褥の下

因果某(いんが なにがし)

褥の下

 最近どうも、寝付きが悪い。

 新居に引っ越してきてからというもの、なかなか寝付くことが出来ない。

 中途覚醒も増え、極端な日は一睡も出来ないまま仕事に行くことも増えてきた。

 同僚に指摘されるほど顔にも出ているらしく、病院に行って睡眠薬も数種類処方してもらったのだが、どれも明確な効果は実感出来なかった。


 その内、仕事でもミスが目立つようになってしまった。上司に相談すると「構わないから何週間でも休んで、治すことを優先しなさい」と言ってくれた。

 周りにも休職の旨と症状を伝えたところ、あそこの病院がオススメだよ。あの薬は飲んだ?などアドバイスまでしてくれた。本当に、転職してよかったと思う。


 以前の勤め先は給料こそ悪くなかったのだが、世間的にはブラック企業といわれるものでサービス残業やパワハラや女性社員へのセクハラは日常茶飯事、年間休日も80日程度。とてもではないが骨を埋める気にはなれなかった。

 転職先は手取りの額面こそ多少下がったものの、実際の出勤日、内容などを考えれば前の会社とは比べるのもおこがましい程だ。加えてこんな素晴らしい上司や同僚に囲まれ、引っ越し先も田舎の面影を残しつつ、交通の便や各種施設には困らないと絶妙な具合で、この物件が見つかった時は小躍りして喜んだものだ。


 その物件は丁度田舎部と都市部の中間に位置しており、小高い丘にある為周囲の景色を一望出来る環境にあった。

 丘には自然が殆どそのまま残されており、公園や遊歩道、自分の住むアパートから南側に2,3分も歩けばすぐに森の中という好立地だ。

 このせいで虫の被害に悩まされたこともあったが、ご近所の方にまで恵まれたのか色々と対処法を教えてもらったり、おかずのお裾分けを頂いたり、本当に良くしてもらっている。


 本当に、全てが順風満帆だった。 そう、件の睡眠障害が起きるまでは。

 あれは確か先月、ご近所の方に寝る時は北枕は良くない、寝室は風通しが良い方が便利よと教えて貰い、布団を2階の小さな和室に移した頃だったろうか?

 一人暮らしには持て余すほど大きめな物件だったが、不思議と家賃は都市部のそれというより田舎のそれに近く、怪しんで色々と不動産屋に話を聞いたのだが物理的、精神的瑕疵は一切ないとのことだった。

 たまたま立地が若干田舎寄りで、都市部の方まで降りればまた違うのだろうと納得していたのだが、自分は段々とこの睡眠障害はこの家のせいなのではないかと疑うようになっていた。

 そこで懇意にさせていただいている近所の人にそれとなく話を聞いてみたものの、特にこれといった収穫はなく、前の住人も5年ほど住んでいたが仕事の都合で引っ越すことになっただけだという。

 その後も病院や薬を取っ替え引っ替え、果ては怪しい民間療法や神社のお守りまで試してみたものの改善することはなく、症状は悪化の一途を辿っていた。


 休職してから2週間ほど経った頃。相変わらず一睡も出来ないまま迎えた不愉快な朝、あるいはもう昼なのだろうか?我が家のチャイムが鳴った。

 重い体を動かして迎えると、同僚のAが見知らぬ男性を連れて玄関先に立っていた。年の頃は自分達と同じくらいだろうか?


 取り敢えず居間に迎え入れると、Aは自分を心配して来てくれたのだという。


「お前……痩せたんじゃないか?やっぱり、まだ寝れてないのか?」

「あぁ……ずっと寝れないわけじゃないんだけどな。一日に換算すると3時間くらいは寝れてるよ」

「おいおい……病院は行ってみたのか?」

「……色々試してみたんだけどな、はは」

「そっか……ちょっと遅くなっちゃったけど、紹介するよ。この人はTって言って、y町に住んでるんだよ。ほら、ちょうどお前の家の向こう側のさ。で、うちの6階に入ってるx商社によく顔を出してるみたいでさ、ふとしたキッカケで仲良くなったんだよ。で、世間話でお前のこと話したらさ、ひょっとすると助けになれるかもしれないって言うんで、来てもらったんだよ」

「ご紹介に預かりました、Tです。もしかするとお役に立てるかもしれません。もしよければ、お話を聞かせて貰えませんか?」


 Tと名乗った彼は髪をパリッと短く切りそろえ、いかにもといった好青年だった。正直話しても無駄だという思いもあったが、彼の誠実そうな人柄と、話すことで楽になることもあるかもしれないと思い、ことのあらましから話してみることにした。


「成程……お辛いですね。いきなりで申し訳ないのですが、一度お宅の中を見せて頂けませんか?」

「……はい、構いませんよ」


 ひょっとするとこのTは霊能力者か何かなのだろうか?普段の俺ならにべもなく断るところだが、今は正直何もかもどうでもいい。どうせ良くも悪くもならないのだから、勝手にしてくれ。

 彼は一階は居間からパントリー、トイレや風呂場まで見ていき、全て改め終えると二階へと上っていった。うちの階段は普通より少し蹴上が高いので戸惑ったのか、段の途中で何度か立ち止まっていた。一声かけてやるべきだったか。

 ここが寝室に使っている部屋ですと説明すると、Tはまずは他の部屋を見せて下さいと他の部屋から見て回った。

 粗方見終えると、Tはついに自分の寝室のドアを開けた。後ろ姿しか見えていないので分からないが、その瞬間彼の体がビクッと跳ねたのは気のせいだろうか?


「……すいません、少し電話をかけてきてもいいでしょうか?」

「え?勿論、どうぞ」


 そう言うと、彼は階下へと急ぎつつ、電話をかけていた。


「……なんだろうな?」

「さぁ?一応、不動産屋の話だとこの物件には何も変な話は無いってことだったけど」

「うーん。まぁ、とりあえず待ってようぜ。お前の好きなカレーパン持ってきてるんだ」


 そう言うと、同じく二階にある和室でAが持ってきてくれたカレーパンを二人で齧る。

 ……美味い。最近食欲もあまりなかったが、人と食べるのが久々だったからだろうか、ペロリと平らげてしまった。


「にしても、薬が効かないなら何なんだろうな?何かの持病とか?」

「うーん、一応精密検査もしてもらったんだけどな、先生曰くとても健康です。だとさ」

「まぁなんにせよ、早く治るといいな。みんな心配してるぞ」

「……すまん」

「謝るなって!別にお前が休んでるしわ寄せがあるわけでも無いんだし、治るまでゆっくり休んでろよ」


 溢れ出そうになる涙をあくびでごまかしていると、階段を上がる音が聞こえてきた。Tが戻ってきたようだ。


「すいません、お待たせしました」

「いやいや。それで?」

「取り敢えず、もう一度寝室へ向かいましょう」


 そう言ってTは寝室へ入ると、押し入れを開けていいかと聞いてきた。布団しか入っていないし構わないと伝えると、Tは押し入れを開けると中をスマホのライトで照らしたり、布団に手を突っ込んだり、何かを探しているようだった。


「……何か探してるんですか?」

「はい。恐らくこの部屋に、貴方の不調の原因になる何かがあるはずです」

「でも、不動産屋からは何も」

「管理者が把握していない瑕疵だってありますよ。それに……あれ?」


 会話の途中で何かに気付いた様子のTは、足元を凝視している。自分達もつられて足元を見るが、自分の布団以外には何も無い。


「?何か気付いたんですか?」

「えっと、この布団が敷いてある畳。これだけ新しくないですか?」


 そう言われ改めて良く見てみても、他の畳との違いは良く分からなかった。だがAに指摘されてみると、確かに畳縁が明らかに他のそれよりツヤがあり、少し色も濃いようだ。一度気付いてしまえば、強烈な違和感を否が応でも覚えてしまう。

 何故気づかなかったのだろうか?俺が和室に不慣れというのもあるだろうが、気付いてしまえば違いは一目瞭然だというのに……


「すいませんが、この畳をめくってみてもいいでしょうか?」

「……はい。ここまで来たら、徹底的にお願いします」


 藁にも縋るとはこのことか。しかし、畳を捲る際に思いついた慣用句としては中々シャレが効いているじゃないか。

 布団を端にどかし、三人がかりで布団が敷いてあった部分の新しい畳をめくり上げる。

 すると、そこには……




 別に、何も無かった。

 正確に言えば防湿か防音のシートと、ベニヤか何かの合板があるだけだ。

 てっきり、呪いのお札的なものが出てくるのかと少しだけ期待していたのだが。


「……何も無いですね」

「……あぁ」


 Aと顔を見合わせていると、Tは不思議そうに捲った後の床を観察しているが、やがて気が済んだのか力なさげに顔を横に振ると、また三人がかりで畳を元に戻すことにした。

 だがその際、俺が誤って、というか最近体がなまっていたのか畳を取り落としてしまい、落とした場所にある別の畳に凹みが出来てしまった。


「あちゃ~」

「最近寝れていないとのことですから、しょうがないですよ。もう一度持ち上げ……」


 不自然に途切れた会話にTの方を見ると、先程と同じく何かに気付いた様子で落ちた畳を見つめている。

 自分とAも同じようにしてみるが、やはり先程同様何もおかしなところは……うん?


 落ちた先の畳が凹んでいるのは勿論なのだが、新しい方の畳の畳縁が落とした衝撃で破れてしまっており、藁?い草?の先端が見えてしまっている。これは補修しないとまずいのだろうか?にしてはTの表情は神妙だ。

 他にもなにかあるのかとよく観察してみると、畳縁が破れ中身が見えている場所、そこに一つ……いや、二つ、三つ?所々に、明らかに草とは違う色、質感の何かが見えている。

 畳の構造など詳しくはないが、一体あれは?しゃがんで、実際にそれに触れてみ――


「いけません!!」


 突然の大声に体がビクリと跳ねた。どうも、大声を出したのはTらしい。


「な、何かマズいんですか?畳が壊れてしまうとか?」

「いえ、とにかくお二人は下がって下さい、僕が見てみます」


 そう言うと、Tはポケットから取り出した白い、薄い金色の刺繍がされた手袋を付けて畳の角に見えているそれらの内一つに触れる。

 最初は恐る恐る、途中からしっかりとした手つきでそれを調べている様子だったが、やがてその正体が分かったようで、一瞬の逡巡の後、そのナニかを勢いよく引き抜いた。




 幽霊だの祟りだの、そういったものを全く信じていない俺でもソレを見た瞬間、全身の血の気が一気に引くのを感じた。


 Tの白い手袋の上には、赤錆た五寸釘がまるで周りを睨め付けるかのような雰囲気で鎮座していたのだから。




 彼はその五寸釘を掴んでいた手袋を、それを包みこんだまま外すとどこからか取り出した巾着袋に手袋ごと入れ、しっかりと紐を縛り、ポケットに仕舞い込んだ。

 

「……すいません、もう一度電話してきます」


 少し震えた声で言うと、不安げな表情の彼は今度は部屋の隅で電話をかけ始めた。

 会話の内容を聞くのもどうかと少し離れていたが、意外と電話はすぐに終わったようだ。


「すいません、お待たせしました。申し訳ないのですが、この畳は回収させて頂けませんか?勿論代わりの畳は差し上げます」

「「え?」」

「ワケあって理由は話せないんですが、お願いします。初対面の人間に言われても信じられないでしょうが、これは本当に危ないモノなんです。是非、お願いします」


 そういう彼の表情は真剣そのもので、まるで懇願するようでもあった。

 隣のAを見ると、彼も戸惑っているのかこちらを見て(どうする?)と聞いてきているかのようだ。


「……分かりました、お任せします。そうすれば、俺の不眠は治るんですよね?」

「はい。改善しなかった場合はより詳しい人を紹介しますし、勿論お代を取ることもないです。では回収の手続きをしますので、一階でお待ち下さい」


 言われるまま、困惑の内に一階へ降りて取り敢えずテレビを付けてみるが、内容は全く頭に入ってこない。

 結局、あの五寸釘は?アレが俺の不眠の原因なのか?Tとは一体何者なのか?

 Aと色々話し合ってみたが、分かったのはTが所謂視える人間で、オカルト関係に詳しいということくらいだった。

 なんとも微妙な雰囲気に居心地の悪さを感じていると、ようやく待ちわびた足音が聞こえてきた。


「すいません、畳を外に出すのを手伝って頂けませんか?」

「え?でも……」

「大丈夫です。直接触らなければ、害はありません」


 言われるまま、件の畳を3人で持ち上げる。破れた畳縁はいつの間にか白い紙?のようなもので補修されており、例の釘は外からは見えなくなっていた。

 またあの五寸釘が見えてしまうのは流石にご免なので、誰が言い出さずとも慎重に階段を降りていき、廊下を抜けて、玄関を開ける。


 するとそこには、白い軽トラックが停まっていた。運転しているのは中年の男性のようで、助手席にも誰かが乗っている。

 軽トラの荷台には既に畳が載っており、これを貰えるということらしい。大きさも恐らく大丈夫そうだ。

 Tの指示で荷台の畳と寝室にあった畳を入れ替えると


「では今日はこれで失礼します。本当は畳の設置までお手伝いしたかったのですが、時間があまりないもので……大変恐縮ですが、その畳の設置はお二人でお願いします」

「分かりました。お前もいいよな?」

「……はい。まだどうなるのかは分かりませんが、不眠が治ったら改めてお礼に伺います」

「いえいえ、お気になさらず!では失礼します」


 そう言うと、Tは助手席に向かって何やら話しかけるとその男の腕を引いて車から降ろし、荷台の畳を二人で確認し始めた。

 助手席の誰かは色白で痩せっぽち、碌な手入れもしていないであろう長い癖っ毛を腰まで伸ばした着流し姿の男だった。

 一通り二人で話すとTは再度こちらへ会釈をし、助手席に座ると車は発進していった。


 元助手席の男は軽トラの荷台、恐らくは件の畳に腰掛け、如何にも気怠げといった表情でこちらには一瞥も無かった。


 軽トラが見えなくなるまで見送った後、Aに頼んで畳を二階までどうにか運び込み、空いていた隙間へ設置する。大きさはぴったりだったようで、元の和室の面影が蘇った。


「ふぅ……結局、何だったのかなぁ」

「……本当にな」

「なんか、悪かったな。こんなことになるとは……」

「いやいや。ひょっとすると本当に不眠が治るかもしれないんだし……それに、カレーパン美味かったよ」

「お、笑ったな。ちょっと安心したよ。言っちゃ悪いが、お前ずっとひどい顔してたぞ?」

「……すまん」

「いいって。じゃ俺も帰るけど、何かあったら連絡しろよ?会社のみんなも心配してるぞ」

「あぁ、そうさせてもらうよ。みんなによろしくな」


 再び玄関まで行き、Aを見送る頃には夕方になっていた。

 戸締まりをした後、そういえば布団を端に寄せたままだったのを思い出し、再び寝室に足を運んだ。


 中央の畳だけ周りと少し色が違うが、これはこれでオシャレな模様に見えなくもない。

 少し得をした気分で布団を敷き直していると、いつの間にかここ最近常に感じていた……何だろう、抑えつけられている感じというか、気怠さというか、兎に角嫌な気分が消えていたことに気付く。成程、だからさっき笑えたのか。


 その瞬間……なんとなく。本当になんとなくだが、自分の不眠は治るのだという確信があった。Tの対応が誠実だったからだろうか?

 間違いなく普段の俺ならオカルトなど歯牙にもかけない筈なのだが、彼はどこか不思議というか……人懐っこさだろうか?そういったものを感じたので、安心できたのかもしれない。やや自嘲気味に笑いつつ、最後に枕を元に戻そうと


ポトリ


 音のした方向を見れば、いつぞやy町の神社で買ったお守りが落ちている。

 紐は綺麗な金糸混じりの紫、袋はこれまた綺麗な朱と、まさにお守りといった外観で、このいかにも感を気に入って購入したのだ。確か枕と枕カバーの隙間に入れておいたのだったか?結局、役に立ったのか立たなかったのか……

 そういえば、お守りは燃えるゴミでいいのだろうか?なにか罰当たりな気もするが、問題が解決した以上持っていても仕方ない。こんなにキレイなお守りを捨ててしまうのは勿体ないような気もするが、確か願掛けが叶った後も持ち続けるとよくないことが起きると、会社の女性たちから休憩時間に聞いたような気がする。

 心の中でありがとう、ごめんなと伝えて、ゴミ箱に放り込む。






 ゴミ箱の中には、紐は千切れ、所々に赤黒いシミが浮き、八方除の文字すら判読できなくなっているお守りが、それでも尚厳かに佇んでいた。

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