3 トウバドウ(1)
五所川原笛子の自宅は東京郊外三鷹市にある。一般の住宅地が延々と広がる地域だが、武蔵野丘陵の緩やかな斜面を利用した平屋の大邸宅は、意図的に植林された木々が森のように茂る中に隠されて、外部からはまったく見えないようになっている。大邸宅といったが、特に部屋数が多いわけではない。広大な敷地に、体の不自由な笛子が車椅子で動きやすいように、部屋も廊下も、何もかもゆったりと設計されているからである。ここに、笛子は執事の榊と、身の回りの介護に当たる二名の女性と生活しているのだった。
笛子は自室で矢倉健一を待っていた。そしてそれと「共に来る」はずのものを。
兄は、後輩の矢倉健一が見えるというある風景のイメージを共有したが故に殺された。理由はともかく、それは間違いない。だとすれば自分が彼に会えば、兄以上に鮮明なイメージ、さらにはその背後に隠されたものまで感じ取ることはできるだろう。そしてそれに感づいた何者かは、間違いなく自分を狙ってくる。……そこを叩く。
この三鷹の自宅は完全な笛子の「結界」である。建物の隅々、無造作に植えられているように見える木々の一本一本に至るまで、すべて笛子の「念」が込められている。普通なら邪念を持った存在は一切入ってくることもできないだろう。しかし今回はわざと結界を開いて矢倉健一を招き入れることで、そいつを引き込むつもりだ。そしてここで戦えば、絶対に勝つ。負けるわけがない。
笛子は十三歳の時から霊能者として今のような仕事にかかわっている。客層は国内外の権力者や富豪が多く、それらの霊的諸問題を解決することが莫大な収入となっている。彼女は重度の障がいのため通常の生活は難しいはずだが、その金が障がいによって制限されている能力――見ること、聞くこと、話すこと、歩くことを補完し拡張してくれる。はじめ手話とPC画面しか伝達手段を持たなかった彼女は、やがて海外の研究機関から自立思考型AI搭載の車椅子「IS2000」を提供され、飛躍的に活動の幅を広げることができるようになった。
執事の榊司は、もともとはこの椅子のメンテナンス担当エンジニアとして米国の会社から派遣されてきたのだが、いつの間にか運転手も(車はIS2000用にカスタマイズされたトヨタハイエース)勤めるようになり、やがて今の状況、執事に落ち着いてしまっている。
その榊がドアの向こうから笛子に声をかける。
「笛子様、矢倉様がお見えになりました。客間へお通ししてあります」
さあ、いよいよね、と笛子が思考すると、車椅子はそれを読み取って静かに客間へと移動を開始する。今回は仕事ではなく、兄の仇をうつという個人的な動機があったが、未知の敵との邂逅に高揚感があるのか、深紅のルージュをひいた口元に、かすかな笑みが浮かんでいるのに本人は気がついていない。彼女はまだ若く、先日二十三の誕生日を迎えたばかりなのだ。
矢倉健一は客間で待たされていた。二十畳はあろうかと思われる広い洋室だが、飾り気はほとんどない。ただ部屋の四隅に、野球のボール大の異なる色のガラス玉が簡素な台に乗せられて置かれているだけだった。「意外と地味だな」と思いつつ、この館の主が視力を持たないことを思い出す。代わりに応接セットは半端なく豪華で、腰を下ろした健一は、その座り心地の良さに驚いた。
昨日、葬儀を終えて会社に戻ると、留守番をしていた加藤洋子が興奮して留守中の来客について社員達に告げた。社長の妹のことなど誰も知らなかったから、その異様な風体、特に白銀色の車椅子に、みな一様に驚きを隠せずあれこれと騒ぎ立てていた。健一としては「ああ、こっちに来たのか……」という思いだったが、直接会えたわけではない、
健一は「その妹さん、監視カメラに画像が残ってないか?」と言ってみた。オフィスには、社長室以外にはカメラが設置されていて二十四時間録画をしている。おお、そうだったと、好奇心旺盛な出版社の社員である。PCに残された録画をチェックする。なぜか、彼女が来室した時間のみ、きっちりと録画が消えていた。
ドアがノックされる。いよいよかと立ち上がると、中学生ぐらいの可愛らしい少女が盆にコーヒーを持って入ってきた。
「もうしばらくお待ち下さい」
大人びた台詞をまだ幼い口調で言い、コーヒーを置いて一礼するとすぐに退室していった。
「この家の子かな?」そう思いながら、健一は座り心地のよい椅子に改めて座り直すが、なんとなく落ち着かない。周りを見渡してこの広い部屋に窓が一カ所もないことに気がついた。昨夜電話で連絡をくれた執事の榊という初老の男性が、玄関前で待っており、玄関から広い廊下を通ってここに案内してくれた。その流れを思い出せば、部屋の右側は外壁で、窓があれば森のような見事な緑溢れる六月の庭が見えるはずである。意図的に窓をつくっていないとしか思えない。
落ち着かないのはそれが原因だったのか。
後になって理解する。このとき落ち着かなかったのは実は健一ではなく、千キロも離れた暗闇の中にいる“あいつ”だったのだ。
再びドアが開き、白銀色の卵形の車椅子が静かに入ってくる。椅子には白っぽいブラウスと長いスカートの小柄な、おそらくはこの館の主が座っていた。美しい女性であった。特に印象的なのはその目えある。見えていないはずの彼女の目は、黒い瞳がとても大きく白目の部分を圧倒している。それはほとんど動くことなく正面に向けられているのだが、健一は彼女の「視線」を全身に感じていた。
車椅子については昨日、加藤洋子から聞いてはいたが、それでもはじめて目にするとかなり動揺する。我に返った健一は、慌てて椅子から立ち上がって迎えたが、目にせよ車椅子にせよ、この館の主は、まだ若い娘ではあるが年齢とは乖離した空気をまとい、周囲すべてを圧していた。
「はじめまして、五所川原笛子です。」
ああ、これが例の機械音声か、と加藤洋子の話を思い出す。しかし、どこかで聞いたことのあるような声なのだが。
「矢倉健一です。こ、この度はお兄様のこと、まことに……」
健一が動揺を抑えてまずはお悔やみをと、社会人の常識を振り絞っていると、はっきりした声で制止された。
「兄様のことはもういいわ。わたしの自己紹介もこれ以上はいらないわね。――兄様から聞いたでしょう?」
「はい、一応は。……妹は霊能力者、だと」
遠慮がちに答える。
「まったく、身内とはいえマル秘扱いの個人情報をぺらぺらと。――まあ、それはいいわ。昨日も突然オフィスに行ったりして悪かったわね。留守番してた彼女、驚いてたでしょう」
赤くルージュに彩られた口からではなく、おそらくは車椅子のどこかに配置された内蔵スピーカーからであろう。特にお嬢様然とした口調でなく、あまりにも普通な女子の言葉遣いである。車椅子はそのままスルスルと移動し、健一の対面の空いたスペースに陣取る。車椅子の一番下に小さなタイヤらしきものが見えるが、どのようにバランスを取っているのか動いているのかまったくわからない。健一に彼女は座るように促した。
「そちらに行ったのはね、私が直接兄様の最後について確認したかったからよ」
「警察では、事故か自殺かということで……」
「あら、矢倉さん、あなたもそう思ってる?」
「いや、その……」
「わたしに嘘やごまかしが通じるとは思わないでね」
機械の合成音声は、肉声に比べて若干抑揚に欠けて冷たさが伴う。しかし車椅子は彼女が発声しようとする言葉を、わずかな喉の震えから読み取って音声に変換再生しているのだ、彼女自身の言であることに間違いない。
「どう思ってるの?」さらに言葉が重ねられた。
「俺の、せいです」そう言うしかなかった。
「俺に、係わらなければ、先輩は死なずに済んだ。――そう思います」
笛子はしばらく健一を眺めていた。光を捉えぬその目そのものには健一の姿は映らぬはずだが、車椅子のカメラとはまた違う、生の視線をひしひしと感じられる。
「わかっているなら、いいわ。確かにあなたのせいだけど、責めてもしょうがない。
兄の遺志はあなたを助けることだった。これも最後のメールで確認してるし。その時の警告が甘かったのは、私の責任」
「それじゃあ、やはり先輩は?」
「矢倉さん、あなたに取り憑いている何かに殺されたのよ」
霊能力者五所川原笛子は、はっきりとそう告げた。
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倭崎三軒屋塔婆堂異聞 寶石 史 @takaraishi
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