✟ ヘヴン零条 — Heaven Clause Zero — ✟ (法の味はアジの味)
わーたん2039@ノーヘブン
トンガリカツカレーが天に昇って世界が回りだす。
蛇口をひねった瞬間に世界がグワッと裏返る。
カツカレーが天に伸びて、ソースが法になって、
メロン味が国家を食いちぎった。
目次
蛇口をひねった瞬間に世界がグワッと裏返る。カツカレーが天に伸びて、ソースが法になって、メロン味が国家を食いちぎった。
Prologue(プロローグ)「None起動 — テンションM」
第1話「接触」
第2話「影の台帳 — ハイパーバリバリバリバリバリバリ」
第3話「港の蛇口 — ぶち抜き版」
第4話「動脈崩落 — バッサー」
第5話「トンガリカツカレー
第6話「舌が緑 — 転覆メロン味」
第7話「カリンとう国家」
第8話「蛇口の法廷」
9話「法の味はアジの味 — ロープレあっはん」
あとがき のような終章
Prologue(プロローグ)「None起動 — テンションM」
白い円が回っている。
世界の真ん中で、俺だけが止まっている。
観測されない記録が最も長く残る?
ああ、そうか。だから俺はいまだに消えないのか。
削除されたはずの記録が、まだ俺の脳の裏でチカチカしてる。
俺はそれを“記憶”って呼ぶけど、たぶん違う。
これは“ログ”だ。俺という名の、クソみたいにしつこいログ。
——鷹見誠が死んだ夜。
港は、息をするのを忘れていた。
雪浦の風は凍ってて、誰もが死んでも寒さのせいにできた。
フェンスの向こう、黒いコンテナ、
消されたロゴ、“NORTHGATE”。
その上に積もる塩と雪。
あの瞬間、俺は理解した。
この国はもう、外側から食われてる。
ゆっくり、気づかれない速度で。
俺の名前は斎藤廉。
いや、だった。
今の俺が誰かなんて、Noneの連中にも分からない。
観測しない観測者? 笑わせるな。
人は見たいものしか見ねぇんだ。
見たくないものは“存在しない”ってことにする。
Noneはその逆をやる。
存在してるものを“なかった”ことにする。
同じ穴の狢だ。
夜がひっくり返る音がした。
風が逆流して、血の味が喉を逆なでた。
Ghost Ledger。
影の元帳。
すべての表の記録には、裏の双子がいる。
表が消されると、裏が勝手に呼吸を始める。
俺はそれを見た。
いや、見せられた。
Noneが笑った。
白い円の真ん中で、空気がぐにゃりと歪んだ。
——「動脈二十四」
鷹見が最後にそう言った。
口から血と一緒に、意味をこぼした。
港の灯りが点滅して、
誰かが笑って、誰かが消えた。
翌朝、ニュースでは“交通事故”。
この国は便利だ。死も事故に変換できる。
USBは俺の胸ポケットで冷たく沈んでいた。
触れるたびに心臓がパルスを打った。
誰かの電話が鳴った。
「あなたの安全の件で」
None。
その声は、水の底から上がってきたみたいに遠くて、
でもはっきり分かった。
あれは俺の声だ。
Noneってのは、無じゃない。
無であろうとする意志だ。
何もないふりして、全部見てる。
笑わずに、観測して、
観測したことすら消す。
完璧な亡霊。
完璧な記録者。
完璧に気持ち悪い。
神谷。
その名前を聞いた瞬間、背中がひやりとした。
あの目。
透けるような目。
透明なのに底がある。
人を観測してるんじゃなく、
その“観測してる俺”を観測してる。
多重。多重。多重。
None。
俺は思った。
もしこの記録が本当に残るなら、
それは神谷のためでも白石のためでもない。
俺のためでもない。
ただ、この国がまだ人間であるという証のためだ。
白い円が、静かに回転を止めた。
空白が満ちていく。
黒が光りに変わる瞬間。
None_Log:000
init: 起動。
観測者——不在。
そして、俺がいる。
第1話「接触」
喫茶“柴舟”のベルは、鳴るたびに一人死んでいく。
いや、比喩だ。比喩のつもりだ。
でも、鳴るたびに何かが“欠けていく”のは本当だった。
俺の中で、時間とか、名前とか、ああいうものが少しずつ削れていく。
神谷俊はそこに座っていた。
最初からいたのか、今来たのか、わからない。
Noneの人間はそういう“入り方”をする。
席と身体の間に空気がなかった。
透明な輪郭線。呼吸の音が一度も生まれない。
生きてるのに、生きたことが記録されない人間。
「来てくれて助かります」
神谷は言った。声は水の底から浮かんできた。
音というより、骨の奥に触れる冷たい指。
俺はコーヒーを頼む。
この喫茶のコーヒーは、昔から港湾職員の夜勤明けの定番だった。
だからなのか知らんけど、この匂いを嗅ぐと、人はよく死ぬ。
鷹見も、最期の夜にここに来ていた。
白い息を吐きながら、ノースゲートの話をして。
だからここで神谷に会うって聞いた時、
俺はもうこの章の結末を悟っていたのかもしれない。
神谷俊。
統安局第零課。通称 None。
国家の中にある国家じゃない場所。
観測しない観測者。
存在しないのに、記録を握る連中。
そいつが今、目の前にいる。
それだけで店内の温度が三度下がる。
「USBを持っているのはあなたですね」
神谷は俺のポケットを見たわけじゃない。
でも、俺の胸の内ポケットが、
“見られた”と勝手に判断して震えた。
「……あんた、なんなんだ」
俺は笑った。
笑いながら、指先が勝手に震える。
Noneの人間の目って、あれだ。
“目”じゃない。
“記録媒体”だ。
神谷は軽く息を吸って、言葉をひとつだけ投げた。
「鍵束です」
一瞬、時間が割れた。
空間が皿みたいに歪んだ。
USBの金属がポケット越しに熱を持った。
「動脈24。
三つの港を二十四時間で縫うための三本の鍵。
物理、デジタル、政治。
そのうち二本は——もう抜かれています」
この言葉は説明じゃない。
事実そのものだった。
情報ってやつは、Noneの口から出ると、予言になる。
「残ってるのは、あなたの持っている一本だけ」
神谷の目が、俺の眼球の裏側を覗き込む。
魂をじゃなく、記録領域を覗いている感じ。
俺は呼吸を忘れた。
忘れたのに、心臓だけが勝手に打ち続けた。
「港を守りたいんでしょう?」
「……ああ」
「私たちは、記録を守りたい」
「何が違う」
「何も」
神谷の口元が、ほんの少しだけ、笑ったように見えた。
その笑いは人間の笑いじゃない。
余白の笑いだ。
ベルが鳴った。
もう一人、誰かが死んだ気がした。
水城麻耶が入ってきた。
黒いコートの裾から冷たい空気が這い込む。
彼女は通訳官で、この街の“契約”の全てを読み解く女だ。
言葉が好きなわけでも信じてるわけでもない。
“条文”という人間の残骸を、淡々と拾い集めるだけ。
彼女が歩くたびに、床の木目が音もなく軋む。
「遅れてすみません」
麻耶の声は、夜をなでる風みたいだった。
彼女は席に座るなり、紙の束をテーブルに置いた。
その上には、赤いインクで一行、殴るように書かれていた。
「ヘヴン零条」
神谷がそれを横目で見た。
俺も見た。
でもその瞬間、見たという記録は消えていた。
⸻
紙の束の上の赤インクが、
コーヒーの湯気を吸い込んでゆっくり滲んでいく。
零条。
ゼロってやつは、何かを始める数字じゃない。
「何も始まらなかった」という記録のスタート地点だ。
麻耶はペンを一本、テーブルに置いた。
細くて、冷たくて、まるで手術器具みたいなペンだった。
契約を切るための刃。
紙をなぞるたびに、法律がねじれる音がした。
「この条文、誰が書いたと思います?」
麻耶が言う。
声がまっすぐすぎて、テーブルの木目がびくっと震えた気がした。
「ノースゲート財団」
神谷が淡々と答える。
「署名は“共同管理”。実態は“恒常支配”。」
その一言で空気が落ちた。
天井が沈むような音が、耳じゃなくて骨の奥に響いた。
「緊急時に——外の人間に蛇口を握らせる条文だ」
麻耶の声は刃物みたいに静かだった。
「でもね、延長条項が一つだけ“空白”になってる。
……つまり“観測者”が署名しないと、この契約は完全には動かない」
観測者。
その単語が出た瞬間、俺の背骨に“白い輪”が浮かんだ。
神谷の目じゃない。
Noneの目だ。
この国の裏側で、何十年も光を吸い続けた透明な“目”。
「俺かよ」
口から勝手に声が出た。
冗談のつもりだったのに、冗談じゃなくなってた。
Noneのやつらは、こういう風に“冗談”を現実にしていく。
笑わないまま、世界を塗り替える。
神谷は静かに頷いた。
髪が揺れない。
肩も動かない。
空気だけが“肯定”のかたちを作った。
「あなたは港湾職員だった。
基幹認証はすでにあなたの署名で生きている。
あなたを外すと、この契約は発動できない。
つまり——あなたが“鍵束”の最後の一本です」
テーブルの下で俺の膝が鳴った。
骨の音か、世界の音か、もうわからない。
逃げたら終わる。
でも関わったら、もっと終わる。
Noneはそういう場所だ。
「じゃあ俺は、どうすればいい」
「……観測しないでください」
神谷は、まるで天気の話をするみたいに言った。
「あなたは“そこにいる”だけでいい。
私たちが“記録”する。
あなたは“観測者不在”の状態をつくる。
それが、この国を切り替えるスイッチになる」
麻耶が黙って紙を閉じた。
その仕草が、棺桶の蓋を閉めるみたいで背筋が冷えた。
「……Noneってのは、ほんと気持ち悪いな」
「よく言われます」
神谷は微笑んだ。
笑いじゃなかった。
空白が笑った。
外で風が吹いた。
ベルが鳴った。
また誰かが死んだ。
あるいは、俺の中の“何か”が一つ消えた。
俺はUSBをポケットから出した。
神谷の前に置いた。
置いた瞬間、テーブルがきしむような音がした。
いや、違う。世界が少しだけ“傾いた”。
神谷はそれを取らなかった。
代わりに、白い円の刻印があるプレートを、俺の前に滑らせた。
「これがNoneの“徽章”です。
あなたはもう、こっち側にいる」
——選択なんてなかった。
最初から、俺はここに座ってたんだ。
最初から、この記録の中にいたんだ。
None_Log:001
observer: 斎藤廉
status: 侵入
⸻
第2話「影の台帳 — ハイパーバリバリバリバリバリバリ」
……世界が二枚ある。
最初にそれを感じたのは、靴の裏がフェンスを踏んだときだ。
鉄の感触が“ひとつ”じゃなかった。
右足は硬い現実を踏んで、左足はぬるい虚無を踏んでいた。
歩いてるはずなのに、同じ場所を二重で踏みつけてる感覚。
踏み跡が二つ。俺は一人。
気持ち悪いとかいう次元じゃない。
これがGhost Ledger。
表の記録が笑顔で「今」を記録してる横で、
裏の記録が同じ“今”を
血まみれで掴んで離さない。
ふたつの“今”が、
俺の頭の内側で押し合いへし合いして、
脳がバリバリに割れていく音がする。
——だから、俺はいま、二人いる。
斎藤廉(おもて)。
さいとうれん(うら)。
名前の漢字とひらがながズレていく。
どっちが本物かはもうどうでもいい。
記録が本物を選ぶ。
俺じゃない。
港湾局の端末にUSBを差し込んだ瞬間、
モニターが、泡を吹いたみたいに白く揺れた。
数字と文字とノイズが混ざって、
“表”と“裏”が同時にスクロールする。
まるで二人の神様がキーボードを奪い合ってるみたいだった。
表ログ:
船舶入港 13:22/雪浦第3バース/貨物:建材
裏ログ:
船舶侵入 13:22/雪浦第3バース/貨物:███(削除済)
表は黙ってる。
裏は笑ってる。
俺は笑えない。
空気が港の外から入り込んでくる。
何かが、ここじゃない場所で俺を観測してる。
None。
Noneはいつも、“正面から”じゃなく“背骨の裏”からやってくる。
笑い声じゃない。
観測音。
「——見えましたね」
神谷の声が、俺の肩の内側から出てきた。
まるで俺の骨をスピーカー代わりにしたみたいに。
後ろを見てもいないのに、そこにいる。
Noneのやつらは「いる」という記録だけ残して、
存在しない。
「Ghost Ledger。
これは“影”じゃない。“裏”です。
影は光があれば揺らぎますが、
裏は消えません。記録が生きている限り。」
神谷の言葉が耳からじゃなく、脊髄から入ってきた。
喉の奥がざらざらする。
裏ログはどんどん増殖していく。
表ログを食い破るように。
裏:
緊急アクセス許可 issued by observer: None
condition: observer absent
status: active
(俺がいないのに、俺の名前で動いてる)
俺は指先を見た。
指が勝手にキーボードを叩いていた。
打ってるのは俺じゃない。
Ghost Ledgerの“俺”が打っている。
観測されない方の俺だ。
「Noneはね」
神谷が笑う。
「“空白”に人を溶かすんです」
キーボードの音が骨に響いて、
骨の音が空に反射して、
空がノイズに割れて、
ノイズの中から別の“俺”が笑った。
“影”じゃなく、“裏”が前に出た瞬間だった。
None_Log:002
observer: 斎藤廉/さいとうれん
status: 二重化
note: Ghost Ledger → 侵蝕フェーズ
⸻
第3話「港の蛇口 — ぶち抜き版」
蛇口が回った音がした。
ギュッじゃない。キュイイイイ……って、世界の膜を削る音。
港の奥の奥の奥。
普通の人間が絶対来ない場所で、
水じゃなくて“権限”が流れている蛇口が、静かに回された。
「誰が回した?」
「回すなって言ったろ」
「いや、最初から回ってたんだよ」
——この国は、蛇口で回っている。
税金でも法律でもなく。
蛇口だ。
この蛇口を握ってるやつが、
“どこに国境を描くか”を決める。
今夜、それを握っているのはノースゲート財団。
外資の名前をした、顔のない手。
この蛇口を守っていたのは俺たち港湾局。
そして、蛇口の“裏”を記録していたのがNone。
表と裏と外が、同じ蛇口を一緒に回してる。
水が逆流する音が、世界の音みたいに響いた。
「おかしいだろ」
俺は叫んだ。声は出た。届いてないだけだ。
神谷は静かにそこにいた。
笑わない。観測している。
麻耶は契約書を広げている。
文字が自動で増殖している。
俺は——震えている。
蛇口の脇に立っているノースゲートの男は、
人間の形をしているけど、人間じゃなかった。
いや、人間なんだろうけど、“記録されない人間”だ。
見たそばから、記録が消える。
脳が「なかったこと」にしていく。
「存在しない」は、Noneが一番得意なやり口だ。
「蛇口の管理権限は……この国と共有される」
男の声は翻訳される前に意味が頭に落ちてきた。
音の形よりも、記録の方が先に届く。
「ふざけるな」
俺の喉が裂ける音がした。
「これが俺たちの港だ」
「ちがいます」
麻耶が小さく言った。
顔も上げず、契約書だけ見ながら。
「これは、“緊急時”の港です。
緊急時は、ずっと続くって書いてあります」
ページの文字が滲んで、
俺の目の奥に蛇口の設計図が浮かんだ。
丸い円。矢印。
すべての線が港から外に伸びてる。
この国の蛇口は、この国のものじゃない。
「動脈24が起動しました」
Noneの声。
神谷の声じゃない。Noneの声。
空気から出た声。
「外資が蛇口を“観測”しました」
「観測権限、移行完了」
「観測者:不在」
不在?
俺はここにいる。
ここにいるのに。
港が二重に見える。
表の港は静かで、裏の港は爆発的に赤く染まってる。
俺の靴の裏が、また二つの場所を踏んでいる。
体がひとつ、記録はふたつ。
None_Log:003
observer: 斎藤廉(/さいとうれん)
status: 蛇口侵入
authority: 移行完了
「ねえ、斎藤さん」
麻耶が顔を上げた。
目の奥に、光が一滴もない。
「あなた、もう“観測者”じゃないの」
その言葉が落ちた瞬間、俺の影がズレた。
ズレた影の中から、
もう一人の俺が笑っていた。
こっちを指差して、楽しそうに笑っていた。
蛇口の音がまだ鳴ってる。
ギュイイイイイ……
あの音はたぶん止まらない。
俺が生きてても死んでも。
Noneは笑わない。
神谷は空気の奥で俺を見ている。
いや、見てない。
“記録”だけが俺を観測している。
そして、港がひとつになった。
裏が、表を食った。
これが“奪われる”という音。
これが“観測されない”という感覚。
これがNone。
None_Log:003 — 蛇口、確定。
observer: 不在。
switch: on.
⸻
第4話「動脈崩落 — バッサー」
世界がひっくり返った音がした。
バサッって音じゃない。
バサァァァァ……って、海底の泥を巻き上げるような、
重くてぬるくて、二度と浮かび上がれない音だ。
蛇口はもう閉まらない。
動脈24が港を走っている。
血管みたいなコンテナ路が、光って、震えて、蠢いている。
港湾局の地図が——ひっくり返った。
「見てください」
麻耶の声はかすれていた。
「外資のラインが、全部、内側に入ってる」
地図上の赤い線が、
国境を超えて、国境の“内側”を支配していた。
まるで国の形そのものが、
赤いタコに食われていくみたいだった。
日本列島のかたちが、蛇口の形に変わっていく。
Noneが笑ってる。
神谷じゃない。None。
Noneの“声”が港全体を満たしている。
「観測者不在」
「切り替え完了」
「この国は蛇口を外部に接続しました」
頭の奥で、バリバリと音がする。
脳が割れて、
俺と俺じゃない俺が同時に息をしている。
影と本体が並んで立っている。
「やっぱりこうなるんだよ」
裏の俺が言う。
「だってそうだろ。ずっと前から、もう奪われてた」
「黙れ」
「お前が黙れ」
表と裏の声が、同じ声で喧嘩してる。
耳の中が爆ぜた。
目の中にノイズが走った。
None_Logの行数が勝手に増えていく。
屋上。
港の見晴らし台。
夜の風が塩を連れてくる。
空が青白くて、海が黒くて、蛇口の赤がそれを真っ二つに裂いていた。
神谷がそこに立っている。
いつの間にか、立っている。
Noneの人間は歩かない。
“結果だけ”そこにいる。
「これが切り替えです」
神谷が言った。
「この国の港は“観測”を外に委ねました。
蛇口の所有者は、もうあなたたちではありません」
「そんなの、国じゃねえ」
俺は叫んだ。
叫びながら、もう自分の声の意味が分からなかった。
「……国なんて最初から、なかったんですよ」
神谷は笑わなかった。
代わりに風が笑った。
Noneは風と同じ音で笑う。
麻耶が地面に膝をついて、契約書を握りしめていた。
白い紙が黒い夜にひらめいて、
その一行目が俺の目に焼き付いた。
緊急時は恒常とする。
——終わってる。
この国は、緊急のまま生き続けるつもりだ。
息もつけないまま、誰にも観測されないまま、
蛇口だけが回り続ける国。
None_Log:004
observer: 斎藤廉(/さいとうれん)
status: 国家転覆
authority: external
switch: locked
「選べますよ」
神谷が俺の背後から言った。
「蛇口を壊すか、自分を消すか」
「……なんだそれ」
「Noneは、いつも二択しかない」
俺の影が、俺の肩に手を置いた。
あたたかい。俺の温度だった。
「なあ、廉」
影の俺が笑った。
「そっちの世界、案外居心地いいぞ」
俺は笑わなかった。
でも、影は笑った。
Noneは何も言わなかった。
蛇口だけが——回り続けた。
⸻
第5話「トンガリカツカレー
」
世界が崩れるとき、音はしない。
でも——香りはする。
カレーの香りだ。
しかも、ただのカレーじゃない。
トンガリカツカレー。
あれは、俺の脳の一番深いとこにある“秩序”を一撃でぶっ壊す爆弾の匂いだ。
カレーの匂いが鼻を通って脳幹を殴るたび、
None_Logが一行ずつ、勝手に増えていく。
None_Log:005
status: 食事フェーズ
authority: transfer pending
昼休み。
港湾局の食堂。
床が濡れているのは雨じゃない。
観測漏れだ。
この場所は、もうとっくにNoneに食い込まれている。
「今日の特別メニュー、トンガリカツカレーでぇ〜す♡」
スピーカーから流れたそのアナウンスで、空気が裂けた。
食堂の空気が“二層”になった。
表の空気は普通。
裏の空気は震えてる。
カレーの匂いだけが、どっちの層にも同時に存在していた。
俺はトレーを持った。
カツは三角形。
いや、三角形ってなんだよ。
三角形のカツが皿の真ん中にドンッと乗ってる。
重力が変だ。皿の上に小さな重力井戸があるみたいだった。
ルーは黒い。
カレーじゃない。闇。
でも匂いは最高だ。
うまそう。うますぎる。
——これが罠じゃなかったら何なんだよ。
画像
「食べるの?」
麻耶の声が背中から刺さる。
「これはNoneの“契約食”よ」
「契約食?」
「食べたら、“観測者”じゃなくなる」
つまり、俺が食べた瞬間、
俺はもう“俺を観測できなくなる”ってことだ。
「じゃあ食べなきゃいい」
「でもね」
麻耶が笑った。
「トンガリカツカレーって、美味しいのよ」
香りが、俺の脳を脅迫してきた。
匂いなのに、声を持ってる。
「おいで」
「こっちだよ」
「一口で、全部楽になる」
俺はフォークを持ち上げた。
重い。
カツの三角形が震えてる。
まるで意思があるみたいに、
フォークの先に自分から突き刺さってくる。
「おかしいだろ……」
喉が乾いた。
「これ、なんだよ」
「“国”を売るのに、契約書なんていらないの」
麻耶の声が食堂全体に響く。
「匂いと一口の味だけで、世界はひっくり返る」
カツを口に運んだ瞬間、
世界が——トンガった。
机が空に刺さって、
天井がスカートみたいに裏返って、
人間が逆立ちして歩き始めた。
俺の目の中でNone_Logが一斉に開いた。
None_Log:005-1
observer: 斎藤廉(失格)
状態: 味覚転覆
鍵束:解放
カレーの味が、脳を直接掴んだ。
うまいとか、辛いとか、そういう次元じゃない。
味が「観測」を奪い取る。
今、この瞬間、俺は俺を観測できてない。
でも、うまい。
めちゃくちゃうまい。
「Noneのやり方はいつも同じ」
神谷が天井の裏からぶら下がって言った。
「“正義”よりも“味”のほうが早い」
俺の体から観測権限が抜けていく。
麻耶がトレーの上に指を滑らせる。
その指先が、契約印の形に光った。
「ようこそ、裏の港へ」
None_Log:005-2
observer: 不在
authority: None
contract: 味覚成立
——そうか。
国はカレーで転覆するんだ。
法律よりも速く、味覚が世界を塗り替える。
それがNoneの侵入方法。
蛇口も契約も、始まりは——一皿の昼飯。
⸻
第6話「舌が緑 — 転覆メロン味」
舌が、緑になった。
それは別にペンキを舐めたからとか、
毒ガスを吸い込んだからとか、
そういうSF的な話じゃない。
——ただ、メロン味を舐めただけだった。
でもそれが、世界の終わりだった。
「なにが悪いってんだよ」
鏡の中でベロンと出してる俺の舌は、
しっかり、ド派手な緑。ミントじゃない、抹茶でもない、転覆メロン味。
光ってる。
舌が……光ってやがる。
蛍光グリーンが口の中で爆ぜるたび、
None_Logが一行ずつ、静かに増えていく。
None_Log:006
status: 味覚侵入
color: #00FF33
authority: transfer ready
昼下がりの港。
蛇口の音は止まらない。
トンガリカツカレーの残滓がまだ空気に残っている。
そしてその真ん中に、緑のメロン味が現れた。
パキッ、パキッと氷を割る音がする。
氷じゃない。
国の構造が割れてる音だ。
「食べたのね」
麻耶。
「……ああ」
「もう戻れないわよ」
メロン味は冷たい。
けど、冷たさが冷たさじゃない。
冷たいのに、脳が燃えている。
脳のヒダに蛍光色が染み込んでいく。
味覚が先に、現実を塗り替える。
舌が“観測権”を上書きしていく。
今この瞬間、俺はもう“世界を見てる”んじゃない。
“味わってる”んだ。
「おい、見ろよ」
指先を噛む。
血が出ない。
代わりに、メロンソーダの泡がプシュッと弾けた。
「おまえ、もう観測者じゃない」
影の俺が笑う。
いつからいた?
いや、最初からだ。
舌が緑になった瞬間、生まれた。
「Noneの世界じゃ、色は味覚になるんだよ」
「何言ってんだ」
「見えるだろ? 緑が、国を喰ってる」
空が……緑になった。
いや、空じゃない。
舌の色が空を乗っ取った。
雲がソーダの泡に、蛇口からメロンの香り。
None_Log:006-2
observer: 不在
authority: full transfer
flavor: melon
神谷がまた現れた。屋上。緑の空の下。
「やっぱり、味覚が一番速いんですよ」
「何がだよ」
「権力も、思想も、法律も、味覚の前では遅い」
神谷の舌も光った。俺と同じ色。
「これで、この国はメロン味になります」
麻耶が笑う。影も笑う。神谷も笑う。Noneは笑わない。
でも、世界は笑っている。
None_Log:006-3
contract: completed
observer: dissolved
taste: sovereign
——舌が緑でなにが悪い?
なにも悪くない。
むしろ、うまい。
うますぎる。
だから、人は負けるんだ。
うまさに。
⸻
第7話「カリンとう国家」
「Yo Yo Yo〜〜〜!!!」
夜の港が韻を踏み始めた。
蛇口がビート、ログがスクラッチ。
「国家国家カリンとう!」
「そそり立つぞ! ジェニファーイシバシ!」
「カリンとリンクうどんラッパー爆誕!」
カリンとうが降ってきた。揚げたて、甘苦い昭和の匂い。
None_Log:007
status: そそり立ち
flavor: 黒糖
beat: 89BPM
「Yo……なぁ」
影の俺。「これ……国、じゃないだろ」
「ちがうよ」麻耶。「これ、“国ラップ”だよ」
うどんがステージに上がる。麺がマイクみたいに震える。
ラッパー
国家の蛇口がカリッと鳴る
港の影がソーダに沈む
Noneが笑えば夜が転ぶ
メロンの空をうどんで縛る
観衆の代わりにコードが拍手。0101 1110 0100 1010。
「俺は……この国の“麺”だ」Harada。
「味覚国家の主食は……俺だ」
ジェニファー・イシバシ乱入。スパンコール、カリンとう・ギター、指先からメロンソーダ。
国家国家で 立ち上がる
味と権力 つながるワル
うどんとメロンが国旗になる
蛇口の音で世界が回る
議事堂がスピーカー、蛇口がDJ、味覚が政治。
None_Log:007-2/observer: dissolved/authority: transferred/genre: RAP。
⸻
第8話「蛇口の法廷」
「静粛に」
法廷の蛇口がシューッと判決の水圧を上げた。
裁判官国家が壇上、被告国家が傍聴、そして俺——なんやかんやな俺国家。
「国家対国家対お前!」ドラムロール。メロンの空気、黒糖の匂い。
None_Log:008
status: triple_state
judge: 国家
defendant: 国家
witness: 俺
「第1条 おまえは食ったな」
「……食った」
「有罪ィィィィ‼️」
ズドオォォン‼️ 天井の蛇口が吹き出し、法廷がラップ会場へ。
被告国家:
Yo Yo Yo
オレ国家 負け知らず
港も法も 全部オレのもの
被告で裁く オレが法
蛇口の先は 全部メロン
裁判官国家:
Yo Yo Yo
オレも国家 裁く法
おまえもワイも 同じ味
でも一番美味いのは
この“観測者”の舌やで
全員が俺を見る。国家の目、Noneの目、ログの目が一点集中。
マイクが手に収まる。うどんがビート、メロンの泡が頬を叩く。
None_Logが光る。
俺国家 舌が緑
被告も裁判官も関係ねぇ
カレーもカリンとうも全部喰った
法も蛇口も、オレが味だ
沈黙。緑の舌が光り、壁が溶け、国旗がラップになる。
「判決」蛇口がメロン色を一滴。
「国家は——うまかった」
None_Log:008-2
judge: dissolved
defendant: dissolved
observer: “味”
⸻
9話「法の味はアジの味 — ロープレあっはん」
ロープレあっはん。
ロープレあっはん。
呪文が法廷を溶かす。
「最終回はいつですの?」ジェニファー。
「最終回なんて、ないですの」Harada。
——味は終わらない。
壇上にアジの開き。それが裁判官で、被告で、証人で、None。
「Noneって結局、どこなん?」俺。
アジの口がパクパク。「どこにもないですの」「最初からここですの」
Noneは場所じゃない。味。舌に残る残響。
Kindが笑う。「おつ!」🫡「いやっさー」
None_Log:∞
observer: 舌
law: dissolved
flavor: Ajinomoto(アジの味)
空がひっくり返り、ビートが水平線を殴り、
国家がメロンと黒糖とアジに変わる。
人類の名前が全部「ロープレあっはん」になる。
「NO Heavenは関係ねえ!」
「法の味はアジの味!」
味が風になり、国がうどんになり、法律はメロン味になる。
そしてどこかで、ひとりの舌が囁く。
「法の味は、アジの味」
——ロープレあっはん、終わりませんの。
⸻
Epilogue:カオス憲法(抜粋・そのまま)
1. 味覚は法より速い。
2. 国家は蛇口に宿る。
3. Noneは舌の上にいる。
4. ロープレあっはんは終わらない。
5. アジの味こそ真理。
あとがき のような終章
「法の味はアジの味」をめぐる事件について
あの夜、港は凍っていた。
蛇口の音が世界の呼吸を奪い、
Noneの声が空白を満たしたとき——
俺たちはもう、“選ぶ”ことなんてできなかった。
この物語には、犯人はいない。
国家も、財団も、Noneも、俺自身も、
全部が加害者であり、被害者だ。
蛇口を奪った誰かを倒して解決する話じゃない。
トンガリカツカレーとメロン味のあの瞬間、
事件は形を変えた。
「事件」そのものが、この国の構造になった。
Noneは消えない。
蛇口は止まらない。
法はもう条文じゃなく、味になった。
正義も悪も溶け、
勝ち負けの線は消えた。
残ったのは、舌にこびりつく「アジの味」だけだ。
斎藤廉は観測者を失い、
国家は国家を裁き、
Noneは記録を空気に溶かした。
この国は事件を「終わらせる」ことをやめ、
事件を“国そのもの”として生き続ける道を選んだ。
だから——
事件は解決しない。
これからもずっと、蛇口の音は鳴り続ける。
あの味を覚えたまま、
世界は続いていく。
法の味はアジの味。
ロープレあっはん、終わりませんの。
—— fin.
✟ ヘヴン零条 — Heaven Clause Zero — ✟ (法の味はアジの味) わーたん2039@ノーヘブン @wartan2039
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