「春雨八雲」

「死にたい。」

 ボソリと、呟いてみた。誰も、何も言わなかった。私が大切にしているあなたたちは。自分一人の世界で生きているあなたは。

「何も、してくれなかった。」


 一人になることが怖かった。だから、私は私を殺した。

「ねえ、『Kettles』の最新曲見たー?」

「見た!みんなかわいすぎるよね!」

 本当は、見てない。そもそも、ユーチューブは入れてない。流行に乗れない人は「オタク」と呼ばれる世の中になってしまった。

「ほんと!だけどセンターの子以外みんな不細工でさあ、まじ気持ち悪い。」

「あーわかるー。」

 本当は、理解できない。自分の顔鏡で見てから言えよ。可愛いのは正義で、不細工だとなんで気持ち悪いんだろう?

「そう言えばさ、三組の担任まじムカつくんだけど。小言多くていちいちうざい。」

「そうだねー。」

 この前「トリックオアトリートぉ」って馬鹿でかい声で叫んでその先生にお菓子をねだっていたこと、本当は知ってたけど。

「そうだ、あのさ、私今日日直だからさ、数学のワーク………」

「え、いいよやるよ。」

 まじでサンクユー!なんてわかっていたかのような感謝の速さ。察して受け入れてしまう自分のちょろさにげんなりする。

 なんか、もう、死にたい。ビッグマウスの同級生も、その中に溶け込む自分も、全てが気持ち悪い。だから、今日も私は自分を傷つける。


「隠キャ」の子と私が話すのは、それで少しでも自分の惨めな部分を隠したいからだった。だから、あんなに浅はかなことをした。

「ちょっと、やっちゃんやっちゃん!」

「あ、いや。」

 アイシャドーが滲んだ友達から手招きされる。前の席の佐霜さんが振り返ろうとしていたけど、私は離れてしまった。また自分が嫌いになった。

「ちょっと、大丈夫?すごい血が出てたけど。」

「いや、全然?ちょっと擦って切れただけだし。」

「ほんと、ありえない。」

 ああ、その話か。

「だって、あれからやっちゃんに謝ってすらいないんでしょ?マジ嫌悪感。」

「いや、謝ろうとはしてたよ?私が聞かなかったからで。」

「そうやって妥協するから、ああいう隠キャがつけあがるんだよ。」

 ………あれ、もしかして私、うざがられてる?一応怪我してるんだけど。

「やっちゃんさ、もっと自分を高売りしなよ。可愛いし優等生なのに、友達を選ばないからこんなことになる。あんたはあたしたちのグループにずっといればいいの。」

「あはは。」

 そもそも、あなたは自分のことを良い友達だと思ってるわけ?なんていった挑発的な気持ちが浮かんだけど、打ち消した。「自己肯定感」というレッテルに守られた「承認欲求」の塊と対話しているようだ。なんだか今日は、こんな気持ちばかり浮かんでくる。こんなにイライラしている時点で、私も目の前の友達と同レベルなのだろう。虚しくなる。

 その日、佐霜さんは休み時間もずっと悪口を言われ続けた。翌日、佐霜さんは教室から消えていた。精神病棟に入院することになったらしい。


 変な人たちだ。あんなに私のことを心配しているようなフリして。

「クラスの代わりに、お見舞いはやっちゃんが行ってよ!」

 らしい。理由は、「一番コミュ力があるから」。

「久しぶり。」

 白い、閉鎖的な空間。精神病院なのに、こんなところに閉じ込められていたら逆に精神を病んでしまいそうだ。

「え、あの。」

「精神病棟って、鉄格子つけてるんだね。監獄みたい。」

 ここは、クラスじゃないし。無理に話す必要はないか。だから黙る。

「………美術の時間、ごめん、なさい。」

「いいよ、私もごめん。もっと早く話せばよかったのに、さけちゃって。」

 これは、本音。あの時は、私なりに気を遣ったつもりだったから、思いがけず睨んでしまった。それからも、彼女を避け続けていたことは事実だ。反省している。

 近くの和菓子屋さんで買った鯛焼きを差し出すと、素直に喜んでくれた。食事許可のことは盲点だったから、本当に謝罪した。不覚にも、この時間が少し楽しかった。特別な話をしてあげられないことが申し訳なかったけど、ちゃんと彼女は聞いてくれた。優しい子だ。なぜリスカに手を出したのかはわからないけど、悪口を言われて当然な子ではない。

「面会、あと五分だ。」

「早いね。」

 終わってしまう。だけど。

「時雨ちゃん。」

「うん。」

「あなたらしくいれば、いいんだよ。」

 言いたいことがある。時雨ちゃんは疲れた苦笑いを浮かべた。

「いや、そんなことな。」

「リスカが悪いことだなんて、誰が決めたの?」

 はっと、彼女の顔つきが変わった。これまで青白かった頬が、体温を取り戻す。

「悪いことかもしれないけど………私たちは、生きるためにやってることじゃん。頭ごなしになんでも否定されるなんて、あんまりだよ。」

 これも、本音。私も、何度も体験したことがある。助けを求めて相談室へいくけど、止めるばかりで心理士の人は何もしてくれない。私は、違う。

「私も、わかるから。なんでも言ってみてよ。吐き出してよ。拒まないでよ。」

「………」

 彼女のメガネの奥の双眼から、ガラスのような涙が伝った。本当の彼女を、初めて見ることができた。

「ありがとう。」

「うん。」

「ありがとう、八雲さん。」

 この時、私は笑った。安堵と、誇らしさが滲み出た。この子と、本音で話し合うことができた。この子を、救うことができた。そう思っていた。


 この日は、雨が降っていた。

「あんた、明日の準備した?明日確か美術あったでしょ。」

「まだー。」

 母親に促され、バッグへ向かう。その間に、家電話が唸った。

「え、あんたの学校からじゃないの。」

「お母さん出れる?私今忙しい。」

「はあい。」

 受話器をとる乾いた音を、その脇で聞く。母親は最初こそいつもの数倍高いトーンで相槌を打っていたものの、途中で感嘆符を漏らしていた。その後、数回相槌を打ってから、受話器を戻す。何か、あったのか。

「ねえ、あんた『佐霜時雨』さんって子のこと、知ってる?」

「え。うん。知ってるけど。」

 素直に頷いた。母親は、少し躊躇ってから口を開いた。


「昨日、クラスメイトの佐霜時雨さんが、亡くなりました。」


 担任教師が機械のような口調で告げた。みんな、知っていた。

「死因は、病棟からの転落死で、即死だったそうです。佐霜さんがいた病室からは遺書も見つかり、そこには家族へのメッセージが綴られていました。」

 ………転落死。遺書。つまり、自殺。窓側の席の子が泣き声を上げ始めた。

「佐霜さんの葬儀は、ご遺族の方々のみで行うということです。」

「先生っ!」

 誰かが声を張った。鼻声混じりの声だった。

「佐霜さんのご遺族に、花を贈ることはできませんかっ?」

 よく言うよ。あなたは率先して、時雨ちゃんの悪口を言っていたのに。

「ねえ、みんなでお金を出し合って、花を買おうよ!独りで自殺するなんて、可哀想だよっ!」

「うん、やろう!」

「じゃあ、やっちゃん!」

「へ?」

 急に、話を振られた。

「あなたが、みんなのお金を集めて、買いに行ってよ。」

「え?」

 頭が、追いつかないのだけど。

「いや、私は。」

「だって、あんたは可哀想だと思わないのっ?!」

 怒鳴られる。本気で呆れていた。いや、え?ごめん、わからない。なんで?

「ちょっと!やっちゃんだってこの前さ………」

「あ、怪我させられてたこと?」

 膨らむフラストレーション。言語化しないと伝えられないの?っていうか、その出来事のせいじゃないし。花を買いに行くことは嫌でもないけど、意味わからない。

「それじゃあ、やめよう。」

 あれ?結局やらないの?私が拒否したから?そもそも拒否してないし。吐き気がする。

「それでは、ホームルームを終わりにします。」

 呆れた私を置いて、時雨ちゃんのいないクラスルームはまた動き出す。


 美術の授業が始まった。クラスルームは静まり返っていた。切り絵の、本番。カッターで紙を切って、貼る作業。だけど、自分の頭の中は、違う考えでいっぱいだった。

 時雨ちゃんが、死んだ。なんで?私は、あの子を助けたのに。あの子と分かり合えたと思ったのに。これであの子も、解放されると思ったのに。

 ふと一瞬、カッターを動かす手が止まった。

 いや、違う。私があの子を突き落としたのだ。

 あの子の心は、不安とか自虐とかそういうもので満たされていた。やっとのことで、この世界と釣り合っていた。それなのに、私があの子の心に触れたことで、そのバランスを壊してしまったのだ。あの子のことを私が受け入れたから。

『ありがとう、八雲さん。』

 私は、人殺しだ。

 私が優しいと感じた子を。仲良くなれるかもしれないと思った子を。

 私の正義感が、殺したんだ。

「………あ。」

 ぼんやりする視界の中で、赤色が滲んだ。なんか、左手首が温かい。

「やっちゃん?」

 隣の子(多分)が心配そうな声を出す。ハッとすると、カッターは左手首を深く彫っていた。無意識だった。

「え、あ、あ。」

「春雨さん!」

 ぶしゅうっと、赤黒い血は吹き出し続ける。意識がぼんやりしてくる。あれ、私、もしかして。

 もしかして、死ねるのかな。


 家に帰った。結局、私は死ねなかった。先生に保健室へ連れて行かれて、間違えて彫ってしまったと説明させられて、早退扱いになった。

 自室で寝かされた。絶対看病の仕方違うだろ、なんてツッコミが浮かんだ。

 起き上がって、机へ向かう。今回の出来事で、不本意だったけど決意が固まった。

 引き出しにしまっていて、取り出そうとしなかったロープ。この日のために、ずっと保管していた。それを、天井に引っ掛けて、輪っかを作る。私は台の上に乗る。首にそれをかけると、麻のチクチクした感触が新鮮だった。机の前に置いた遺書を一瞥して安堵し、台から足を離す………

「………ゔっ。」

 結局、私はまた死ねなかった。紐はギシギシと音を立て、ぶつりとちぎれた。私は床へ、下界へ落とされる。お前はまだここにいろ。そう言われた気がする。なんで。これまで保管してきたのに。紐が、古かったのか。私が、重かったのか。

「なんでだよ。」

 お前は、まだここへくるな。神様からの、お告げだろうか?だったら。

「殺せよ。」

 そんな神様、今すぐ死んでしまえばいい。

「殺せよっ!!」

 叫ぶけど、誰も答えてくれない。誰も、手を差し伸べてくれない。

「ああああああああああっ!!」

 発狂し、台を蹴り倒した。机を蹴り、暴れ、叫ぶ。誰も、気づいてくれない。

 死にたいよ。誰か、助けてよ。

 私は、祈っている。だけど、きっと誰も寄り添ってくれない。

 そんな世界で、私は息をしていく。

 苦しみながら、生きてゆく。


 二人が、もし別の方法で笑顔になれたなら。

 すれ違うことがなければ。

 こんなことには、ならなかった。

 でも。

 本当に私たち、二人だけのせいだろうか?

 自分を苦しめる人も、誰かを苦しめる人も。

 心当たりがあるのなら、尚更いいのだけど。

 理解できなくたって、別にいい。

 だって。


 この苦しみも、痛みも全部。

 私たちだけのものだから。

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