絵師姫の恩返し

凪野 晴

絵師姫の恩返し

 私こと水沢由紀みずさわゆきは、デザイン事務所に勤務している。もちろん仕事はデザイナーだ。ウェブ制作をすることが多い。


 そして、兼業でイラストレーターとしても活動している。その時のペンネームは『みずゆき』。もちろん、本名をもじったものだ。


 冷たく澄んだ雪解け水のようなイメージが気に入っている。男性なのか女性なのかが判断つかない名前なのも良い。オンラインで仕事を請け負う時、性別は時に邪魔になるから。

 

 そんな私は、今晩、仕事が終わって帰宅して一息入れたところ。


 疲れているけれど、絵を描いていた。


 一人暮らしの広くない部屋でだ。その隅に設置された机の上に大きなディスプレイ、PC、液晶タブレット。そこがイラストレーターとしての私の作業場だ。シンプルな机の上に、あとは写真立てがある。両親と私、そして飼っていた犬が写っている。


 時計は二十二時を過ぎていた。外では雨音が鳴っている。もうそろそろ梅雨かなと思う。その心地よい音が、集中力を高めてくれる気がした。


 描いているのは、ファンアート。読んだ小説にとても感動し、その作品の世界観を魅せるような絵を描きたくなったのだ。


 その小説、実は高校時代の友人・西野沙織にしのさおりがウェブ小説コンテストで受賞した作品。受賞は五月某日に発表されたのだ。インターネットの小説投稿サイトで公開されている作品だった。


 その主人公とヒロインを描こうとしている。下書きがもう少しで仕上がるところだった。



 高校卒業の頃、沙織は小説家になるという夢を仲良かった友人たちのチャットグループに告げていた。その念願が、ウェブ小説コンテストの大賞を獲って、ついに叶ったのだ。おそらく八年越しくらいだろう。


 懐かしき当時のSNSのチャットに受賞の連絡をくれたのは、本当に驚いた。


 高校三年生の時、仲良かった四人組のチャットグループ。


 沙織、宮原くん、尾山くん、そして私の四人は、高校三年生に上がってすぐの修学旅行で同じ行動班だった。それがきっかけで仲良くなり、秋の文化祭ではクラスの中心になって活動した。宮原くんが学級委員だったというのある。

 

 思えば、あの文化祭が私の人生の転換点ターニングポイントだった。


 クラスの出し物がハロウィンのようなお化けをコンセプトにしたカフェになり、私がその宣伝チラシを作ることになったのだ。どうしてそうなったのか定かではないけれど。イラストを描くことが好きで、デザインにも興味はあったので、任された時はワクワクしたし、ドキドキもした。



 そのことを思い出して、私は描く手を止める。机の引き出しからクリアファイルに入った当時のチラシを取り出して眺める。


 懐かしい。これが私の原点。


 プロとして仕事をしている今の私から観ると、なんともつたない作品だ。イラストとデザインの調和がいまいちだし、レイアウトも甘い。文字フォントの選択もまるでわかっていない。


 それでも、この文化祭のチラシを見ると、鮮明に思い出す。


 完成したチラシを見せた瞬間の、驚いたあの三人の顔だ。尾山くんが「すげーっ!」と声を上げて、沙織は口に手を当てて、宮原くんはメガネ越しに目を見開いていた。


 その時、わたしは本当にやりたいことに気づいたのだ。


 文化祭は九月の頭。それが終われば、高校三年生は受験勉強一色になる。私も、そのはずだったのだが……。


 あの時のことは、今でもよく覚えている。夢で見ることもある。


 *


「デザインの専門学校に行きたい」


 文化祭が終わって一週間くらい経った時に、意を決して両親に告げたのだ。


 私は、畳の部屋で両親に向かって、正座して背筋を伸ばしていた。母は驚いた顔をし、父は眉間にシワを寄せて渋い顔をした。


 私が告げたことは、青天の霹靂だったに違いない。大学へ進学するために塾にも通っていたのだから。夏休みには夏期講習も受けて、一応興味ある志望大学のオープンキャンパスにも行っていた。


 父から「大学受験から逃げるのか?」と問われた。うまく返せなかった。理由を説明できなかったのだ。


 大学進学のために、私が小さい頃から学費を貯金をしていたとも告げられた。両親は苦労してきたのかもしれないけれど、お金の問題ではないのにと思った。


 結果、父とケンカした。


 一週間くらい、同じ家の下で父とは口も聞かない。当時の私は、大学で悠々自適に過ごしながら中途半端に勉強するよりも、本当に挑戦したいことに、少しでも早く取り組みたかったのだ。それがどんなに大変なことかは、知らずに。


 母の仲裁で、父とのケンカは終戦に向かう。


 私が中学生の頃からイラストや絵を描いて楽しんでいたことを、父に伝えてくれた。受験勉強から逃げたくて言っているのではないと、諭してくれたのだった。



 再び、畳の部屋で、父と母と向き合った。


「由紀の気持ちはわかった。父さんも押し付けがあったように思う。デザインの専門学校へ進学してもいい。ただし、約束して欲しいことがある……」


 父が求めた約束に、二つ返事をする。簡単なことだと思ったからだ。


 その約束とは、父と母、それぞれの誕生日に何か描いて贈るというもの。つまり、誕生日プレゼントに絵を贈れということだった。


 毎年、ささやかながら両親には何かしらプレゼントはしていたし、父は三月生まれ、母は十月生まれと半年くらい離れている。半年に一枚、プレゼントのために絵を描けばいいのだ。楽勝だ。


「去年よりも、上手くなった絵で頼むよ」


 父が追加で添えた条件も快諾した。その時の私は、さとい父の仕掛けに気づいていなかった。そして、父と母が私に何を教えようとしていたのかを。


 *


 高校を無事に卒業した私は、希望通りのデザイン専門学校に通い始める。


 あの頃は、毎日が新鮮だった。新しいことを学び、どんどん成長している実感。周りの友人も同じことに興味を持っているので、何もかもが濃厚な時間で、楽しかった。父や母へのプレゼントの絵も余裕だった。デザインや絵が上手くなっていると手応えを感じながら、描いていた。


 だが、専門学校を卒業して社会人になると、状況は一変する。


 私は、憧れていたデザイン事務所に就職した。ウェブの制作が中心だけれども、パンフレットや広告のデザインも担った。憧れていた仕事は、やはり好きなことだったと確信できた。


 けれど、顧客クライアントからプロとして見られるのは辛かった。専門学校で学んだことは、まだまだ基礎中の基礎だったと痛感する。事務所の厳しい先輩にいつも指摘されてばかりだった。


 必死に仕事をした。デザイン事務所の先輩たちに追いつきたくて、顧客からのプレッシャーを跳ね除けられるようになりたくて。人一倍、がんばった。


 でも、それは社会人としての私だったのだ。イラストレーターとして、絵師として、ではなかった。



「水沢さんの作ったウェブページ、お客様から好評だよ。商品の引き合いが増えたって。他のページも相談したいってさ」


 三十代の先輩から言われた時は、嬉しかった。心の中でガッツポーズをしていた。



 父と母に贈る絵の約束は守っていたけれど、正直、本気で描いたものではなくなっていった。テーマやモチーフもきちんと考えていなかった。時間を確保して、取り組んではいなかったのだ。


 誕生日という特別な日なのに、〆切だと思っていた。それに間に合えば良いとさえ思っていた。


 それでも、父と母は喜んでくれた。私は甘えていたのだ。


 そして、それを痛感することが起きる。父との約束の意味を知ることになる。


 *


「……お、お父さんが倒れたの。意識がないの」


 仕事中に、母から何度もスマホへコールがあった。やっと電話がつながった時に、そう伝えられた。急に視界が暗くなり、身体が冷えていくのを感じた。私は、血の気が引くというのを、久しぶりに体験したのだ。


 文字どおり、仕事を放り出した。実家近くにある、父が運び込まれた大病院へと大急ぎで向かう。途中、無事でいてと何度も祈った。一秒でも早く父と母の元へと着きたかった。


 父は緊急手術をしたけれど一晩、意識が戻らなかった。脳卒中。正確には脳梗塞だった。憔悴する母を支えながら、父の意識が戻るのを待っていた。眠るのも怖かった。寝て起きたら、父はこの世からいなくなっているかもしれない。そう思うと、なかなか仮眠すらできなかった。もう一度、父と話したいと祈った。


 意識が戻った時に、母と私は本当にホッとして、病室で涙を流す。事情を理解した父がした、すまなそうな顔もよく覚えている。それは、きっと失わずにすんだから。


 この出来事で、身に染みて、わかったことがある。


 ――――人はいつか死んでしまう。そして、それがいつなのか……誰にもわからない。


 私は、両親にあと何回、絵を贈ることができるのだろう? それは限りがある。有限なのだ。毎年来る二人の誕生日は、〆切ではなかった。



 命の儚さ。知っていたはずなのに、思い出すのを怖がっていたと思う。


 私は、目の前で命が終わることを、一度だけ体験していた。


 飼っていた犬が高校一年生の時に病気で亡くなったのだ。小学校の頃から一緒に過ごしていた愛犬マシュマロ。思えば、あの時から犬の絵を描くことを避けていたと思う。


「今度のお父さんの誕生日には、昔飼っていたマシュマロの絵を描くよ」


 リハビリを終えて実家に戻ってきた父に、私は宣言した。


 白くてふわふわした感じのマルチーズ。だから、私がマシュマロと名付けた。父にもよく懐いていた。マシュマロは、帰宅する父を出迎えるために、玄関へと必ず走っていく子だったのだ。


「それは……楽しみだな」


 父はなにかを思い出したように、しみじみと言った。


 *


 スマホの写真フォルダをたくさんスクロールさせないと出てこないマシュマロの写真。犬の写真を検索すれば、すぐにソートされて出てくるけれど、当時の思い出をふり返るには不十分。だから、スクロールをして前後の写真含めて、マシュマロとの記憶を確認する。


 思い出を写し取るようにマシュマロのイラストを描くのは、思いのほか大変だった。つらかった。一緒に過ごした日々が頭をよぎってしまうのだ。何度も泣きそうになった。


 デジタルツールを使って描くのは、便利だなと思った。目からあふれた雫が頬をつたって落ちても、にじまないから。紙に描いていたら、ひどいことになっていただろう。


 愛犬マシュマロが私のベッドの上でくつろいでいる姿を絵にした。写実的にしすぎないように、かといってマンガのようにならない、そんな中間的な絵にしたのだ。


 いつもは電子データで誕生日のイラストや絵を贈っていたけれど、今回は上質な紙にフルカラー印刷して額縁に入れて郵送した。



「お父さん、喜んでたわ。すごく上手くなったって、褒めたてわよ」


 その言葉を電話越しに聞いて、目頭と胸がとても熱くなる。贈って良かったと思った。


「夕方になるとね、お父さん、飾ってあるマシュマロの絵をじっと見ているのよ。なんでかわかる?」と母に問われた。


 私は、心当たりもなく、答えることができなかった。けれど、母はうれしそうに教えてくれる。


「いつも土日はマシュマロをお散歩に連れていくのは、お父さんだったでしょう? 散歩の時間になると懐いてくるのを思い出してるのよ」


 大切なものを届けることができたと私はその時に確信した。同時に、長年連れ添った夫婦というのは、すごいなとも思った。



 私の絵は『贈り物』、『ギフト』だ。



 贈る相手のことを考えて、託したい想いを載せて、描く。当たり前のことかもしれないけれど、それは意外と難しい。


 そして、賢明な父が、それを私に教えようとしていたのだと気づいた。誕生日に絵を贈るという約束は、私が夢を確かめられるように、諦めないようにとしてくれた工夫でもあるのだろう。面と向かって聞けないけれど。


 ……心の底から、私は知ってしまった。絵を描くことの素晴らしさを。


 人が描いた絵には、想いが重なり載るのだ。感動を湧き上がらすことができる。


 だから、描くのは絶対やめない。


 両親に感謝して、そう密かに誓った。


 *


 沙織の小説『勇者に還る』のファン・アートが完成した。ウェブ小説コンテストで大賞を受賞した作品のFAだ。私は、さっそく高校時代の友人たちのSNSチャットグループにアップする。


──────

由紀>沙織〜。FA描いたよ! 主人公とヒロインのツーショット。


由紀>(画像ファイル)


尾山>FAって何?


沙織>わわ、ありがとー。すごい。というか絵、メチャクチャ上手くなってる!


由紀>へへ。沙織が小説を頑張ってきたように、私も絵は頑張ってきたからね。あげる〜。


沙織>(喜び:スタンプ)


沙織>尾山くん、FAってのは、ファン・アートだよ。絵師さんが、ファンとして気に入った小説の絵を描いてくれるってこと。


宮原>水沢、これもっと解像度高いファイルで出力してアップしてくれない?


由紀>ん? いいけど。ちょっと待ってて。


由紀>(画像ファイル)


由紀>ほい。で、宮原くんは何がしたいのさ?


宮原>うちイベント企画会社だろ。複合機が特別なんで、ポスターサイズで印刷しておこうかなって。


由紀>ちょっw

──────


 宮原くんの行動には驚いたけれど、きっと沙織の作品の大ファンなのだろう。もちろん、私もだ。


 沙織は私が贈ったFAのイラストをとても喜んでくれた。個別にもらったメッセージでは、スマホの待ち受け画面に使っているとのことだった。私は、頬が火照った。こっそりイラストの隅にいれた『みずゆき』のサインを誇らしく思う。


 しかし、原作者というのは恐ろしい。私が描いた絵をじっくりと観てくれて、「そうとう読み込んだでしょう?」と見抜いてきたのだ。主人公とヒロインの身長差や服装などは、さりげなく書かれていた描写から確かに読み取って、描いた。


「ライトノベルの絵のお仕事はしたことあるの?」とも沙織から個別のメッセージで聞かれた。


 副業としてイラストレーターをしているけれど、残念ながら、その経験はなかった。大抵はWebページやゲームに使われる挿絵のお仕事だった。


「やってみたいけれどね」と軽く返信をしたけれど、鼓動が早くなったのを感じた。


 *


 私は、本屋によく寄り道をする。


 仕事で出張した帰り道や週末のショッピングモールでの買い物の時などだ。デザイン事務所の先輩から授かった教えを律儀に守っている。


「本屋ほど、デザインの勉強になる場所はないぞ」


 そう先輩が言っていた。彼は断言していたと言ってもいい。弟子というわけではないけれど、その指摘は正しいと思った。


 一冊一冊の本には表紙があり、装丁もされている。言い換えると、本はデザインの結晶でもあるのだ。表紙に使われる絵や写真、タイトルのフォントや大きさ、レイアウト、装丁の色や紙質、そして帯。創意工夫されて、出来上がるのが本だ。本屋にはデザインの結晶があふれている。


 もちろん本の中身こそがもっとも価値あるものだろう。でも、本屋の中を歩き回ると、様々なデザインが目に飛び込んできて、とても刺激になるのだ。



 今日は、仕事帰りに吸い込まれるように本屋に入ってしまった。沙織に言われた『ライトノベルの絵』という言葉が気になっていたから。


 いつもは、いろいろな本を眺める。絵本や料理本などだ。でも、今回は一直線にマンガのコーナーへと向かう。多くの本屋では、マンガの隣がライトノベルのコーナーだから。


 平積みされているライトノベルやライト文芸の本を眺めていく。興味深いことがわかる。


 女性向けのは、表紙に親密な距離感の男女が描かれていることが多い。一目でこの二人がヒロインとヒーローだとわかる構図だ。


 そして、男性向けの作品は、魅力的な美少女が視線をこちらに向けていることが多いようだ。デザインの基本、『何かを訴えかけたい時は、正面を向いた見つめる顔で』を思い出す。男子中高生は、美少女の視線で思わず手に取ってしまう。そんな狙いだろうと推測する。


 表紙をよく見ると、著者の名前のそばに、イラストレーターの名前も記されていた。


 一年しないうちに、沙織の書籍化した作品もここに並ぶのだろう。本の帯には『ウェブ小説コンテスト大賞』と派手に書かれるのではと思う。どんな表紙になるだろうか。出版社は売れるようにと、目を惹く表紙にしたいはずだ。ここに平積みされているたくさんの作品の中でも、ひときわ輝くような本にしたいだろう。


 いつの間にか、私はイラストの構図や表紙のデザインなどを考えていた。思わず、目を閉じて頭を横に振る。軽くため息をついた。表紙のイラストを描くのは、出版社が選ぶ実績ある有名なイラストレーターに決まっている。大賞作品なのだから。


 でも、ひとつ思いついた。私は、もう一枚ファンアートを描くことにした。



 帰宅して、さっそく取り掛かる。いつもの一人暮らしの作業場で下描きを始める。


 沙織は、きっかけをくれた大切な友人だ。高校の時は、宮原くん、尾山くんと一緒に文化祭のチラシに驚いてくれた。彼女が大賞を受賞したことで、今、かつての四人のつながりが復活した。


 だから、表向きはギフトだけれど、もしかしたら書籍化作業の一助になる、そんなファンアートを贈ろうと決めた。


 具体的には、沙織が書籍化の時に希望するであろう挿絵の場面、そのシーンを絵にするのだ。私が読んで感動したシーンは、きっと彼女も挿絵にして欲しいはずだと考える。私の描く絵の構図が、書籍化作業の参考になれば、うれしい。


 勝手な恩返し。描いていて、そんな言葉が浮かんだ。


 *


 数日後。


 尾山くんが沙織の小説を読了したらしい。感動しすぎて言葉を失ったようだ。うまく感想が述べられないと、チャットグループで嘆いていた。私も思わず同意してしまった。


──────

由紀>わかるよ、わかるよー。なので、私は今、FA二枚目を描いている。五十四話のあのシーン。尊いものを絵にするのが絵師だからね。日本語での感想は、もうあきらめた!


沙織>?! ええええ。それ、ほんと? あのシーンを絵にしてくれるの?


由紀>待っててね。


沙織>待ちます!

──────


 沙織が驚いていた。とても喜んでくれた。私は俄然やる気になる。


 彼女の小説『勇者に還る』の第五十四話は、主人公の努力が実り、大切な人と再会するシーンが書かれている。物語で、全てが報われた最高の瞬間だ。


 それから数日間、帰宅するとそのシーンを描くのに熱中していた。惚れ込んだ作品のファンアートを描く。なんて、素敵なのだろう。いつも絵を描くことは、難しくも楽しいけれど、特別な感じがした。


 *


 私は、もうちょっとで二枚目のFAが完成するよとチャットグループへ告げる。同じタイミングで、宮原くんと尾山くんは沙織の受賞お祝いを企画していると伝えてきた。


──────

宮原>ってことで、受賞お祝い兼同窓会をやろうと、尾山と話した。


由紀>じゃ、二枚目のFAはその時に初披露にしようか。うちもデザイン事務所だから、良い感じに印刷して持ってくよ。画像データも、もちろんあげるけど。

──────


 四人の予定を調整した結果、受賞お祝いの同窓会は一週間後の土曜日になった。それまでに、イラストレーター・みずゆきにとって最高の絵に仕上げなければ。



 土曜日。同窓会の日だ。尾山くんが予約したお店は、高校の最寄り駅近くにあった。お洒落な個室がある居酒屋だった。


「ひさしぶり~。なんか皆、お洒落になったよね」


 私は、第一印象を述べる。


「本当に。今日は受賞のお祝い、ありがとう」


 沙織が続けた。大人しかった女子高生は、すっかり清楚な淑女になっていた。


「高校卒業したのが八年くらい前? 信じられねー」


 でも、尾山くん、君はなんか雰囲気はサッカー好きな高校生のままだよと、私は心の中で感想をつぶやく。


「修学旅行でも班行動で飯食ったよなぁ。ついに、皆で酒を呑み交わす日が来るとは」


 メガネ男子だった宮原くんは、すっかり大人びていた。


 近況報告や懐かしい話で盛り上がる。そんな中、沙織は、正面に座っている宮原くんにお酌をしたり、料理を取り分けたりとなにかと気を使っていた。不思議に思っていたが、私達三人が受賞記念に沙織からサインをもらおうとした時に、理由が明らかになる。


 沙織は、宮原くんへのサイン色紙に、『はらっぱ飲み屋さんへ』と書いてから、サインをしていた。


 どうも聞くところによると、宮原くんは随分前から、沙織が『叶夢沙織かなむさおり』というペンネームでがんばっているのを知っていたらしい。そして、『はらっぱ飲み屋』というアカウントで密かに応援していたようなのだ。


 つい先日、沙織がそのことに気付いたらしい。


 確かに宮原くんは、高校の時から気配り名人というか、人を応援するのが上手かった印象だ。だから、クラス委員だったし、皆からも信頼されていたなぁと思い出す。


 そんな宮原くんは、沙織から特別なサインをもらって、感無量になったらしい。メガネを外して、おしぼりで顔を拭いていた。


 絶対に泣いてるなとわかるけれど、大人の対応で見なかったことにする。尾山くんも珍しいものが見られたと、ニヤついていた。沙織と宮原くんがこのままくっついたら、面白い。



「由紀~。絵を見せてよッ! 五十四話のシーンの。もう待ち切れない」


 お酒でほんのり紅潮した顔の沙織が、特大の期待を込めた瞳で見つめてくる。私は、もってきた筒状のケースに手を付けた。三人が期待の眼差しを向ける。トクンと心臓が高鳴った。


「大賞作家様。……はい。こちらにございます」


 私は、筒状のケースから引っ張り出した絵を両手で広げて掲げる。おおっと皆が声を上げた。三人の顔が文化祭のチラシを見せた時と重なる。沙織は、感極まって目が潤んでいる。宮原くんは息を止めたような顔。尾山くんは驚いて口が開いている。


 ああ、やっぱり、これだ。


 私は、自分の絵で、作品で、誰かを驚かせて、喜ばせるのが好きなんだ。


 うれしさが込み上げてくる。絵師として、自信満々の顔を見せながら、問う。


「沙織、どう?」


「……もう、もうね。……最高だよぉ」


 沙織は、鼻をすすりながら涙声で答えてくれた。お酒が入ると泣き上戸になるのかもしれない。


 『絵は贈り物』だ。描いて、本当に良かった。


 *


 お洒落な居酒屋を出て、土曜の夜のにぎやかな街を歩く。次はカラオケに行こうという話になっていた。前を楽しそうに歩く男子たちを見ながら、沙織と並んで歩く。


「みずゆき先生。メールは、スマホで確認できる?」


 そう、彼女が聞いてきた。飛躍した問いかけに、ほろ酔いの頭もあって、理解が追いつかない。


「……うん。見られるけれど、滅多にメールなんて来ないよ」と返す。


「今夜は、来ているかもよ」


 意味深なことを沙織が言った。不思議に思い、立ち止まって鞄からスマホを取り出す。受信トレイを確認した。



──────

 件名:ライトノベルのイラスト制作ご依頼について


 みずゆき先生


 はじめまして。K出版編集部の今井と申します。


 実は、ウェブ小説コンテストで大賞を受賞された叶夢沙織先生から、先生をご推薦いただきました。


 受賞作品の書籍化にあたり、表紙、口絵、挿絵の制作をご依頼したく、ご連絡いたしました。

 近日中にオンライン会議またはお電話で、詳しいお話ができればと……

──────


 目の前で何が起きたか、わからなかった。


 顔を上げる。読んだメールの内容が頭に入ってくるにつれて、目に映る繁華街の光がにじんでプリズムのように煌めいていく。


「ね、驚いた? 由紀にお願いしていい?」


 いたずらっぽい顔を見せて、沙織が覗き込むように聞いてきた。私は彼女の顔を見て、静かにうなずく。目からあふれた雫が落ちて、スマホの画面の上で弾けた。


 …………この大賞作家様は、物語の外からでも……泣かせにくるの?


「表紙に、私たちの名前を並べてさ……男子たちを、驚かそうよ!」


 沙織はそう言うと、少し先を歩く宮原くんと尾山くんの背を指差して、ニコッと笑った。私は、またこぼれそうになっている涙を右手の人差し指ですくいながら、微笑んで応える。


「……うん。そうだね。……絶対に、成功させよう」


 私たちのたくらみが始まった。

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