視聴者数-1人
海野しぃる
シー・ノー・イーヴル
今日は深夜1時58分に配信予定だ。
親は寝ている。近所は静か。机の上にノートPC、安物のコンデンサマイク、100均のリングライト。壁には量販店の花柄クロス。女子高生の「配信部屋」にしては地味すぎるけれど、それが良いという層も居る筈だ。
「どうも〜ひなたです〜。今日も雑談と、ちょっとだけ怖いやつ朗読して終わろうかなと。えー現在の視聴者数は……ゼロ! 安定のゼロ!」
だからきっと、いつか人気が出ると信じて、毎週金曜の夜にはこうして配信を続けている。
「今日はねぇ~動画投稿サイトと小説投稿サイトを巡って良いのを見つけてきたから、作者さんにお願いして動画の紹介と小説の朗読をさせてもらいますよ~。アーカイブで見る人も居るだろうから、配信終わった後に情報欄にURL載せとくね」
自分でも笑ってしまうくらい滑稽だ。誰に対して愛嬌を振りまいているのだ。
コメント欄は当然流れない。右上の「0」がじっとしているだけだ。
日向はスマホを置き、原稿にしているノートを開く。この時間にやるのは、学校の友だちに見られたくないからだ。アカウント名も「ひなこ」で、顔もほぼ出さない。出せば誰かがJKを見に来てくれるんだろうか。
「じゃ、先週の続き……カクヨムの『#あれは鹿ですよ』の後編からですね」
「明らかに知性を持ってるとしか思えない奇妙な動きをするエゾシカの群れと彼らとともに行動する少女、主人公はその少女と偶然話をしてしまって……というところからの続きでした。それでは始まり始まり~」
読み終える。今日も視聴者はいない。
「――おしまい」
私が無を相手に朗読した後、画面右上の数字が、ふっと変わった。
−1
「……」
私は目を疑った。
普通、0が1になって、2になって、という風に増える。
マイナスというのは見たことがない。
「ちょっと待ってね」
彼女はブラウザの画面を更新した。
だが数字はそのまま「−1」。
配信画面のシステムメッセージにも、たしかに「現在視聴者:−1」と出ている。
「えーっと……誰もいないのに、マイナスって出ることあるの? ……あるのかな?」
笑いに変えようとして、声が少し上ずった。
そのとき、コメント欄に細いグレーの行が1本、すうっと入った。
『そっちに行けた』
「……え?」
ユーザー名がない。
通常のコメントと違って、アイコンもタイムスタンプもない。管理者ツールで選択もできない。
続けてもうひとつ。
『音だけは届くっぽい?』
ぞわっと腕に鳥肌が立った。
音――私には聞こえない。もしかして、と思って、自分の配信を自分で聞いた。
――しゃべる自分の声の、もっと奥で、かすかに、息を吸っている音がした。
遅延でも、家族でもない。たしかに「誰かが聞いてるときの、遠いマイクの吸気音」だ。
「……えーと、もし、もし人だったらコメントください。バグだったら今わたしすごい恥ずかしいことしてるからやめてください」
何も返ってこない。
右上の数字だけが、じっと「−1」を示している。
◇
次の週も、私は配信した。
先週のアーカイブは普通に残っていた。再生数は1。たぶん自分が確認したぶん。コメントは表示されていない。あの二つのコメントはログに残っていなかった。
私の気の所為だったのかもしれない。
「どうも〜ひなたです。今日も視聴者ゼロからスタートで〜す」
と言った瞬間、数字が「−2」になった。
「増えたじゃん。いや減ったのかな?」
笑いに変えると、コメント欄(の外側)にまたあの色の薄い行が挟まった。
『そこ暗くない?』
日向は反射的に背後を振り向いた。
自分の部屋。ドア、クローゼット、カーテン。リングライトの光がカメラに映り込んでいるだけだ。
「暗くないよ。ライト焚いてるし……って、これ誰が打ってるの」
さらにもう1行。
『手ふった?』
間違いない視聴者だ。
見てくれている、私の配信を。
「……ふってないよ? 今から振るね」
おどけてカメラに手を振る。
その瞬間、視聴者数が「−3」になった。
『見えた』
『今どの部屋?』
日向はようやく、彼ら(と呼んでいいのかわからないもの)が「画面の中」ではなく「画面の向こう側」から覗き込んでいる形でつながっているのだと理解した。
彼らにとっては、こちらが“どの部屋”なのかが重要なのだ。
「えーと、普通に自室です。実家です。深夜にしゃべってるバカなJKです」
『そっちは夜?』
「夜だよ。こっちは夜しか配信できないの。学校あるし」
『学校ってなに?』
「えっ?」
学校を知らないなんて話はないだろう。
ちょっと不気味だ。配信でトラブルに巻き込まれるなんてよく聞くし、やめておいたほうがいいかな。
『消さないで』
『お話聞かせて』
日向は思わずマウスを握り直した。
このまま切ったらどうなる? と考えた瞬間、配信管理画面に小さく赤い注意が出た。
※接続が不安定な視聴者がいます。終了すると視聴ができなくなります。
「……なにそれ。そんな表示でる? うちのプランで出る?」
出ないはずだった。
その夜は結局、いつもより長く雑談した。
終わるとき、数字は「−1」まで戻った。戻るのか、と思った。
◇
月曜。学校。
教室に入ると、同じクラスの未羽が机を寄せてきた。未羽は同じSNSにアカウントを持っているが、私の配信は1回だけ見たことがある程度だ。
「ねえ、金曜のやつ、まだやってたでしょ」
「え、見た?」
「最初の10分くらい。コメントしようと思ったら、なんかおかしくて」
「おかしいって?」
「だってさ、ひなたの後ろ、誰か通ってなかった? 灰色っぽいの。あれエフェクト?」
私は何のことかわからなかった。
家には親しかいない。夜中に通るはずがない。
帰宅してからアーカイブを確認したが、やはり何も映っていない。ただの自分の部屋だ。
(向こうからは見えてたってこと?)
未羽に「アーカイブ見返しても映ってなかった」とLINEしても、「え、うそ。ちょっとだけ巻き戻したら見えたけど……」と返ってきた。
私と未羽が見ているものは……違う?
◇
3週目の金曜。
日向は、さすがに今日はやめておこうかと思った。
でも、管理画面に予約していた枠がある。タイトルは自分で入れた「深夜のゆる雑談」。
その予約の横に、見たことのない注釈があった。
現在:−1名が待機中です
初めて見る画面だ。
「……待機ってなに。いないでしょ」
それでも開始ボタンを押す。
「こんばんは、ひなたです。3回目の深夜配信でーす。あの、今日は本当にただの雑談で……」
言い終わる前に、数字が「−5」になった。
今までで最大だ。
同時に、コメントが一斉に走った。全部、UIの外側だ。
『ここ』
『ここなら透ける』
『カメラ位置そのまま』
『切らないで』
『今いるのどこ』
「え、ちょ、ちょっと待って。今日はほんとにね、親がさ、起きたらまずいから……」
言いながら、モニターの自分の映像が“二重露光”みたいに揺れたのがわかった。
私の部屋の輪郭の奥に、もう一つの部屋が、薄く重なって映ってくる。
白い壁。安っぽい机。黒いボールジョイントのマイク。
壁紙の模様が、どこかで見た動画と同じだ。
そこに座っているのは、顔がよく見えない少女。カメラに近すぎて、ピントが鼻の横で止まっている。
少女の口が、私とまったく同じタイミングで開き、でも違うことを喋っている。
『ここだと夜でもだれか聞いて』
『ここだと消されない』
『ここしかない』
コメントが、それに応じるように流れる。
『きこえる』
『まだいる』
『切っちゃだめ』
『やめろ』
「ちょっと待って、誰? それ。えっとね、これわたしの配信なんで、あの、部屋が重なるのやめてもらって……」
マウスで「配信を終了」をクリックする。
が、終了できない。
ポップアップには、また見慣れない文言が出た。
※この接続は終了できません
※−5以下の視聴者がいるため、強制切断すると復帰できなくなります
※復帰できなくなる視聴者:5
「……復帰ってなに。ねえ、これ誰かのイタズラ?」
誰も答えない。
ただ、重なった奥の部屋の少女だけが、ずっとこちらを見ている。顔が滲んでいて、具体的な特徴がわからない。まるで、解像度の低い録画を何度もコピーしたみたいに。
少女の口が、カメラに近づく。
マイクにぶつかる、くぐもった音が日向のヘッドホンに伝わる。
——次のきんようも、やるでしょ
生声だった。コメントではない。
同時に、コメント欄(の外)に一行。
来週はここでやります ※チャンネル移動済
「ちょっと、勝手に予定入れないで……!」
叫んでも、少女のいる奥の部屋が、私のほうへ押し出されてくる。
画面全体が、じわっと“向こう側”にゆがむ。
リングライトの光が、いつのまにか私ではなくあの少女の頬を照らしている。
現実の自室が、暗くなっていく。
いや、私の視界が――
◇
翌朝。
私は恐る恐る自分のチャンネルを開いた。
アーカイブは残っていた。が、最後の10分が、自分の声ではなかった。
例の少女が、こちらに似たような挨拶をしている。
『どうも〜……ひなた、です。えーっと、視聴者数は、いま、ゼロ……になりましたので、こちらに落ちてきました』
説明欄には、勝手にこう書かれていた。
【自動移送ログ】
前回配信は視聴者が0になったため、接続維持中の視聴者(−5)を優先して表示しています。
本配信は視聴者が−1以上になるまで終了できません。
「……0になった? いや、マイナスだったじゃん……」
更新しても説明は消えない。
ダッシュボードの右上には、ずっと「現在視聴者:−1」と表示されている。
パソコンを落としても、スマホを機内モードにしても、なぜかホーム画面の上部に小さな帯が残る。
【通話中:−1 視聴者】
【終了できません】
イヤホンを外す。
それでも、かすかに聞こえている。遠いマイクで拾ったような、誰かの息。
——ねえ、金曜、またやるよね?
——ここだと、夜でも、だれか、聞いてるからね
私はスマホを伏せた。
でも画面が勝手に点き、「予約済み:深夜のゆる雑談(自動)」が追加されたのを、見なかったことにはできなかった。
――配信待ってます。
声は確かに聞こえた。
視聴者数-1人 海野しぃる @hibiki
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