叩き代として――

立沢るうど

叩き代として――

『段落長すぎ。目が滑って読みづらい。魅力がない主人公と頭の悪いハーレム要員。不要な会話と展開の上に、盛り上がりが一切ない。典型的な美少女動物園』

「……送信っと」


 俺はいつものように、ベッドに寝転がりながら、適当に購入した文庫本『ハーレムスキル主人公、TS転生して秘密の花園を満喫する』一巻の感想をネットに上げた。

 あらゆる商品の悪い所の感想を正直にネットに書く。これが四十五歳独身、飲食店アルバイトの俺、『葛切くずきりまこと』の唯一の趣味で生き甲斐だ。


「えーっと、じゃあ次は……『現代モンスターバスター』か。つまんねーんだよなぁ、このアニメ」


 録画してあった夕方アニメの視聴を開始して、その二十五分後。


『今日もストーリーのつまらなさを超絶作画と演出でカバーしてるだけのクソアニメだったわ。こんなものが人気アニメとか世も末。情報を食ってるだけの連中。そもそも、原作からして会話センスがなくてつまんねーし』

「……送信っと」


 その数秒後、俺の感想に対して、早くもダイレクトメッセージが飛んできた。


「はえーなぁ、いつもの粘着……。あ、違った。えーっと、『葛切誠様、あなたの本質を突いた感想を書く能力、弊社が提供するサービス内で活かしていただけると幸いです。もしよろしければ、以下のサイトにアクセスし、ご登録をお願い致します』……。

 いや、なんで俺の本名がバレてんだよ! 怖すぎんだろ!」


 思わずスマホを枕に投げつけて怒鳴ってしまったが、冷静に考えてもおかしすぎる。


「いつの間にコイツをフォローしてたんだ? 『叩き代行ポイントサイト』」


 そのプロフィールを見てみると、『登録対象を叩けば叩くほど、あなたの懐も温まる! 儲かる! お金を貰いながら、世の中をどんどん改善して行きましょう!』と書かれていた。


「『ポイ活』にしては怪しすぎんだろ……。流行りの闇バイトか? そう言えば、『叩き』は『強盗』の隠語だったような……」


 しかし、本名が向こうにバレている以上、逃げ切ることはできないような気もする。

 とりあえず、登録だけはしてみるか……。興味がない内容でもない。

 これ以上、失うものなんて別にないし、つまんねー人生だし、別に逮捕されても殺されても……。


 俺は意を決して、『叩き代行ポイントサイト』にアクセスし、念のために利用規約から何から、全てに目を通してから、アカウントを登録した。


「マジかよ……」


 そこで驚いたのは、異常なまでのポイント付与率だ。その辺の商品を買ってきて、レシートと一緒に写真を撮影、画像データをいじることなく、二十四時間以内に感想と共に対象登録およびアップロードを完了すれば、その商品の値段に加えて、『叩き代』がポイントとして付与される。もちろん、写真がなくても『叩き代』は付く。

 その『叩き代』も、商品価値の最低一割、最高で五割までポイントが付き、口座にまとめて毎月入金される。

 叩けるものならどんどん叩いた方が良いが、他のサイトには同商品の感想を投稿してはいけないことになっている。


 そして最後には、『自分だけでなく身内も含めて、いつでも叩かれる覚悟を持って叩いてください。そうでなければ、本質を見誤った叩きになってしまい、誰も得しません。一度叩き始めたら、叩き続けてください。褒めるのも結構ですが、叩きをそこで止めてしまうと、改善もなくなり、不幸な叩きになってしまいます』と注意書きがあった。

 『叩き』を信条としてきた俺にとっては、その通りだとは思うが……。


「まだだ……。まだ信用できない。ポイントが付くまで……入金されるまで……それがずっと続くまで……」


 俺は久しぶりに、期待と不安が入り混じった感情を抱いていた。


◇ ◇ ◇


『味は好みだが、蓋がすぐに破れて開けづらい。他社の乳酸菌飲料は、安価なのにもっとしっかりしていた』

『パッケージデザインの統一性は理解できるが、肝心の食品を勘違いして取ってしまうのは本末転倒。しかも、統一した分の浮いたコストが価格に反映されていないので、消費者にはデメリットしかない』

『カメラ性能を気にしないユーザーも多いのに、デザインと薄さがチグハグで、逆に醜い。目先の金儲けに走らず、資金がある内にもっとイノベーションを追い求めるべき』


 とりあえず、コンテンツではないものを挙げて、俺にとっては比較的優しめに、短めの感想を書いてみた。

 本質は突いているつもりだ。別に俺は、普段から嫌がらせで感想を書いているわけではない。『なんでこんなことも分かんねぇで商品を作ってんだよ』という感じで、いつも書いている。


 そして数分後。ポイントを確認してみると、やはり驚いた。


「七万四千三百五十二ポイント……。一ポイント一円だよな……? スマホの感想が大きかったか……。でも、あんな短文で、誰にでも思い付く感想だったのに……。って言うか、俺以外に誰も感想上げてないのかよ。やっぱり、詐欺サイトなのか?」


 独り言で現状を確認しつつ、冷静さを取り戻そうとする俺。


「まぁ、いいか。ポイントが上がるとレベルも上がるから、ゲームみたいで楽しいし、金が入ってこなくても、こっちの方が良い気がしてきた。粘着もされないし……コイツみたいに」


 スマホに目をやると、いつもの粘着女『ピカリンちゃん』から、返信の通知が来ていた。


『人が楽しんで観ている作品を平気で貶める男って最低ですよね。少しは黙ってろよ、このゴミクズ!』


 それに対して、俺も返信してやった。


『お前も最低の最底辺だろ、ピカス。いちいち反応するなよ。俺の香ばしくて堪らないアレが実は大好きなんだろ? ゴミでも何でも楽しんで観とけ、ゴミカス!』


 コイツとのやり取りがあって、初めてその日の感想を終える気分になっていたから、別サイトに完全移行すると、ある意味で残念ではある。


「『現モン』だけは今まで通り、こっちで感想を書いてやるか……。明日は写真アップロードを試して……」


 俺は、その日にやるべきことを全て終えた気分で、眠りに就いた。


◇ ◇ ◇


「す、すげぇ……。ホントに十五割だ……」


 次の日、午前中に食料品を買い込んだ俺は、その中でもまだ感想を書いていない食料品について、写真とレシート、そして感想を一緒に上げた。

 そこで、またもすぐにポイントが付き、サイトに書かれていた文章が本当だということが改めて分かった。


『タレとからしの袋に切り込みがあるにもかかわらず、非常に開けづらく、飛び散ってしまうことが何度もあった。不快な気分で食事をすることになった上に、最近はタレの量も明らかに少なくなったので、納豆そのものが不味く感じるようになった』


 なぜ、蓋や袋のことばかり書くのかと言うと、同じ商品の感想は同じ内容で書いてはいけないと決められており、別々に書いた方がポイント的には多少得だからだ。

 しかし、味について叩こうと思ってはいるものの、多くの場合、味には満足しているので、嘘は書けない。

 やはり、コンテンツの感想が一番書きやすいが、『叩き師』としてのプライドもあるので、それに限らずに思い付いたものは、すぐにメモを取ることにした。


「おっと、そろそろ行くか……」


 叩きに夢中になっていると、設定していたアラームが鳴ったので、俺はアルバイトに向かった。


「おはようございまーす」


 そこは、何の変哲もないファミレスのアルバイト。長年続けていることもあって、俺はホールもキッチンもできる二刀流のバイトリーダーになっていた。

 客からは店長に間違われることもあるが、無理もない。中年のおっさんがアルバイトで、しかも若い女が比較的多いファミレスのホールにいるなんて、普通は思わないからな。


「……お……おはよう……ございます……」


 よく聞き取れない声量の挨拶を返してきた、同じくアルバイトの理系女子大生『高円寺こうえんじ灯里あかり』。

 コイツは、メガネでアニメオタクで、性格は暗いものの巨乳だから、バイトに入ってきた時は、エロい制服姿をいつでも楽しめると期待していたのだが、接客に向いていない以前に、仕事ができなさすぎてキッチンに回された問題児だ。

 当初から教育係だった俺がいつもフォローしているが、どうも俺はコイツに嫌われているようなので、感謝の言葉が一切ない。


「今日、何回『ガロニ』乗せ忘れた?」

「ご、五回です……」


 一仕事終えて、いつもの二人だけの反省会を裏で行う。ガロニとは、メイン料理の横の付け合せだ。


「普通は多くて二回ぐらいだよね? 一回目で猛烈に反省して、二回目やったら、『もう、私のバカ!』って思って、それ以降はなくなるよね? 万が一、三回目があっても『調子の悪い日もあるかもしれない』と思うけど、それ以降は絶対にないよね?」

「……」


「俺は別に怒ってるわけじゃないんだよ。俺が怒ってもしょうがないし。ただ、高円寺さんの将来が心配なんだよ。大学を卒業して、社会に出ようと出まいと、周囲に迷惑をかけて、自分も傷付いてしまうんじゃないかって。結婚して子どもを産んで、子育てで取り返しが付かないことになっても嫌でしょ?」

「……。葛切さんは、どうしてずっとアルバイトをしてるんですか……?」


「ああ、よく言われるけど、別にやりたいことがないから。そんな俺が他人の人生の心配するなよって? その通りだよ。だから、趣味みたいなもんだよ。人や物の悪い点を指摘することが」

「……。そういう人いますよね……。私が好きでやっていることを邪魔しないでほしいんですけど」


「でも、好きで仕事のミスをしているわけじゃないよね? 好きでやってたら、業務妨害だよね?」

「今の話は別の話で……」


 コイツ……。多分、ネットでは饒舌なんだろうな。バッグにぶら下げてるグッズを見るに、コイツも『現モン』ファンらしいから、名前から察して『ピカリンちゃん』なんじゃないかと思ったことはあるんだが、本当にそうだったら、仕事がしづらくなるから聞いてないんだよな。

 今の反応も、かなりアイツっぽいが……。


「まぁ、いいや。そういう障害もあるから強くは言わないけど、ミスを減らそうとする工夫や努力を見せた方が、周りの人も嫌な気分にならないと思うよ。別に俺が嫌な気分になってるわけじゃないけど、いじめられても困るでしょ? 女子空間では、俺は手も足も出ないんだから」

「……はい……」


「もし、すでにいじめられてるようなら、ちゃんと言ってよ? 俺の穏やかな日常を壊したくないからさ」

「いえ……大丈夫です……」


 どういう意味なんだよ、その返事は。

 きっと、女子大生とワンチャンあるかもと思ってる中年男性なんかに助けられたくないということなのだろう。

 思ってねーよ! 俺は一人で好き勝手にやりたいんだから!


 そりゃあ、あの巨乳を好き勝手にできるのなら、やぶさかではないけども……。


◇ ◇ ◇


 それから六日。相変わらずミスが多い高円寺だったが、それとは別に、俺の日常で思いもよらないことが起きていた。


「ん? タレとからしの袋が変わったのか……。お、開けやすくなってる。それに……乳酸菌飲料も開けやすい!」


 俺が叩き代行ポイントサイトで指摘したことが改善されていたのだ。


「ずっと前から決まっていたことだったか。余計な叩きをしちゃったか? まぁ、仕方ない。タイムラグなんて、企業秘密の前では当たり前に起こることだし」


 そして夕方になって、今日はバイトのシフトが休みだったため、『現モン』をリアルタイム視聴していると、ここでも改善が見られた。叩き代行ポイントサイトには書いてないのに……。

 いや、待てよ。そう言えば、同じ制作会社のアニメを似たような感じで叩いたな。それでも改善するのか。

 いやいや、この作品はずっと前に第一部全話納品完了報告がされていたはずだ。制作スタッフも問題に思ってたんだな……。


「原作にないオリジナル展開を混ぜてきたが、普通に面白い方だった……。叩き所はあるにせよ、話単体で見れば十分及第点だ。さて、感想はどうするか……よし!」


『展開自体は勢いがあって良かったが、設定が活かしきれておらず、原作ファンからも首を傾げられること間違いなし。ここで伏線回収でもできれば、さらに評価は上がったが、そんなことは原作を貶めるようなものだからできるわけがない。破綻してるんだよ、最初から。俺は原作ファンじゃないから、どうでもいいけど』

「……送信っと」


 それから数分後、『ピカリンちゃん』から返信が来た。


『どうでもいいなら観るんじゃねーよ、ゴミクズ! どうでもいい、しょーもない人生で人に迷惑かけるんじゃねーよ! 死ねよ、社会のお荷物!』


 コイツ、やっぱり高円寺だろ……。もしかして、俺のことも分かってるのか……?

 まぁでも、俺は大人だから、そんな余計なことは言わないでおくとして……。


『評価されたくないなら作品なんて作るんじゃねーよ! って、お前みたいなカスに言ってもしょうがないか。何も考えずに、ただ消費してるだけのバカには。どうせ、勉強も仕事もできない無能なんだろ? まぁ、できたとしても言われたことしかできないだろうけど。くっさいカスがこびり付きまくって動けないんだから』

「……送信っと」


 最近の習慣で、『ピカリンちゃん』に返信したあとは、『叩き代』を確認するのがルーティーンになっている。すでに俺の『叩き代』は七百万を超え、レベルは九十九。

 こうなってしまっては、運営も想定外だろうし、もう入金なんてされないだろうから、『叩き代』という名のポイントを上げるためだけに惰性でやっているようなものだ。

 でも、もし入金されたら、税金とかどうなるんだろう。住民税とか来年一気に来るから、無闇に使えないよな……。


 俺は、ほんの少しの期待を胸に、余計な皮算用を思い浮かべながら、早い眠りに就いた。


◇ ◇ ◇


 目覚めると、まだ午前四時を回った頃。内心でソワソワしていたのだろうか。

 そこで、寝る前にふと頭によぎったことを思い出した。


「いや……流石にマズイか。でも……」


 それは、『人』を登録して感想を書いたらどうなるのだろうということだった。

 登録対象は、『高円寺灯里』。商品が偶然にも改善されたのだから、人も改善されるのではないかと。


 夜明けのテンションに任せるべきか、冷静になるべきか……。


 まぁ、いいか。入金があったとしても泡銭だし。最初からなかったものと思えば。

 それに、回避策は一応ある。


「登録対象は『ピカリンちゃん』にして……」


 この際、コイツが何者かはどうでもいい。俺の生贄になってもらおう。どうせ、感情でしか物を言えないゴミカスだし、許されるだろ。


『自分の恋愛感情に気付いていないバカ。アニメの感想をネタにして、特定の男に暴言を吐いているが、明らかに好意がある上に依存している。オフ会を開いて直接文句を言おうともしない非効率の根暗だから、人から何を言われても聞く耳を持たないんだろうな。本当に大切にするべき、助けてくれる人間が、すぐそこにいるのに。こういう奴は仕事もできないと相場が決まっているから、それだけでも改善されればいいが、まぁ無理だろう。バカだから、色々な男に騙されて、食い散らかされるのも目に見えている。男は、ソイツにだけ一途でエロい女が大好きなのに、そんなことにも気付かない可哀想な人間だろうからな。さらに言えば、自分にだけその魅力を見せてくれるのが好ましいんだが、それを要求するのも酷か』

「これで問題ないよな……送信っと!」


 後悔はしていない。願望は文章に含まれているものの、別に何も期待してないから。

 一度、人の感想をまとめて書いてみたかったことも理由ではある。本当は、まだまだ書けるが、今日はこのぐらいにしておいてやろう。


「なんかスッキリしたな。バイトまでぐっすり寝られそうだ。俺も『ピカリンちゃん』に依存してるのかな……。少しは役に立つんだな、アイツ……」


 そして、俺は眠りに就いた。


◇ ◇ ◇


 バイト前の目覚ましアラームが鳴り、意識がハッキリしてくると、俺はスマホに手をかけた。


「あ? 『ピカリンちゃん』からダイレクトメッセージ? 追加の粘着か?」


 見ると、そこには驚きの内容が書かれていた。


『突然すみません。もし良かったら、オフ会しませんか? これまでのことを直接謝りたいんです。よく考えたら、現モンは確かにあなたの言った通りの作品だし、将来のクリエイターや視聴者のために、あなたがああいう発言をしていたんだって気付いたんです。お返事、心からお待ちしています』


「……。なんなんだよ、コイツは。どう見ても怪しいし、明らかに宗教勧誘かネズミ講か美人局だろ。そうじゃなかったら、二重人格を疑うぞ?」


 ……。そこで思い出した。俺が『そうなるように叩いた』んだ……。

 いや、偶然だ。偶然に決まっている。こんなことができるはずがない。人の意志を捻じ曲げるようなことを、たかが辛口の評価を書いただけで……。


 冷静になろう。でも、とりあえず返信はしておくか。こうなったら、アイツが何をしでかすか分からない。


『こちらも今まで失礼な態度を取ってしまい、大変申し訳ありませんでした。予定の確認もあるので、少し考えさせてください。数日以内に返信します』

『ありがとうございます! 楽しみにしています!』


 俺が返信すると、即座に返信が返ってきた。


 なんだか、『ピカリンちゃん』がかわいく思えてきたぞ……。俺ってチョロいんだなぁ……。

 いや、まずはバイトだ。そこでハッキリすることがある。


 そして俺は、いつもより早めにバイトに向かった。


「おはようございまーす」

「お、おはよう……ございます……」


 俺が店の裏口から入ると、いきなり高円寺に会った。普段と特に変わらない様子だ。

 俺は、そのまま着替えに入り、いつもと変わらず仕事に入った。


◇ ◇ ◇


「……。今日は全くミスしなかったね」

「はい! 葛切さんの……誠さんのおかげです!」


 そして、いつもの反省会。

 それは、今までと全く違う反省会だった。


 反省する内容がなかったこともそうだが、俺と高円寺、二人きりになった途端、彼女のいつもの態度が豹変し、憧れの眼差しと言ってもいいほど目を輝かせて俺の目を見つめ、距離を詰めてきたのだ。


 俺が考える時間を設けたのは、このためだ。

 やはり、『ピカリンちゃん』は『高円寺灯里』だった。

 俺が叩いた通りになっていたのだ。


「あ、あの……誠さん……。良かったら、ご褒美に抱き締めて頭を撫でてもらえませんか? そしたら、これからも頑張れるので……」

「え……い、いや、それはマズイよ。誰かに見られでもしたら……」


 俺は妙な言い訳をしていた。想像していた以上に、高円寺がかわいく見えてきて、満更でもなくなっていたのだ。

 自分にだけ積極的な女の子って、こんなに心惹かれるものなのか……。もちろん、ある程度のビジュアルは前提だが。


「じゃあ、私から抱き付きます!」

「え?」


 高円寺は俺の返事を待たずして、勢い良く抱き付いてきた。そして、まさに発情したメスの顔で俺の顔を見上げている。


 こ、これは早く終わらせないと……。こうなってしまっては、高円寺の言いなりじゃないか。


 俺は彼女の体を抱きしめて、それから頭を優しく撫でた。


「誠さん……嬉しいです……。私のことは、『灯里』って呼んでくださいね」

「で、でも、灯里ちゃん、彼氏いるんじゃないの? 気になってる人とか……。いや、そもそも、こんなおじさんなんか……。絶対に後悔するよ」


「後悔なんてしません! 本当に大切な人が、いつも側にいたってことに気付いたんです」

「……」


 どこかで聞いたような言葉だが、こんなにも『改善』されるものなのか……。驚きの連続だ。


「で、でも私、男の人に抱き締められるなんて初めてだから、サンプル数は誠さん一人だけですけど……」

「その……他の人とのデートの予定とかないの?」


「ありません。誠さんだけです」

「え? 俺との予定は、まだないよね? そういうことじゃなく?」


「いえ、そういうことです。誠さんが、『世界のくず』さんですよね?」

「やっぱり、君が『ピカリンちゃん』か。それにしても、なぜ俺のハンドルネームを……」


「特に証拠があったわけではありません。名前と直感だけです。でも、なんだかんだ言っても、優しい人なのかもしれないとは思っていました。そうじゃなかったら、私に対して、もっとボロクソに言ってきたでしょうし」

「随分、鋭い直感だなぁ。でも、俺は君の言う通り、ゴミクズであることに変わりはない。君の思い描いているような人間ではないよ」


「それでもいいです。私だってゴミカスなんだから、ゴミ同士ならゴミ屋敷で仲良くなれますよ。それに、この『好き』は他の誰にも邪魔されたくないです。他の誰が私達を『ゴミ』と罵ろうとも……」

「……。面白いこと言うね……。分かった。じゃあ、ゴミらしく生きてみるか!」

「はい!」


 彼女の元気な返事の後、俺達はゆっくりと顔を近づけて、職場にもかかわらず、熱いキスを交わした。

 これからどんなことがあっても、排除されたとしても、這いつくばって生き抜いてみせるという覚悟を、お互い示すように……。


◇ ◇ ◇


 それから三ヶ月。怒涛の日々だった。


 俺達はすぐに結婚の意志を固め、灯里の両親に挨拶に行くと、二回り以上も違う年の差婚に、当然のごとく猛反発された。

 二人で土下座しても、一向に両親の意志は変わらなかったため、両親を『叩いてみた』ところ、すんなり賛成してくれた。


 そして、二人ともアルバイトを辞め、俺は門前払いされないように『予め叩いておいた』大企業に総合職の正社員として中途採用され、灯里は大学を中退した。

 俺達らしく、式は挙げずに婚姻届だけで済まし、灯里の妊娠も判明して、今は買い物に精を出している。


 ちなみに、叩き代行ポイントサイトのことは、灯里には言っていない。

 また、あれから三千万円まで『叩き代』を増やし、入金されていることも確認できたが、手は付けていない。俺達の将来のために貯めておくことにしたからだ。

 と言うより、金よりも大事な存在を手に入れることができたから、興味があまり湧かなくなったのだろう。

 最近は、いつも灯里とベッタリ愛し合っていることもあり、全然叩けていない。それでも今までとは比べ物にならないほど、充実した日々を送ることができている。


「誠さん、この子の名前の案、何か出そうって言ってたけど、出た?」

「ああ。やっぱり俺達らしく、叩かれてもへこたれずに育ってほしい、生きてほしいっていう意味で、『育』か『生』を含めたらどうかな? 男女問わず使えるし」


 買い物のために二人で駅前の通りを歩いていると、灯里がお腹に手を当てながら、俺の答えに満足そうな笑顔で返してくれた。


「ふふふ、私もそう思ってた。やっぱり、愛し合ってると考えも似てくるんだね」

「俺達の愛は、もう誰にも叩けないほど高く育ってるからな。たとえ横からでも、一切揺るが……」


 その瞬間、俺の意識は途絶えた。



◆ ◆ ◆



 現場は騒然としていた。周囲には人だかりができ、そのそれぞれが、スマホを片手にパシャパシャと耳障りな撮影会が始まっていた。


 中心に人影はない。代わりに『その隙間』から、勢い良く血が飛び散ったことが窺える。

 『その隙間』も、一ミリに満たないのではないかというほど、ビルから落下した分厚く大きな鉄板がベッタリと歩道の地面に張り付いていた。


「え、何々?」

「カップルがぺしゃんこになったらしいよ。しかも妊婦っぽかったって」

「うわ、エグッ!」

「いや、だって隙間ないよ? 絶対ギャグ漫画みたいになってるじゃん!」


 野次馬らしく、物珍しさにはしゃぎ、無責任な言葉を放つバカな奴ら。


「あーあ、だからちゃんと書いてたのに~。自分や身内が『叩かれる』覚悟がある人だけ叩き続けてくださいって。ちゃんと叩いておけば良かったね。老朽化したビルの『ヒヤリハット』をさ。

 まぁ、『領収』したよ、そのくだらないゴミみたいな命。『叩き代として』、ね」


 そして、僕はそれを高層ビルの屋上端、特等席から見物していた。


「次はもっと才能がある人じゃないとダメかー。思ってたより、この世界に影響なかったからなー。時間もかかりすぎるし。でも、よく考えたら、今回みたいなのはバレバレか。難しいんだよなぁ、頭の良い人は避けちゃうから。単に交通事故を装って殺して行った方が良いのかな?」


 僕はどうすればこの世界に『イタズラ』できるかを考えていたが、結局まとまらなくて考えるのをやめた。


「まぁいいか、テキトーで。『あの瞬間』さえ楽しめれば。もうバンバン殺して行こうっと。本当は、あの野次馬連中も皆殺しにしたいけど、『ネタ』がないからしょうがないね」


 僕は四ヶ月の長いカタルシスを経て、スッキリした気分で異空間に帰ることにした。


「はー、次も楽しみだなぁ。人間が調子に乗った時にあっさり死ぬ瞬間♪」


 人間にとってその衝撃的な事故は、叩き代行ポイントサイトを一瞬で消去した時のように、あっさりと忘れ去られていた。



 そんなもんだよ、『人間の価値』なんて。

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叩き代として―― 立沢るうど @tachizawalude

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