自販機の呪い

をはち

自販機の呪い

中矢恭平、俺は料理学校で日々包丁を握り、料理の道を志す若者だ。


夢はでかいが、まだまだ未熟。そこに、ある日、妙な男が現れた。


寒川仁、50歳はとうに過ぎていそうな、しわくちゃの顔に鋭い目をした男だ。


「人を殺す以外は何でもやってきた」と豪語し、巡り巡って料理の道にたどり着いたという。


いかにも胡散臭い、ただの気取り屋のおっさんだと思った。


「どれだけいられるかわからんが、迷惑かけたら消える」と、仁はそう言って笑った。


その笑顔には、どこか影があった。


「俺のことは仁と呼んでくれや。よろしくな。」


その挨拶から10日ほど経った夜、俺たちは夕飯を食い、夜道を歩いていた。


街灯が薄暗く、湿った空気が肌にまとわりつく。


ふと、奇妙なことに気づいた。


俺たちが通り過ぎるたびに、道端の自動販売機の明かりが、まるで怯えた生き物のように消えるのだ。


最初は故障かと思った。


だが、どの自販機も、俺たちが近づくと決まって暗くなる。


まるで、何かを見ず知らずの俺たちを拒むように。


「…お前、気づいたか?」


仁が低い声で言った。


俺が振り返ると、彼の顔は妙に硬直していた。


「俺のせいだ。すまんな。」


何を言ってるんだ、こいつ。


俺は眉をひそめたが、試しに自販機で飲み物を買ってみようとした。


硬貨を入れると、カランと音を立てて、なんの抵抗もなくコインが釣り銭受けに落ちてくる。


ボタンを押しても反応はない。


まるで自販機が俺を拒絶しているかのようだった。


「俺がいると、買えないんだよ。」


仁は苦笑しながら言った。


「先に帰るわ。また明日な。」


彼が自販機から数歩離れた瞬間、ピカッと明かりが戻り、自販機は普段通りの無機質な輝きを取り戻した。


俺は呆然としながらも、飲み物を買えた。


だが、背筋に冷たいものが走った。


仁の背中が、夜の闇に溶けるように遠ざかっていくのを見ながら、俺は何か得体の知れないものに触れた気がした。


翌日、仁は自分から語り始めた。


まるで告解でもするかのように、静かに、しかし重々しく。


「若い頃、俺はろくでもない人間だった。


自販機の釣り銭を盗むことから始まって、しまいには自販機そのものを盗んで、裏ルートに流して生計を立ててた。


壊した自販機は、1000台以上になるだろうな。」


彼の目は遠くを見ていた。まるで、過去の罪がそこに立ち現れるかのように。


「それ以来、俺が近づくと、自販機は暗くなる。まるで俺を呪ってるみたいに。」


冗談かと思った。


だが、彼の声には嘘がなかった。


悲しみと、どこか諦めのようなものが滲んでいた。


それでも、仁は料理学校では真剣だった。


授業では誰よりも熱心に学び、俺と組んだ料理コンテストでは、彼の経験と勘が光った。


ラーメン屋や様々な料理店でのバイト経験を生かし、俺たちは優勝を勝ち取った。


仁は笑いながら「経験が生きちまったな」と冗談を飛ばしたが、俺にはわかっていた。


彼の真剣さが、俺たちを勝利に導いたのだ。


2年後、俺たちは料理学校と提携したホテルでの卒業実習に挑んでいた。


実習は、実際の客に料理を提供するテストのようなものだった。


だが、その時、未曾有の台風が連続で街を襲った。


食材の供給が途絶え、ホテル内の食料は底をつきかけていた。


そんな中、ホテルのロビーに設置された自販機が、緊急措置として無料開放された。


宿泊客やスタッフが次々と飲み物や軽食を取りに行く中、仁の顔は青ざめていた。


「恭平、俺がいると…自販機は動かねえ。」


彼はそう呟き、嵐の吹き荒れる外へと歩き出そうとした。まるで、自分の存在が皆の命を脅かすとでも言うように。


「待てよ、仁! どこ行くんだ!」


俺は咄嗟に彼の腕を掴んだ。


雨が窓を叩き、雷鳴が響く中、仁の目はどこか虚ろだった。


「俺がいたら、自販機は許さねえ。昔の俺の罪が、全部あいつらに刻まれてるんだ。」


だが、俺は彼を離さなかった。


無理やり自販機の前に連れていくと、恐る恐るボタンを押した。


すると、驚くことに、自販機はいつも通り作動した。


飲み物が落ちてくる音が、嵐の喧騒の中でやけに大きく響いた。


「…何?」


仁は目を疑った。


俺が次々とボタンを押すと、自販機は淡々と食料を吐き出し続けた。


まるで、何事もなかったかのように。


仁は自販機の前に立ち尽くし、濡れた髪から滴る水滴と一緒に、頬に涙が伝った。


「許された…俺、許されたんだ…」


彼の声は震えていた。


まるで、長年の呪縛から解放されたかのように。


それ以来、仁が自販機に近づいても、明かりが消えることはなかった。


まるで、自販機が彼の罪を水(見ず)に流したかのように。


仁は言う。


「料理の卒業証書をもらうより、俺にはこっちの方がよっぽど嬉しかった。」


だが、俺は今でもあの夜のことを思い出すたび、ぞっとする。


あの自販機の明かりが消えた瞬間、まるで機械に魂が宿っているかのような、冷たい視線を感じたのだ。


そして、仁の涙を見たとき、俺は確信した。


彼を許したのは自販機なんかじゃない。


もっと深い、もっと暗い何かが、俺たちを見ていたのだ。

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