シン・人魚姫の思い出

スター☆にゅう・いっち

第1話

 深い夜の海を裂くように、一際大きな閃光が走った。

 地球視察のため単独で訪れていた魚人族の女性宇宙人ノアを乗せた小型船が、雷に撃たれ損傷し、不時着を余儀なくされたのだ。

 火花を散らしながら墜落した船は、やがて海へと沈み、泡と光だけを残して姿を消した。


 緊急脱出装置によって水面へと投げ出されたノアは、辛うじて体内の変換装置を作動させる。青緑色の鱗を持つ身体は次第に人間の少女の姿へと変わり、波に打たれながら砂浜へと流れ着いた。


 ――彼女を発見したのは、近隣の小国アルディナの王子、ユリウスだった。

 その夜、流れ星のような光が海に落ちるのを見た彼は、護衛もつけずに浜辺まで馬を走らせていた。

「大丈夫か――!」

 抱き起こした少女の髪は濡れて冷たく、かすかに潮の香りがした。ユリウスの腕の中で、ノアは安堵したように目を閉じた。


 城へ連れ帰ったユリウスは、医師に命じて手当をさせた。翌朝、ノアは目を覚まし、不思議そうに周囲を見渡した。異星の衣、異なる空気。すべてが彼女にとって未知の世界だった。


 言葉の通じないノアに、ユリウスは絵を描いて意思を伝えようとした。リンゴを描き、実物を見せる。ノアは笑みを浮かべ、まねて言った。

「リン……ゴ」

 その小さな声に、ユリウスの胸が温かく満たされた。


 日が経つにつれ、ノアは少しずつ城の暮らしに馴染んでいった。

 夜はバルコニーから海を眺め、月光の下で歌を口ずさんだ。その歌声は、人の言葉を超えた透明な響きで、ユリウスの心を静かに揺さぶった。

 やがてノアの体内にある学習装置が地球の言語を習得し、二人は言葉を交わせるようになった。


 ある朝、ノアは海辺で拾った貝殻を紐に通し、首飾りを作ってユリウスに贈った。

「星の海で出会った証。あなたにあげる」

 金銀宝石に囲まれて育ったユリウスにとって、それは何よりも尊い贈り物だった。


 二人は毎晩、城の塔で語らった。星の名前、海の深さ、未来の夢――。

「君がそばにいれば、私は何もいらない」

「私も……あなたと共にありたい」

 潮騒のように穏やかで、確かに心を結ぶ日々だった。


 だがある日、帝国の美姫ビルギッテが随行を従えて訪れる。

 表向きは友好の使節、だが実際の目的は――王子ユリウスを花婿に迎えるため。

 彼女は国王の前で微笑み、華やかな香りを残して告げた。

「この国と帝国が結ばれれば、繁栄は約束されますわ」


 国王は即座に頷き、ユリウスの婚約を決定した。

 城中が祝福の空気に包まれる中、ただひとりノアだけが、静かに背を向けた。


 帝国の姫はすぐにノアの存在を知ると、密かに噂を流した。

 ――「あの娘は娼婦だ」「怪しい女だ」「魔女のように王子を惑わしている」

 言葉は毒のように広がり、ノアを孤立させた。


 ユリウスは怒りに燃え、ついに決意した。

「ノア、今夜、逃げよう。明日には国境を越える」

 ノアは震える声でうなずいた。

 彼女の目には、ほんの少しの悲しみが浮かんでいた。


 だがその夜――。

 海上に、銀色の光が満ちた。巨大な円盤型の宇宙船が現れ、空を覆う。

 ノアの母星からの探索船だった。


「ノア、戻れ。任務は終了した。これ以上の滞在は許されない」

 降り立った使者は無機質な声で言う。ノアは首を振った。

「私は……ユリウスと生きたい」


 使者はデバイスを起動させた。

 空中に映し出されたのは、もしノアたちが逃亡したら訪れる未来――

 帝国の侵攻、国の滅亡、炎に包まれる城、泣き叫ぶ人々。


「これが、お前の望む未来だ」

 ノアは息を詰まらせた。目の前が滲み、海のように広がる涙の中で、彼女は理解した。

 愛する人を救うには、自らが消えるしかないのだ。


 翌朝、ノアはユリウスの前に立ち、真実を告げた。

「私は……遠い星の民。あなたが愛したこの姿は、仮のもの」

 青緑の鱗が光り、尾が現れる。ユリウスは息をのむ。

「それでも、君を愛している」


 ノアは微笑み、レーザー銃をそっと構えた。

「ありがとう。――さようなら」


 閃光が走り、ユリウスの視界が白く染まる。

 

 ノアは涙を浮かべ、彼の額に口づけを残すと、デバイスを起動し、彼の記憶から自分の存在を消した。

 その日のうちに、使者たちは城の者たちの記憶も消し去り、ノアは母星へ帰還した。


 季節が巡り、ユリウスとビルギッテの婚礼が盛大に執り行われた。

 祝宴の後、静かな私室で、ユリウスは何気なく机の引き出しを開けた。

 そこには、貝殻の首飾りがあった。


 見覚えのないはずのそれを、彼はそっと手に取った。

 ――胸の奥が、痛んだ。

 涙が頬を伝い、こぼれ落ちた。


「まあ、どうして涙を?」

 部屋に入ってきたビルギッテが微笑む。

「今日という日に泣くなんて……きっと嬉し涙ね」

 そう言って彼に口づけし、白い手でその頬を撫でた。


 窓の外では、満ちた月が静かな海を照らしていた。

 その光の中で、浜辺の貝殻が――星のように、きらきらと輝いていた。

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シン・人魚姫の思い出 スター☆にゅう・いっち @star_new_icchi

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