ドライブ
みにぱぷる
ドライブ
「危ない危ない」
彼はわざとらしくそう言って、額の汗を拭った。
「今度からはもっと慎重に運転してくれ」
無粋な彼と対照的に、私は緊張した面持ちのままゆっくりと言葉を紡ぐ。悪い悪いと屈託なく笑いまたスピードを出し始める彼に対して、私はすぐにでも運転をかわりたい気分だった。いや、あの後でなければすぐに運転をかわっていただろう。
彼とは学生時代からの付き合いで、彼は私の数少ない友人である。大学での付き合いがなく、ずっと家で筆を握り、大学の講義でも筆を握っていた私からすれば親友、いやそれ以上の存在かもしれない。
そんな彼が私をドライブに誘ったのは、私が仕事に行き詰まり、担当編集者と喧嘩をしてしまったことを知ってのことなのかはわからない。だが、ストレスの溜まっていた私は二つ返事で彼の誘いを受けた。
彼は根っからのドライブ好きで、私が学生時代、彼と出会った時から彼はよくドライブに出掛けていたように思う。そういえば、私が運転免許を取ったのも、確か彼に強く勧められたから、とは思うのだが、鮮明に思い出すことはできない。
医者として成功して以降も、彼はドライブを続けていたようではあったのだが、誘われたのは、社会人となってからはこれが初めてだ。
北海道の*山周りを走るのが彼のイチオシで、舗装はされているとはいえ、夜中の山道を走るというのは得体の知れない不気味さがあって、最初こそ私は少し抵抗があったのだが、いざ車に乗ると怖さなどは案外忘れてしまえるものである。
大学を出て以降、運転はさっぱりしなくなっていた私は実に十年以上を隔てた久々のドライブで、様々な負担を全て忘れてハンドルを握っていた。道中で、カラスを跳ねるまでは。
「そんな俺の運転が不安なら、お前がすればいいだろ」
彼はガムをくちゃくちゃと噛みながら、不服げに言う。彼の腹はこの前あった時よりもより一層突き出たように感じる。医者というのはよっぽど儲かるのだろうか。
「もうごめんだよ」
私は嫌な情景を思い出さないように激しく首を振る。
飛び立とうとするカラスの羽音、慌ててブレーキを踏もうとして震える私の足、衝突を示す鈍い音、弾けるように散る漆黒の羽。
ガァアアァアガァ。
「カラスの一匹、二匹、気にしてたらキリがないだろ」
そうは言われても、あの生々しい感覚は忘れることができない。
「まあでも、あんな無茶な走りしてたら、鹿や狐を轢くとこだったよ。そうならなかっただけマシだよ、マシ」
カラスでも鹿でも狐でも、嫌な感覚がするのは一緒だ。
「もう終わったことだし、気にするのはやめるよ」
と返事しながらも、また動物を轢いてしまわないか、私は不安で仕方がない。
「ここから先、さらに山奥に入る。どんどん鹿が横切るようになるはずだ。俺の腕の見せ所だな」
この調子で毎週ドライブをしているのだと想像して私は身震いする。まだ一匹も轢いていないのが不思議だ。
「仕事で苦労してたんだろ。今日は全部忘れて、夜道を走った方がお前のためだ」
彼はそう言って片手で助手席に座る私の肩を叩き、もう片方の手でスマートフォンをいじり音楽をかけだすのだから、私は恐ろしくて仕方がない。こんな男が医者をしているのは全く持って不満だが、彼の腕はよく、非常に評判が良いようで、人の奥の知れなさを実感する。
ガァアアァアガァ。
車は山道を抜けた。道脇にポツポツと田畑や小さな民家が見える。カーナビによると、またすぐ山道に入るらしい。無論、それは彼がカーナビ通りに進んだ時の話であるが。
「お化けが出そうだな」
彼はそう言って笑い、音楽を止めた。車内が無音になり、虫の鳴き声や、車が風を切る音がうっすらと聞こえてくる。
「職業柄、俺はそんなもの信じちゃいないが」
緩やかなカーブに差し掛かり、脇に泥で汚れた標識が見えてくる。
ガァアアァアガァ。
「幽霊なんていたら、俺の仕事が減っちまう」
トンネルが見えてきた。このトンネルを抜けるとまた山道に入る、とカーナビが示す。ヘッドライトが照らす先に不意に「何か」が現れるんじゃないかと嫌な想像が止まらない。
「お前は幽霊がいた方が仕事が捗るんじゃないか」
トンネルの中は思っていたよりも明るく、想像していたような真っ暗で、壁に真っ赤な殴り書きがあり、不気味な声が反響している、そんな様相ではなかった。
「どうしたーさっきから返事がないぞ。酔ったのか」
彼に呼びかけられ、私は漸く嫌な想像を描き巡らせるのをやめた。
「気味の悪い道だ」
正直にそう呟くと彼はにやりとして
「ここの村はほとんど廃村だそうだ」
とおどろおどろしく言ってくるので、私は
「馬鹿馬鹿しい」
と会話を断ち切った。
ガァアアァアガァ。
「音楽をかけてくれ、気分が上がらない」
脇にまさに廃墟といった様子の小屋が見えてきて、私はさらに顔を顰めた。彼も流石に私の苛立ちを察したようで、ハンドルに置いていた手を離し、膝の上に雑然と置かれたスマートフォンを操作し始めた。
私も私で、彼に運転してもらっているのにも関わらず不機嫌な態度を取ってしまい、何とも申し訳なくなって、肩を窄めた。
せっかくのドライブなのだからもう少し気を楽にするべきだ。そう思い私は、一度目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。
不意に、どんっという鈍い音がして、一瞬目の前に現れた人影のような物が弾け、数メートル先に落下した。
「何、何だ、鹿か」
彼は驚いてスマホを取り落とし、ブレーキを踏む。車は急停止し、果たして、ヘッドライトが照らしたのは男の体だった。
「やってしまった」
彼は車から飛び出して、男の方に駆け寄った。私は絶望感と、そしてさっきのカラスの記憶のフラッシュバックとで車の中から動けずにいた。彼は脈を確認して、そして力なく首を横に振った。
「どうする」
彼は車まで戻ってきて私に問う。私はまだ何も言えずただ、目の前に横たわる男の体…いや、男の死体を見つめる。うつ伏せに倒れているため顔はよく見えないが、気味が悪いほどに痩せこけた体を覆って余りあるジャケットは血に染まっている。
「警察に連絡を」
私は虚なまま、頭に浮かんだ言葉を一音ずつ発した。
「さっき、あのジャケットを確認したが財布やスマホは入ってなかった。身元はわからない」
彼は新品のジーパンからタバコを取り出して、蒸した。私は彼の言わんとするところがわからず、返事に臆する。
ガァアアァアガァ。
「放置して引き上げないか。ここら辺には防犯カメラもないし人手もない。バレないだろう」
轢き逃げ。彼が言いたいのはそういうことなのだろうか。到底正気の沙汰ではない。
「そもそも向こうが避けなかったのは悪いだろ」
強気なことを言う彼だが、表情は苦虫を噛み潰したようで、心の迷いが見られる。
ガァアアァアガァ。
ガァアアァアガァ。
ガァアアァアガァ。
急にあのカラスの記憶がフラッシュバックした。
フラッシュバックというよりも、もっと生々しく、全身の全神経がいっぺんに思い出して、その当時の様子を再現しているかのような、そんな感覚に囚われる。脳の奥が悲鳴を上げ始め、私は激しい頭痛に頭を抑えた。おぼつかない足取りで車を離れた体はそのままよたよたとその場に崩れる。私は両手で頭を抑え、両目を固く瞑りながら、狂ったように叫んだ。
ガァアアァアガァ。
少し時間が経って徐々に痛みが引いていく。
「大丈夫か」
私を心配する彼の声が聞こえ始め、段々と意識が正常へと向かっていく。
「すまない、取り乱して」
私はぼそりと呟いて、目を瞑ったまま彼の体に支えられながら立ち上がった。ふと、その時、妙な感じがして、彼の腕がやけに細いように感じて、私は目を開けた。
呆気に取られるという言葉を作家という職業柄、幾度使ってきたかはわからないが、まさにその言葉の通り、私は呆気に取られた。
彼の全身はそこにあった。どうにもはっきりしない表現であるが、これは「あった」と説明するのが妥当であるのだ。目を丸くして恐怖に表情を歪める私を不思議そうに見つめる彼の顔には何ら変わりはなかったのだが、明らかに彼の体には異変が生じていた。
彼の首より下は別の人間の体になっていた。
サイズの違う画用紙をくっつけたような、不整合な首の継ぎ目。そして見慣れた彼の肥えた体とは違う痩せこけた体(あぁ、これは多分、さっき彼が轢いてしまったあの男の)。起こっていることをまだ把握できていない彼の虚な表情までも気味悪く見える。
どうなるのだ。
現実逃避からなのか、不意に今この場でのことより、今後、この先のことが気になってくる。彼は今後、この呪われた体のまま生きていくのだろうか。自分の体を見た時、全てに気付いた時、彼はどのような反応をするだろうか。叫び狂うのだろうか。それとも冷静に分析して修復を試みるのだろうか。
もしかしたらこれはある種の制裁なのかもしれない。命を脅かした者への、永遠に残る仕打ち。罪悪感を背負って生きるだけでは生ぬるいという、神からの罰。いや、そもそも罪悪感自体がこれのことかもしれない。
想像を膨らませるのを一度やめ、私は彼を改めて見つめた。
徐々に現実に気づいてか、彼の表情も恐怖に歪んでいく。
その時、私は唐突に、妙な感覚に襲われた。
そして、カラスを轢いたことをぼんやり思い出し、自分の視点が格段に低くなっていることに今更気づき、思考の奥底で蠢く黒いものを封じ込めるように目を閉じた。
ガァアアァアガァ。
ドライブ みにぱぷる @mistery-ramune
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