鮮やかな失恋

ぽんぽん丸

喫茶店に寄って

今日はいつもと違って私の部屋にすぐにいかない。


いつもの駅の出口で会って、私は濡れた傘を広げた。彼女はいつも通り私に身を寄せてそこに入ったのだけど、いつもと違うことを言った。


「喫茶店よろうよ」


いつもならどこに行くかも言わずに、今週の仕事の嫌なことを言ったりするのだけど違う。でもなんだか明るい響きな気がしたから「どこにする?コメダならお腹いっぱいにできるね」なんて私は返事をする。


長靴の形のグラスに入ったメロンソーダとでっかいテリヤキバーガーを前にして彼女はすぐにこう言う。


「別れよう」


彼女はそのまま続けた。


「なんでかっていうとさ、ほら、この間雨が降ったでしょ?今日みたいな。雨ってさ空から水が降ってくるやつね。わかる?水も説明するね。水って水素と酸素がガッッ…ちゃんこ!したやつ。水素は単体だとばくはつするよ。酸素と反応して爆発するの。でも合体して水になったら安全。空から降ってきても安心だね。私も君もだいたい水でできてるよ。あんしん。でね、酸素も水素も電子と陽子と中性子でできてるんだよ。中性子が真ん中、電子と陽子がその周りをまわってるんだって。おもしろいなと思ったんだけど、よくそういう図?見たことあるよね?なんか中心にして回ってるやつ。あれ簡単にしてるからあんな感じなんだけど、実際はすっごい離れてるんだって。陽子と電子が1cmだとしたらお互い500mくらい離れてるんだって。すっごいソーシャルディスタンスだよね。人間だったらどれくらいかな?頭の大きさでいいかな?だいたいぐるっと頭を一周したら30cmくらい?えーと30倍だから、1.5km離れてる…計算あってるかな?人間同士だったらそれくらい離れてるんだって。おもしろいよね。それにね、陽子も電子も中性子ももっと拡大したらまた同じ感じになってるんだって。また1,5km離れた中で、また1,5km離れたみたいな感じなんだって。コミュ症すっごいよね。で拡大したコミュ症の中のコミュ障、一番ちいさいのは量子って言うんだって。波だったり粒だったりするって。なんかよくわかんないみたいだよ。まだ誰もわからないんだって。アインシュタインってさすがに私も聞いたことあったんだけど、なんかそんなのおかしくね?って言ってたらしいよ。粒とか波とか量子なんておかしいって。でもアインシュタイン死んでから確実に正しいって証拠が出てきたんだって。私死んだら天国で小保方さんと仲良くなってアインシュタインに量子はありまーすって一発ギャグ言いにいきたい」


そこまで一気話すと彼女は急に目を丸くした。


「あれ?なんの話だっけ?」

「別れ話だったかな?」


私がメロンソーダを一口、赤いストローで吸ってからそう言う。彼女はふくろうみたいに丸くした目を、これもまたふくろうみたいに細くして私を見た。


「すっごいわかったよ。別れよっか」

「うん、ごめんね」


私は彼女の楽しそうな様子にすっかりクラってしまったから別れることにした。


それから今週の嫌な出来事の話をぽつぽつしながら二人はお腹いっぱいにコメダを食べる。会計ではいつも「私が払う」と会計の学生バイトが辟易するような愛情確認が挟まるのだけど、今日は彼女が「別々で」と言って自分の食べたものだけ支払う。ああ、別れるのだなと思った。


ついさっき通った駅前のロータリーを私の傘で2人歩く。短い間、いつも通りに彼女のきのこ頭が私の鼻の高さにきて香った。雨の匂いを裂いて見たこともないのに、よく知った花の匂いがする。


振り返り「じゃあね」と少しの笑顔と明るさを宿して言って、彼女は改札の向こうの階段をあがっていく。私は足先が見えなくなるまでゆるく手を振るばかり。



独り暮らしの家に帰ると、薬局で買っておいたあれこれを食べたり捨てたりする。


今日だけは隣の部屋に怒られないくらいの音量で音楽をスピーカーで流す。歌詞のない曲を流した。


昨日干した布団は小雨の降る今日もお日様の匂いがする。私はさっきの楽しそうな彼女の姿を思い出す。


不思議だった。一言一句再生できる。


「なんでかっていうとさ、ほら、この間雨が降ったでしょ?今日みたいな。雨ってさ空から水が降ってくるやつね。わかる?(中略)私死んだら天国で小保方さんと仲良くなってアインシュタインに量子はありまーすって一発ギャグ言いにいきたい」


頭の中で再生される彼女の目はキラキラしているしすごくかわいい。なので彼女に続いて、私の言葉のように復唱してみるとなんだか楽しくなる。2回目は、鳴っている音楽に合わせてラップしてみようとする。綺麗にはいかなかったけど、素人のひらめきにしてはそこそこできた。


たまたま鳴っていたインストの曲をループ再生して、何度か挑戦するとなかなかいいラップになった気がする。


「私 死んだら 小保方さんと仲良くなって yo アインシュタインに 量子はありまーす

って yeah 一発ギャグ言いにいきたい」


パンチラインだ。これはパンチライン。私は何も言えずにただ受け取ってしまったのだから。きっとこのリリックが私と彼女の失恋の鮮やかさ。


外は雨だし、彼女のリリックの眩しいくらいの鮮やかさに任せて、だから今日はゆっくり泣くことにする。

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鮮やかな失恋 ぽんぽん丸 @mukuponpon

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