白黒

二ノ前はじめ@ninomaehajime

白黒

 留められていないランドセルの金具が鳴る。教科書はいつも机の中だった。名前が入った給食袋を揺らしながら、友達と別れて家路にいていた。

 今日、さとるは嘘をついた。

 昼休み、級友たちとクラスの女子について下世話な話をした。どの子が可愛いか、誰に気があるかを話し合った。そのとき、同じ教室にいた狗尾いぬおの話題になった。彼女は分厚い眼鏡をかけており、いつも図書室で借りてきた本を自分の席で読んでいた。

 男子小学生の嗅覚は意外と鋭い。こちらに向かって、友達の一人が言った。

「お前ってさ、狗尾のこと好きなんじゃねえの」

 ただの悪ふざけだったのだと思う。ただ図星を突かれたからこそ、すぐにその発言を否定した。

「別に、あんな根暗のこと何とも思ってねえよ」

 そう強がりながら、自分の言葉が彼女の耳に届いていないことを願った。窓際で本のページをめくる彼女は文字に目を落としながら、こちらには見向きもしなかった。

 罪悪感を抱えながら、悟は夕暮れの家路に就く。途中で神社の石段に差しかかった。彼女は、今日も境内けいだいで猫に餌をやっているのだろうか。確かめる勇気はなく、足早に通り過ぎた。

 住宅地に入る。電柱の影が伸びていた。その陰に白い人影を見出して、心臓が跳ねた。背格好は自分と同じぐらいで、人の形をした光そのものに見えた。自宅はこの方向であるから引き返すこともできず、スニーカーのつま先を見下ろして立ち去ろうとした。

 その人影とすれ違った直後、白から黒に変化する影が眼球のすみに滲んだ。目がないにも関わらず、視線が突き刺さるのを背中に感じた。



 その人影は『白黒しろくろ』と呼ばれていた。一部の児童のあいだで噂されている怪談だ。

 子供に危害を加えるわけではない。ただ、人によって見え方が違う。白い子供だったり、黒い影だったりする。その法則性は単純明快だった。

 嘘をついた子の目には白い人影が黒く映る。だから白黒だ。

 お約束でどうやら大人には見えず、神出しんしゅつ鬼没きぼつだった。ただ子供が一人でいるときに出現する傾向があり、友人と別れて人気ひとけのない時間帯を帰る悟は、たまに白黒と遭遇そうぐうした。

 あの人影が待ち構える路地を通りかかる際は、一日を振り返った。学校でつまらない嘘をつかなかっただろうか。小学生とはいえ、真実を話すことができないときはある。例えば、好きな女の子の名前などだ。

 国語の授業を受けながら、担任の教師が言った。

「このときの作者の気持ちを答えなさい」

 教科書に載っている小説の作者の心情を問う問題だった。木のせいに嘘をついた天邪鬼あまのじゃくの話だ。勿論もちろんわかるはずもなく、机に頬杖をついて窓際の席を一瞥いちべつした。分厚い眼鏡をかけた狗尾は背筋を伸ばして、黒板に真っ直ぐ顔を向けていた。

 顔の角度が変わり、目が合った気がした。すぐに目を逸らす。教師の朗読を聞きながら、胸の鼓動が早まるのを感じていた。

 自分のこともわからないのに、作者の心情などうかがい知ることはできない。



 いつもと同じく友達に別れの挨拶をし、神社に足を向けた。ひび割れた石段の感触を靴底で踏み締める。鳥居をくぐる前から猫の声が聞こえた。甘えた声音だった。ということは、彼女がいるのだろう。

 寂れた神社の境内、小さな拝殿の裏手から聞こえていた。鈴緒や賽銭箱には見向きもせず、えんを辿ってそちらに回る。鎮守のもりの手前で、眼鏡が夕日に反射していた。ひざまずいたその膝元には灰色をまぶした毛並みの猫がいた。長い尻尾を伸ばし、頭を撫でる手に鼻先を擦りつけている。

 眼鏡の横から彼女が横目でこちらを見た。

丹波たんばくん、また来たんだ。根暗は嫌いじゃなかったの」

 しっかりと聞かれていた。悟は苦しまぎれに言った。

「ベルに会いに来たんだよ」

 彼女は赤いランドセルを背負ったまま、小さく鼻を鳴らした。それ以上は特に気にした様子もなく、野良猫のベルをでる。優しい目をしていた。

 同じクラスという以外に接点がなかった狗尾とは、野良猫を通じて知り合った。学校からの帰り道に、どこか見覚えのある眼鏡の女子が神社の階段を上っているのが見えた。同じ教室で過ごす狗尾いぬお真理まりという同級生であることを思い出した。

 最初は好奇心だった。あの読書ばかりをしている根暗が、神社に何の用があるのだろう。通り過ぎる車の排気音を背にして、距離を取って石段を上った。神社の脇に消える赤いランドセルが見えた。足音を殺して、拝殿の陰から様子をうかがった。

「ベル」

 狗尾が呼びかけると、すぐに猫の鳴き声がした。くさむらから灰色の痩せた野良猫が姿を現わした。彼女に気を許した様子で、足に体をこすりつけている。ランドセルの中から赤いソーセージを取り出し、包装を剥いて差し出した。

 ベルと呼ばれた野良猫は、夢中になってソーセージをむさぼる。悟は半身はんみを乗り出して、一人と一匹の光景を眺めていた。

「いつまで覗いてるつもりなの」

 その声に肩が跳ねた。眼鏡がこちらを向いていた。夕日のせいでその眼差しが隠されている。悟は開き直り、姿を現わした。

「野良猫に餌をやっちゃいけないんだぞ」

「知ってるよ」

 喉を鳴らす猫に目を戻しながら、狗尾は言った。

「あなたは丹波くんだっけ」

 自分の名前を知られていることを意外に思った。同じ教室にありながら、自分と彼女は違う世界にいた。級友たちとふざけ合っている中、狗尾は片隅で本の中の物語にひたっていた。

「先生に告げ口でもするの」

 そう問われて、悟は言った。

「そんなダサいことはしねえよ」

「なら良い」

 用は済んだとばかりに、彼女はランドセルから二本目のソーセージを取り出した。野良猫が歓喜する。立ち去る機をいっして、悟は尋ねた。

「いつもここで餌をやってるのか」

「石段のところでお腹を空かして鳴いてたの。可哀そうだから、何か持ってくることにした」

 淡々と説明をする。足音を抑えて彼女たちに近づく。灰色の猫は逃げることなく、青みがかった瞳で悟を見上げて鳴き声を上げた。人見知りをしないらしい。

「撫でてみる?」

 反射する眼鏡が見上げていた。小さく頷き、おっかなびっくり手を伸ばす。野良猫は雑菌だらけだから、親に触るなと言われていた。小さな頭に手を乗せる。撫でると、喉を鳴らす振動が手のひらに伝わってきた。少し表情が緩んだ。

「これで共犯者だね」

 狗尾が言った。悪戯いたずらっぽく笑う彼女の顔は、今までの印象をくつがえすには十分だった。

 その日から不定期に、悟も放課後に神社へと通った。大抵は狗尾が先に来ていて、ベルを愛でていた。名前の由来を尋ねた。

「灰色の猫だから、ベルリオーズ」

 どうやら有名なアニメ映画の猫の名前から取ったらしい。すっかりお馴染なじみとなったソーセージを与えながら、狗尾が答える。

「家で飼ってやらないのか」

「私はマンションだから。丹波くんは?」

「親が猫嫌いだから無理」

「そう」

 こういった会話をした。不思議なもので、教室では話をしなかった。いつも通り、狭い世界を分かちながら過ごしていた。

 ベルを撫でる彼女を眺めながら問いかけたことがある。

「親が、野良猫に餌をあげるのは無責任だって言ってた」

「そうだね」

 狗尾はいきどおるでもなく言った。

「でも、一生懸命に生きているから」

 きっと子供じみた言い訳なのだろう。いたずらに野良猫が増えたり、糞害ふんがいなどで近所の人間が迷惑をする。だから、餌を与えてはいけない。

 正しい大人の理屈なのだろう。ただ、寂しいとも思った。

「神社の階段を下りちゃだめだよ。車が通るから」

 耳の裏を搔きながら、狗尾が言い聞かせた。ベルはわかっているのかいないのか、かすれた鳴き声をあげた。

 放課後の夕方に会うだけの奇妙な関係は続いた。相変わらず教室では大した面識めんしきもない他人で、灰色の猫の存在が彼女とのえんを結んでいた。

 とある日、狗尾が風邪を引いて休んだ。真っ先に頭に浮かんだのは、ベルのことだった。担任の教師がプリントを届ける誰かをつのったとき、悟は手を挙げた。クラスメイトから怪訝けげんそうな目を向けられても構わなかった。

 彼女が住んでいるマンションの名前は聞いていた。築年数ちくねんすうは古く、オートロックなどという防犯システムはない。エレベーターで上の階に上がり、彼女の名字を探し当ててインターホンを探した。

 どうやら両親は不在だったらしい。パジャマ姿の狗尾が出てきた。分厚い眼鏡の下の頬は紅潮こうちょうしており、乱れた襟から鎖骨が見え隠れしている。少し気恥ずかしくなった。

「丹波くん、どうして」

「先生がプリントを届けろって言うからさ」

 目を逸らしたまま、プリントを差し出す。「ありがとう」と小さな声で礼を述べた。少し間を置いて、狗尾は言った。

「狗尾くん、お願いがあるの」

「ベルのことだろ。心配すんな」

 そう告げると、息遣いが荒い彼女は口元を緩めた。「待ってて」と部屋の奥に引き返す。待っていると、狗尾は手の中にソーセージを数本握り締めていた。

「ベルをお願い」

 受け取ったソーセージを手に、マンションを後にした。夕空の下で、遠く甲高い音が響いた気がした。

 その日の記憶は、あまり思い出したくない。神社の前へと続く石段の下で、小さな何かが横たわっていた。心臓がこごえた。口から血を垂れたその灰色の猫は、紛れもなくベルだった。

 手の中からソーセージのたばがこぼれ落ちた。

「階段を下りるなって、狗尾に言われただろ」

 猫の亡骸なきがらを見下ろして呟く。狗尾の熱っぽい顔が頭に浮かび、隠さなければ、と思った。まだ体温が残っているベルの細い体を抱きかかえて、石段を上った。寂れた神社を囲む鎮守の杜に入り、うろがあるもみの木を目印に木の葉などで死体を覆い隠した。

 一旦いったん家に帰り、ランドセルを放り投げてスコップを握り締めた。神社へととんぼ返りをし、鎮守の杜の奥までベルを運んだ。狗尾に見つからないためにだ。夜の気配が忍び寄ってくる森の中で、無心で穴を掘った。スコップの先端が土に刺さる、濡れた音が耳に残っている。

 そのあいだ、ずっと視線を感じていた。

 子供の力で掘れるだけ掘って、その穴の中にベルを横たえた。土を被せて、からすなどに荒らされることがないように大きな石を担いで乗せた。墓石の代わりだった。

 全ての作業が終わると、ベルの墓の前でスコップを落として両膝を折った。頭上で、吹き抜ける夜風が頬を撫でて枝葉が波打った。脱力した悟の背後に、誰かが立つ気配がした。

「まだ、嘘はついてないだろ」

 力なく呟く。自分の真後ろに、黒く塗り潰された人影がたたずんでいるのが見なくてもわかった。

 静かな虫の音がする森の中で叫ぶ。

「どうしろって言うんだ。隠さないと、あいつは自分を責めるだろ」

 目から大粒の涙をこぼした。嗚咽おえつが漏れ出す。泣きじゃくる悟の背後で、『白黒』はその泣き声を聞いていた。

 鼻水を垂らす悟の頭の中で、声が聞こえた気がした。

 ――なら、ただせばいい。

 一瞬、悲しみを忘れて振り返る。後ろに立っていたのは、白い人影だった。間近まぢかでよく見ると口があって、大きな笑みをかたどっていた。

「何で……」

 そう呟く背後で物音がした。土の上に乗せられた石が身じろぎする。

 悟の耳朶じだに、あのかすれた鳴き声がくぐもって届いた。

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