キノコが怖い

蟹場たらば

甥のキノコ恐怖症の原因

 テーブルの上に並んだ料理を、僕は黙々と口に運ぶ。


 八月の盆休みに、親族一同でS県の実家に集まる。持ち寄った寿司やオードブルで昼食会を開く。いかにも田舎の夏らしい、牧歌的な光景だと言えるだろう。


 もっとも、対人恐怖症の気のある僕にとっては、この集まりはそんな平和なものではなかった。


 就職のために家を出たことで、親戚はおろか家族とすら顔を合わせる機会が減っていた。そのせいで、毎日会う職場の人間よりも、親族たちの方がよほど他人のように感じられてしまう。周囲がガヤガヤと世間話で盛り上がる中、僕は黙って食事をすることしかできなかった。


「うちの子、キノコが怖いみたいなんだよね」


 息子に唐揚げを取り分けながら、姉はそんなことを言い出した。


 姉にとっては息子だが、母にとっては孫だからだろう。すぐにかばいに入った。


「そんなの珍しくないじゃない。あんただってシイタケ食べれないでしょ?」


「それは子供の頃の話でしょ。今は平気だって。それにキノコが嫌いなんじゃないよ。んだよ」


 息子にも母にも苛立ったように、姉は声のボリュームを一段上げた。すぐ隣では、当の姉の息子――僕にとっては甥ということになる――が、伏し目がちに唐揚げを咀嚼していた。


「怖いってどういうこと?」


「なんかあの形がダメみたい。だから、キノコを見るだけで泣いちゃうんだよ」


 よほど甥の奇癖に悩まされていたらしい。姉はせきを切ったように愚痴を続けた。「野菜売り場に連れていけなくて大変」「生えてるかもしれないから公園にも行けない」「落ち着いてテレビも見れない」……


 普段接する機会がまったくないせいで、僕は大人以上に子供が苦手だった。正直に告白すれば、血の繋がりがある甥のことも、今まで特に可愛いと思ったことはなかった。


 しかし、姉に間接的に叱られて、居心地悪そうに食事を取る甥の姿を見ていると、可哀想だとは思えてきたのだった。


「……それはキノコ恐怖症じゃないかな」


 独り言のように、僕はぼそぼそとそう呟いた。


 高所恐怖症や雷恐怖症に比べると、ずっとマイナーだからだろう。姉は片眉をつり上げていた。


「そんなのがあるの?」


「にっ、日本ではあまり聞かないけど、イギリス人には結構いるらしいよ」


 僕の対人恐怖症は、過去にはもっと重症だった時期があった。他人と会話をするのが苦痛なあまり、登校拒否まで起こしていたのである。


 そうして学校に行かない代わりに、僕は部屋で本を読んだりネットを見たりして過ごした。苦しい状況をどうにかするため、またありあまる時間を潰すために、精神病について一通り調べていたのだ。


「諸説あるけど、キノコ恐怖症は産業革命がきっかけで誕生したと言われているね。都市化が進んだことで、野生のキノコと接する機会が減った。その結果、キノコについての知識が失われて、なんでも毒キノコに見えるようになってしまった、って」


 一例として、チャールズ・ダーウィンの娘ヘンリエッタが挙げられる。彼女は近所の森でキノコを採取して、家の暖炉で燃やすのを日課にしていたそうである。


 そんなヘンリエッタが生まれたのは1843年。ちょうど第一次産業革命(1760年~1840年頃)の直後ということになる。


「だから、キノコ恐怖症は本能じゃなくて、後天的な学習によるものじゃないかって言われてるんだ。たとえば、庭でキノコを見つけた時に、危ないから触らないようにって親に注意されたとか。ドラマやアニメで毒キノコを食べて死ぬ人を見たとか」


 毒キノコで中毒や中毒死を起こしたというニュースなら、毎年のようにテレビで流れている。そのため、具体的な心当たりがなくても、姉はキノコ恐怖症説に納得したようだった。


「それって治るわけ?」


「僕なんかより、ちゃんとした精神科医の話を聞いた方がいいと思うけど……認知行動療法っていうのがあるよ。

 仮にキノコを怖がる理由が、毒キノコに対する恐怖心から来てるとする。その場合、ほとんどのキノコが無毒だってことを教える。すると、キノコを無闇に怖がる必要はないと分かって、症状が収まることがあるんだ」


 日本国内に自生するキノコは4000種類以上だとされているが、毒キノコはその内200種類ほど、すなわち5%以下に過ぎない。


 さらに言えば、毒キノコのほとんどは、摂取さえしなければ無害である。唯一カエンタケは触っただけで皮膚が炎症を起こすようだが、名前の通り火炎のような特徴的な見た目をしているので見分けるのは簡単である。


 このように、毒キノコによる被害は、避けようと思えば簡単に避けられる程度のものでしかない。そのことを理解すれば、甥のキノコ恐怖症も改善する可能性はあるだろう。


「じゃあ、大人になれば治るってことね」


 僕の話を、姉は非常に大ざっぱに受け止めたようだった。


「いや、医者に見せた方がいいって言ってたじゃないか」


 横から姉の夫がそう訂正した。


 いい加減な姉とは違って、姉の夫は――義兄は、「あくまで素人判断だ」という注意をきちんと聞いてくれていたようだ。彼がついているなら、おそらく甥のことは安心だろう。


 また、僕は別の理由でも安心していた。


 一般的な解釈では、ダーウィンの娘ヘンリエッタが、キノコ恐怖症だと言われることはない。彼女が暖炉で燃やしていたのは、スッポンタケ一種のみだったからである。


 ヘンリエッタの生まれた1843年は、夫婦仲の円満なヴィクトリア女王夫妻が、家庭の手本とされていた時代でもあった。悪く言えば、性的なものが抑圧されていた時代だった。


 その影響か、ヘンリエッタはスッポンタケを、形状や臭いから『恥知らずの陰茎』という学名がつけられたキノコを嫌っていた。要するに、彼女には性嫌悪や男性恐怖症の気があったのだ。


 この逸話を知っていたから、僕は甥が男性恐怖症である可能性も疑っていた。甥は何か陰茎が恐ろしくなるような経験をしたのではないか、と。たとえば、義兄から性的虐待を受けているのではないか、と。


 しかし、虐待が事実なら、義兄が甥を精神科に連れて行こうとするはずがないだろう。男性恐怖症というのは僕の考え過ぎで、ただのキノコ恐怖症だったようだ。


「でも、キノコ恐怖症なんてよく知ってますね」


「いやぁ、まあ、そういう話が好きなので……」


 義兄に話しかけられて、僕はへどもどと答える。ただでさえ会話が苦手な上に、義兄を疑ったあとで後ろめたかったせいである。


 僕の対人恐怖症も、原因はこういうところにあるのだろう。つい周囲の人間を悪意的・敵対的な存在だと見なして、被害妄想を膨らませてしまう。その結果、他人と接するのが恐ろしくなってしまう。


 対人恐怖症の治療にも、認知行動療法が有効だとされている。たとえば、あえて積極的に周囲と関わることで、「他人は自分を傷つける気でいる」という思い込みをなくすのである。


「た、食べ物関係だと、片栗粉恐怖症なんていうのもありますよ」


「毒がなくても恐怖症になるんですか?」


「独特の音や感触が苦手なんだそうです」


「へー、僕はあれ結構好きですけどね」


 義兄は驚いたように目を丸くする。やはり先程の「キノコ恐怖症なんてよく知ってますね」という発言は、そのままの意味だったのだろう。「キノコ恐怖症を知ってるなんて変なやつだ」などという含みはなかったのだ。


 他にバナナ恐怖症もあるだとか、スウェーデンの大臣がバナナ恐怖症だとか、僕と義兄は恐怖症の話を続ける。


 その最中のことだった。


 不意に、スマートフォンが鳴った。


 それも僕のものだけではない。義兄や姉、母など、この場にいる全員のスマホが一斉に鳴ったのだ。


 それどころか、部屋の受信機まで音を流し始めていた。


「ミサイル発射。ミサイル発射。他国からミサイルが発射されたものと見られます。建物の中、または地下に避難してください」


 Jの受信機がそう告げてくる。


 しかし、警告を受けても、僕たちは焦ったりしなかった。かといって、冷静だったわけでもなかった。突然の事態に、ただポカンとしていたのだ。


 ミサイルが飛んでくる? 日本に? どうして?


 とても信じられるような話ではない。僕たちは顔を見合わせると、思わず苦笑いを浮かべた。日常を取り戻そうとするかのように、何人かは食事を再開さえしていた。


 けれど、たった一人だけ、周囲とはまったく違う反応を示す人物がいた。


 甥だけは大声で泣き出していたのである。


 その瞬間、僕はようやく理解した。


 甥はやはりキノコ恐怖症ではなかったのだ。


 戦争特番か何かで見たキノコ型の雲を、つまりは核ミサイルを恐れていたのだ。


 そして、その恐怖は、決して被害妄想などではなかったらしい。


「ただちに避難。ただちに避難。ミサイルが十二時十五分頃、S県周辺に落下するものと見られます――」






(了)

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