反転世界で交わした約束は。~クロネコとコウヘイ

ChatNeko13

第1話

 ひどく暑かった夏に陰りが見え始め、ようやく過ごしやすい日が増えてきた。暦の上では10月に入ったが、まだ山の木々は緑を保ち、秋らしさはまだ見えない。


 ある日の放課後、小学5年生のコウヘイは、学校近くにある自然公園の入口に立っていた。その手にはタブレットを抱え、いつもよりそわそわしながら班のメンバーが来るのを待っていた。


 コウヘイは公園の時計をチラリと見る。集合時間までゆうに30分以上ある。


(さすがに早すぎたか、失敗したなぁ)


 コウヘイは帽子の鍔を下げて顔を隠し、押さえきれない胸の高鳴りを誤魔化すように、その場にしゃがみこんだ。




 コウヘイは、班のメンバーが揃うのを待っていた。今日は植物観察のグループ課題をするため、自然公園に集まる約束をしていた。


 何度も時計を確認するコウヘイ。同じ班には、今年から同じクラスになったアキという女の子がいた。

 アキは、落ち着いた感じの少し控えめな女の子だったが、たまたま席が近くになったことで話をするようになった。

 他愛の無い話題ばかりだったが、何かにつけて笑ってくれるアキのことを、いつしかコウヘイは気になるようになっていた。


 しかし、席替えでアキと離れてしまうと、一転して話をする機会はめっきり少なくなってしまった。話したいけど話しかける勇気がなく、遠目に眺める日々が続く。

 そんな時に課せられたグループ活動で、たまたまアキと一緒になれた幸運に、コウヘイの心は弾んでいた。






△▲△▲


「あ、コウヘイくん!来るの早いね?」



 その声にコウヘイの心臓が跳ねた。



「さっき着いたばかりだよ。みんな一緒だったんだ」



 うるさい心臓の拍動と30分以上待っていたことを誤魔化すように、ぜんぜん待っていない風に返事をする。

 実はこの時点で、すでに水筒の残量は半分ほどまで減っていた。コウヘイは喉の乾きを、それほど高くない気温のせいにすることにした。



 コウヘイのグループは、アキ以外は去年も同じクラスだったため、すでに気軽に喋れる関係だった。



「よし、じゃあ課題をさっさと終わらせようぜ!」



 コウヘイの号令で公園内の植物を探し始める。少し歩くと1つ目の花・コスモスを見つけ、タブレットで写真を撮る。そして個人で感じたことをそれぞれが記録していった。



 2つ目の課題である菊の花を探していると、同じ班の女子・ユウカが近づいてきた。



「コウヘイくん、アキのこと避けてるんだって?何かアキが気にしてたよ、『私、何かしたのかな?』って」



 思っても見なかったユウカからの情報に、コウヘイは思わず声が出そうになった。



「いや、避けてないよ?え、何でそうなるの?」



「なんか、前はよく喋ってくれたのに、急に話してくれなくなったって言ってたよ。アキのこと、嫌いじゃないなら、少しは話ししてあげなよ」



 ユウカが言うには、アキは大人しい性格のため、仲良くなるのに時間がかかるタイプらしい。男の友達はほとんどいなく、隣の席になったコウヘイが積極的に話しかけてくれたのが嬉しかったそうだ。


 お願いね。と念を押され、あ、う、うん。と半端な返事をしてしまうコウヘイ。


 そんな話をしていると、少し遠くからアキの声が響いた。



「菊の花、見つけたよー!!」



 声の方を見ると、アキが笑顔で手を振っていた。


 ユウカは咳払いをして、コウヘイに返事することを促す。戸惑うままにコウヘイはアキに向かって手を挙げる。急に照れ臭くなったコウヘイは、誤魔化すように駆け出した。



「先にアキの所までついた方が勝ちな。負けたらジュースで」



「え、ちょっ……ズルいよ!」



 待ってよー。と後ろから聞こえる声を置き去りにして、コウヘイは全力で走った。



「コウヘイくん、早ーい!でも女の子を置いてきちゃ駄目だよ」



「勝負は真剣にやらないとね」



 走ったからか、少し熱い頬を手で拭って、コウヘイは水筒を傾ける。残り3分の1くらいまで減った水筒に頼りなさを感じながら、観察しようぜ。と、皆を促して菊の花の場所に移動した。




 ユウカに言われた言葉が頭の中をグルグルと回る。動揺するコウヘイをよそに、班活動は順調に進み、3個目のススキの観察記録も無事に終わった。


 少し休憩しよう。とユウカが言い出し、林道に立つ東屋で一息入れることになった。


 爽やかな秋の風が4人の間を抜けていく。心地よい秋の日和。まさに植物観察にうってつけの日であった。


 ユウカとアキの笑い声を耳にしながら、コウヘイは手持ちぶさたに水筒を傾ける。すっかり軽くなった水筒を少し振りながら、その残量を確認していると、アキがコウヘイに声をかけてきた。



「コウヘイくん、水筒の中身、無くなりそうなの?向こう側に水道があったから案内しようか?」



「あ……ま、まだ残ってるから大丈夫かな」



 その声にドキッと心臓を震わせながら、コウヘイはどもりながら答える。


 そんなコウヘイに向けて、アキの隣から鋭い視線が飛んで来るが、それに気付かないふりをして、コウヘイは休憩の終わりを宣言する。



「よし、そろそろ再開しようぜ!暗くなる前に最後の課題を探そう!」



 立ち上がるコウヘイ。何か言いたげなユウカの視線に敢えて背を向ける。


 その時、ビュウッと強い風が急に吹き込んできた。4人は思わず顔を背けて、薄目になる。その傍らでは、観察を終えたススキの一群が穂を大きく揺らしていた。




「なかなか見つからないね。分担してもう少し遠くを探してみようか?」



 ユウカはアキと相談する。最後の課題である彼岸花が見つからない。夕方の時間も迫ってきていたため、4人は捜索エリアを広げて、あと30分だけ探すことにした。



「じゃあ、見つかっても見つからなくても午後4時に、さっきの東屋に集合ね」



 ユウカはそう言って公園の東側に向かっていった。



 東屋を中心に東西南北のエリアに分かれた大捜索。少し日が傾いてきて気温が下がったようだ。コウヘイは少し腕を手で擦りながら、北側のエリアに向かっていた。



「なかなか見つからないなぁ」



 少し疲労もあるのだろう。誰に向けられたでもない言葉がコウヘイの口から漏れる。


 ふと、彼岸花を探すコウヘイの鼻を甘い香りが刺激する。


(これ……何の匂いだっけ?前にも嗅いだことのある……)


 風に乗って漂う甘い香り。コウヘイはその香りに導かれるように林道から続く石段を登っていった。


石段を登るほど、甘い香りは濃くなっていく。クラクラするような強い香りに耐えながら、コウヘイは最後の一段を登りきった。


(……何も、ない)


 階段を登りきった先には何もなかった。キョロキョロと辺りを見渡すが、やはり何もない。いつの間にか甘い香りも消えていた。


 その後も辺りを散策したが、結局、目当ての彼岸花は見つからなかった。


(もう少しで時間か。戻るか)


 元来た道を戻って、コウヘイは階段を降りていく。東屋を目指して少し急ぎ足で林道を進んでいくと、ようやく東屋が見えてきた。


(あれ?誰もいない)


 集合時間を5分ほど過ぎて到着したが、東屋には他の3人の姿はなかった。遅れているのかと思ったコウヘイは、しばらく待つことにした。

 しかし、5分が過ぎても10分が過ぎても誰も姿を現さなかった。



「アイツら、もう先に帰っちゃったのかな?」



 西の空は既に赤く染まり、薄暮の頃が迫ってきていた。

 仕方ない。と、コウヘイは公園の入口を目指して歩き始めた。


(きっと、先に帰ったんだよ。きっとそうだ)


 


 公園を出て、自宅までの帰路に着いたコウヘイだったが、ふと違和感を感じた。見慣れた道路に建物。二つ先の交差点を過ぎれば、家まであと10分そこらの距離だ。


(何だろう……何か、変だなぁ)


 一定間隔で設置されている街灯が道を照らす。コウヘイは歩きながら違和感の正体を考えていると、気付けば自宅が見えてきた。


 玄関の鍵を開け、『ただいま』と呼び掛けるが返事がない。家の中の明かりはついていたので、聞こえなかったのか?と、コウヘイは考えながら、リビングの方に向かった。



「……あれ?誰も……いない?」



 明かりのついたリビングに家族の姿はなく、誰もいなかった。ダイニングテーブルを見ると、そこには温かなカレーライスが準備されていた。



「……夜勤だったのかな?」



 父親は単身赴任で不在、母親は看護師をしていた。母親は時々、夜勤があり、その時は今日と同じようにコウヘイの食事を用意してから家を出てくれていた。


 コウヘイはスプーンを取り出すため、キッチンにある引き出しを開ける。するとそこには、トングやピーラーなどの調理器具が。



「あれ?場所、変えた?」



 隣の引き出しを開けてみると、そこにはスプーンやフォークが仕舞われていた。



「母さん、仕舞う場所を変えたのかな?……まぁいいか。いただきます」



 少し甘めの我が家の味を噛み締めながら、コウヘイは公園でのことを思い返していた。


(避けてるつもりはないんだけどなぁ)


 自分が避けられてると思えば、なかなかにショックだ。ましてや、アキから避けられたら、その威力たるや、凄まじかろう……。


 コウヘイはそんなことを考えながら、明日学校に行ったら、頑張ってアキに謝ろうと決めた。


 公園の散策の影響か、お腹が膨れると一気に睡魔がコウヘイを襲う。ベッドで横になりたい気持ちを堪えながら、シャワーを浴びるため、浴室へと向かう。


 コウヘイは服を脱ぎ、浴室の扉を開けようとしたが開かない。



「え?なんで?」



 よく見ると扉の向きが反対になっていた。不審に思いながらも、眠さを優先してさっさとシャワーを浴びることにした。



 パジャマに着替えたコウヘイは、バタリとベッドに倒れ込む。


(そう言えば、公園や帰り道で感じた違和感って何だったんだろう。家の中も何かいつもと違うような……)


 気のせいか。それとも……。と考えているうちに、眠気の限界を迎えたコウヘイは、その意識を手放していった。






△▲△▲


『コウヘイくん!朝だよ!起きて起きて! PiPiPiPi~』


 

 目覚ましのアラーム音が、いつものようにコウヘイを目覚めさせる。



「──ん~」



 ベッドの上で大きく伸びをする。


 あぁ、学校に行く支度をしなきゃ。と、コウヘイは大きなあくびをしながら起き上がった。


 ダイニングに向かうと、やはり母親の姿は無い。やっぱり昨日は夜勤だったんだろうと、1人納得しながら、コウヘイは手慣れた手付きでシリアルに牛乳を注いでいく。


 手早く身支度を済ませ、玄関に向かう。ドアを開けようとしたコウヘイはドアの向きが逆なことに気づいた。


(あれ、何で逆?……昨日は、どうだったっけ?)


 疲労と眠さ、そしてアキのことを考えていたため、コウヘイは、昨夜のことをあまり覚えていなかった。


 違和感が次第に不安へと変わっていった。不気味さも感じながら、コウヘイは、一先ず小学校へと向かうことにした。





「何だこれ?!」



 日の光の下で外に出たコウヘイは、昨夜からの違和感の正体に気づいた。普段、見慣れた通学路の景色が、おかしい。


 コウヘイの目に映る道の看板、自動販売機の並び、車の車線──それらが左右入れ替わっていた。


 目を疑う光景に、コウヘイは大通りまで駆け出した。え、嘘?と心の中でつぶやきながら、大通りに出る。

そこで目に入ってきたのは、先ほどと同じ光景──左右が入れ替わった町の様子だった。



 困惑。唖然。バクバクと脈打つ心臓の音が鳴り響く。コウヘイは、皆がどうなっているのか気になった。今だ状況を飲み込めないまま、ふらふらと大通りを歩き、小学校へと向かった。








△▲△▲

 小学校の校門に着いたコウヘイは、校門をじっと見つめる。その後、ゆっくりと歩きだし、校庭、校舎の順に注視する。



「ここもか……」



 通学路で気づいた左右の反転。一縷の望みで小学校へやってきたが、校門の飾りや校庭の遊具、校舎の大時計と様々なものが反転していた。


 昇降口の階段に座り込んだコウヘイは、自分の頬をつねってみた。頬はしっかりと痛かった。ジンジンと鈍い痛みを発する頬を撫でながら、反転した世界が夢では無かったことに肩を落とす。



「これはこれは。反転世界に迷い込んだニンゲンがいるなんてね。どうしてこちらにきたのかね?」



 突然かけられた声に、コウヘイはビクッと体を震わせた。コウヘイは、恐る恐る声の方に振り向くと、そこにはタキシードを着たクロネコが立っていた。



「黙秘かね。まぁいい。そんなことより、ニンゲンよ。1人欠席者がいて困っていたんだ。オイラのクラスの活動に協力しないか?最後まで協力してくれるなら、元の世界に帰る方法を教えてあげてもいいが、どうかね?」



クロネコは右手で髭を撫でながら、コウヘイに問いかける。


……ネコが言葉をしゃべってる。


……こちらの世界。


……元の世界への帰り方。



 コウヘイの頭の中では、クロネコの発した言葉がグルグルと回りつづけていた。気になることが多すぎて、考えがまとまらない。



「オイラの言葉は通じているのかね?……もうすぐ始業の時間になるから、早く教室に向かってほしいんだがね」



 クロネコは左手の腕時計を付き出して、時計盤を見せてくる。コウヘイは促されるままに時計盤を見ると、そこには左右反転された数字が並んでいた。


 あぁ、ここもか。


 コウヘイは半ば諦めに似た気持ちで、ここが別世界であること、そして夢ではないことを理解した。


 なぜ、自分がこの世界にいるのか。どうすれば戻れるのか。目の前のクロネコは何物なのか。分からないことばかりであった。



「ニンゲン。名を何と言うのだね?」



「……コウヘイ」



 警戒しながらも、コウヘイはポツリと自分の名を名乗る。クロネコはニヤリと口角を上げ、コウヘイの腕を掴んだ。



「さあ、コウヘイ。オイラのクラスに案内しよう!」



 そう言ったクロネコに引っ張られるようにコウヘイは校舎の中に入っていった。同じタイミングで頭上からは、聞きなれた始業5分前の予鈴が鳴り響いていた。







△▲△▲

「ほら、ここだ。教室に入ったら皆に紹介するぞ」



 クロネコに引っ張られるまま、コウヘイは教室の前まで連れてこられた。

5年1組の札を見ると、ここも文字が反対に書かれている。


ガラガラッ。


 クロネコが引戸を開けると、教室の中にいた人達が一斉に教室の入口に顔を向ける。


  30人くらいの視線が自分に集まり、コウヘイは顔を硬直させる。



「はいはい、待たせたね。飛び入りゲストを紹介しよう。コウヘイだ。欠席したハルキの代わりに参加するからよろしく」



 クロネコは教室を見渡した後に、窓際の一番後ろに座る女子に視線を止める。



「そういう訳で、アキ!君のペアはコウヘイになる。仲良くしてあげてくれ!」



 クロネコが発した名前を聞いて、コウヘイは反応する。そしてその女の子の方を見て目を見開いた。


 そこにいたのは、昨日公園で一緒だったアキ、その人だった。


(え!?ア、アキ?)


 アキもこっちの世界に来ていた?

困惑の中、教室内をよく見れば、全員知った顔だった。教室にいたのはコウヘイのクラスメイトたちだった。



 自分だけじゃなかった。見知った友達がいた。空を埋め尽くしていた黒く分厚い雲がパーッと晴れていくように、コウヘイの心は一気に明るくなった。



「コウヘイ、取り敢えずアキの隣の席に座ってくれるかね。改めて課題について説明をするから」



 コウヘイが席に着くと、アキが小声で話しかけてきた。



「安心しな、私が引っ張ってやるからさ。よろしくな、コウヘイ」



「……あ、うん。よろしく」



 見た目はアキだ。しかし、今の話し方、雰囲気は……俺の知ってるアキじゃない。


 そう感じ取ったコウヘイは、まさか……と、ある考えが頭を過った。





△▲△▲

「よーし、コウヘイ!絶対、私たちが1番を取るぞ!頑張ろうな!」



 、ニカッと微笑むアキ。やはり別人だとコウヘイは思った。教室にいた他のクラスメイトも、話し方や雰囲気が違った。″反転″していたのだ。



 クロネコから出された課題は、簡単に言えば謎解きだった。町内を舞台にして、3つの謎を解き、示された場所に向かう。すべての謎を解いたペアが優勝というものだ。





 コウヘイとアキは町の中央にある公園に来ていた。時計の針はまだ昼前。


 鼻息荒く、1つ目の謎として与えられたカードを凝視するアキ。


 優勝を本気で目指しているんだろう。反転世界に来たのが 自分だけだったことが分かり、再び心に影をさしたコウヘイは、謎解きなんて気分じゃなかった。クロネコに言われた『元の世界への戻り方』を知るために仕方なくといったところだ。




「なんだよ、お前。やる気ねーのか?そんな辛気くさい顔しやがって。つーかさ、コウヘイはどこから来たんだ?この辺じゃ見かけない顔だし、他の町から来たんだろ?」



(アキの顔だけど、本当に別人だな。アキならこんなにズケズケと踏み込んでこない。それに……)



 何て説明していいか分からない。アキの質問に答えられず、黙り込むコウヘイだった。



「あぁ?答えたくないってか?ちぇ、何だよ、気を使ってやってんのに。つまんねーやつだな」



 アキは両手を頭の後ろに組みながら、そっぽを向く。返事をしないコウヘイに苛立つようにそんな言葉を浴びせた。



「……に」



「は?何だって?何て言ったんだ?」



コウヘイは小さい声でつぶやく。それを聞き取れなかったアキは聞き返した。



「……俺の状況なんて分かんないくせに!どこから来たのか?そんなの分かんないんだよ、遠いのか近いのか。何でこんなとこに来ちゃったのか。俺だってこんなとこに来たくなかった!知ってるやつは1人もいないし、帰れるのか分からないし、不安で、怖くて……。何なんだよお前!ズケズケと踏み込んできて!俺の知ってるアキは、もっと女の子らしくて、優しくて……嫌だー!!帰りたいー!!」



 抑圧されていた感情が決壊した。ポロポロと涙を溢しながら、ワーワー泣きわめくコウヘイ。それに呆気に取られて、立ち尽くすアキ。


 数秒の間をおいてアキは我に返る。周りをキョロキョロと見回してから、ばつが悪そうに頭をかきながら、コウヘイに近づいていく。


そして───、コウヘイを抱き締めた。



「え……」



 突然のアキの行動に、今度はコウヘイが呆気に取られる。あまりの驚愕さにこぼれていた涙がピタッと止まった。



「悪かったよ。お前の事情も知らないのにつまんねーやつとか言って。事情は分かんねーけど、不安なんだろ?しばらく、こうしててやるから落ち着け?」



 頼むからよ。とアキは顔を背けたまま、コウヘイを抱き締め続けた。



 アキの体温と心臓の音が触れている場所を通じてコウヘイに伝わる。


──トクン、トクン、トクン。


 ゆったりとした心臓のリズムは、次第にコウヘイの心に落ち着きを取り戻させた。



「……ありがとう。もう大丈夫」



 コウヘイがそう言うと、アキは身体を離した。コウヘイは照れくさそうに背中を向けてポツリと口にする。



「さっきはごめん。言い過ぎた」



「あ、いや、私こそ、ごめん」



 いや俺こそ。いや私が悪かったから。お互い顔を逆方向に向けながら、謝り、謝る。



「さっきの……何であんなことをしたの?」



「え、いや、私が泣いた時に母ちゃんがやってくれて……。だから、やってみたんだけどさ。あ、いや小さい頃な!今はもう泣かないからしてもらうこともないから!」



 あたふたとしながら、アキが説明する。その時、2人の目があった。


 

 そして、どちらからとなく、──笑みがこぼれた。



「フフフ。やっと目を合わせてくれたじゃん。笑った顔、結構イケメンじゃん?」



 冗談っぽく笑うアキ。その顔は自分の知っているアキの顔だった。




 それからコウヘイとアキは、1つ目の謎を解いた。アキが分からない所はコウヘイが、コウヘイが分からない所はアキが。話し合って、考えて、悩んで、2人で『アッ』と気がついて。答えがみつかった。



「お、早いな!アキとコウヘイは4番目のクリアだな。ほら、次の指令はこれだ。もっていくといい」



 答えの場所に行ってみると、そこにはクロネコが立っていた。クロネコは2つ目の場所のヒントを示す紙をくれた。


 コウヘイは紙を受け取り、アキを見る。アキは黙ってうなずいた。


「アキ、行こう!図書館だ!」


 紙に書かれた銅像。それは町内にある図書館の入口に建っている物に違いない。2人は町の中の図書館に向かって駆け出した。


 それをじっと見つめるクロネコ。右手で顔を撫でながら、その表情はどこか優しげだった。そして、



「ふむ、順調そうだね。最後までたどり着けるかな?たどり着けるといいんだがね」



とつぶやき、2人の背中が見えなくなると、忽然とその姿を消した。





△▲△▲

「ねぇ、アキ。この数字ってなんだと思う?」


 コウヘイはクロネコからもらった紙を机の上に置き、そこに書かれた数字を指差して尋ねた。



「んー、なんだろう。何かの暗号なのかな」


『F3.12.21 E1.10.4 A1.8.26 C2.18.47』


 2人は紙とにらめっこをしたまま、考え込んだ。静かな図書館の空気は、2人の息づかいさえ飲み込み、静寂を形作っていく。


 いや違うか。でも。と、ぶつぶつ呟くコウヘイ。アキは何か手がかりがないかと辺りを見回す。そんな折、アキが突然声を上げた。



「コウヘイ!この暗号、もしかしたら本の置かれている位置を表してるんじゃない?ほら、これ見て!」



 アキは近くに並べられていた本を手に取り、コウヘイに差し出した。


 コウヘイはアキが指差す所を見ると、背表紙に貼られたシールにJ1.41と暗号に似たものが記されていた。



「あ、本当だ!これが正解じゃない?アキ、やったじゃん、お手柄!」


「へへ。どんなもんだい!」



 アキがはにかみながら手のひらを前につき出す。アキがしたいことをコウヘイは察し、同じように自分の手を前に出す。


──ぱちん。

 

 乾いた音が図書館に響いた。




「これで全部集まったな。んで、これからどうする?」


「んー、この本に何かヒントが隠されてると思うんだけどなー」



 コウヘイは一冊の本を手に取り、表裏と見回すが、特に変なところはない。


 んー。と、うなりながらペラペラとページをめくる。


「分かんないなー。アキはどう?」


「私も同じ。暗号の解き方、間違ってたのかなー」



 アキはお手上げとばかりに机の上に突っ伏した。コウヘイは、手がかりになればと、4冊の本のタイトルを紙に書き出すことにした。


・世界の犬図鑑

・空をとびたい!

・医学の歴史大辞典

・月の科学


 共通点も特になし。何の変哲もないただの本に見える。



「わ、っかんないなー」



 コウヘイは背もたれに大きく寄りかかるようにして天井を見上げる。閉塞した空気が2人を包み込み、謎解きは完全に手詰まりの様相だった。



「ちょっと休憩しようか?」


「んー、そうすっか。私、ちょっと歩いてくるわ」



 アキが疲れた様子で立ち上がり、ふらふらッと入口の方に歩いていった。

 残されたコウヘイは、んー。と背伸びを1つ。


(……成り行きで謎解きに参加しちゃったけど、これで良かったのかな?)


 コウヘイは、ボーッと昨日から今日にかけてのことを思い出しながら、これからどうするか。どうなるのか考えていた。思い出すのはクロネコの言葉。



『この世界は今、子どもたちしか存在してないんだ。町の中で大人の姿は見なかっただろ?まぁ、存在はしてないが、子どもたちの生活を支援するために、多少の影響は現れる感じだな。例えば、昨日の夜を思い出してみな?食事の用意とかされてなかったか?……あっただろ?

 完全に子どもだけだと、困るやつも出てくるから、最小限の支援行為だな。もちろん、大人がいないからスーパーも銭湯も使いたい放題だ。好きに使ってみるといい』

 


 そんな魔法の世界みたいなこと、あるわけないと思った。しかし、図書館に来てみれば、ここにも大人の姿はない。

 でも図書館は営業していたし、カウンターではパソコンの画面がついていたし、貸し出し用の端末も動いていた。


 おそらくクロネコの言う不思議な力が働いていて、この世界で生きる分には困らないのだろう。コウヘイはそう感じていた。しかし、それはそれ、これはこれ、である。


(このまま元の世界に……戻れなかったら?)


 悪い想像が頭を過る。不安がまたコウヘイの心に影を落とす。その時───


 突然、首筋にヒヤッとした感触があった。



「ヒゃッ!!」



 コウヘイはびっくりして、イスから転げ落ちそうになった。その様子を見たであろう人物は、ゲラゲラと笑い声を上げる。



「アッハハハ!悪い悪ぃ。そ、そんなにびっくり、するとは……ククク」



 コウヘイの首に当てたのはペットボトル。悪戯心で冷たい物を当ててみたら、コウヘイの思いがけぬ反応にアキは笑いのツボに入ったようだ。苦しそうに腹を抱えながら、その笑い声はしばらくの間止まらなかった。






「もうそろそろ、落ち着いた方がいいんじゃない?」



 コウヘイは少し不機嫌そうにアキに言葉を投げ掛ける。



「んフフ。いやーこんなに笑ったのは久しぶりだ!笑っちゃ悪いんだけど、さっきのを思い出すと止まらねーんだわ」



 涙目でまだプククと思い出し笑いをしているアキ。コウヘイはそっぽを向いて頬杖をつく。



「はー、面白かった!コウヘイ、ありがとう!……そんなにむくれるなよ、悪かったってば。飲み物、買ってきたんだ。それを飲んで許してくれよ」



 コウヘイは、ジト目でテーブルの上に置かれたペットボトルを見る。1つはいちごミルク、もう1つはアップルジュース。


 それを見たコウヘイは、ふと、元の世界のアキとの会話を思い出した。


□□□

『コウヘイくんは、どんな飲み物が好きなの?私?私はアップルジュースかなー』


 そんな雑談であったが、あの時もコウヘイがいちごミルクが好きだと友達がバラしてしまい、甘党なのがクラス中に知れ渡ってしまった。

 その時の友達とじゃれるコウヘイを見て、アキは口許を隠してしばらくの間笑っていた。

□□□


「──コウヘイ?どうした?アップルジュースの方が良かったか?」



 ジーッとペットボトルを見て、何も言わないコウヘイを不審に思ったか、アキが呼び掛ける。

 

 コウヘイはその声にハッとなり、慌てて返事をする。



「あ、いや。そんなことない。俺、これ好きだし?ありがとう、いただくよ」



 勢い良くペットボトルを傾け、ごくんと飲み込む。口には仄かにイチゴの香りと強烈な甘味が広がる。


 その味はどこか懐かしい味がした。



「なぁ。どうして、これ買ったんだ?あ、いや俺は好きだけどさ、いちごミルクって好みが分かれそうじゃん?」



 コウヘイは疑問に思ったことを尋ねた。アキは少し考えた後に口を開いた。



「なんでだろな。何となく、コウヘイが好きだと思ったんだ。今日、初めて会ったのに不思議だな」



 はにかむアキ。コウヘイはその笑顔に″アキ″を重ねる。アキと″アキ″。性格は違えど、見た目以外にも変な共通点を感じる時があった。コウヘイの中で、この世界の謎がまた1つ増えたが、アキと一緒にいると元気が出てくる感じがした。




 しばしの休憩後、2人は紙に書かれた暗号に注目した。



「なぁ、この最初のアルファベットは本棚の位置だったよな?これ、もしかして本の順番も関係ないかな?」



 アキはそう言うと、4冊の本を並べ替えた。



「なるほどね!ん、今気付いたけど本のラベルの番号と暗号で数字の数が違くない?」



 コウヘイは『A1.8.26』と書かれた暗号の末尾を指差す。ラベルには無い数字──『26』がそこには記されていた。



「えーと、『26』か。この『8』が8番目の本を指しているっぽいんだけど、『26』も26番目の本って意味なのかな?」



「『A1』がAの本棚の1段目を現しているみたいだからな。8番目と26番目……ってことか。あ、もしくはページ数ってことはないか?」



なるほど。ページ数の可能性もあるか。コウヘイはアキの閃きに感心する。そして本を手に取り、26ページ目を開いてみることにした。



「あ、何か挟まってる!」



 26ページ目。そこにはA4サイズを2つ折にした紙が挟まっていた。コウヘイは紙を広げる。そこには──





『門をまもる』




 

 という文字だけが書かれていた。


 5文字だけの少ない情報に2人は戸惑いを見せる。



「え、これだけ?どういう意味?」



 アキの言葉にコウヘイも同意見だ。苦労して手がかりを発見したが、それは、また別の暗号だった。



一先ず、他の本も確認してみよう。ということになり、手分けして確認してみた。


1『門をまもる』

2『あかき門は空まで』

3『まよけのまじない』

4『ささげるいのり』



 コウヘイは、発見した言葉を紙に順番に書き出してみた。



「んー、これだけだと良くわかんねーなぁ」



コウヘイとアキは腕を組んで考える。



「門を守る……朱き門は空まで。ここって赤い門を何かが守ってるってことかな?もしかして、このヒントって関連してる?」



 コウヘイが気付いたことを口にする。アキが、あ、そうかも。と応える。



「じゃあ、この『魔除けのまじない』と『捧げる祈り』も関連してる?」



 朱い門にそれを守るもの、魔除けと祈り……。2人は順番に謎の言葉を口にしていく。そして──




「「神社!!」」




 2人の声が重なった。目を合わせるコウヘイとアキ。

 

 ピタリと息があったことに驚いた後に破顔する。

 

 プッ。ククク。アハハハ。


 笑い声が静かな図書館の中に響く。それから、2人はどちらからともなく席から立ち上がった。



「本を片付けて、向かおう」



「おう、今から行けばまだ暗くなる前に着くと思う」



 手分けして、元の位置に本を返して入口前に再集合。


 再びコウヘイとアキの目が合う。アキはゆっくりと右手を差し出す。

コウヘイは静かにうなづき、その手を躊躇わずに取った。


 太陽が西に傾き始めたが、まだ明るさは十分。コウヘイとアキは手をつなぎ、暗号が示す神社へ向かって駆け出した。





△▲△▲

 コウヘイとアキは町内にある神社にやってきた。


 太陽は徐々に西に沈み始め、空を赤く染め上げていく。日没までもう少し。コウヘイとアキは、急ぎ足で長い石の階段を登って行くと、2人の目の前に巨大な朱い門が姿を現した。


 コウヘイが3人いても届かないほど太く、見上げると空に手が届きそうなほど高い。


 もともとの朱色が、今は夕日の力を借りて、一層赤く染まっていた。



「朱い門だ」 



 2人は門の前で息を飲む。そして2人でゆっくりと朱の鳥居をくぐる 

 くぐった先で2人を迎えたのは、左右に分かれた狛犬の像。



「門を守るもの……狛犬か」



 境内に入ると、そこには厄除け、おはらいの看板があった。


 目的地は絶対にここだ。と、すでに2人の中では推測から確信へと変わっていた。



「ここが目的地のはずだけど、ここにまたヒントがあるのかな?それとも、またクロネコがいるのかな?」


「どうだろうなー」



 辺りが薄暗くなってきた。ひんやりとした風が2人を撫でる。コウヘイはブルッと身震いをした。



「少し肌寒くなってきたね。アキは大丈夫?」



「平気。しかし、暗くなってきたな。これじゃ次の暗号を探すのも厳しいな。どうする?明日また出直そうか」



 1日駆け回った上に、長時間頭も使ったためコウヘイもアキも疲労の色が濃い。

 ここまで探したが、手がかりが見つからないため、仕方なく今日は解散することにした。



「あー、もうちょっとだったのになぁ。でも今日は1日すごく楽しかった!なんか久しぶりに腹を抱えて笑ったし」


 

 頭の上で腕を組み、石段を下りながらアキがつぶやく。日が落ちて暗くなった石段を街灯の光が優しく照らす。



「俺も楽しかったよ。最初はいろいろあったけど、ペアがアキと一緒で良かったかも」



 疲労からか照れくさい言葉がスルッと口からもれる。言ってから、コウヘイは、あ、今の言い方キモいか。と思い、やってしまったかと、後悔しながら、恐る恐るアキを見る。



──パン!!


 コウヘイの背中に鋭い痛みが走る。アキに背中を叩かれたようだ。



「なーに言ってんだ!最初に言っただろ?『私が引っ張ってやる』って。まだ謎解きは終わってないんだ。明日もがんばんぞ!」


 

 アキは少しうつむきながら早口で応えた。そして、せーの!と、最後の1段を一気に飛び降りた。


 ふわっと柔らかな風が隣を抜ける。スタッと軽やかに着地したアキの背中を、コウヘイは目で追う。

 そして、アキに倣うようにコウヘイも一気に飛び下りた。



「おー、ナイスジャンプ!」



 アキが茶化してくる。コウヘイは、はにかみながら無言で拳を前に上げた。それを見たアキは口角を上げて拳を合わせる。






「コウヘイ、また明日な。9時に神社で!」



「分かった。帰り道に気をつけて!寝坊するなよ、アキ」



「ふ。誰が寝坊なんてするかよ。お前こそ気を付けろよ!」



 アキはそう言うと手を大きく振ってから、走り出した。コウヘイはその背中が見えなくなるまで見送る。完全に見えなくなると、コウヘイは踵を返して自身も帰路へと着いた。






△▲△▲

 カーテンの隙間から差し込む光は、コウヘイの顔を照らす。その明かりはコウヘイの意識を呼び起こすのには十分すぎた。


 んー。

 

 コウヘイは大きく伸びをする。よく寝たからか頭はスッキリとしていた。



「今日こそ、全部の謎を解いてやる」



 誰に聞かせるでもない。言うなれば自分自身への宣誓だった。


 コウヘイは手早く支度を済ませて、家を出た。まだまだ急ぐ時間ではない。むしろ早すぎるくらいだった。





(23、24、25、……26!)


 神社に向かう石段を数えながら、コウヘイは1番上まで登りきる。そこには昨日くぐった鳥居が変わらずにそびえ立っていた。


 コウヘイは近くにあった時計を見る。待ち合わせの時間まで、まだ30分以上あった。


(まだ早かったな)


 何気なく空を見上げると、そこには白い月があった。ボーッと月を眺めていると、コツン。コツン。と足音がした。


 近づいてくる足音に、コウヘイの心拍が上がる。足音の主は最後の段を上るとコウヘイに気付き、手を上げる。



「おはよう!コウヘイ、早いじゃん!まだ時間前だよな、何時からここにいるんだよ!」



「……30分前くらい?」



はー?早すぎだろー!

と、アキは返した後に、イタズラっぽい笑顔でコウヘイに尋ねてきた。



「そんなに私に会いたかったのか?」



 コウヘイの心臓が大きく動いた。



「……そう、かも。昨日、楽しかったから」



 アキの目が大きくなる。プイッと反対側を向き、



「そうかー、じゃあ仕方ないな!よし、早く謎解きをクリアしちまおうぜ!」



と、早口でしゃべって歩きだした。慌てて追いかけるコウヘイ。狛犬の間を通り、神社の境内に踏み込む。



「昨日は何も見つけられなかったけど、こうやって見ても何も変わったところはないな」



コウヘイは残念そうに話す。アキも、んー、何もないな。と返す。



「どうしようか。もう一度図書館でメモした暗号を見直してみる?」



 コウヘイの呼び掛けにアキが賛同する。コウヘイとアキは境内にあったベンチに腰掛けて、メモを広げる。

 2人は向かい合わせになりながら、メモを覗き込んだ。



「そう言えばさ、この1つ目の暗号の挟まっていたページって、今、思えば犬の写真が写っていたよね。あれもヒントだったのかも?」



 コウヘイが記憶を手繰り寄せながら、1冊目の本を思い出す。



「そうだっけ?もし、そうなら他の本も挟まっていたページにヒントがあったのかも。私、ちょっと覚えてないなー」

 


 アキは右手で頭を押さえながら、天を仰ぐ。



「4冊目のタイトルが『月の科学』だから、単純に考えれば……月、だったのかもしれないよね」



あー、確かにな。と、アキがうなづく。



「でも、それだと昨日の夜も月は出てたから、何か違うのかもしれない」



「じゃあ、図書館に戻ってみるか?もう一度、本を見てみれば解決するんじゃないか」



 回り道だけど、仕方ないね。と、コウヘイは立ち上がる。コウヘイとアキはもう一度、図書館に行ってみることにした。







 図書館に着くと、昨日と同じく誰もいない。シンとした静寂は、まるで時間が止まったようであった。


 コウヘイとアキは4冊目の本を探す。しかし、本は見つからなかった。



「おかしい。昨日確かにここに戻したのに!失くなってる!」



 アキが声を荒げた。大きな声が図書館の中で反響するが、しばらくすると元の静寂が帰ってくる。



「近くを探したけど、やっぱりないね。誰かが来て持っていった?」



 2冊目と3冊目は元の本棚に収まっていた。4冊目だけが見つからない。



「4冊目のヒントが重要だったのかも。誰かが、私たちがクリアするのを邪魔してるんだ!」



 アキは怒ったような表情を浮かべている。



「俺、心当たりがあるかも」



 コウヘイがポツリとつぶやいた。


 え、本当か?

と、アキがコウヘイの肩をつかんで尋ねる。



「ちょっと小学校に戻ってみてもいい?」


「小学校に?」



 アキはどうしてそこに?という表情を浮かべる。ダメ元で行ってみよう?とコウヘイが言うので、2人は小学校へと向かうことにした。






 校庭が見えた。コウヘイはアキを連れて昇降口から教室へと向かう。階段を上り、廊下を左に曲がる。

教室に近づくにつれて、不思議とコウヘイは確信めいたものを感じていた。


(たぶん、いる)


 教室のとびらに手を掛け、ガラガラと開けると、教室の中にはクロネコがイスにこしかけていた。その手もとには、あの本があった。



「おや?戻ってきたのかね。オイラがここにいるってよく分かったね」



 少し驚いた顔でクロネコがコウヘイを見る。



「何となく教室かなって思ったんだ。それより、その本を探していたんだ。少しだけ貸してもらかないかな?」



「いやだね」



 間髪いれずに断られた。しかし、クロネコの頑なな反応をみれば、やはりあの本がクリアの鍵であることは間違いない。と、コウヘイは考えた。



「そんなこと言わずにちょっとだけでいいからさ、貸してくれよ。頼むよ?」



 アキも一緒にクロネコに頼み込む。しかし、クロネコの答えは変わらなかった。



「どうしてもダメ?」



「どうしてもダメだな。だってさ、オイラが今読んでるところだろ?邪魔されたくないねー」



 クロネコはそう答えた後に、尻尾を揺らめかせながら、視線を本に落とした。



「F3.12.21」



 クロネコの耳がピクっと動いた。



「これは図書館の本棚と棚、そして棚の中の何番目の本かを表しているよね?そして最後の『21』はページ番号でしょ?」



 クロネコは無言のまま。本から視線を上げない。クロネコを見つめるコウヘイとアキ。お互いじっとしたまま時間だけが過ぎていく。


 


 長い沈黙の後、クロネコは顔を上げ、コウヘイの方を見る。そして──



「正解!よく分かったね。ちゃんとたどり着いたのは君たちが最初だ!」



 パチパチと拍手をするクロネコ。その後ろで尻尾が揺れる。



「コウヘイ。お前がみたいのはこのページだろ?」



 そういって、クロネコは本を開いたまま、2人に向かって見せつける。



 そこには、大きな満月の写真が書かれていた。



「満月……今日だ!コウヘイ、今日が満月の夜だよ!やった、これでクリアてきるぞ!」



 アキが顔の前で両手の拳を握って喜びを表す。



「じゃあ、今日の夜に神社に行けば、何かが、分かる?クロネコ、そういうこと?」



「ふふふ。行くだけじゃクリアはできないな。まだ君たちは最後の謎を解いていないようだから」



「最後の謎?」



 コウヘイはクロネコに聞き返す。



「今日を逃すと次の満月までクリアできないな。コウヘイ、今日クリアしないと、お前は元の世界に帰れなくなるぞ?」



 時間切れってやつだ。

と、クロネコが告げる。



「帰れなくなる?どういうことだ?コウヘイ、詳しく話せよ!」



 アキがコウヘイの肩を掴む。コウヘイは何と言っていいか躊躇い、言葉がでない。



「なんだ、アキに教えてないのかね?アキ、コウヘイは別の世界からやってきたニンゲンなんだ。謎解きをクリアしないと、元の世界に帰れないんだよ」



 コウヘイが考えているうちに、クロネコがアキにしゃべってしまった。



「は?何だよ、それ?じゃあ、謎解きをクリアしたら、コウヘイはいなくなるってことか?せっかく仲良くなったのに?」



「そういうことだね。もちろん、コウヘイがこちらの世界に残る、っていう選択肢もあるがね。でもコウヘイは元の世界に帰りたいんだったよな?」



 クロネコから尋ねられても、コウヘイは即答できなかった。



 最初は、できるだけ早く元の世界に帰りたいと思っていた。……思っていたのだ。

しかし、今はどうだ?



「…………」



自問自答の末の結論は、沈黙だった。




「……そう、だよな。別な世界?──から来たんなら、さっさと帰りたいよな。そんな大事なこと、早く教えてくれよ。そしたら、もっと私も協力したのに、よ」



 アキの目から一筋の涙が落ちる。アキは慌てて涙を手でぬぐい、教室から飛び出した。



「あ!」



 コウヘイは追いかけようとしたが、すぐに立ち止まる。教室の扉に向けて伸ばした手が、ゆっくりと力なく下げられる。



「追いかけないのかね?謎解きをクリアするには、アキの力が必要だ。だがまずは、アキとよく話し合うのが先のようだ。早く追いかけるんだ、コウヘイ。お前はアキのパートナーだろ?」



 クロネコから背中を押され、数歩前によろめいた。コウヘイがクロネコを振り返ると、クロネコは鋭い目でコウヘイを見つめる。



「……分かった。アキを探してみる!」



 コウヘイは教室を飛び出した。その時、遠くからクロネコの声が聞こえた。



『クリアの鍵はもうすでにお前がもっているぞ?2人で試してみるんだ』



 意味はよく分からなかった。でもそんなのは後回しだ。


 コウヘイは走った。とにかく走った。アキを追いかけて。きっとあそこにいるはずだ。







 嗚咽がもれる。泣くな、泣くな、私。どうしてこんなに涙がこぼれるのかも分からないまま、アキはベンチに座って泣いていた。


 教室を飛び出してから、夢中で走って気付けばここにいた。時計の針は昼をとうに過ぎていた。


 いつから泣いていたのか。すでに目元がひりついていた。アキは鼻をすすり、大きなため息をついた。


(はーーーー。やっちまったなぁ)


 手で涙を拭いながら、再び大きなため息をつく。




 これからどうしようかなぁ。

そんなことを考えていると、公園に駆け込んでくる人の気配を感じた。


(誰だろ。知ってる人だと嫌だなー)


 アキはうつむいたまま、知らんぷりを決め込んだ。しかし、公園に入ってきた人影は、真っ直ぐに自分の方に近づいて来る。そして、自分の前で立ち止まった。



「アキ。やっぱりここだったんだね、つーか、足早すぎるよ」



 声の主はコウヘイだった。今1番会いたくなかった、その人にアキは複雑な心持ちとなる。


 泣いていたのがバレないように、うつむいたまま黙り込む。すると、コウヘイが座っているアキの頭を抱き締めてきた。



「え、ちょっ……」



 戸惑うアキに対して、コウヘイが優しい口調で話しかける。



「こうすると、落ち着くんだろ?」



──泣いた時にこうやって抱き締めてもらってたんだ。



 アキは昨日、コウヘイに自分が話したことを思い出した。


 照れくささと悲しみと戸惑いと、いろいろな感情が混ざりあったまま、アキは抱き締められたままでいた。


 ドクン、ドクン、ドクン。コウヘイの心臓の音が頭に響く。少しずつ、少しずつ、自分の気持ちが落ち着いていくのをアキは感じていた。




「アキ。ごめんね。黙っていて」



 照れくさいけど、このまま聞いてくれると助かるんだけど。と、コウヘイが前置きを入れる。



「クロネコが言っていた通り、俺は別の世界から来たんだ。謎解きをクリアしたら戻り方を教えるって言われて、謎解きに参加した」



コウヘイは大きく息を吸う。緊張からか心臓の音が大きく早い。



「昨日も言ったけど、色々なものが反転していて、1人で不安で、こんなとこ早く抜け出したいって思ってた。嫌だーって思ってた」



 ゴクリと嚥下する音が耳に響いた。



「でも、アキと一緒に謎解きを進めていて、すごく楽しかった。1人じゃないって思えて……、仲良くなれたし、もっと……一緒にいたいって思った」



 キューって心が締め付けられる感じがした。



「実は元いた世界にも″アキ″っていう、アキと瓜二つの女の子がいて、性格は全然違うんだけど、俺はその子と友達で……気になる子、だった。だから、初めてアキを見た時にビックリして……でも別人で、すごく混乱した」



 だから、昨日、ここであんな風に取り乱したんだ。改めてごめんね。と、コウヘイは緊張と照れが混ざる声で話す。


 アキは静かにうなずき、気にしていないことを現す。


ふふふ。ありがとう。と、コウヘイは笑みを浮かべ、続きを語りだした。



「さっき教室でクロネコから『帰りたいんだろ』って聞かれて黙ったのは、答えられなかったからなんだ。正直に言って、……迷ってる。元の世界に帰りたい気持ちもあるけど──」



 せっかく仲良くなったのに、アキと離れるのが辛い。



 少し間をおいて、ポツリとコウヘイはつぶやいた。それは様々な思いが混ざった複雑な声色に聞こえた。




 しばらく公園で話をしたコウヘイとアキは1度解散することにした。お互いの気持ちを整理するため、謎解きを続けるのかどうするのか、時間を置いて考えることにした。


 そして、謎解きを続ける時は、夜の8時にあの神社に集まると決めて。







△▲△▲

 ひんやりとした空気。リー、リーと聞こえる鈴虫の音色。


 ジャリっジャリっと、自分の足音が異物のように聞こえる。コウヘイは1段1段、足元を確かめるように石段をのぼっていた。



 コウヘイは石段を登りながら1人で考えたことを反芻する。帰るのか、帰らないのか。その答えは──。





「コウヘイ。やっぱり来たね。コウヘイなら来ると思ったんだ」


 

 あと2段で登りきるところで、頭の上から名前を呼ばれる。コウヘイが見上げると、そこにはアキが立っていた。


 コウヘイは石段を駆け上がり、アキの隣に並ぶ。



「アキこそ、約束の時間にはまだ早いんじゃない?」



 コウヘイが時計を指差すと、その針は夜の7時半になるところだった。



「へへ。最後の謎を解いて全クリしたかったからな。急いで来ちゃったよ」



 コウヘイとアキの視線が合う。そして2人はお互いが笑みを浮かべ、謎解きを再開するのだった。




 コウヘイはクロネコに言われたことをアキに伝える。



「すでに鍵は持っている。2人で試せ……か」



「すでに持っていると言えば、図書館でメモしたこの紙のことかな?でも、この暗号は神社を示してたってことで解決済みじゃないのかな。まだ何か隠されている、とか?」



「試せってことは、何かをやれってことだよな?神社と言えば……」



「おみくじ、お守り、おはらい……」





「「お参り!!」」




 2人の声が重なった。おー!たしかに!とお互いに相づちを打ち合う。



「4番目の本に挟まっていたメッセージ……『捧げる祈り』だったじゃん?満月の写真と合わせれば、満月の夜に神社で祈りをささげろ──ってことか?」



 コウヘイはうなずく。おそらくそれが答えだろう。2人はうなずき合い、境内を進んでいく。



 自分の少し前を歩くアキを視界に入れながら、アキの後ろをコウヘイは歩く。アキの髪が月の光に照らされて、ぼんやりと輝いて見える。


 

 暗いな。そうだね。そこ、段差があるよ。うぉ、本当だ。


 そんな会話らしい会話もせずに、コウヘイとアキは進む。そして拝殿の前までやってきた。



「コウヘイ、いよいよだな。お前と一緒に過ごしたこの2日間、すごく楽しかったよ。ありがとう」


 アキが右手を差し出す。それを見たコウヘイも、同じように右手を出して、アキの手を握る。



「……はぁ。湿っぽくしないつもりだったのによぉ。ちょっと無理、かな?」



 アキは眉尻を下げて目に涙を浮かべている。



「なぁ、最後にさ、お願いをきいてくれるか?」



「お願い?」



「1回だけでいいから、……また、ぎゅってしてくれないか?」



 アキが右手で自分の目元を指差す。落ち着かせてくれと言う意味だった。



 照れる気持ちを押さえて、コウヘイはアキを優しく抱き締めた。



ホーホー、ホーホー


と、ふくろうか何かの鳴き声が響く。月に照らされながら、2人はしばらくの間、一言もしゃべらなかった。



──どくん。どくん。


 大きな心臓の音が響いている。これは自分の物か、アキの物か。どちらのものか分からない。




「あーあ。せっかく仲良くなったのになぁ。友達が1人へっちまうなぁ。まぁ仕方ないか!コウヘイ、向こうの世界の私のことも、よろしくな?仲良くしてやってくれよ」



 耳元でアキがつぶやく。その声はわずかに震えていた。



「……うん、分かった。ありがとう」



 コウヘイは唇を噛み締めながら、うなずいた。



 その返事を聞いたアキは、コウヘイから離れて、ゆっくりと右手の小指を突き出してきた。


 コウヘイは自分の右手を同じように出し、アキの小指に絡める。



「へへへ。約束だ!また会ったら、一緒に遊ぼうな。絶対だぞ!」



それまで私のこと、忘れるなよ?



 月に見守られながら、2人は指切りを済ませる。


 


 アキはコウヘイの背中を押すように、拝殿の鈴の前へと導いた。アキに向かってコウヘイがつぶやく。 



「俺、元の世界に戻っても、アキのこと、絶対忘れないから」



「……はぁ?当たり前だろ?私もコウヘイのこと、忘れないからな」



 アキの目から涙がこぼれ落ちた。両手で涙を拭うアキ。


 また抱き締めたくなる衝動を堪え、コウヘイは拝殿の鈴の紐を揺らした。



カラン、カランと高い鈴の音が鳴る。



 コウヘイは拝殿に向かい、2度お辞儀をし、その後、パンパンと手を鳴らした。


 その横でアキも同じように手を合わせる。



2人は目を閉じ、祈りを捧げた。




 その瞬間、強い風がビュウッと吹き抜けた。


 枝がざわめく音が聞こえる。目を閉じたコウヘイの鼻に、どこか懐かしい香りが届いた。



──金木犀の香りだ。



 ハッとして、目を開けると、目の前にあった神社の拝殿は姿を消していた。


 風に揺れる木々。足元には落ち葉が積もった林道。目の前には、あの時、集合場所だった東屋があった。



 驚いて辺りを見回し、右手を見つめる。そこにアキの温もりは無くなっていた。



「……帰ってきたんだ」



 そうつぶやいた瞬間、風がまた強く吹き抜け、金木犀の香りがふわりと漂った。






「あ、コウヘイくんだ!おーい!どこに行ってたの?」



「──アキ!!」



 向こうからアキがコウヘイに声をかける。その姿を見つけたコウヘイは思わず、アキの名前を叫んだ。



「え?え?」



 目を大きく開き慌てるアキ。そんなアキにコウヘイが駆け寄る。



「アキ!アキだ!」



「え?あ、うん。私だよ?ど、どうしたのコウヘイくん?ちょっと痛いよ?」




……コウヘイ、くん?


 はたと我に帰るコウヘイ。慌てて掴んでいたアキの肩を離す。アキは驚いた顔をして固まっていた。



「あ、えっ……と、ごめん!ちょっと驚かそうと思ってふざけちゃった。本当にごめん!怒った?」



 コウヘイはとっさに誤魔化そうとして、アキの前で両手を合わせて謝罪する。それを見たアキはホッとした様子で肩の力を抜いていった。



「な、なんだぁー。もう!ビックリしたよ!コウヘイもそういう悪ふざけ、するんだね」



フフフ。と、アキが笑う。

その表情を見て、コウヘイはハッとした。

 


「……アキだ」



 この場にはいないはずの女の子を思い出し、ポツリとつぶやく。しかし、そのつぶやきは秋風に溶けて、誰の耳にも入らなかった。



 

 別の世界で一緒に過ごした少女との思い出は、風に乗って香る金木犀とともに蘇る。



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反転世界で交わした約束は。~クロネコとコウヘイ ChatNeko13 @kkcan

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