夜明けの空にまいた種

時輪めぐる

夜明けの空にまいた種

「ほおい、ほおい」

倒壊した建物の瓦礫の下に母親は埋まっている。なす術も無く膝を抱え眠っていた少年は不思議な声に顔を上げ、空を仰いだ。少し肌寒い朝だった。いつもは怖く思える朝焼けの燃える空から銀色の何かが、キラキラ輝きながら降り注いでいる。あれは何だろう。少なくとも爆弾ではない。少年は鼻をひくつかせる。建物が焼けた残り香と、舞い上がった土埃の臭いはするが、火薬の臭いはしない。

自分以外の人々は、まだ微睡みの中にいるのか、誰もあれに気付いていないようだ。


そういえば昨日から、爆撃機も無人戦闘機も飛来していない。情報を得る手段を持たない九歳の少年は、まだ何が起きたのかを知らなかった。

空を滑るように移動しながら「ほおい、ほおい」と歌う銀に輝く姿。何かを撒いている。人間なのか、天使なのか。

少年は立ち上がり、裸足の足を引き摺りながら後を追った。着の身着のまま逃げたあの日から、どれほどの時が流れただろう。負傷した傷口が塞がり、骨折した足が動かせるようになっても、戦闘は続いていた。


やがて高度を下げ、銀に輝くそれは、まるで後を追う少年を待つかのように、地上に降り立った。美しい女性の姿をしている。見知らぬ人のようでもあり、懐かしい両親や兄の面影をどこか漂わせているようでもあった。

追い付いた少年は近寄りながら訊ねる。

「あなたは誰ですか。何を撒いていたのですか」

すると、その銀色に輝く女性は、清らかに澄んだ美しい声で答えた。

「私は夜明けを告げるもの。希望と幸せの種を撒いていた。この町にも、やがて、希望と幸せが芽吹き、育っていくだろう。ほうれ、お前にも」

そう言うと。女性は右手の人差し指で少年の胸を突く真似をした。人差し指の先から、銀色の小さな炎を内包した種の様なものが、痛みも無くスッと胸に入る。一瞬、熱くなった胸を少年は俯いて確認するが、何も変わっていなかった。

「辛いことも悲しいことも、乗り越えていくがよい」

銀色の女性は静かに東の空に昇って行き、明けの明星になった。明けの明星は、救いと希望の象徴といわれる。明けない夜のような戦争の終わりを告げに現れたのだろうか。

何だったのだろう。自分は、夢を見ていたのだろうか。


少年は、辺りを見回した。破壊し尽くされ、瓦礫と化した街が目に映る。移動遊園地で遊んだ広場も、人や物が行き交う市場も、何一つ残っていない。移動遊園地で兄と一緒に乗った観覧車や父親と競った射的。家族で買い出しに出掛け、仕入れた食材で母親が腕を振るった郷土料理。何もかも懐かしく思うと同時に、二度と取り戻せない家族の時間に涙が溢れた。

突然始まった戦争で沢山の人が命を落とし、少年の父親と年の離れた兄は出兵し戻って来なかった。残された母親と二人、家も畑も奪われ、食うや食わずの生活をしていたが、ある日、少年を建物の倒壊から庇って、母親も命を落とした。それから、独りぼっちで生きて来た。生きる気力を失くし、食料にありつくことだけを考える日々。いつ終わるとも知れぬ戦争に疲れ絶望し、母親と一緒に死んでしまえば良かったと何度も思った。

こんな荒廃した世界でも、希望と幸せの種は芽吹くのだろうか。明けの明星が胸に撒いた種は、生きる力をもたらすのだろうか。そんな馬鹿なことあるものか。弱った心が見せた幻に違いない。少年は自嘲気味に笑った。

それでも種が入った時の熱さは確かにあったし、戸惑いながらもその存在を感じていた。

その時、胸の中で何かが蠢いた。力強く生まれようとしている。

「あ」

少年の心に希望が発芽した。根拠のない前向きな明るさが胸に広がっていく。少年は両手で胸を押え天を仰いだ。

今は、何も無く、この先どうなるかも分からない。しかし、心で発芽した希望が、どうにかなると強く呼びかけていた。


周囲で人々が起き出す気配がし、誰かの叫びをきっかけに、大きな歓声が沸き上がった。

「戦争が終わったぞ!」

地上に喜びが満ち満ちた。

昇る朝陽の激しい眩しさに、少年は明るい明日を信じた。




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