クルッちまえよ!

七乃はふと

壊し屋グルン

 僕は自分の頭をしっかり固定し、深呼吸をした後、首をとひねった。パキッとウィンナーソーセージが割れるような小気味良い音が首の中から聞こえた時、成功を確信した。

 身体が震えだす。止めようと腕を動かすも応答がない。次第に喉の奥から何か固い物がものすごい勢いで迫り上がってきた。

 内側から破裂させるような勢いのソレは僕の頭を上に向かせる程。

 音を立てて顎をこじ開けたのは、螺旋を描く腕の骨だった。

 両腕の骨は、植物のつたの様に絡み合い先端には固く閉じられた両拳の蕾がラフレシアの様に花開く。

 僕は自分の力の使い途を理解し、両膝を突いて身体を固定し、金管楽器ならぬ骨管楽器のラッパの狙いを定めた。

 息を大きく吸い込むと、ラッパの先端の穴が掃除機のように空気を取り入れる。

 その勢いは僕の肺を風船の様に膨らませるばかりか、上半身が水風船の様に膨らんだ。

「グルンさん、今助けます」

 溜め込んだ空気を燃料にして僕は力の限り叫んだ。

 声は衝撃波となり、反動は僕の身体を吹き飛ばすほど、両膝と爪先で暴風が過ぎるのを待ってから、瞼を開く。

 スプーンで掬われたアイスクリームのように、抉られた町を背後に抱いたグルンさんがこちらに手を振っている。成功を確認した途端、ラッパから精を放つように吐血して意識を失った。


 壊し屋グルンって都市伝説知ってる? 自分の血で目的地に渦巻き模様を描くの。すると、どこからともなくソイツが現れるんだって。でね、そこに悪い奴らがいたら、ボコボコのグチャグチャにしてくれるらしいよ。


「こんな時間にどこ行くのよ」

「バイト。店長にへルプで呼ばれたから……もちろん時給も発生するから」

 お金の話をした途端、母は何も言わずに部屋に引っ込んだ。

 僕は見えない足枷が嵌められた足を引き摺るように歩き出す。ポケットの中のカッターナイフだけが心の支えだった。

 深夜二時を過ぎてもコンビニは煌々と灯りを放っている。闇の中で一際輝くそれは虫を引き寄せる灯のよう。正面から入ろうとしたら、お客さんらしき姿。裏に周り従業員通用口へ。人がいないのを確認して、ポケットからカッターナイフを取り出す。

 キチキチと虫が顎を動かすような音と共に刃が顔を出す。刃先の先端を、白い筋がいくつも走る親指の腹に押しつけた。暗闇の中、深く切らずかつ血が出る力加減で皮の中に刃先を沈める。

 カッターを離す。親指の腹に数字の一が現れた。白い線だったソレはみるみる赤くなり、プクっと赤い玉が浮かび上がる。針が刺さって抜けないような痛みを堪えながら、ドアノブの上に渦巻き模様を描く。

 傷口に絆創膏を巻いたところで後悔した。

 夜の闇と暗緑のドアのせいで、判別がつきにくい。やはり明るい出入り口の方が良かったのではないか? 

 僕はドアを開け、制服に着替える。この後のことを想像すると今すぐ逃げ出したい。そんな自分に向けて自分が唾を吐く。

 どこに逃げるんだ。教師も警官も肉親にさえ味方がいないのに。

 僕は音を立ててロッカーを閉めると、明るいのに気分が沈む店内へ入った。

 僕がここでバイトを始めて暫くすると、店員や店長が僕を見てヒソヒソ話すようになった。その直後、深夜に呼び出されるようになる。最初は断ったけど、特別ボーナスが出ると言われて「はい」と答えてしまった。

 最初はシフトの穴埋めだったのが、ゴキブリ退治を頼まれたり、絡んでくる酔っ払いの対応に呼び出されたりするようになる。夜が明けるまで働かされても給料は出なかった。

 こうして店長たちの行為はエスカレートしていき、たどり着いたのがバイトテロ撲滅という制裁行動だった。

 店員の二人が、残っていた客を追い返す。二十四時間営業のコンビニを密室にするために入ろうとする客は清掃中と言って追い返す計画。

 今日僕がやらされるバイトテロは、冷凍庫の中に寝そべること。

 まだ暑いから深夜シフトのバイトが冷凍庫の中に入ったところを店長が見つけたという筋書きだ。

「タイトルはこうだ。バイトテロリストの末路」

 店員の一人がスマホのカメラを向ける。レンズの銃口に晒されながら、僕は凍りついた商品の上にうつ伏せになる。店長に「ケツを出せ」と言われて、下着ごとズボンをずり下ろした。

 剥き出しの臀部をカメラに視姦されるだけでなく、店長が手に持ったベルトを振り下ろした。金具が食い込み、革に皮を引っ張られてちぎれるような痛みが走る。

 ここまで傍若無人を働く店長の兄は警察官で、向かいの派出所に勤務しているという強力な後ろ盾で、コンビニの密室は鉄壁だった。

 店員の笑い声で僕は意識を失っていたことに気づく。ぶり返す尻肉の痛みと、お腹の下から広がってくるこの生暖かい感触は……。

 冷凍庫のモーター音が止まり、庫内の照明が消える。

「店長、こいつ漏らして壊したみたいですよ」

 二人の店員が臭え、臭えといいながら、笑い声を吐きかける。店長は、弁償だ。オレが上から怒られるんだぞと僕を罵りながら、ベルトを何度も振り下ろしてきた。

 僕は臀部の傷が市販の薬で治せる事を祈ることしかできなかった。

 ピンポーンと入店のチャイムが響き、ベルトの風切り音が鳴り止む。

「すいませんお客さん。今清掃中で――」

 言葉が続かず呻き声が漏れた。続く複数のくぐもった呻き声。

 顔を上げると、店長以下店員達が揃って鼻を押さえている。

「オレを呼んだのは……」

 僕も鼻を押さえながら確認する。入ってきたのは女性だ。セーラー服の上にスカジャンを羽織り、ポケットに手を突っ込んだまま、近づいてくる。

 距離がつまるたびに、鼻の中が腫れて詰まるほどの悪臭。お風呂に入っていないのか、髪はギラギラとテカリ、衣類は赤黒い何かがこびり付いている。

 店員の一人が出入り口に走り、胃の中のものをぶちまけた。その音と臭いに僕を含めた全員が胃から口に向かって中身を逆流させる。

 裸足の女性は混ざり合ったゲロの水たまりに足を浸しながら僕の前にやってくると、鼻をヒクヒクと動かした。

「お前だな。ここに渦巻き模様を書いたのは」

 顔に近づいてきた口臭によって、ゲロで返事する。

 女性が突き飛ばされる。勢いよく商品棚にぶつかり、菓子が音を立てて汚物と混ざり合った。

「お前。よくも店を汚してくれたな。弁償しろ」

 カエルが鳴くような間抜けな音。女性はお腹を抑えながら、黄色いドロを纏った袋を無造作に開き、中身を口内に流し込む。

 店長が再び突き飛ばす。女性は背中を棚にぶつけながらも咀嚼し続けていた。

 ゴクンと喉を動かすと、僕にこう尋ねる。

「この三人、ぶっ壊す。でいいんだな」

 頷く。

「このガキ何言ってんだ」

 大の男三人が女性ににじりよる。

「死んでも構わないから殴って蹴りまくれ。後のことは兄貴が揉み消してくれる」

 店員二人が近づく中、女性が食いカスのついた歯を覗かせる。

 店員の一人が顔面を殴り、もう一人が倒れた女性の腹を踏みつけた。肩で息をする二人が店長の方を見る。店長は二人の奥を指刺して固まっていた。

 起き上がった女性は唇から血を流しながら、自分の頭を両手で掴む。

「暴力ってのはもっと力を込めるものだ。何事も中途半端が一番駄目なんだよっ!」

首がと音を立てて回った。首が真後ろを向いている。なぜ自殺を? そんな疑問は次の行動で氷解した。

 女性の髪の毛がそうめんを啜るような音を立てて伸びていく。勢いとまらず首から手の爪、そして膝から脹脛を経由してつま先まで伸びたソレはまるで新たな皮膚のよう。

 グギギと軋みを上げながら、首が回転する。こちらを見る顔は伸びた前髪に覆われ、隙間から覗く瞼のない瞳は赤信号のようにランランと輝いている。

 髪の毛が横に裂け三日月の形に開く。隙間から湯気のような吐息は温泉の臭いを孕んでいた。

 姿を変えた女性が歩いて店員の一人に近づく。肉食獣のような爪が伸びた両手を無造作に胸と腹の中間に差し込んだ。

 ゾブッと言う音にもう一人の店員が走り出す。店長はレジカウンターを背もたれにするように、尻餅をついていた。外からでもはっきり分かるようにズボンの尻の辺りが膨らんでいる。

 両手を体内に差し込まれ、命乞いを繰り返す店員の身体の中で風船の破裂音、口から大量の空気を吐き出して崩れ落ちる。引き摺り出された両手には潰れた風船のような物。金魚のように口を開閉させる店員の目は光を失っていた。

 店長に目をつけた女性の横にあった棚が倒れ、僕のいた冷凍庫に挟まれた。棚を倒したのは先ほど走り去った店員。逆手に持った二つのハサミを交互に振り下ろす。

 顔を防ぐ女性の腕に刃が当たるが、髪の毛の皮膚が鎧がわりになっているのか血は溢れない。振り下ろし続けて疲れたのか動きを止めた店員を棚ごと押し返した。

 仰向けで棚に挟まれた店員に近づくと、棚をどけ四つん這いになって足の間に顔を近づけると、口を大きく開けた。口内にはスズメバチの針のように鋭い針がビッシリと生え、毒液のように涎が垂れる。

「や、やめて――」

 何かを悟った店員の懇願はもちろん無視。

 歯が突き破り上顎と下顎が噛み合うまで一秒もかからなかった。急所を潰されても楽には死なせてもらえない。噛みついたまま虎のように店員を振り回す。

 ブチッと顎から股間がちぎれて床に落ちた店員は、口からシェービングクリームのような泡を吹いて動かなくなった。

 まだ生きている店長が命乞いしながら、脱糞塗れの尻を引き摺るように逃げようとしていた。

 女性は咀嚼しながら歩くと、店長の顔目掛けて、口の中のモノを吐き出した。

 店員の股間の肉片を浴びた店長は顔面を掻きむしる。

 女性は馬乗りになると、店長の顔の汚物を優しい手つきで拭う。

「だずけで」

「や〜だ」

 綺麗になった両目に親指が突き刺さる。店内に絶叫が響く中、馬乗りの女性は電動ミキサーのように親指で掻きまわしていた。

 入店のチャイムが鳴った。入ってきたのは警察官。

 女性は親指を引き抜いた。

 警官が店長はどこだと詰問する。

 女性はコイツかと、けむくじゃらの足で眼窩に穴の空いた頭を踏み潰した。

 鼓膜が破れるような破裂音。警官がピストルを血管が浮き出るほど握りしめている。

 よろけた女性は腹を抑える。

 ピストルの銃口が何度も火を吹いた。発射の閃光の残像が残る視界の中で見えたのは、膝から崩れ落ちる女性。

 膝をついて動かなくなった女性をそのままに警官が店長の名前を呼びながら抱き起こす。動かすたびに首から溢れる血や肉片をピーマンの肉詰めのように首に詰め込もうとしていた。

 無駄な努力をやめさせたのは、撃たれた女性だった。警官の頭を掴んで口と喉を一直線にすると、自らの口から赤と黄が混じったゲロを吐いた。

 警官の腹はどんどん膨れ、吐瀉物の滝が流し込まれる口は焼けただれ煙が上がる。限界を迎えた腹は内側から溶け落ち、大小様々な腸が、胃液の中でミミズのようにのたうち回っていた。

 立ち上がった女性は髪の毛が引っ込み元の姿に戻ると、店内を物色する。

「腹へった〜。なぁ、オススメは?」

 僕はレジ横のキャンペーン中のフランクフルトを指し示した。

「さんきゅ」

 有料のレジ袋を何枚も取り出して手当たり次第に食品を詰め込んだ女性は、最後にフランクフルトを一本手に取ると。パキッと齧り付きながら、コンビニを後にした。

 僕はスカジャンの背中に巣食う脱皮したばかりの蛇の刺繍を見たところで、世界が真っ暗になった。


「〇〇学園で起きた無差別殺人事件から一年。二十三名もの被害者を出した事件でありながら、警察は今だに解決の糸口を掴めておりません。SNSでは直後に退職した教師がいるとして、その存在の暴露に躍起になっています」

 コンビニの出来事から数ヶ月が経った。退院した僕に向けて母が言った言葉は、あんたに使った金早く返して。だった。

 すぐに見つかったのは違う場所のコンビニ。こうして親にお金を払う日々が続く。あの店長が死んだのは夢かと考えて近くに寄ると、例のコンビニはまるでミイラのように黄色いテープに囲まれ、窓という窓は全てビニールシートに覆われていた。

 やっと学校から解放された途端お腹がすいた。あの出来事からずっと手の動きが止まらず空腹だ。

 スーパーで賞味期限切れ間近のホットドッグを買って帰る途中、渋滞ができていた。どうやらバスの前で路上駐車しているらしい。その運転手とバスの運転手が殴り合っていて、野次馬がスマホで輪姦していた。

 遠回りして別の道を進むと、暴力の臭いを嗅いだからか、空腹が酷い。仕方なく河川敷で食べることにした。座りこんで包みを開くと、橋の下でゴソゴソと物音。

 ダンボールの家がある。ホームレスの根城のようだ。側に人間の下半身がある。上半身は川の中に沈んで見えない。面倒ごとに巻き込まれるのは嫌だと、立ちあがろうとすると、

「食い物の匂いだ!」

 ダンボールハウスが内側から裂けた。蛹を破る成虫のように現れたのは見覚えのある女子高生だ。

「あなたは……」  

「レイプ魔ホームレスを殺したら、腹減ってぶっ倒れちまった」

 相変わらず鼻の潰れるような臭いを撒き散らしながらこっちに来る。

「食わないならそれ寄越せ」

 僕のホットドッグを奪った女性は、躊躇なくソーセージをズルリと呑み込んでしまう。

「さんきゅ」

 お礼を言いながら残りのパンを咀嚼し始める。

「どこかで見たことあるな」

 クチュクチュ動く唇の隙間からケチャップ臭い息が顔にかかる。

「この前コンビニで助けてもらった者です」

「ああ、コンビニに渦巻書いた奴だな。血の匂いで分かった。で何してるんだ」

「えっと、ここで小腹を満たそうと」

「あっそう」

 女性は興味なさそうに大欠伸をして寝転がる。

「……いつもあんな事を?」

「ん、クズを見つけたら、ぶっ壊してるぜ」

「じゃあグルンってあなたなんですね」

「そうだオレがグルンだ。で、誰を殺してほしい」

「急に何言って」

「お前。表情に出てるんだよ。殺したい人間がいるって」

 僕は脳裏に浮かんだ顔をかき消す。いつも家で顔を合わせるから、最初に出てきてしまった。

「まあ、我慢出来なくなったらまた書けよ。お前の臭いは覚えたからよ」

「あなたは怪物なんですか?」

「怪物、いや人間だよ」

「あんな化け物みたいな姿、あっごめんなさい」

「この姿か」

 グルンさんは自分の首をと半回転させて、あの髪の毛を纏った姿になる。

「こんなところで変わらないでください!」

 歩道には、のほほんと歩く通行人の姿。グルンはもう一度首を半回転させて人の姿に戻った。

「いいかデコスケ。は誰にでもできるんだ」

「どうやって?」

 僕はその方法が、恐ろしいのに知りたくてたまらなかった。

「見て分からなかったのか。首を回すんだよ。自分の手でな。ポイントは頚椎を百八十度回す事」

「ズレたら?」

「死ぬ。即死だ。成功したかどうかはすぐ分かる」

グルンさんは自分の首をトントンと叩いた。

「骨がなるんだ。パキッてな。そして噛み合うんだ。折れた骨と骨がパズルのピースのように」

 とても単純な方法だが、自分でやろうという勇気は湧かなかった。

「僕は臆病なんで、とても出来そうにないです」

「出来る。臆病だと分かってる奴は必要な時に力を欲する。だからいつか出来るさ。オレもそうだったから」

「グルンさんも臆病、それが弱点、痛っ」

「いいか。フィクションのヒーローじゃないんだ。自分の欠点なんて考えるな」

 話は終わりとばかりにグルンさんは立ち上がる。

「そろそろ日も暮れる。帰りなデコスケ」

「デコスケってなんですか。僕の名前は――」

「デコスケだ」

 僕の額にデコピンがいい音を響かせた。

「お前は小さいからデコピンしやすいんだよ!」

 確かにグルンさんの背は高い。僕より頭一つ高かった。デコピンのマシンガンがおでこの表面を耕した。

「や」

「や、なんだよ?」

「やめ、やめてください!」

 撓んだ人差し指が寸止めされる。

「言えたじゃねえか」

「はい?」

「嫌な事されたら飲み込むんじゃなくて吐き出すんだ。アルパカを見習え」

「はい!」

「もしくはトイレにいるオッサンを観察しな」

「それは遠慮します!」

 唾のこびりついたトイレ掃除の事しか頭の中に思い浮かばなかった。

 グルンさんが草っ原でショーツを下ろしてしゃがみ込んだところで、何するか気付いた僕は急いでその場を離れた。

 ほんとの名前聞けなかったな。

 

「お金、給料日でしょ」

 僕は母の求める半分の金額を手渡す。

「これだけ。明細見せなさい。ほら見せなさい」

 カバンの中の給料明細を取り上げられた。

「まだ出せるじゃない。出しなさい。早く。私は一人であなたを育ててるのよ。お金なくなったら二人とも死ぬのよ。協力できないの」

 何度も顔を叩かれ頭を叩かれる。

「協力するよ!」

母の手の動きが止まる。

「でも、一つだけお願いがあるんだ」

 母は何も言わずに僕の言葉を待っているようだ。

「お金渡す。生活費、僕も払う。だから、ありがとうって言ってほしいん、だ」

 母の手が伸びた。叩かれると身構えた僕の頭頂部に掌が当たる。今まで感じたことのない弱さで。

 その後もお金は変わらず渡している。給料はほとんど残らない。でも小声でづぶやく五文字に僕の心は以前より晴れやかだった。


 僕の学校では密かな流行りがある。

「今日の実習は水掛けいじめです」

 拍手が起こる。今の担任が赴任してきてから、一週間に一度いじめの実践が行われる。これは担任の考えた歴とした授業なので、生徒のほとんどから文句は出ない。

 それどころか、学校も問題に挙げようとしていなかった。

 この担任はあるお嬢様学校で教師を務めていたらしく、なんの理由でかこの公立校にやって来た。そしてボクシングの技術で力自慢の生徒を次々とのし(鉄拳制裁と言っていた)学校の影の支配者に躍り上がった。

 下剤を飲まされた僕はビニールシートの上に立たされた。制服は脱がされパンツ一枚。カーテンが閉め切った教室内。カーテン越しにパトカーのサイレンが聞こえる。もちろん僕を助けに来たのではない。クラスメイトは薄笑いを浮かべて、担任の指示を待つ。

 彼らの足元にはバケツがあり並々と水が注がれている。

「始めなさい」

 担任の声に体操着を着たクラスメイト達が、半裸の僕に冷水を浴びせてくる。バケツが空になれば近くの水道で補充し、クーラーボックスから氷を入れる。かける、補充する、かける。その繰り返しに足が震え、膀胱が決壊した。

 腿を閉じても止まらない。むしろ余計に力が入ってビニールシートに音を立てて流れ落ちる。

クサッ、人生終わったな。鼻を摘む生徒達に担任が声をかける。

「皆さん。早く写真を撮りなさい」

 全員がスマホカメラのシャッターを切りまくる。耳たぶにホチキスを打たれるような錯覚に陥る中、僕は新たな衝撃に腹を抱えて蹲る。

 クラスメイトが引き笑いを浮かべながら、担任の顔を伺った。

「皆さん。彼の後ろに集まって肛門がよく見えるように」

 担任と一緒にクラスメイトが僕の後ろに、甘いものに群がるアリのように群がった。動画モードにしたスマホは僕の尻に向けられた。

 我慢していると脳内に焼けたアスファルトで蠢くミミズの映像が再生される。そのミミズの動きと僕の腸の苦しみは連動しており、遂にスマホのレンズの前で盛大に醜態を晒した。

 その間、切ったばかりの親指に爪を食い込ませ、傷口が漏らす悲鳴で何とか正気を保っていた。

 外で複数の悲鳴と遠ざかる足音。

 教室の引き戸が廊下から吹き飛んだ。出入り口には蹴った本人の裸足が見える。

「待たせたなデコスケ。今日は依頼が多くて遅くなっちまった」

 グルンさんはクラスメイトの数を数える。

「ひーふーみー、ざっと三十人か。こりゃぶっ壊し甲斐が――」

 グルンさんの目がある一点で釘付けになる。まるでカセットコンロが着火するように瞳に光が灯って見えた。

 担任の声が聞こえてきた。

「お前兎兎ウサギト蛇蛇イイか? だが校舎から落ちて死んだ筈」

「ああ、死んだよ。お前の実習で飛び降りた。でもお陰で力に気づいたんだ。感謝してる。だからお礼にしっかりぶっ壊してアゲルネ」

 グルンさんが頭に手を伸ばす。それを隙ありと思ったのか担任が叫ぶ。

「その女を捕まえなさい!」

 クラスメイトが走り出し、グルンさんを羽交締めにする。

 グルンさんは相変わらず臭う。抱きついた生徒達は嘔吐しながらも力を緩めようとしない。

「生きていたのか、死んでいたのか分かりませんが、私の前に現れたのなら教育が必要ですね。皆さん私は彼女に鉄拳制裁を施します。しっかりと抑えているんですよ。出ないと、分かっていますね?」

 顔中液体まみれの生徒達が接着剤を使ったようにグルンさんに取り付いた。

 グルンさんの顔が弾ける。左の拳で殴られ鼻血が垂れる。右の重い一撃が頬にめり込んだので、血と一緒に折れた歯を吐き出すと下にいた女生徒が悲鳴をあげる。

 教室内に肉同士がぶつかる鈍い音が響き続けた。

「私の指導が骨身に染みましたか」

 担任は荒い息を吐きながら、バケツに真っ赤になった拳を沈める。

「感謝でもして欲しいのか、誰がするかよバーカ」

「続けます」

 グルンさんの顎に拳がめりこみ、腹部に突き刺さった拳の衝撃で、捕まえていた生徒達が引き剥がされる。グルンさんは黒板に背中をぶつけた。

「もっと来いよ!」

 ゴーヤのように腫れ上がった顔に向けて、担任のストレートが飛んだ。直撃したグルンさんは後ろの黒板を後頭部から飛び散った血で染めながら崩れ落ちる。

「私の指導に耐えられませんでしたか。この死体どうするか、突然押し入って来たから自衛行動を取ったら死んでしまったことにするか。生徒は反抗しないし、彼を被害者として殺しておけば説得力が……」

 黒板の下でと音がした。

「先生。ツメが甘いよ」

 振り向きざまに殴りかかった担任の拳をことも投げに掴んだグルンさん。

 首が一人でに回転し、僕にとってはすっかりお馴染みになったその姿を見て、クラスメイトは声が出ないようだ。

 担任が唾を呑み込む。

「どうやってその姿に……」

「簡単だ。首を正確に百八十度回すんだよっと」

 グルンさんは掴んだままの拳に噛みつく。指を咀嚼するたびに軟骨を噛むような音が響く。

「こっちはどうだ」

 両手の指を噛みちぎって味わうように顎を動かすと、べッと床に吐き出した。

「あんたのツメ、檄マズ」

 グルンさんの腕が左右から、担任の脇腹を突き破る。

「おんやぁ、先生ったら、最近、快便とはご無沙汰だったみたいダネ」

 体内で手を動かしているらしいグルンさんが「見っけ」と言った次の瞬間、担任の身体が二つに分かれた。

 割れた背骨から手を離すと、担任の上半身と下半身が水音を立てて落ちる。上半身は頭に手を伸ばし、下半身は断面から脱糞していた。

「よかったな。人生最後にスッキリできて」

 グルンさんは担任の骸に興味を失ったのか、クラスメイトの方へ向かう。教室の隅で身を寄せ合う姿はまるで厳冬を凌ぐ小動物のよう。

 僕は繰り返される断末魔と飛んでくる臓物を避けながら、制服を着ていると、パンツの中で痛いほど屹立していたことに気づく。布地の内側は粘液でべっとりと汚れていた。

「はい、おしま〜い」

 人の姿になったグルンさんの背後ではクラスメイトだったモノが肉の山と化している。

「デコスケ腹へった」

「ありがとうございます。何食べたいんですか」

 この惨状の中、僕も小腹が空いていた。

「この前のホットドック」

 

「? あんなので良ければ――」

 グルンさんの姿が消えた。いや肉の山に激突している。

「ありがとう兎兎ウサギトさん」

 担任が二本の足で立っている。

 シルエットは辛うじて人だが、上半身は大岩のように筋肉が盛り上がり、下半身はヤジロベエのようにスリムだ。異様なのは着ている白スーツ。よく見ると乳首や血管が露出している。素肌だ。極め付けは股間のモノだ。脚より太いそれはアフリカゾウのようでこんな時なのに僕は吹き出してしまう。

 した担任が僕を見る。

「君の指導は後にします。まずは兎兎ウサギトさんを徹底的に指導し、その後バラバラの生徒たちを繋ぎ止めて、この素晴らしい力を教えなければいけません」

 肉の山に近づいた担任の顔が毛むくじゃらの手の爪に引っ掛かれた。爪をよく見ると鋸のようにギザギザしており、肉が引っかかるように抉れてしまう。

 担任の頬は大きく裂け、歯茎と歯列が見えるほど深い。

「やっちまった。やっちまったよ!」

 グルンさんが嘆きながら肉の山から登場する。

「力の必要ねえやつに教えちまった。早く殺さねえと。デコスケ、ホットドックは後回しだ」

「鉄拳制裁」

 力を解放したグルンさんが吹き飛ぶ。

 再び肉の山から飛び出したグルンさんは、右手の爪で担任の前腕を引きちぎろうと掴んだつもりが、皮膚の表面を火花を散らして滑った。

「何だその腕、金属か?」

「私の意思の硬さを神が恩寵として与えてくださったのだ」

 鍵爪のように横から振るわれた拳によって、グルンさんは教室の壁に大穴を開けて姿を消した。

 廊下に出た二人の罵倒や擦れるような金属音が次第に遠くなっていく。僕は教室を出るとこの戦いを見届けるために追いかける。

 二人は理科実験室にいた。ホルマリン漬けの動物をグルンさんが投げつけ、担任が払いのけた隙に爪を伸ばすが、前腕に防がれ、反撃をもらってしまう。机の向こうに吹き飛んだグルンさんは人体模型を投げつけて、実験室を後にする。

 一瞬見えた胸部は、月の表面のように何箇所もへこんでいた。

 階段を登ったふたりは家庭科室に飛び込む。

 グルンさんのテカる髪の毛が意思を持ったかのように動く。机の棚から包丁を取り出すと。十本以上の刃先を一斉に放つ。

 担任は冷静に拳で弾き前腕で急所を守る。

 帰ってきた包丁は皆刃が欠けていた。

 グルンさんは執拗に正面から攻撃を繰り返す。距離をとっていたのにいつの間にか担任が間合いを詰めており、包丁の槍衾を潜り抜けた鉄の拳が破城槌となって、グルンさんのお腹が背中にくっつくほどへこみ、内臓が口から溢れて髪の毛が力を失い包丁が音を立てて落ちる。

 拳を振り上げた担任の動きが止まる。尻の上、腰のあたりに包丁が突き刺さっている。柄を掴んでいるのはピンク色の腸。

 吐き出された腸たちが包丁を掴み担任に襲いかかる。動きの鈍くなった担任だが、不意打ちはそれ以上効かず、包丁は叩き落とされ、グルンさんも殴られてしまう。

 口から腸がはみ出たまま壁を突き破り、階段の角に背中を強打。追いかけて廊下に出ると階段をピンク色の管が登って行く。

 たどり着いたのは屋上だった。空に黒雲が立ち込め大雨と微かに聞こえるサイレンが二人を出迎える。

 グルンさんは腸を体内に戻しているところだった。

「もう逃げ場はありませんよ。大人しく私の指導を受けなさい」

「ばーか。この広さはオレの縄張りなんだよ!」

「鉄拳制裁」

 担任が距離を詰める間、グルンさんはというと、自分の左腕を引きちぎり、次に右腕の肘を噛みちぎった。

 激しい雨と共に両腕が落ち水滴と暗闇に混じって見えなくなる。

 担任は速度を緩めず右の拳を突き出した。グルンさんは顎を開いて受け止める。スズメバチの針のような歯があたりに飛び散る。

 歯茎と顎の力で拳を押さえつけるが、ゆっくりと拳が喉に向かっていく。グルンさんは血と涎を垂らしながら笑い出した。

「私の指導を受けないからくる――」

「勝った」

 担任の左肩が抉れる。犯人は毛むくじゃらの右手。血に落ちたソレが宙に浮かび、担任から取った肩肉を握りつぶした。 

 骨が見えるほど傷ついた左腕は動かせないようでダラリと垂れる。

 右手が宙を浮くということは……、顎で真っ直ぐに固定された担任の右腕を爪の伸びた左手がむんずと掴む。

 顎と左手の力によって、担任の肘から下が骨ごとすっぽ抜けた。

 グルンさんは包丁を操ったように両腕を操っていた。包丁は担任に無力と思わせる陽動だったようだ。

 腕を肩に戻したグルンさんは、担任の腹から胸を鋸の爪で引きちぎり肉と皮を解体していく。担任の白スーツは自らの血で真っ赤に染まり、剥き出しになった心臓が足りなくなった血液を補うように収縮を繰り返している。

「何故だ。神に選ばれた私が敗北を喫するなんて」

 グルンさんが、担任の頭を背骨ごと引き抜いて顔を近づけた。

「思い上がるな。人間ってのは、どんなに着飾っても等しくクソを出すんだよ!」

 担任の頭を持ったままフェンスをよじ登る。

「デコスケ」

 グラウンドを見ると、何十台ものパトカーに警察官。盾を構えた機動隊の姿もある。

「おいデコスケ」

「何ですか」

 グルンさんが担任の頭を持ったまま、両腕を広げると、背後の雨雲が切り裂かれるように二つに裂け、顔を出した満月が、返り血まみれの彼女を妖しく照らした。

「ホットドッグはまた今度だ!」

 奢る側が言いそうな捨て台詞を残して屋上から飛び降りる。

 パトカーに握っていた頭部を叩きつけると、警官隊の間を縫って走り去る。

 あっけに取られていた警官達が我に返ってパトカーで追いかけていくのを、僕は屋上から見ていることしかできなかった。


「先日起こった学校襲撃事件で現行犯逮捕された兎兎蛇蛇ウサギトイイ容疑者がまたも私達に衝撃を与えました」

「今苦しんでるそこのお前、これを見ろ!」

「護送中にカメラで捉えられた容疑者が首を捻ったところ姿が変わりました。これは瞬く間にネットに拡散。同じように首を捻って救急車で運ばれる人が増える中、怪物のような姿をした何者かによる事件が多発し、SNSでは都市伝説に因んでグルンと呼ばれており――速報が入りました。兎兎ウサギト容疑者が拘置所を脱獄。今も逃走中のようで警察が追跡を――」

 全く、あなたは後先考えなさすぎです。今助けに行きます。ホットドッグ奢りたくて仕方なかったんですから。


〈完〉




 

  

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クルッちまえよ! 七乃はふと @hahuto

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