ぼくは冒険者が嫌いだ

竹岡 ちぐら

第1話 神様のところへ行けない

「ありがとうね、坊や。忙しいのに直してくれて」

 良かった。メルダおばさんが笑顔で喜んでくれた。

「いいんですよ、今日は配達が少なくて仕事も終わったので」

「あ、そうそう! ちょっと待っててね」

 戻ってきたメルダおばさんは何かを持っていた。

「これボア肉とチルの実のパイなの。良かったら食べて?」

 ボア肉、嬉しい。豚より少し硬くて匂いもあるけど――お肉はごちそうだ。

 でも。

「えぇ~! 壁と花壇を直しただけなのに受け取れませんよ!」

 焼き皿に入ったカゴを、ぼくの胸に押し付けるように渡してくる。

「ほら、ね? 持って行って? 酔った冒険者に壊されてどうしようかと思ってたのよ。注意しようにも怖くてねぇ」

 カゴ越しでも、焼きたてのパイの香りと暖かさが胸に伝わる。

「ありがとうございます! 孤児院のみんなで分けていただきます! お皿は洗って持ってきますので!」

 メルダおばさんにお礼を言って、孤児院――ぼくらの家へと向かう。


 冒険者は、町を守ってるって言う。

 確かに魔物と戦ってはいる。

 でも、お金になる魔物としか戦わない。

 酔って壊した壁も、汚した道も、誰も直さない。


 ――ぼくは、冒険者が大っ嫌いだ。


 下のところが擦れて丸くなった木の扉をあけて家に入る。

「ただいま! メルダおばさんからパイもらったよ! みんな食べよう」

「わぁ~!」「なんのパイ?」「いっぱいあるの?」

「こら! お行儀よくしなさい。リーナ、悪いけどお皿とフォークを用意してくれる?」

この孤児院で、ぼくたちの世話をしてくれているエマ先生は、行儀が悪いとすぐ怒る。

「はーい」


 パイはリーナが切り分けてくれた。

「リーナ。ぼくは小さいのでいいよ。たくさん食べてもどうせ大きくならないし」

「だ・め・よ。もらった人が、いちばん食べるの!」

 ひそひそ。隣に座るアッシュとリーナにばれないようにパイを交換した。


 六年前――。

 エマ先生と、年下の女の子のリーナと三人で市場へ買い物に行った。

 腰に剣の冒険者が、先生に言い寄った。肩に、腰に、手。

 間に入って手を払いのけたぼくは、拳骨で殴られて口の中に鉄の匂いが広がった。

 突き飛ばされたリーナの木のお人形が、石畳に落ちる。

 冒険者の踵が、それを踏む。乾いた裂ける音。

 屋台のカークおじさんが柄杓を手に割って入る。

「おい! お前らやめろ!」


「ひっく……ひっく……」

 家に着いて、庭の隅の丸太に座り、壊れた人形を両手にのせて泣くリーナを見たき、ぼくの中で、何かが芽生えた。


「ねぇリーナ。そのお人形、ぼくに貸してくれる?」

「ひっく……うん」

 木片にそっと手を添える。音が井戸の底に落ちるみたいに遠のいた。

 踏まれたあとへ進むな。――踏まれる前へ、戻れ。

 頭の中で『踏まれて壊れてしまったこと』を拒否した。

 ひびが淡い光の線になって逆さに走る。こぼれた木屑が吸い込まれ、赤いリボンが音もなく結び直される。

「わぁーーー! すごい! 直っちゃった! どうやったの!? ねぇ!」

「わからないよ。やったらできるんじゃないかって。思ったんだ」

「魔法だよね! 魔法使えるんだ! また、おもちゃが壊れたら直してくれる?」

「うん、いいよ」


 ――たぶん。この力を使った罰なんだと思う。

 それからぼくの体は、十二歳のまま大きくならなくなった。


* * *


「こんちはー。届けものでーす」

「ようボウズ。ご苦労だな」

「どうも! テッドさん。これ商業ギルドからです」

 中身はわからないけど少し重たい包みを渡した。

「おう、受け取ったぜ」

「はい! じゃあここにサインください」

「ん」

 レンガ職人のテッドさんのサインはいつも名前じゃなくてマークを書くんだ。

 レンガの隅に小さく刻まれているマークも同じ形。

「聞いたか、ボウズ。なんでもすげぇ魔法を使う女冒険者が来るんだとよ」

「へぇ~そうなんですね」

「冒険者ギルドも騒ぎになってるんだとよ」

「ふーん」

「なんでぇ! おめぇ興味ねぇのか! すげぇ事じゃねぇかよ!」

「すごいと言ったら、ぼくはテッドさんもすごいと思いますけど」

「お、俺がか?」

「はい。壊れない “テッド印” のレンガって有名じゃないですか」

「お、お、お……おう。まぁ、そう言われてっけどな。五十年や百年は持つぜ!」

「うん! ぼく尊敬しますよ!」

「……だぁ〜!! くすぐってぇこと言ってねぇで、早く次に行きやがれ!!」

「はい! まいど!」


 その「すごい魔法を使う女冒険者」は、数日後に町に来た。

 門番をしているフロイドさんに手紙を届けた帰り。

 この町外れの小さな広場に屋台の煙と肉の匂いが漂っている。

「どんな魔法見せてくれるんだろうな」「気になるな」

 普段は誰も来ないのに、すごい人だかり。

「冒険者ギルド長も町長も大歓迎らしいぞ」


 しばらくすると、黒いローブを着た人が現れた。

「あいつだ」「あの人がAランク冒険者」

「ふっ。仕方ない」

 女は笑い、町外れの半分、土に埋まった一枚岩へと手を向けた。

 空気が鳴り、石肌が薄い紙みたいに裂けていく。

 歓声。口笛。誰かが拍手を先に打つ。


 ぼくは驚くことも、笑うこともできなかった。


 その岩は、家具職人の大旦那さんが夕涼みに腰かける石。

 人の輪の反対側にいる大旦那さんの口が、少しだけ結ばれる。


 安心してね。大旦那さん。

 岩は、後でぼくが直すから。


* * *


 冬が終わって、道端の雪が残り少なくなってきた頃、リーナは住み込みの仕事が決まり隣の町に行った。

 孤児院にいられるのは十五歳まで。

 石の柱の刻みは、彼女の線は上へ伸びている。ぼくの線は、十二のまま。

 年下なのに最近は、ぼくを弟扱いして困る。

 寂しくなるけど、隣の町だから――すぐに会えると思っていた。


「だいぶ暖かくなってきましたね」

「えぇ、そうね。寒いと膝が痛むから、暖かい方がいいわ」

「ですね。じゃあタリアさん、ぼく行きますね」

「お届けありがと」

「まい――」

「大変だぁぁぁ! 隣の町が魔物の群れに襲われたぁぁぁ!」


 隣の……町……。


 ぼくの力がどんなものか試していた時期に、高いところの巣からヒシ鳥のヒナが落ちてきた。

 手のひらで眠るヒナの傷は直せた。

 思い浮かべても。

 拒否しても。

 願っても。

 からだと “何か” は別なのか、生き返ることはなかった。

 ぼくにできたのは、土に埋めて祈ることだけ。

 リーナの訃報を聞いたとき、ふと思い出した。


 気がつくと荒らされた隣の町の復旧に駆り出されて、知らない人の家の壁を直していた。

 たぶん何日か経っていた、と思う。

「君は――もしかして、リーナの家族か?」

 壁に影が落ちた。振り返って見上げると、美しい装飾の銀の鎧の女。

「私はSランク冒険者のリューネだ」


 ぼくには関係ない。

「家族なんだな、怪しまないでくれ。リーナとは飯屋で知り合ってな。なんでも直してしまうすごい子がいると聞いた。それは君だろう」

「だったら何ですか」

 壁に向かう。

「これを、君に」

 影を避けた光の帯が、差し出された鎧の籠手を照らす。

 その手にあったのは――腕の潰れた、リーナの木の人形。

「さっき、リーナが働いていた飯屋の近くで拾ったんだ」

 片手を上げると、手のひらに落とされた。

「彼女は飯屋に行くと、しつこいくらい君のことを話してきてな。その人形や他のおもちゃを、君が直してみせたと。きっとすごい子だから、私のパーティに入れてくれって」

 そんなこと、ぼくは望んでない。


「すまなかった」

 目の先で、カールした橙の長い髪が揺れる。

「私が、もっと早く町に戻っていれば、こんなことには……すまない。本当にすまない」


 エマ先生が言っていた。死んだら、良い子は神様のところへ行けるって。


 リーナは良い子だから、きっと行けたよね。


 足元で、何かが落ちる小さな音がした。


 少し経って、それがぼくの涙だと気づいた。


 ――ぼくは、冒険者が嫌いだ。


* * *


 旅に出た。

 あてもなく、たくさんの町を巡った。

 そして、この潮の香りが届く海に近い町に落ち着いてしばらく経った。


「おはよー! 兄ちゃん!」

「おはようエド」

「なぁ! なぁ! 家具修理の兄ちゃん! これ見てよ!」

 エドが振り回してる木の剣だね。

「凹んでたけど、昨日の夜に家の外に出してたら妖精さんが直してくれたんだ!」

「それはすごいね」

「うちの爺ちゃんも、爺ちゃんの爺ちゃんも直してもらったって!」

「でもね、うわさで聞いたよ。妖精さんは、少し旅に出るんだってさ」

「えー、旅ってどれくらい?」

「さぁね。どれくらいかな」

「いけね! 水汲みしないと母ちゃんに怒られる! またねー」

「あぁ。またね」

 片手を上げて小さなエドの後ろ姿を見送った。

 最近、街道が整備されて旅もしやすくなったらしい。


 ポケットに手をあてて形を確かめる。

「一緒にいこう」


* * *


 外壁は変わってる。門も違う。けど。

「まだ、あった」


 町に入ると道の位置は変わっていない。

 家はもちろん見覚えのないものばかりだ。

 広場にさしかかる。

「はは。さすがです、テッドさん。貴方が作ったテッド印の最高のレンガは四百年経ってもびくともしませんよ」


 孤児院は空き地。

 苔の生えた数本の石の柱だけ。

 刻みは、十二歳のところで止まっている。


 遠くで鳴る鐘の音。

 今日も直すものがある。


 ぼくだけは、まだ。神様のところへ行けない。

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ぼくは冒険者が嫌いだ 竹岡 ちぐら @TakeChigu

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