チャーシューの下に

ゆいゆい

第1話

 さて、どうしよう。俺は、チャーシューで覆い隠したパンドラの箱に意識を向けつつ、ひたすらに黙考した。


「らぁめん味の森」は駅前にあるラーメン店でも屈指のオススメ店だ。鶏がらが長時間煮込まれたスープは非常にこってりしていて、それでいて中毒性がある。食べた直後は胃がもたれて、しばらくは食べなくてもいいかと考えてしまうものの、翌日にはまた行きたくなってしまう不思議なラーメンだ。


「いらっしゃいませー」

 店員の明るい声を受け、俺は食券を購入する。来て間もない頃は色々なラーメンを頼んでいたが、最近は王道の「極濁ごくだくらぁめん」950円1択である。券売機で券を出して店員に渡し、カウンター席にてセルフサービスの水を注ぐ。そして、5分ほど待つと香り豊かなラーメンが提供される。


 箸を取って手を合わせ、ラーメンをすすり始める。トッピングのほうれん草と一緒に食べ始めるのが俺の流派だ。ずるっ。あぁ、美味い。この濃い味、熱いスープ、癖になるわぁ。

 それから俺はチャーシューを箸で掴んだ。分厚い炙りチャーシューがこのラーメンの要と言ってもいい。これがあるから不動の人気を誇っているのだ。嬉々として俺はチャーシューを持ち上げる。その時だ。俺の時が止まったのは。

 今何か、あったよな。チャーシューの下、麺に紛れて。俺は恐る恐るチャーシューを避け、麺を持ち上げる。ひっ。思わず悲鳴を出すところであった。

ゴキブリ。ゴキブリがラーメンに混入してる。ゴキブリだよ。ゴキブリが入ってるよ。

 俺は一瞬でパニックになった。ただ、この場面でとっさにチャーシューでゴキブリを隠したのはファインプレーだと思う。隠して俺はキョロキョロ辺りに視線を向けた。目の前の店員はトッピングを乗せるのに夢中で、両隣のサラリーマンはラーメンをずずずっとすすっている。どうやら、俺のテンパりに気がついていないらしい。目をつむり、一息入れて冷静になろうとする。よし、店員に声をかけて事情を説明しよう。


 そう思ったのだが、それを止めようとするもう1人の自分がいた。待て待て、お前がゴキブリ案件を店員に伝えた瞬間、県内に1店舗しかない味の森のラーメンが食べられなくなるんだぞ。よくて営業停止、最悪閉店。お前、それでいいのか。悪魔のささやきが脳内を支配する。


 俺はすっかりラーメンどころではなくなった。いつもは病みつきになる香りも全く鼻に入ってこない。かといって何もしないと周囲に不審がられるので、盛付け無料のネギをラーメンに乗せたり、普段は絶対に使わないラーメンのたれをかけたりして時間を稼ぐ。どうしよう、どうしよう。一向に答えが出せない。それでも水を飲みながら考える。

 ゴキブリが混入していた事実を公表するのは論外。極濁ラーメンが食べられなくなってしまう。かといってこのままスープに入ったまま退店してもアウト。では、床やポケットにゴキブリを移すか。いや駄目だ。不審な動きに回りが気づいてしまう。黒光りしたその身体はどうしたって目立ってしまう。一度でもその姿を誰かに見せてしまったら、その瞬間ジ・エンドだと思ったほうがいい。


 しょうがない。一度トイレに行こう。さらなる時間稼ぎだ。俺はチャーシューで隠したそれが誰かに見つからないか心配しながら席をたった。

 放尿しながらふっと息を吐く。とんでもないアクシデントに巻き込まれてしまった。どうして俺なんだ。味の森に1番通ったと言ってもいい俺が。

 ふと、用を足していると、ラーメン味の森の思い出が心に蘇ってきた。週1回欠かさず5年以上通い、彼女との初デートでもきたものだ。あまりに来すぎて顔を覚えられ、前の店長からオリジナルTシャツをもらったっけ。らぁめん味の森は俺の生活に欠かせない存在なのだ。喪ったら生きていけない。俺は排泄中、そう強く実感した。

 もう、これしかない。躊躇う気持ちもあったが、俺は決意を固めた。席に戻り、俺はトッピングのにんにくを手に取った。そして、これでもかと言うほどににんにくを投入した。そして、意を決して箸に手を伸ばした。


 


「ありがとうございましたぁー」

 食べ終えた俺は店を出た。口の中がにんにく臭い。あれだけのにんにくを混ぜたのだから仕方ない。今日彼女と待ち合わせじゃなくてよかったと強く思う。

 とにかくチャーシューが分厚くてよかった。にしても食欲がないのになんだかお腹が減ったものだ。2軒目のラーメン店でお口直ししようかな。

 らぁめん味の森を護った。俺は達成感を胸に、隣のラーメン店の扉を開けた。

 

 

 



 

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チャーシューの下に ゆいゆい @yuiyui42211

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