最終章 帰りましょ

日暮れの蘇鴉寺。

西の山を越えた陽が障子を透かし、畳の上に淡い金の影を落としている。

潮の香りを含んだ風が、本堂の奥までそっと流れ込み、

線香の煙が光をまといながら、まっすぐ空へと伸びていった。


本堂の中央には、白い棺が置かれている。

その中で佐一は穏やかに眠っていた。

頬を照らす灯が、まるで微笑みのようにやさしかった。


レコードが、ひとりでに回っている。


 チリ……チリ……

 ♪ 夕焼け小焼けで 日がくれて

 ♪ 山のお寺の 鐘がなる……


音がかすれ、針が震える。

ざざ……ざざざ……


 ♪ ……かえりましょ……かえりましょ……


緑は、白い服のまま、棺のそばへ歩み寄った。

足音はほとんど響かない。

まるで、記憶の奥から戻ってきたように静かだった。


彼女はゆっくりと膝をつき、棺の縁に手をそえる。

木の冷たさが指に伝わり、胸の奥がきゅっと締めつけられる。


頬を伝う涙が、一粒だけこぼれた。

光に触れて、かすかにきらめく。


緑は、眠る佐一の顔を見つめた。

その瞳の奥には、悲しみとやさしさが入り混じっていた。

微笑もうとした唇が、かすかに震える。


そして、そっと棺の上に、

白い花びらの間に黒いカラスのぬいぐるみを置いた。

それはまるで約束のしるしのようだった。


涙を浮かべた瞳で、静かに言った。


「……おじいちゃん。」

「“緑の言葉”って、知ってる?」


レコードの針が止まる。


――完。

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緑の言葉 niHONno @niHONno

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