贖罪

鹽夜亮

贖罪

 ある夏の暑い、暑い日。

 彼女は死んだ。…


 彼女は編入生だった。編入して、私のいるゼミに入った。可愛らしい子だと思ったのを今も覚えている。小さいのにしっかりしていて、でもどこかのほほんとした雰囲気を纏っていた。ふわりとしたワンピースをよく着ていて、それがよく似合っていた。

 私と彼女が運命の出会いを果たした。などと書くつもりはない。たまたま帰りの電車が一緒になることが多かった。私は彼女を見つけても、特に話しかけることもなかった。彼女もそうだった。ただ、お互いの存在を認識していることだけは、目線で何となくわかっていた。どこかむず痒い気持ちがした。車窓の外で沈んでいく夕陽をバックに、ちらりと合った視線を逸らす。そんなことを覚えている。

 彼女と初めて話をしたのは、数ヶ月後のことだった。ゼミの用事で、教授の元を二人で訪問することになった。二人で歩くなら、何かを話さないというわけにもいかない。「電車、一緒ですよね」と言った私に、彼女は「そうだよね」と答えて少し恥ずかしそうに笑った。

 彼女との馴れ初めをやたらと書き連ねるつもりはない。その後、私と彼女は付き合うことになった。何も特別なことじゃない。友達から恋人になった、それだけだった。彼女は私より少し年上だった。にもかかわらず、どう見ても私より若い見た目をしていた。何度か私が年上だと間違えられることがあった。その度に苦笑していた彼女の顔が、脳裏に浮かぶ。

 大学生活は怠惰と好奇心と少々の青春の中で、あっという間に過ぎた。私が内定を得た時には、もう彼女との付き合いは一年を超えていた。二十歳そこそこで一年以上の交際期間といえば、それなりに長い方だろう。それには私と彼女の気が合ったというのもあるし、そもそもお互いそれほど恋愛に頓着がなかったということもある。つまり、平和だった。私たちの交際は平和な、のんびりとした日々に紡がれていった。

 私の中には、ぼんやりとした将来像のようなものが浮かんでいた。新卒で就職して、ある程度落ち着いたら同棲をしよう。そして数年後には結婚しよう。そんな将来像だった。今思っても随分堅実なものだと感心する。だが堅実だということが、そのまま実現可能かどうかという点では、世界はそれほど優しくない。

 大学を無事に卒業し、私は内定をもらったカーディーラーに就職した。彼女は小学生の教師を目指すと言って、短大へと通い始めた。「三つ目の大学ってすごいな」と言うと、「私はモラトリアムが長いの」と彼女は答えた。少し居心地悪そうにする彼女の肩を叩きながら、学びたいことがあるのはいいことだよ、と声をかけたことを覚えている。確かそれは私の車の中だった。夜だったと思う。学校帰りだったのか、それとも就職した後のデートの帰り道だったのか、それは今ではもう判然としない。

 新しい生活が始まっても、私たちの関係はたいして変わらなかった。会う時間が少し減っても、疎遠になることもなかった。毎日のように電話をしていたし、SNSのやりとりも無理なく、欠かすこともなかった。つまり、順調だった。


 私が、壊れてしまうまでは。


 私の就職した会社は、今思ってもいい会社だった。働く人々の人柄も、会社のやり方も良かった。残業もあるにはあったが、多くはなかった。多忙な時期があるにしても、特段他の仕事と比較して突出して忙しいというわけでもなかった。

 私は、その中ですら壊れていった。それを説明するには、私の背景を語らなければならない。私は小学生高学年から中学生の終わりまで、不登校だった。いじめられたわけでもない。体に不自由があったわけでも、勉強についてゆけなかったわけでもない。ただ、ある日突然、校舎を見ると私は嘔吐するようになった。当時、何故そうなるのか私にはわからなかった。今の私にすら、推測することしかできない。

 いわゆる、私は「いい子ちゃん」だった。優等生といえば聞こえはいい。だが、どうにもそれを維持するのは私にとって苦しいことであったらしい。らしい、というのは、実感がない推測に過ぎないからだ。ともかく、私が今不登校に関して思いつく原因は、その優等生であることへの摩耗、疲労なのではないか、というわけだ。

 私の背景の話から、新卒の私について話を戻そう。先述したように、私の就職した会社は割合いい会社だった。その環境に満足していた。しかし、私は日を経るごとに疲弊していった。それは顕著だった。職場では度々えづきに襲われ、一日働くだけでも異様な疲労感が残った。まるで自分という存在が擦り切れていくのを眺めているようだった。回復の手立ても、対策の手立ても見当たらなかった。そんな日々が過ぎていけば、やがて人間は限界を迎える。ある朝、私は泣きながら店長へと電話をかけた。「今日出勤したら、死にます。無理です。ごめんなさい。このまま病院を探します」そう言った私に、店長は「気付けなくてごめん、無理しないでいいから」と答えた。

 私の行動は早かった。それだけ異常を感知していた。精神科を探し、すぐに受診した。彼女にもすぐ事情を話した。彼女は心配していて、そもそもその前から私の異常に気づいて度々私を気遣ってくれていた。「ゆっくり休んでね」と電話口で言った優しい声は、まだ耳元に残っている。精神科では鬱病と自律神経失調症の診断が下り、私は休職することになった。ありきたりな、あまりにもありきたりな、つまらない筋書きだった。

 私はこの会社に縋りついた。ここにいたかった。働いて、安定して、彼女との結婚への道筋を見つけたかった。結局休職と復職を繰り返し、そのまま一年以上が経った。それでも私の心身は一向に安定しなかった。むしろ、悪化したとすら言ってもよかった。頓服薬は次第に増え、よく私は「薬漬けになった」と冗談を言うようになった。それを聞くたびに彼女は、悲しそうな顔で笑った。

 彼女が短大を卒業し、まず幼稚園に就職を決めた。その年、私は上司との話し合いの末についに退職を決めた。悔しかった。悲しかった。私は、この会社と人々が好きだった。何も恩返しもできずに、ただお荷物として去っていくことが、何より苦しかった。でも、もうそれ以外に道はなかった。

 そんな私に、彼女は「むしろよかったと思うよ。よく頑張ったね」と優しく微笑んでくれた。その言葉を聞いて、初めて彼女の前で泣いた。抱きしめてくれる小さな体は、温かく、優しい彼女の匂いがした。…


 そのまま、半年だろうか。そのくらいの月日が過ぎた。私は退職後も精神を病み続け、社会復帰の芽は全く見えなかった。私は絶望していた。ちょうど、同棲していたなら結婚を考えていたはずの年だった。それが、この有様だった。何度も自分の過去を思い返しながら、宿命というものを思った。自分のどうしようもなさを呪った。縊り殺してしまいたかった。実際、何度か怪しい行動をした。その中の一度では、異変に気づいた彼女が私の母親に連絡を取り、事なきを得たこともあった。今思っても、何とも情けない、どうしようもない男だった。どうしようもない、彼氏だった。

 私は、年上の彼女の婚期を考えるようになった。もう彼女は二十八歳になる直前だった。彼女は、相変わらず何も変化なく、私と接してくれていた。時に心配し、普段は何も今までと変わりなく、時は流れていた。だが私は、そんな世界にいる自分が次第に許せなくなっていった。彼女が、結婚して子供が欲しいと言っていたことを何度も反芻しては、嘔吐した。私の彼女との計画は、ずたずたのボロ切れのように破綻した。私は、彼女の人生を、切り裂いて、ぐちゃぐちゃにした。貴重な数年間を奪った末に、何も進まないまま引きずり続けている。まるで私が、彼女を地獄へ引き摺り下ろそうとする悪魔のように見えた。


「もう別れよう。俺は、結婚ができない」


 そう告げた時の彼女の泣き顔を私は一度も忘れたことがない。あれほど痛々しい表情を、私は見たことがない。彼女は「わかった」と言った。そして、「連絡先だけは、残しておいてほしい」と告げた。私はそれに従った。…



 それから数ヶ月が経った。彼女と連絡を取ることはなかった。連絡先を残したものの、私は彼女に連絡など取る権利はないと思っていた。彼女側も特に連絡をよこす訳ではなかった。生存確認のための連絡先の保存だったのかもしれない、今になるとそう思う。

 とある深夜。スマートフォンが鳴った。通知には彼女の名前があった。


『ねぇ、貴方の手で私を殺して欲しい』


 飛び起きた私は、すぐに返信を打った。何かあればいくらでも力になりたかった。彼女には幸せになって欲しかった。彼女は、ずっと私を支え続けていてくれたのだから、私などにできることがあれば何でもするつもりだった。


『どうした?何かあった?何でも相談に乗るし、出来ることはするから、落ち着いて』

『ありがとう。何もないよ。何もないの。やっぱり、優しいね』


 そんなやり取りの後、連絡は止んだ。わざわざ通話をすることはしなかった。それはどこか、越権行為だと思った。私のすべきことではない、そう思った。心配は心の中でぐるぐると回って、寝付けなかった。何度も通話をかけようか悩んではやめた。きっと彼女はもう眠っている、そうならその方がいい、そう自分に言い聞かせた。

 それから数日、随分暑い日が続いた。今年の夏は酷く暑くなるようだった。昼に起きた私に、母親が涙目になりながら新聞を見てと言った。わけがわからなかった。お悔やみ欄に赤い印がついていた。


 彼女の名前だった。


 思考が止まった。時間が止まった。心臓も止まった。いや、止まればよかった。私の心臓は動いていた。すぐにメッセージを送った。既読がつくことは、今に至るまで、一度もない。…

 彼女が、首を括ったと知ったのはそれから数日経ってからだった。大学時代の共通の友人が、心配して私に連絡をしてくれた。そこでことの顛末を知った。彼女は、あの暑い日の深夜、とある湖の近くの森で一人で首を括って、死んだ。その日はあの連絡があった翌日だった。この事実は、私を散々に打ちのめした。彼女の声がずっと耳元で聞こえていた。私が何もかも壊してしまった彼女の人生を思った。何で自分が生きているのか、何で自分が許されているのか、理解ができなかった。何度も吐いた。睡眠薬を無駄に煽ってウォッカで流し込んで、死ぬように眠って、半覚醒で起きる。起きてはまた薬を齧る。何もなかった。何もない。そう、何もなかった。それから何日が経ったのか、私には何もわからない。


 深夜の月はしんしんと、湖を照らしていた。森はざわざわと風に揺らいでいる。彼女と写真を撮ったことを思い出しながら、私は適当な木を見繕っていた。頑丈そうな幹と枝。それだけを探していた。薬でくらくらとする頭が、妙に冴えていた。ふらふら歩きながら、いくつもの木を触った。苔が生えていて、どれも柔らかい。生命を感じて、自己嫌悪が増した。

 やがて、満足のいく木が見つかった。これなら大して重くもない私の体を釣り上げるには充分だと思った。ロープの結び方は事前に調べていた。適当に持ってきた椅子を地面に置いて、その上に登った。少しばかり景色が良かった。月は相変わらず湖を照らしていた。森の中には、その月明かりは届いていなかった。手際よくロープを結びつけ、長さを確認する。椅子を蹴り払えば確実に体が宙を浮く。その長さを何度も確認した。失敗は許されない。許されなかった。私は許されてしまったから、私は私を許すわけにはいかなかった。

 メモ帳に遺言を書いた。対して書きたいこともなかったから、それはすぐに終わった。スマートフォンのライトの下で、五分もかからずに。終わった後、スマートフォンは湖に投げ捨てた。もう必要がなかったから。

 椅子に登って、ロープの輪に首をかけたをざらざらとした感覚が皮膚に刺さった。頑丈なロープを用意して良かったと思った。これなら、しっかりと私を縊り殺してくれるだろう。


「ごめんなさい」


 それが、私の最期の言葉だった。…













〇〇年〇月〇〇日


ごめんなさい。

誰も私を許さないでください。

誰も私を憐れまないでください。

私を憎んでください。

私を憎悪してください。

誰も、泣かないでください。


〇〇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

贖罪 鹽夜亮 @yuu1201

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ