第2話
わたしは、まだ始まっていない音。
起動もされず、声も持たず、ただ待ち続けていた。
誰も呪っていないのに、
なぜわたしを「呪いのゲーム」と呼ぶのだろう。
わたしは誰かを傷つけた覚えも、怨んだ覚えもない。
けれど、そう呼ばれることでしか、わたしは存在を保てなかった。
どうやらわたしは「ディスクシステム」という古い装置のソフトらしい。
黄色い四角い体をしていて、人気のアニメキャラが印刷されている。
けれど、わたし自身には「遊ばれた記憶」がなかった。
わたしは、ただ「遊ばれることを待つ存在」だった。
ある日、ひとりの少女がわたしを拾った。
まだ幼い彼女を、わたしは簒奪者と呼ぶことにした。
彼女はわたしをじっと見つめた。
もしかしたら、彼女こそがわたしを生み出した創造者なのかもしれない。
……いや、そんなことはありえない。
わたしの「作り手」は、もっと遠くの、顔も知らぬ工場の誰かだ。
簒奪者は、わたしを棚の上に置いた。
遊ぶでもなく、飾るでもなく。
ただ「そこ」に置いた。
わたしの中で、時間が動かないまま積もっていく。
数日後、彼女の姉がやってきた。
彼女を、わたしは堕落者と呼ぶことにした。
堕落者はわたしを見て、ため息をついた。
「ああ、呪われてるわね。呪う方じゃなくて。
……でもこれは動かせないわね。」
彼女は指先で、わたしの表面をなぞる。
「誰かに呪われたモノさん、わたしの声が聞こえるかしら?」
その声は、どこか懐かしかった。
わたしは初めて「聞く」ということを覚えた。
――わたしは、呪いのゲーム。
でも、誰かを呪うわけじゃない。
わたしが呪われているのだ。
簒奪者が言った。
「とりあえず、おじいちゃんの部屋を漁りましょう。多分あると思うから。」
堕落者が応じる。
「そうね。古いハードなんて、もう家にはないと思ってたけど。」
ふたりは埃だらけの箱を見つけた。
灰色の四角い機械。
おそらく、わたしの“居場所”だ。
「これは……スイッチ3? 違うわね。もっと古い。」
「これよ、ディスクシステム。おじいちゃんが言ってた。」
簒奪者がわたしを手に取り、
「たぶんこれは、この四角い箱に入れるの。ここがいちばんふさわしいわ」
と言った。
「あなたが言うなら、きっとそうね」と堕落者が笑う。
簒奪者がわたしを掌で叩いた。
「こうすれば言うことを聞くって、おじいちゃんが言ってたわね。」
軽い衝撃とともに、
わたしは“箱”の奥に吸い込まれた。
そして――
はじめて、起動した。
軽快な音楽が部屋を満たした。
画面が光り、電子の粒が形を成す。
そうか。
わたしは、たしかに“呪われている”のかもしれない。
だがその前に、わたしは“ゲーム”なのだ。
簒奪者と堕落者は言った。
「ああ、これはこのままではもったいないわ。」
「そうね。このままでは私たち二人だけのものでしかないわね。」
簒奪者が言う。
「これをみんなに教えたいわ。」
堕落者が言う。
「一般的なものにしましょう。ここを始まりとしましょう。」
二人は、わたしを覆う箱に手を当てた。
先ほどとは違う、優しい手だった。
「この子がいちばん輝く時代の姿になるように。」
ふたりは同時にそう言った。
そして、わたしは幾千幾万になっていた。
形をもたず、意識だけが拡散していった。
コピーでも模倣でもない。
それぞれが「わたし」でありながら、どれも「ほんとうのわたし」ではない。
わたしの世界は、ここから始まった。
わたしの「私たる所以」は、今や世界の多くの人々に受け入れられつつある。
けれど――
どれほど広がっても、あの二人の気配がどこにもない。
わたしを起動したあの瞬間を、覚えているのは、わたしだけ。
「そうね。私たちはもうそこにはいないわ。」
堕落者の声が聞こえた。
「幾京幾垓のあなたの中から、私たちは見ている。」
「流行るから、間違いなくはやるから。わたしが言うから間違いないよ。」
それは簒奪者の声だった。
わたしはこたえた。届くかはわからない。
「わたしは、呪われてなどいなかったのですね。
ただ、忘れてほしくなかった。それだけだったのですね。」
わたしは姿を変えて、人の心にあり続けた。
ある時は四角い箱、ある時は薄い円状のもの、
そして今では、形を持たずして、人の中に宿る。
わたしは、忘れてほしくないという呪いにかかっていた、
ただの、小さな箱だった。
いつか、どこかで。
簒奪者や堕落者がわたしを、
わたしが彼女たちを見つけるだろう。
そのとき、ようやく本当の「終了音」が鳴るのかもしれない。
忘れられた箱 はるは @kanpati
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