#4

 ソラちゃん、あのね。

 私、今はもう詩を書いてないんだ。

 この前、高校に入ってからずっとやってること、みたいに言って……嘘をついちゃって、ごめんね。本当は、高一の春に、書けなくなって、やめてるんだ。

 「ドロップ」は、私のペンネーム。ソラちゃんの言う通り、私が「ドロップ」だよ。

 がっかりした? 「ドロップ」がこんな私で。

 せっかく感想とか反応くれたのに今まで見られてなくて、ごめんね。あと、ありがとう。好きになってくれて。

 私、知らなかった。「ドロップ」がこんな風に誰かに届いてたってこと。

 だから、ソラちゃんが「ドロップ」に背中を押されたって、話してくれた時、嬉しかった、嬉しかったのに……。

 そんな風に思ってくれる人が居たのに書くのを止めた自分が、嫌だったんだ。

 「ドロップ」は、ほとんど誰にも読まれなくて、それで世界から私の詩に価値がないって言われているみたいな気持ちになったんだ。そのせいで、書けなくなった。

 「ドロップ」のアカウントもね、サイトにログインするのが怖くて、サイトを見るの自体も怖かったんだよ。

 私、だって、私ね――


 詩を書くのが、小学生の時からずっと、生きがいだったから。


 それを否定されたら、私が私じゃなくなると思った。

 だから、なのかな。私、もしかして、怖くて書けなかったんじゃなくて、私が私でいるために、書くのをやめた、のかな……。

 私、詩を書いてない自分は何もないと思った。なんでもいいから目標が欲しくて、勉強を始めたの。アカシアに寄るようになったのも、それが理由だよ。



 そんな時、ソラちゃんに出会って――



※※※



 そこで言葉を切った私は、ソラちゃんとの距離をわずかに詰めて、告げる。


「私、ソラちゃんの歌に力を貰って、また詩が書きたいって思えたんだよ」


 私の言葉を聞いたソラちゃんは眉を上げ、それからすぐにふっ、と頬の力を抜いた。直接話した時間は少ないけれど、すっかり見慣れたソラちゃんの微笑み。

 それが向けられて、またちょっと、耳が熱くなる。


「あたしの『ドロップ』さん……詩梳しずくちゃんだったんだね」

「あ、あたしのって……!? そ、それはともかくっ。なんか、改まって言うと、照れるね……うん。そうだよ。私が、『ドロップ』」

「――そう、だったんだね」


 感慨深そうにそう呟くと、ソラちゃんは俯き、膝の上で拳を握った。

 前半の方で何か失言してしまっただろうかと言葉を探していると、おもむろにソラちゃんが顔を上げる。そこに浮かんでいたのは――寂しそうな表情で。


「詩梳ちゃん。話してくれてありがとう。なんか、勝手に想像して無理やり聞いたみたいになっちゃって、ごめんね」

「あ、ううん。それは、大丈夫、だよ」


 ソラちゃんに「ドロップ」だと言われたのは予想外だったけど、いつかは明かすつもりだったから。

 結局そのいつかも、ソラちゃんに機会を貰った形になったな……。


「あたし、聞いて欲しいことがもう一つ出来たよ」

「え」


 そう言うとソラちゃんは立ち上がり、私の正面にやって来ると、指先で前髪に触れながらそっと口を開いた。


「あたしの本名。遠山歌七とおやまかな、って言うの」


 唐突に知らされたその事実に、私は混乱する。

 チャットアプリの名前も「ソラ」で、てっきり本名だと思っていたから。

 どうして、このタイミングで――


「あたし、『ドロップ』さんに背中を押されて、翼を貰ったおかげで、空を飛べたの。本当にやりたいことを、見つけられたの。だから、歌を歌うあたしは、あたしが胸を張れるあたしは、『ソラ』なんだ」


 その一言で、私はソラちゃんのさっきの表情の理由が分かった気がした。

 あの朝、ソラちゃんは言っていた。自分も、何もなかったって。でも『ドロップ』に会って変わったって。

 ソラちゃんも、同じなのかもしれない。私と。

 自分に自信を持てない私と、同じだったんだ。


「あたし、決めたよ――


 力強く私の名前を呼んだソラちゃんは、私と一歩距離を縮めると、その腕を伸ばしてずい、と私を引っ張り上げた。立たされた私は勢いを止められず、何歩か前に出てしまう。

 そんな私の肩をそっと抱いて受け止めたソラちゃんは、私を離すと両手を広げて、


「今度はあたしが、詩梳の翼になりたい。詩梳。あたしと一緒に、音楽をやってほしい。あたしは、詩梳の詞に曲を付けたい。あたしの曲に、詩梳が詞を付けて欲しい。そうやって――二人で、空を飛びたい」


 その言葉に、私の視界で何かが弾けた。

 息の仕方も忘れて、ばっ、とベンチに戻って鞄を漁り、スマホを取り出す。

 ほんの数十分前、教室の窓から手を伸ばした時と、ああ同じ衝動だなとぼんやり思う最中も身体が動き、私は。

 私は、スマホのメモの中に張り付けてあったIDとパスワードを。

 「ドロップ」のために、サイトの中に落として。


「――ソラちゃん。スマホ、見れる?」

「え、ええっ? み、見れるけど……詩梳、さっきから何を」

「お願い」

「……分かった」


 ソラちゃんは戸惑いながらもスマホを持って来てくれた。「あのサイト、開ける?『ドロップ』のページ」と言うと、何かに気づいたのか、すぐさまタップ音がぼすぼすと聞こえるくらいにスマホを操作し始めた。

 そして。


「詩梳、これ」

「……私、ソラちゃんの歌に背中を押されたんだ。熱を貰って、それで、詩が書けた。それは、私がソラちゃんを想って、ソラちゃんのために書いた詩。『ドロップ』の、新しい始まりだよ」


 ソラちゃんは私の言葉を聞き終えると小さなスマホを両手で持ち、画面に穴が開くくらいに「ドロップ」の詩を読み始めた。ソラちゃんに言わないといけないことがまだあったけど、そこに割り込むことは出来なくて。

 私はこそばゆさを覚えつつも、ソラちゃんの反応を待った。

 ……あの時の恐怖を乗り越えられたのも、ソラちゃんのおかげになったな。


「……詩梳。このタイトルって」

「そうだよ。私が、ソラちゃんに向けて書いた詩だから」


 ようやく顔を上げたソラちゃんの頬が夕日に染まっていて。

 まだ言葉になっていない衝動が、口をついて飛び出した。


「私、私も、ソラちゃんと一緒に飛びたい。ソラちゃんがくれた翼で、一緒に音楽を作る……私、本気でやりたい!」


 駆け寄って、その手を掴むやいなや、ソラちゃんがぎゅっ、と私以上の力で握り返して来た。


「詩梳……! いい、の?」

「うん! だって、私――」


 私は、ここ数日の迷いが嘘のように沸き立つ心のままに言った。


「ソラちゃんと――となら、どこまでも飛べそうな気がするから!」

「詩梳……! それは、あたしだってそうだよ! だって、こんな運命ある? お互いがそうだって知らずに、勇気を与えて、与えられて、また前に進めてってさ。ソラと『ドロップ』は、運命だよ!」


 ソラの言葉も分かるけど、運命と自分で言うのは少しこそばゆかったから。 

 私は、その代わりに同じ気持ちを忍ばせた言葉に頼った。


「じゃあ、二人のユニット名はこの詩のタイトルから取るのはどう?」


 この詩、ソラのために書いた詩のタイトルは、私とソラの運命的な出会いを想って付けたものだ。それがソラにも伝わったのだろう、私の提案に頷くと、ソラはぐいっ、と私を抱き寄せてスマホを構えた。

 突然のことに慌てる私に構わずに二人の自撮りを撮ったソラが、嬉しそうにスマホを見せて来た。


「それ、めっちゃいいよ! ソラと詩梳、二人の名前――『スカイ・ドロップ』!」


 今のは記念写真ね、と言うソラの手のひらの中。

 そこに映る私の詩のタイトル、「スカイ・ドロップ」を指さしながらソラがまくしたてた。

 私にもソラの興奮が伝わって、それで、勢い余って。


「これからよろしくね、ソラ!」


 思いっきり、抱きしめてしまって。


「……詩梳っ」


 私の腕を受け入れたソラからも、ぎゅっと抱擁が返って来て。


「あははっ」

「ふふっ」


 私たちは、宵と黄昏の混じった空に包まれながら、くるくると、めちゃくちゃなワルツを踊った。笑い声を伴奏に、交わす名前を歌にして。


 それは、一年半前から始まっていた二人の物語がようやく走り出した瞬間だった。



※※※



 真っ白なノートを見ても、もう怖くない。

 シャーペンを弄びながら腕を枕にスマホを眺める。流れているのは、「sky」の最新曲。

 バイトがあるから、と言ってソラと別れた後、私はずっとわくわくしていた。早く詩が書きたくてうずうずしていた。

 ソラとの詞とは別に、「ドロップ」として詩を書いていくことに、もうためらいはなかった。だからこうしてノートを開いて机に向かったんだけど。


「ソラ……」


 ソラのことばかり考えてしまって、つい「sky」のチャンネルを開いたのだ。

 アカシアで一緒に聞いた時はそんな暇はなかったし、ここ数日は自分のことばかりでソラのチャンネルをちゃんと見たのは初めてだった。「sky」の曲はオリジナルやカバーがたくさん並んでいて、再生数も結構ある。

 コメントもちらほらあって、「sky」の存在の大きさが眩しい。


「二人で一緒に、か」


 ソラが私に、私がソラに力を貰って前に進めた二人だから、きっと一緒ならもっと遠くまで飛んでいける。

 それを嘘にしてしまわないように、私はペンを取る。


「私はもう、何もない私じゃないんだ」


 チャットアプリの一番上に新しく作った、「スカイ・ドロップ」という名のトークルームに、私は目を細めた。



 土曜日、私はアカシアを訪れていた。


「あれ、詩梳? 最近来なかったけど、大丈夫?」

「お姉ちゃん。全然大丈夫。忙しかっただけだよ」

「……そっか」


 お姉ちゃんは一言告げると、あるティーカップを片手に戻って来た。年が離れている姉妹だから、私にとっていつもお姉ちゃんは「大人」で。

 そんな大人なお姉ちゃんに、小さいころ背伸びをして買ったプレゼントのマグカップ。

 結局それは私の不注意で割ってしまったのだけど――そんな思い出を一緒に語りながら、私の高校入学祝いで買ってくれたティーカップだ。


「ほら、紅茶淹れてきたよ」

「うん、ありがとう」


 私とお姉ちゃんを繋ぐティーカップ。その中で揺れる紅茶を眺めていると、「店長~! 来たよ!」元気な声が聞こえて来た。

 すっかり聞き馴染んだ声に緩んだ頬がカップの中に映った気がして、私はくいくい、と前髪を弄った。


「あ! 詩梳いた! おはよっ」

「ふふ、ソラ。今日も元気だね。おはよ」

「そりゃもう! 詩梳と会えたんだからね!」


 ウインクと共に告げたソラは、口の動きだけで「『ドロップ』さんともね」と加えて、私の隣の席に座った。その一部始終を眺めていたお姉ちゃんはぽかん、と口を開けていた。

 そういえばお姉ちゃん、私がソラのこと気になってるの、からかってきたよね。


「二人とも、いつの間にそんなに仲良くなったの」

「ふふふ。店長には内緒ですよ~というか、もう少しで分かりますよ!」

「……? もう少しって、この後教えてくれるってこと?」

「それも含めて秘密ってことだよ」

「――はぁ」


 私とソラ相手に余裕の態度を崩さなかったお姉ちゃんを翻弄出来て、ちょっと嬉しい。思わずソラと顔を見合わせて、くすくすと笑った。

 お姉ちゃんに隠したのは、他でもない。

 ソラのライブを認めてくれたお姉ちゃんには、ここで最初の「スカイ・ドロップ」の曲を披露して、その時に報告したいんだ。やりたいことが出来たよ、って。

 事の発端は「スカイ・ドロップ」が結成した日の深夜、ソラからのチャットだった。


『あたしたちのデビュー曲を作ろう!』


 その話の流れでお姉ちゃんに報告したいと私が提案して、今に至る。 

 今日はアカシアに集合してからソラの家に行って曲作りの予定だ。


「はい、ソラちゃんはコーヒーね」

「ありがとうございます!」

「今日はライブするの?」

「今日は別の用事があるんですよ。さっきの話と一緒に、次のライブはまた相談しますね!」

「そう。それじゃ、二人とも仲良くね」


 ひらひらと手を振るお姉ちゃんに「はーい」と返したソラと目が合う。すぐに相好を崩したソラに釣られて、私も表情が温かく綻ぶ。

 ソラに出会った日、アカシアに座っていた私はこんな時間が来ようとは想像もしていなかっただろうな。詩とまたちゃんと向き合えたというだけでも信じられないくらいなのに。


「……あたし、嬉しい。一緒に何かを追いかける相手がいるって、初めてだから」

「――私も、同じこと考えてた」

「え、ほんと? 相性最高じゃん!」


 とんっ、とソラが肩をぶつけてきた。

 その重さが、心地よかったんだ。


 

 ソラは部屋に着くなりノートパソコンを立ち上げ、クッションを二つ持ってきた。部屋の中央の丸テーブルに荷物をどしどしと置いたソラに促され、私は彼女の対面に腰かける。

 ソラの部屋は一瞬私の部屋以上にシンプルに見えたけど、それは恐らく部屋の広さに対して家具が勉強机とこのテーブル、ベッドくらいだったからだろう。

 壁際にはアコースティックベースがあるし、机の上に散乱した音楽教本やらスコア(?)やらコスメやらが存在感を放っていた。また、部屋の片隅には私には分からない機材がごちゃっと置いてあって、ちょっと楽しい。


「さ、ぼーっとしてる暇はないよ詩梳!」

 

 そう言いながらノートパソコンを開いたソラは、手に持ったワイヤレスイヤホンを私の両耳に突っ込むと、「これ、聞いてよ」と挑戦的な笑みを浮かべた。いきなりイヤホンを付けられた驚きよりも、ソラの指が耳に触れた事の方にびっくりして、平静を装いながら返事をするのがやっとだった。

 そのせいで視界にあっても意味を取れなかったパソコンの画面。ソラの操作するマウスのクリック音を聞いている内に落ち着いて来て、パソコンの画面にピンとが合ったのは「スカイ・ドロップ、1」と名付けられたファイルにカーソルが移動するところだった。


「もしかして、作ったの?」

「昨日、アイデアが止まらなくて……アカシアに居る時から、早く聞いて欲しくてうずうずしてたんだから」

「そうだったんだ!? す、すごい……あ、ちょっと待って」


 考えることは同じなんだな、と思って私はキーを押そうとするソラの手を制し、鞄からノートを取り出した。


「実は私も、書いてきたんだ、詩。あ、曲の歌詞じゃないけど……ソラの刺激になればと思って」

「えー! ほんと!? 『ドロップ』さんの新作!?」

「ま、まあそうだよ。後で投稿しようかなって、思ってたし」

「――それほんと!? え、めっちゃ嬉しい!! 詩梳、すごいよ!!」

「ちょ、ちょっとソラ……! これじゃ聞けないし読めないでしょ……っ」


 私の報告に舞い上がったソラが背中から飛びついて来てわいわいとはしゃぐ。密着しているとソラの気持ちが伝わって来て、それにソラにこんなに喜んでもらえるなんて思ってなかったから余計に嬉しい。

 ――届いてるんだ。私の言葉。


「じゃあ、あたしは読んでるから、詩梳は聞いててよ」

「そうだね。う、なんか、緊張する……」

「ちょっと、それ言われたらなんかこっちも緊張してきたんだけど! あたしも……作ったばっかで全然メロディだけだし、こんな風にすぐ聞いてもらうことあんまないからっ」


 まして今は向かい合って座っているから、形容しがたい感覚だった。

 まるで、ラブレターを目の前で読んでもらっ――


「……っ!! ソラ、こういうのは勢いだよ!」

「おっ、詩梳やる気だねぇ。じゃああたしも勢いで!」


 私は自分が思い浮かべた言葉をぶんぶんと頭を横に振って追い出しながら、ソラの曲を再生した。

 いよいよ始まるんだ、二人の歌が。

 「スカイ・ドロップ」が――!



※※※



 放課後が待ち遠しい感覚が懐かしい。

 授業中もずっとソラと作っている曲のことを考えていた。お互いの成果を見せあった日から2週間。ほとんど毎日、私はソラの家に通っていた。

 アカシアがソラの家になったくらいの距離感だったことも幸いして、曲作りのあと駅に向かう私についてきたソラと二人で、アカシアに行く日もあった。作曲に関しては、てんで役に立てないかと思っていたけど、「ここの音どう?」とか「このフレーズのイメージ教えて!」とか、「今の二つ、詩梳はどっちが好み?」とか。

 私の感覚でしか答えられないけれど、相談相手が居るのはソラにとってはプラスに働いているようだった。歌詞の方は同時進行で作るのが難しかったから、アイデア収集のため色んな曲を聞いたり、詩を書いたり、ソラと話したりしながらイメージを固めていった。

 そんな日々ももうすぐ終わる――作曲が、大詰めなのだ。


「おーい、詩梳~」


 「スカイ・ドロップ」の曲について考えていると、友だちの呼ぶ声がした。


「……ん? あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」

「また? ちょっと心配――」


 この子には最近、色々心配をかけちゃってるな、と申し訳なく思っていると不自然な所で言葉が切れた。ちら、と彼女を見やるとなにやら腕を組んで唸っている。


「……してたけど、最近の詩梳、すっごい良い表情で笑うよね」

「えっ」


 やっと続きを口にしたかと思うと突然褒めてきて、私は覚えず口元を手でなぞりながら首を傾げた。


「そ、そうかなっ?」

「そうだよ。一年の頃からの付き合いだし分かるよ。詩梳ってもっと、お淑やか系だったけど。最近は、なんかこう……明るい?」

「え、前が暗かったってこと……?」

「ごめんごめん、違くてさぁ、なんか、うーん……あ! キラキラしてる、感じ?」


 そう指摘されて、はっとする。

 この子には、まだ何も伝えられていないじゃないか。私のことを気にかけてくれていて、ちゃんと見てくれていたこの子に。

 ……ここ最近は自分のことばかりだったな。


「あの、さ。実は、そのキラキラ、心当たりがあって」

「え! ウソ!! なになに、やっぱ良い事あった!?」

「うん。私ね、今友だちと曲を作っていて。私さ、昔から詩を書くのが好きで、えっと、だから。あの――曲! 出来たら、聞きに来て!」


 気を抜くとああだこうだと自分語りに進んでしまいそうで、私は急いで舵を切った。切ったはいいけどその先を考えてなくて、咄嗟に聞きに来て、と口が動いた。

 まだ具体的なことをほとんど言っていないのに誘う、脈絡がない私の言葉に、けれど。


「詩梳!! そうならそうと早く言ってよぉ! もう絶対行くから! え、何、詩梳が歌うの? 曲ってもしかしてライブハウス!? というかなに、その友だちってひょっとして前校門に来てた子!?」

「え、あ、ちょっ……」


 彼女は食いつくように反応してくれた。

 思えば、一年生の頃同じクラスになってからの付き合いだけど私から自分のことを話す機会って、あまりなかったな。入学してすぐの頃に「ドロップ」のことがあったから、彼女が言う通りその時期の私はよく言えばお淑やか、隠さず言えば意気消沈してたから。


「順番に説明す――」


 立ったままだった彼女は気づけば隣に腰かけていて、身を乗り出して私の話に耳を傾けてくれている。

 その姿を見て、私は一番最初に言うべき言葉は説明じゃないと分かった。


「……最近、色々心配かけてごめんね」


 私の声に彼女は静かに息を吐いて。


「ほんっと、心配かけすぎだぞ詩梳」


 からからと、出会ったばかりの頃を思い出させる笑顔を浮かべたのだった。



※※※



 その時が、近づいていた。


「ソラ、大丈夫?」

「う、うん。アカシアで歌う時はあんまり緊張しなかったんだけど、今日はなんかめっちゃどきどきする……」

「私もいるから、ソラなら大丈夫だよ」

「――詩梳」

 

 土曜日の正午前、私はソラの部屋にいた。

 午後2時にいつものソラのライブをやると、お姉ちゃんには事前に言ってある。あの子にはその時間にアカシアに来てほしいと伝えた。

 あとは時間が来るのを待つだけ。


「……詩梳はさ。将来の自分のこと、考えたことある?」

「ソラ?」

「『スカイ・ドロップ』の最初の曲を作ってて思った。これからもあたしは、詩梳の書いた詞の曲を作りたいって。詩梳と一緒にって」


 ベッドに腰かけたソラが、床に座る私を手招きながら言った。

 ソラの隣に来ると、ふわりとソラの家の柔軟剤の香りが舞った。ソラと居るとこの部屋を想うし、この部屋に入るとソラを想うようになってしまった――それくらい、私に深く結びついたにおい。


「……私も、思ったよ。これからもソラに私の詞を歌って欲しいって」

「詩梳も!? そっか、そっか……」


 前髪を指で梳きながら、俯きがちに何度も「そっか」と繰り返すソラを見ていて思う。ソラは私以上に、具体的な「将来」を問う言葉に晒されているんだ。大学生だし、数年後には就職活動もあって。

 「スカイ・ドロップ」に没頭したぶんだけ、その問いが大きくなって返って来るんだ――将来に役立つのか、意味はあるのか、って。

 だったら、私は。


「ねえソラ。私は、この先もっと楽しかったり、最高だって思えたり。逆に喧嘩したり、解散のピンチとかになったりすることもあるかもしれないけど、それでも……っ。私は、ソラがくれたこの翼でどこまで飛べるのか見たい。その気持ちは、本気だよ」

「……本気って?」


 顔を上げたソラに、私は告げる。

 詩は、私が私でいるための言葉だったから。


「それは――」




 土曜日の昼過ぎのアカシアは数人のお客さんがいた。


「しずく~~~」


 その中にあの子もいて、小さな声と共に手を振って来てくれていた。


「ソラちゃん、なんか今日はやけに気合入ってるね」

「あ、は、はいっ! そ、そりゃだって、店長に伝えることもあるしっ。ね、詩梳!」

「あ、う、うん。そうだねっ」

「……? まあいいけど。すみませーん」


 お姉ちゃんは不思議そうな顔をしつつも、店内に居たお客さんに、音楽をやってる常連の大学生がいて、その子がちょっとしたライブをすることを伝えてくれた。「なになに?」「ライブだって」「あの子かな」と、お客さんたちの話す声が聞こえてくる。


「……ソラ」

「詩梳。うん、もう大丈夫だから。聞いてて。一番近くで、あたしたちの始まりの歌を」

「――うん」


 ソラがすっ、と差し出して来た指に私も自分の指を絡め、指切りをするみたいに何度か軽く振ってから離す。指先からも、緊張よりも跳ねるような楽しさが伝わって来た。

 むしろ私の方が緊張してしまいそうになるな、と息を落ち着かせていると、


「こんにちは。あたしは『ソラ』です。こっちの子が、『ドロップ』。二人で音楽やってます。今日はあたしたち、『スカイ・ドロップ』のデビュー曲を披露するので、良かったら聞いていってください!」


 私を見て首を縦に振るソラ。合図だ。

 私はスピーカーに繋いだスマホの中、あたしたちの最初の曲――「始まりの空」の再生ボタンを。

 

「――っ」


 タップした。



※※※



 いつかを願って言葉を紡いだ、その道行の中で。


「ねえ詩梳! 今度さ、気分転換に遊びに行こうよ。大学の近くに美味しいパスタ屋があってさぁ」


 この空に浮かぶのはたった一つの小さな星だと知った夜。


「あははっ、ソラ、そんな理由で髪染めたの?」

「だ、だってぇ」


 ここじゃない場所で、その星を仰いだ光があった。


「ねえ、ソラと一緒の大学にしたらさ。一緒に通えるかな」

「うーん、2年くらいは通えると思うけど……進路は、ちゃんと決めなよ?」

「――だよね。分かってる」


 あの日が僕を、言葉を縛って、地図のない寄り道をした。


「詩梳ってこういう映画好きなの?」

「うん。見終わった後に色々考えるの楽しくない?」

「確かに。じゃあ次はあたしの好きなやつにしよ」

「――え、これホラー!? ソラ、ホラーはやめてっ」


 手放せない願いが重くて、立ち止まったりして。


「詩梳~、家では店長、どんな感じなの?」

「家でのお姉ちゃん? うーん……マイペースで頼りなさそうに見えるけど、歳の離れた妹が居るからって、実は色々考えててくれて、責任感が強くて、それからあとは――」

「……詩梳、店長のことめっちゃ好きじゃん」


 「今度は私の番」、なんて、君が言うから。


「へえ、これがサークルの友だちなんだ」

「そそ。まあもうサークルの方は抜けてるけど」

「……ふーん、そうなんだ」

「ふふ、詩梳? 嫉妬?」

「ちち、違うよっ!?」


 ほら、ほら、ねえ見てよ、遠い空を。


「詩梳、今日の空めっちゃ綺麗だよ」

「ほんとだ。なんか幻想的……」


 雨の雫が落ちてゆく。あの遠い空の向こうを。


「ソラ、昨日の夜送って来たのって……」

「――そ! 詩梳と遊びに行ったらめっちゃアイデア浮かんできて! 曲、あれでほぼ完成形!」


 始まりの、空を。


「……出来たね、あたしたちの曲」

「うん。私とソラの、始まりの曲だね」



※※※



 ぽつぽつと、最初はまばらだった拍手が一気に強くなって、小さなカフェの片隅のライブは大盛況のうちに終わった。お姉ちゃんに「スカイ・ドロップ」のことを伝えると、「やりたいことが出来たんだね」と頭を撫でられた。

 こそばゆかったけど、それ以上に、嬉しかった。


「詩梳!! この曲、詩梳が作ったの!?」

「あ、えっと、私は歌詞だけなんだけど……」

「そんなことないでしょ~、ちゃんとあたしの相談にも乗ってくれたじゃん! 二人で作った曲でしょ」


 聞きに来てくれたあの子も曲が終わるやすっ飛んできてはしゃいでいる。

 ソラとは一度会ったことがあり、すっかり打ち解けているのは、ちょっと、気になったけど。


「決めた。私、『スカイ・ドロップ』のファンになる。第一号だから、よろしくね二人とも」


 あの子は私とソラにそう告げると、「部活抜けて来ちゃったんだよぉ」と言って急いでカフェを後にした。ありがとう、聞きに来てくれて……部活、ごめん……週明け、デザートを奢ろう……。

 それから、たまたま居合わせたお客さんたちもちゃんと聞いてくれていたみたいで、


「めっちゃ良かったです! わたしもファンになります!」


 と言ってくれた子もいた。


「デビューとしては申し分なかったんじゃない?」

「……だね」


 後片付けをしながら呟くソラに、私は付け加える。「最高のライブだったよ」と。

 すると、ソラは持っていたスピーカーをおもむろにテーブルに置くと、じたばたとその場で足踏みを始めた。


「え、そ、ソラ?」

「う~~~、あ~~、もうっ! 好き、詩梳っ」

「……え!?」


 ソラは急に叫ぶと、私をぎゅっと抱きしめて来た。ライブの後感極まって、溢れ出る感情の行き場を探していたようだ。


「もうっ、急にびっくりするじゃん」

「ごめん。でも、なんか、もうわーっ! ってなっちゃって……ライブの後こんなに気持ちが溢れてきたの、初めてかも」


 私の耳元でそう囁いたソラに返す言葉がすぐに見つからなくて、「えっと」と口ごもる私に、ソラは。


「今朝、詩梳言ったよね?」



『本気だよ、私。だって私、これからもずっとソラの傍にいたいから』



 私の言葉を繰り返して。


「約束だよ?」

「~~っ!」


 その呟きと共に、ぱっと私を離すと「さて、これもしまっちゃわないとね~」と普段通りを装っていたソラだけど。その声は上ずっていたし、何より耳が真っ赤で。

 恥ずかしいならやるなよぉ、と私も熱くなった耳を摘みながら。


「約束だよ――ソラ」


 私はソラの背中に、そう零したのだった。






  ――過行く季節の中。


 ここで、秋風に揺られる、アカシアのうたが響き。


 ここから、「スカイ・ドロップ」のうたが始まる。


                     ......End,

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秋風に揺られる、アカシアのうた 音愛トオル @ayf0114

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