しにがみ。

因果某(いんが なにがし)

しにがみ。

 男性、あるいは女性が早逝する家系の話を聞いたことがないだろうか?

 その家に生まれた男児は、一定の年齢を迎える前に必ず死んでしまう。といったものだ。

 勿論こんなものはフィクションの中にしか存在しない話で、理由は悪霊のせいだったり先祖の悪行のせいだったりして、結果霊能者やお坊さんなどになんとかしてもらう。という話が多いのではないだろうか。


 話は変わるが、私は趣味で小説を書いている。特に宣伝などしていないし、ジャンルがジャンルなので多くの人に読んでもらえるわけではないが、知人からのプロを目指せるよ!なんて他愛のないお世辞を本気にしてしまった時期もあったものだ。

 そんな私であるが、今回は先ほど語ったようなテーマで作品を書いてみたいと思う。ここでは知人の体験を彼の視点で書く、という手法を採らせていただく。


 ちなみに、話を聞いた時点で彼は26歳。誕生日まではあと1ヶ月くらいだと嬉しそうに話していた。






 俺が初めて幻聴を聞いたのは、確か高校に入学した、まさにその日の夜ではなかったか。

 ふと夜中に目が覚めてしまい、水でも飲もうと台所まで行った。晴れているのか月明かりで明るい台所には不思議な雰囲気があり、こういうのを侘び寂びというのだろうか?などと考えながら水を飲み干すと、コップを置いてその場を離れる。


ピチョン ピチョン


 ……あれ?蛇口を閉めるのが弱すぎたのか? 戻って、蛇口を強めに閉める。

 しかし、蛇口からの水滴は止まらない。変わらず、水の張られたボウルに一定のリズムを刻み続けている。


ピチョン ピチョン


 これだけ強く閉めてもダメなら、蛇口自体がダメになっているのだろうか?覚えていれば、明日の朝にでもお袋に言っておくか。そう考えて踵を返す。


ピチョン ピチョン ポチョン


 ん?音の変化に、思わず振り向く。

 水滴は変わらずに美しい音色を奏でているが、先程より滴下する量が増えたのか音に重みが出てきたような気がする。

 参ったな、この調子でどんどん緩んでいったら……でも、修理する方法なんて知らないしな……

 あらためて蛇口に触れるが、やはりきつく閉まっている。

 まぁ明日になってよりひどくなっているようなら、お袋が工事業者でも呼ぶだろ。そう考えて再び踵を返した、その時。


「待てよ」


 ……?


「待てったら、こっちだよ」


 声は、真後ろの台所から聞こえる。

 まさかこれは夢なのか?自分の頬をつねってみるが、後悔するくらいには痛い。


「聞こえてるだろ?ちょっと話があるんだ」


 戸締まりはしっかりしているし、まさか泥棒が話しかけても来るまい。意を決して振り返るが、やはり誰もいない。蛇口の水滴も相変わらずだ。

 ……夢でないのなら、幻聴か?


「違ぇよ。シンクまで来い」


 くたびれたおっさんのような声の幻聴に、何故かむかっ腹が立ち早足でシンクまで近づく。しかし台所のどこにも、窓の向こうにも人影一つない。なんなんだよ、全く……

 ため息をつきつつ頭を下げると、水滴で揺れるボウルの水面に、何かが見えた。

 当然自分の顔が月明かりで反射しているのかと思ったのだが、それにしては、なにか違う。

 定期的な波紋でよくは見えないが、髪が長い?やつれている?それに、自分よりは大分おっさんのような気もする。


「失礼なやつだな。まぁ、間違っちゃねぇけど」


 目の前から聞こえた声に、流石に体がビクリと反応する。

 それに、気のせいだろうか?水面の人影の口が動いたような……?


「やっと気付いたのかよ。さてはお前、バカだろ?」


 ……確かにそうだ。通うことになった高校も、あまり頭のいいところではない。だが


「なんなんだよお前……ってか誰だよ、しかもこんな夜中に」

「へぇ、度胸はあるじゃねぇか。いやなに、一言二言話が出来りゃいいんだ」

「はぁ?だからお前は」

「まず一つ。人生一寸先は闇だからな、しっかり楽しんどけよ」

「……」

「もう一つ。いい女見つけて結婚して、子供も作れよ。何、お前なら大丈夫さ。じゃあな」


 こっちの話も聞かずに謎のおっさん?は唐突に話し終えると、いつの間にか水面の人影は元に戻っている。水滴も、止まっている。


 ……バカバカしい。寝よ。


 翌朝。台所に行ってみるとお袋が洗い物をしていた。蛇口の水漏れ無かった?と聞くとはぁ?と返されたので、やはり昨日のアレは夢だったのだろう。




 月日の流れとは早いもので、俺はまさに今、汗水垂らして働いている。


 元々頭が良くないことは自覚していたので大学には行かず、適当に選んだ現場仕事に就いている。

 確かに仕事はキツイが、学生時代にバイトで鍛えていたからか慣れればそこまで苦でもなかった。周りの人は優しくしてくれるし、仕事帰りに飲る一杯は格別だ。

 強いて言えば高校は男子校で、今の仕事もこの通りなので女っ気が全く無いことくらいか。だが今は兎に角、働いて収入を得ることが楽しくて仕方がない。

 今まで苦労をかけてしまったお袋を旅行に連れて行ってやったり、贈り物をしたり、好きだというものを取り寄せてやったりすると、その度にお袋は大げさなほど、時には涙を流してまで喜んでくれるのだ。

 自分みたいなバカでも生きててよかった、そう思える貴重な瞬間だ。人生金が全てとは思わないが、やはり労働はいいものだ。


 順風満帆に見えた社会人デビューだったが、何年かすると陰りが見えてきた。

 まず、勤め先が倒産した。どうも社長がインサーダー?なんとか取引?だかで捕まったらしく、そのゴタゴタの収拾がつかなかったためというような説明を受けた。

 幸い給料の踏み倒しなどはなかったし、親切な先輩が雇用年金?保険金?だかの説明をしてくれた為、貯金も合わせてしばらくは食い繋いでいけそうだ。

 しかし悪いことは重なるもので、ちょうど同じ時期、お袋が病に倒れてしまった。


 幸い命に別状は無いらしいが、以前のようにパートで働きに出ることは出来なくなってしまうようだ。なんたら保険のお陰で働かずとも何ヶ月かは毎月お金が貰えるようなので、いい機会だと職探しは急がずに、お袋に付いていてやることにした。

 お袋は自分はいいからお前の人生のことを考えなさいと言ってくれたが、こんな機会はそうそう無いだろうし、1ヶ月だけだと言って無理やりそうすることにした。


 家でお袋についていてやる生活を始めてから1ヶ月ほどたったある日。お袋が転院することになった大きい病院まで車で送っていくと、診察中に看護師さんから診察室においで下さいと呼び出しを受けた。




 ……お袋は、ガンだった。

 どうも前の医者の検査が不十分で発見できなかったらしく、既に手の施しようがないとのことだった。


 その日、どうやって家まで帰ったのかよく覚えていない。よく事故らなかったものだ。

 家に入り、看護師さんに教えてもらった訪問看護?介護?とかいうサービスに申込みを済ませた後、改めてお袋と話をした。

 ……いや。正確に言えば、話にはならなかった。


 親父は俺が産まれる前に亡くなっており、父を知らない俺にとっての、唯一の肉親。女手一つで男子を育てるのは、どれほど大変だっただろう。働くようになって、初めてその凄さ、重みを理解できる。

 気がつけば、俺はお袋の胸の中で泣いていた。俺なんかより、余命幾ばくもないお袋の方がよほど辛い筈だ。なのに、それなのにお袋は涙一つ流さず、子供のように泣きじゃくる俺を、ずっと抱きしめてくれていた。




 翌日。訪問看護の方との顔合わせや説明を終え、ヘルパーの方に家を任せて一人病院に向かう途中、近所のAさんに出会った。最近お母様を見ないけどお元気?と聞かれたが、Aさんはお袋とは親しかったのでありのままを話すことにした。

 Aさんは涙ぐみながら話を聞いてくれ、自分や訪問看護/介護の方がいない間はお袋に付いていてくれるとまで言ってくれた。

 仲のいいAさんとならお袋も安心して話ができるだろうと、厚かましいかとは思ったが提案を有り難く受け入れさせてもらった。


 病院に着くと、そこで今後の治療方針や薬のこと、訪問看護に連絡することと病院に連絡することの違いなどを教えてもらった。自分はバカなのでどうしていいか分からなくて色々と助けて欲しいと正直にお願いすると、先生は訪問サービスの方と連携してしっかり対応するので大丈夫ですよと丁寧に説明してくれた。

 この間も俺は泣きじゃくっていたが、看護師の方が優しく宥めてくれたのが本当に嬉しかった。


 病院からの帰り、駐車場を歩いていると先程の看護師さんと偶然出会った。どうやら退勤時間だったようで、その場で少し世間話をした。

 泣きじゃくっていたのを見られていた俺は恥ずかしさが勝っていたが、話をしてみると彼女もどうやら親を早くに病気で亡くしていたようで、それがきっかけで医療関係で働くことを志したようだった。それもあって自分のことを他人のようには思えず、つい職分を越えた対応をしてしまったのだという。(実際、泣きじゃくっていたとはいえ成人男性を女性の看護師が抱きしめて宥めるのはやり過ぎだったのだろう)

 もっと話をしてみたいと提案すると、彼女は快諾してくれた。家に電話すると、訪問看護の方曰くお袋の様態は安定しており、今もぐっすり眠っているようだ。途中電話がAさんに代わり、帰ってくるまで見ててあげるから安心してと言ってくれた。たまたま家に居てくれたらしい。

 改めてお礼を伝え、何かあったらすぐに連絡を下さいと言って電話を切る。彼女に向かって頷くと、彼女の方から自分の家が近いからそこでどうですか?と提案されてしまった。

 女性の家に行くなど生まれて初めてなのだが、そんな気恥ずかしさなど感じないほどこの時の俺はいっぱいいっぱいだった。


 彼女の家にお邪魔して話し始めると、やはり話題はお互いの親の話になった。

 彼女の親、正確には親父さんは俺のお袋と同様ガンが手遅れの状態で見つかり、数年の介護生活の末穏やかな最期を遂げたのだという。

 この時点でお互いに込み上げるものを抑えられなかったが、話題が自分のお袋のことになるとやはり自分は耐えられず、彼女もまるで自分のことのように涙してくれた。

 二人して泣きじゃくった後どちらからともなく笑いが起こり、話題はなんてことはない世間話へと移っていった。

 一通り話し終える頃には窓からの光に朱が差しており、そろそろ帰ろうと挨拶すると彼女から引き留められてしまった。

 お袋のこともあるからと断ると、唐突に彼女に唇を奪われた。男として甚だ情けない限りだが、そのまま抗う間もなくベッドでお互いの悲しみを癒やし合うことになった。





 初体験の高揚感を楽しみながら車を運転していると、携帯に着信があった。

 自分はスマホの操作がよく分からないので所謂ガラケーを使っているのだが、何度もかけ直される着信に高揚感が削がれていく気がして、ポケットに入れたまま着信元も見ずに電源を切ってしまった。それに、運転中の通話など以ての外だ。


 清々した気分で運転を続け、家の近くまで到着すると何やら付近が騒がしい。

 野次馬だろうか?道路には人がひしめき合っており、クラクションを鳴らさないと通れないほどだった。進んでいく内、どうやら人だかりの中央は我が家だということに気付く。


 ……その可能性に気付いた瞬間、辺りの喧騒が一瞬で掻き消えた。


 物言わぬ人並みを強引にかき分け、自分の家の敷地に入ろうとするのを阻止する白服や黒服の人間を薙ぎ倒し、玄関まで移動する。何故か鍵は開いていたのでそのまま家に入ろうとすると、後ろから何者かが体を引っ張ってくる。力任せに排除するが、次から次へと邪魔が入る。邪魔をするな!そんなことを叫んだような気がする。とにかく今は一刻も早くお袋が寝ている寝室へ――






 薄れゆく意識の中、俺が最後に見たのは物のように袋に包まれ、運ばれていくお袋の死に顔だった。





 目覚めた時、最初に目に映ったのは白い天井、白いカーテン、そして自分の腕に繋がる点滴だった。

 どうやらAさんが善意で救急に連絡した結果警察が介入することになってしまったようで、俺が起きてから少しして、病室に警察官がやってきた。

 警察の方に事情を聞き、また自分からも説明すると改めて警察署での聞き取りは行うが、事件性はなさそうなのでまずは安心して体を休めて欲しいとのことだった。

 その場で俺は一番気になっていること、つまりお袋とはいつ会えるのかと聞くと、警察の方は悲しそうな表情でかぶりを振り、警察署での事情聴取が終わり、諸々の手続きが終わるまでは無理だということを優しく説明してくれた。

 今日は、病院に泊まることになるらしい。




 もう日付は変わっている。だが、当然寝付ける筈もない。

 

 ママ……


 涙で枕を濡らしながら、様々な後悔が頭を過ぎり、消えてはまた新たな後悔が生まれ、弾けてゆくのを感じる。

 彼女も、Aさんも悪くない。悪いのは、悪いのは……

 そんなことを考えていると急速に気分が悪くなり、重い身体を引き摺ってどうにかトイレまで辿り着く。


 なんとか個室のドアを開け悪心の原因を吐き出すと、同時に心のつっかえもほんの少しではあるが、軽くなったような気がする。

 洗面所で口と鼻をゆすぎ終えると、水を貯めて顔を洗う。

 顔を上げて鏡を見てみると、我ながらひどい顔だ。あんなことがあったのだから当然かもしれないが、随分やつれたような気がする。どこか懐かしい顔だ。


ピチョン ピチョン


 ……?どうして、この顔が懐かしいと思えるのだろう?どこかで見たことのある……いや、そんな記憶は


ポチョン ポチョン


 ふと視線を下げると、センサー式の蛇口から水滴が垂れていた。こういった蛇口でも、こうなるものなのだろうか?……いや、これは


ポチョン ポチョン


 ……ふと、昔の記憶が蘇った。再び視線を上げ、鏡に向かって話しかける。


「おい、いるんだろ?」

「おう。久しぶりだな」

「……あんたさ、ひょっとして」

「おっと、それは違うぞ。俺は未来のお前じゃないし、もっと言えばお前の親父なんてオチもない」

「……じゃあ、誰なんだよ」

「うーん……まぁ言ってもいいか。別に信じなくたっていいが、お前らの呼ぶ死神ってやつさ」

「……はぁ?」

「なんだ、つまんねぇ反応だな……まぁ状況が状況だからか。大体はイヤーッ!とか驚いて逃げていくんだが」

「で?死神ってことは、俺はもう死ぬのか?」

「いや?えーっと……あった。今日から数えて……1502日後だな」

「……4年後くらいか?」

「まぁそんなもんだ。意外と平然としてるな」

「それって、さ」

「あん?」

「……早めることって、できねーのかな」

「はぁ?」

「……俺、もう無理だよ。自分がバカなせいで、お袋の死に目にも会えなくて……こんなの……」

「お、おいおい、元気出せよ。そりゃ不幸な事件だったけどよ、お前がそこまで悪いとは思えないぞ?」

「はは、死神が元気出せ、かよ」

「いや、まぁ、仕事だからな……大変なんだぜ?恋人が居るから、子供が居るから止めてくれ、何日待ってくれってさ。ダメなんだよなぁそういうの。つい情に流されそうになるっていうか」

「そりゃ、そうだろうな。俺だって、お袋が連れて行かれるって言われたら……」

「あんまり考えすぎるなって。お前の場合あと4年もあるんだし、あの彼女と懇ろになるには十分な時間じゃないか?」

「……いや。あんな優しい人なら、俺じゃなくても他にいくらでも相手がいるさ。で、どうなんだよ」

「……早めてくれって話か?」

「あぁ」

「うーーーーん……俺も初めてそんなこと言われたからなぁ……ちょっと待っててくれよ。あ、水は抜くなよ?」


 そう言うと自称死神の顔は薄れ、鏡に映るのは自分の顔に戻り、水滴の音も止まった。

 あまりのショックに幻聴でも聞いたのだろうか。しかし……

 今しがたの出来事を信じられずにいると、再びあの音が聞こえだした。


ポチョン


「お待たせ」

「あぁ。で?」

「結果から言えば、早めることは可能だ。だけどよ、本当に今決めちまうのか?お前今相当参ってるだろ?そんな時に決めちまったら、後で絶対後悔するぞ?」

「いや、しない。その時になって、延ばしてくれとも言わない」

「お前、なんでそんな……」

「……ママに、お袋に会いたいんだよ」


 暫くの間、その場には規則正しく響く水音と、自分の啜り泣く声だけが響いていた。


「……落ち着いたか?」

「あぁ」

「それで、決意は変わったか?」

「いや、頼む。今すぐ」

「待て待て、今すぐは無理だ」

「え?」

「ルールなんだよ。一番早くても……あー、3ヶ月くらい後かな」

「……俺の誕生日?」

「そうそう。それならお袋さんとも会えるようにしてやるよ」

「ほんとか!?」

「シーッ!声がでけぇよ。周りの迷惑考えろ、人が来るかもしんねぇぞ」

「……すまん」

「んじゃ確認するぞ。お前は本来よりかなり早く、次の誕生日に死ぬ。本当にいいんだな?」

「あぁ」

「宣誓しろ。本当に、いいんだな?」

「……あぁ。俺を次の誕生日に、死なせてくれ」

「……分かった。あ、次の誕生日までは体を大事にしろよ?それまでに死なれると俺の」

「死なれると?」

「いや、すまん、失言だったわ。兎に角、次の誕生日にな。別に何の用意もいらないぞ。寝て起きたら、だ」

「分かった。……寝て起きたらってことは、もうお前とは話せないのか?」

「そうなるな。なんだ、寂しいのか?」

「んなわけ無いだろ。誰が死神と何回も話したいと思うんだよ」

「死期を早めてくれって言うやつが言ってもなぁ」


 二人?して大笑いすると「じゃあな」と声が聞こえ、何もかもが元に戻っていた。





 それからの俺は、まず警察の事情聴取を済ませた。事前に安心していいとは言われていたが、流石に警察署に入るのは緊張した。だが実際は2,3確認されただけで、晴れて自由の身となった。

 既に話が済んでいるという葬儀屋まで移動し、ようやくまともにお袋と対面することが出来た。

 ごめんな。俺もすぐに行くよ。


 その後Aさんを尋ねると救急車を呼んだことを平謝りされてしまったが、こちらからすれば恨む道理などない。寧ろお袋の面倒を見てくれてありがとうという意味で茶菓子などを持参し、お袋の思い出話に花を咲かせた。


 看護師の彼女はどうしているのだろうか?もう病院に行くことは無いのだから、会うこともないだろう。彼女は彼女で別の人生を歩んでいくのだろうが、短い間とは言え良くしてもらったのだ。せめて彼女の今後が、幸せでありますように。


 その後お袋の相続関連の手続きに着手すると意外な額が残されており、また目頭が熱くなった。

 色々と使い道を考えてみたが、バカな俺には何も思いつかなかったので色々と調べていく内、全く関係ないインターネットコミュニティの友人から聞いた話で、戦争孤児の救済NPOへ寄付することに決めた。

 どうも信託銀行?経由で運用収益の全てを直接NPOへ寄付するようにして、分配方法はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に相談するようにしておけば一番効率がいいらしい(下手に組織の維持費や人件費にお金が回らないのだとか)

 これなら、天国のお袋も納得してくれるだろう。

 一通りの手続きを終えると相続した自宅は売払い、携帯も捨ててしまった。これで、完全に天涯孤独の身だ。


 そういえば彼は寝て起きたら。と言っていたが、まさか実家で眠るわけにはいかないだろう。頼めば、体ごと連れて行ってくれたりしたのだろうか?そんなことを聞こうと夜中に色々な場所で水を貯めてみたものの、結局一度も会うことは出来なかった。

 遺言書を懐に入れておいて人目につくところで眠るか、はたまた絶対に誰にも見つからない場所で眠るか。


 まるでこれから自殺する人間の思考だなと自嘲していたが、さほど変わらないことに気づき自室で大笑いしてしまった。

 気がかりなことと言えば、自分の心変わりだろうか?やはり死が間近に迫れば、心境も変わってしまうかもしれない。

 誕生日をどこで、どんな気分で迎えるのか。しかし、誕生日と分かっている以上覚悟の決めようはあるはずだ。変な話だが、今のうちから色々と考えておこう。


 浮浪者のような生活も板につき、橋桁の下で段ボールに包まりながらいつも考えるのは、お袋に会えたらなんと言おうか、という一点のみだった。

 誕生日が1週間後に迫った今日も結局答えの出ないまま、襲い来る睡魔に身を委ねていく。



 お袋……そう、お袋。なぜ今日、寝る前の今になって、こんなことを思い出したのかは分からない。

 まだ俺が小さい頃、誕生日を祝ってもらっている時に聞いたんだっけ?曰く


「こうやってお祝いしてあげてるけどね、あんたを産んだ時お母さん大変だったのよ。だから、あんたの本当の誕生日を知らないの。だから、あんたの誕生日は取り敢えず今日!あんたもそういうことにして、忘れないでおいてね」

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