた。
あの時の、僕を見ているような感覚だ。
いつの間にか、その女の子を抱きしめていた。
自分でも驚いている。
(もう見なくていい。聞かなくていい。)
両手で女の子の耳を塞いだ。
でも振動は、体の奥まで伝わってくる。
タイヤが何かを踏み潰すたび、
骨の奥が軋むように痛んだ。
僕は目を閉じた。
祈るように、ただ――この瞬間が過ぎ去るのを待った。
しばらくして、車は止まった。
時が止まったように体が冷たく、心臓まで
凍りつくようだった。
周りを見渡すと、皆何が起きたのか
分からない様子だ。
その時、皆心の色が消えているようだった。
穏やかな優しい低い声が聞こえた。
「みなさま本当にごめんなさい。
何が起きたのか、分からない方もいるでしょう。
怖かった、辛かった、苦しかった。
色々な感情にさせてしまったようですね。
でも、今どんな気持ちですか?」
僕は震えた。
穏やかな声から聞こえてくる言葉に、
恐怖心が溢れてとまらない。
「今まで苦しんできたことより
辛いと思いますか?
私は、そう感じた方はこの中にいないと思います。
ただ――皆様を救いたかった。」
乗客は、みんな僕と同じことを思っているのだろうか。
突然ドアが開いた。
「どうぞ、皆様のために私が用意した
終着駅です。
素晴らしい贈り物にしたかったのです。
しあわせを、噛み締めてください。」
立ち上がれなかった。
胸が熱い。背筋が凍った。
僕には、皆の色んな感情が流れこんできたんだ。
そんな気がした。
隣にいた女の子が、僕の手を取った。
1番先に降りたのは手を握って走っている
女の子だ。
そして目の前に広がった光景は――
地面にぎっしり敷き詰められた、
人。
ああ…
そうだ分かっていた。
車が走っている時の、あの感覚、感触。
人を、轢いていたんだ。
女の子をみると、握っている手は震えていた。
そして――
すごく、すごく――幸せそうに笑っていた。
この子の事は何も知らない。
でも、この子を変えてしまった原因も、
この人の中にいるんだろうか。
世界が変えてしまったのか。
すごく震えた。
胸の奥が、なぜだか軽くなる。
「……は、はは……ふっ……」
声にならない笑いが漏れた。
何がおかしいんだろう。
胸の奥が、少しだけ軽くなった気がした。
その軽さが余計に、怖かった。
そうだ。ドアが開く前、運転手の穏やかな声が
聞こえてきた時。
恐怖心が溢れて止まらなかったのは…
あの時――僕はもう笑っていたんだ。
その事実に気づいた瞬間、背筋が冷えた。
その時、運転手は、泣いていた。
「さあ、癒しのツアーは終了です。」
運転手は、最後にその一言を残し黙った。
僕には、静かに笑っているようにしか見えなかった。
気づいたら朝、何事も無かったかのように
家にいた。
あれからずっと焼き付いている。
運転手の最後の顔が、僕の脳内をぐるぐると
回って離れない。
夢なのかと思い、スマホを見る。
日付は次の日になっていた。
夢じゃない……。
夢じゃないんだ。
嬉しいのに、泣きたくなった。
こんなに笑ったのは、いつぶりだったんだろう。
――僕も世界に変えられた中の一人だった
癒し=残酷。 海空丸 @1kaikumaru1
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