余命預金
閒中
余命預金
「残念ですが…。」と医者が俺に宣告する。
あと三ヶ月で俺は死ぬ、と。
「ところで、余命預金は何年くらいですか?」
当たり前のように医者に問いかけられるが、俺は今や殆どの国民が積み立てている『余命預金』をして来なかった為、預金は0だ。
命は金で買える時代になった。
『余命』を積み立てておけば、いざという時に使うことができる。
余命預金とは、ざっとこんな感じだ。
・毎月決まった金額を払い、余命を積み立てる
・余命宣告された人のみ使用可能
・余命は支払額に応じて最大30年まで延長可能
・死んだら余命預金は使えない
・親の余命を子ども用に変更することもできる
・余命は延びても病気や怪我はそのまま残る
・余命は延びても肉体は年相応に衰えていく
高齢者は今更寿命が延びても…と、預金しない人もいるが、若者〜60代くらいまでの預金率はなんと80%以上だ。
52歳の俺の周りも、当然のように余命預金をしている。
俺はして来なかった。
使うか使わないか分からないそんなあやふやなものに毎月金を払うなら、今の楽しみである酒とタバコや趣味に溶かしたいと思っていたからだ。
嗚呼畜生。後悔してももう遅い。
預金していれば俺は80歳まで生き延びられた。
嗚呼畜生。昔の俺の馬鹿野郎。
その時ふと、最近話題の『余命強盗』という言葉が頭をよぎった。
俺のように預金して来なかった奴、誰かに頼まれた奴、余命の取り引きをしている裏世界の奴。
そんな奴らが家に押し入り、人々を脅して自分の余命を差し出させるのだ。
命が惜しければ、命を寄越せ、と。
あと三ヶ月以内で手っ取り早く余命が手に入る方法は、これしかない。
しかし勿論リスクも大きい。
押し入った家の住人の余命預金がどれくらいあるのか分からない。
強盗なんてしたことのない俺が、単独で上手く立ち回り、余命預金を手に入れられるか分からない。
警察に捕まったら、それこそ一巻の終わりだ。
余命強盗をするかしないか。
どうするべきか悩んでいた俺だったが、唐突に唯一の身内で別居中の嫁の顔が頭に浮かんだ。
なんだ、もっと簡単な方法があるじゃないか。
嫁の、余命が欲しい。
嫁は俺と違ってちゃんと余命預金をしていた。
結婚したときから積み立てていたから、きっちり余命は30年分ある筈。
気の弱い女だ。包丁を見せつければすぐに余命を差し出すに違いない。
夫婦はお互い助け合い。そうだろう?
俺はすぐさま包丁を持ち出し、嫁の元へ向かった。
久しぶり、元気だったか?
あの時は俺が悪かった。
今は酒もタバコもギャンブルも、全部辞めたよ。
ところでちょっと教えて欲しいことがあるんだけどさ。良いかな?
俺も今更だけど余命預金始めようと思ってさ、俺、人付き合い下手だし、聞けるような知り合いもいなくて。
どうやるか分からないからお前の余命通帳を見せてくれないかな?
ここで包丁を見せて脅せば良し、と頭の中で何度もシュミレーションを繰り返す。
嫁がいるマンションの部屋のドアの前。
俺は深呼吸して、インターフォンを力強く押す。
………。
………。
出ない。
もう一度押す。
………。
………。
出ない。留守か、畜生。
諦めきれずに最後にもう一度だけ押す。
………。
ガチャッ。
ドアが静かに開いた。
隙間から久し振りに見る嫁が恐る恐る顔を出す。
顔色が悪い。
「ひっ久しぶりっ、元気だったか?」
留守だと思ってた俺は驚いて声が裏返ってしまった。
慌てて背中に隠してある包丁に手を伸ばしたが──俺は動きを止めた。
何故って?
嫁の後ろから、ナイフを持った男の手が、ゆっくりと出て来たからだ。
「てめぇ、旦那か。お前も中入れ。」
──えっ、誰?
頭が真っ白になった俺の服を無理矢理掴んで、ナイフを持った男は俺を部屋に引き摺り込む。
「な、夏生。これって…。」
「勝手に喋るんじゃねぇよ、おっさん。」
ナイフ男が俺の喉元に切先を向ける。
これって、まさか、もしかして。
「命が惜しけりゃ、命を寄越せ。」
嗚呼、やっぱり。
俺は頭を抱える。──余命強盗だ。
先を越された。
俺の頭の中は予想外の展開に対する混乱と焦りでパニックを引き起こしていた。
嫁の余命はもう渡してしまったのだろうか。
あと三ヶ月で死ぬのに、俺は此処で殺されるのだろうか。
いや、嫁の余命は俺の物だ。誰にも渡すものか。
俺の物だ俺の物だ俺の物だ。
「誰が渡すかクソ野郎!」
俺は背中に隠してある包丁を余命強盗に向けた。
まさか俺が包丁を持っているとは思わなかった余命強盗は一瞬怯んだが、それでも退かない。
お互いが、命の為に命を懸けて戦い始めた。
睨み合い、刃物をぶつけ合い、殴り合う。
嫁が呼んだ警察が駆けつけた時には、部屋の中は家具が壊れ、物が散乱し、血が床や壁に撒き散らされている酷い惨状だった。
俺と余命強盗は警察に敢えなく捕まり、手錠を掛けられた。
ガチャンと俺の手首に嵌められた手錠の金属音がやけに遠く聞こえた。
俺は死ぬのか。余命が手に入らなかった。
こんな事なら、初めから余命預金をしておけば良かった。
こんな事なら、本当のことを話して嫁に頭を下げ、今までのことを謝れば良かった。
俺にはもう、ぼんやりとパトカーの中から外の景色を眺めることしか出来なかった。
夫が捕まった。
インターフォンの画面越しに夫が見えた時には驚いたけど、余命強盗にナイフを突き付けられた私はドアを開けるしかなかった。
あとから警察から聞いた話だと、夫は余命三ヶ月で、余命預金をしていなかった為に私を包丁で脅して、余命を奪い取るつもりだったらしい。
余命強盗が来なくても、結局は夫に私の余命を持って行かれるところだったのか。
下手したら夫に殺されていたかもしれない。
私はゾッとしてその場にへたり込んだ。
そしてテーブルの上にある自分の余命預金の通帳と、その隣にある───夫の余命預金の通帳を見た。
結婚当初から私は、何もしない夫の代わりに夫名義の余命預金もしていたのだ。
夫婦はお互い助け合い。何かあった時のために、と。
満額を迎えたので、余命30年分はある。
包丁で奪い取るのではなく、頭を下げて今までのことを謝ってくれれば、素直に渡したのに。
最期までダメな男だったね。
私は電話をかけた。
「もしもし、すいません。夫の余命預金を解約したいのですが…。
はい…もう必要無くなったので。」
〈終〉
余命預金 閒中 @_manaka_
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