最終話
恋とは何だろうか。そう尋ねられたら、ノクスは言葉に詰まるだろう。世の少女たちが読んでいる本には、何をしていてもその人のことを考えてしまうだとか、その人を前にすると胸が高鳴るなどと具体的な症状が記されていたが、どれも違うような気がした。
ノクスはその人と目が合うだけで、嬉しくなった。声を聞けるだけで、心が満たされて。笑顔を見ると、つられて笑顔になり、悲しそうにされるとこちらまで悲しくなる。
幸せにしたいと思った。自分の隣でずっと笑っていてほしいとも。
それが恋だと、ノクスは思っている。答え合わせをする方法は、まだ見つけられていない。
「──本当にいいのか」
五日ぶりに出仕したノクスを待ち受けていたのは、十年前に起きたある事件に関する証拠の数々であった。
その事件はさる公爵家の夫人と娘を乗せた馬車が襲われたというものだ。夫人は殺害され、娘は行方知れずとなっていたがのちに遺体で見つかった。
これを明らかにしたのは、公爵家の本邸──棺の中に眠る少女の枕元に置いてあった、イザーク・ハインブルグの手記である。
公爵の手記によると、事件当時、夫人が乗っていた馬車には雷の魔術が使われた形跡があったが、魔力を喪失していた公爵はそれを証明することが出来なかったという。研究を重ねているうちに、雷は非常に稀な力で、現代ではオールヴェニス公爵家直系の男児にしか受け継がれていないことが判明──即ち、オールヴェニス家が関与していることが明らかとなった。
公爵は当時自身の副官を務めていたオールヴェニス家の人間を疑い、注意深く監視していたようだが、その頃、安全な結界の中に閉じ込め隠していた“少女”が外へ出てしまった。これにより、公爵は予定を変更し、少女をハインブルグの戸籍に入れオールヴェニス家の人間と婚約させた。
──それから公爵が何を考えていたのかはわからない。
だが、残された手記には、事件当時の馬車の在処やオールヴェニス家の人間に関する報告書、賊を捕らえ言質を取っていたことが記されていた。十年越しではあるが、オールヴェニス家の当主と次男のセドリックは今朝拘束されることとなった。
ノクスは公爵が“娘を迎えにきた人”宛てに遺した手紙を指先で撫で、無音のため息を吐いた。
「正直なことを申し上げますと、崖の上から針の山へと突き落として差し上げたいですが──それを望まない人がいるので」
ルーネ──イスカは復讐を望んではいない。それよりも明日の朝食のことを考えるような人だ。
だからノクスはその気持ちに寄り添うことにした。
無念を晴らす方法は、一つだけではないから。
「……イスカのことは残念でした」
エヴァンが泣き腫らした顔でノクスに頭を下げる。
五日前、イスカはこのオヴリヴィオ皇城で起きた事故により命を落とした──ということになっている。彼女が別の姿形となり再び生きながらえていることは、ノクスとリュミエールしか知らないことだ。
ノクスは気持ちを切り替えるために居住まいを正し、ヴィルジールに向き直った。
「皇帝陛下。お聞きしたいことがあります」
「何だ」
「この方のことをご存知でしょうか」
ノクスは懐から懐中時計を出し、蓋を開けてヴィルジールの目の前に差し出した。
ヴィルジールは軽く目を見開いていたが、すぐにいつもの無表情に戻った。
「……何が聞きたい?」
「では、まずは名前から」
「名はルミナス。古語で光という意味がある」
どうやらノクスの父親は有名人だったようだ。皇帝であるヴィルジールが、肖像画を一目見ただけで分かるとは。
「どんな方でしたか」
続けて尋ねると、ヴィルジールは難しい顔をした。顎に手を当て、暫しの間考え込む素振りを見せる。
「……そうだな。温かい人だったと……記憶している。いつも笑っていた」
「温かい人、ですか」
「ああ。それと、愚か者でもあったな。好いた女と生きるために、全てを手放した」
ヴィルジールがノクスに懐中時計を突き返す。
ノクスは受け取り、蓋の内側にいる父の肖像画を今一度眺めた。
銀色の髪と、青い瞳。実の息子であるノクスよりも、目の前にいるヴィルジールの方が父に似ているのではなかろうか。
「……そう、ですか」
ノクスは蓋を閉め、ジャケットの内側にしまい込んだ。
「──どうしてお前が嬉しそうな顔をしている」
「そう見えましたか?」
「ああ。誇らしげに見えた」
ノクスは左胸に手を当てながら、退出の礼をした。話の途中でどこに行く、とヴィルジールの小言が背中に刺さったが、今日くらいは許してくれよう。
愛のために全てを手放し、その先で得たものが自分という存在だったのだ。これほど誇らしいことがあるだろうか。
◆
扉を開けると、彼女は階段の上にいた。
「──おかえり、ノクス。今日は早かったんだね」
階段を上り下りする練習をしていたのだろうか。シルバーブロンドの髪は後ろで一つに束ねられ、結び目では菫色のリボンが左右に揺れている。
「ただいま。たまには早く帰っても許されるだろう」
ノクスは階段を駆け上がり、彼女に手を差し出した。
「……まだ、怖いか?」
「少しだけ。この身体は大丈夫だと分かっていても、やっぱり怖いものは怖いね」
ついこの間まで、彼女の身体は段差を踏もうとすると、平衡感覚が分からなくなると同時に視界がぐわんと歪んでしまっていたのだそうだ。
今はもう何ともないそうだが、やはりまだ怖いらしい。
「僕の背に乗るか?」
「私のこと、持てるのかい?」
「真正面から持ち上げる力はないが、背負うことならできる」
「じゃあ──お言葉に甘えて」
ノクスがしゃがむと、彼女が上から覆い被さるようにして乗っかってきた。
気のせいではない。必要以上に体重をかけてきている。
「……重いな」
「女性に対して失礼なことを言うんじゃない」
「それは悪かった。鍛えていない僕が悪いな」
「怒ったぞ、私は」
ノクスは小さく笑った。怒ったと言っているが、そのわりに口調が柔らかい。これはわざとだと分かったが、敢えて乗ることにした。
「……それは困ったな。どうしたら直るんだ?」
うーん、と彼女が唸る。
「そうだなぁ。では、私が喜ぶことを一つ言ってみてくれ」
ノクスは彼女を背負い、気合を入れて立ち上がった。彼女を落とさないよう、慎重に階段を下りていく。
残りがあと数段に差し掛かったところで、厨房の方から良い匂いが漂ってきた。セバスチャンがお菓子を焼いているようだ。
一階に下り終えた時、ノクスは足を止めた。
「────好きだ」
今日は何と返ってくるだろうか。
何が、と惚けられるか、モニョモニョと口を動かされるかのどちらかだろうと踏んでいると、首元に柔らかい吐息がかかった。
「…………そ、そんなことで喜んだりしないぞ、私は」
「ニヤニヤしながら何を言ってるんだ」
「してない! ──ていうか、前を向いている君が私の顔を見れるはずもないだろう!」
「声で分かる」
背中にいる彼女が、ノクスの肩をぽすりぽすりと叩く。その弱々しい攻撃を受けながら、ノクスは喜びを頬に浮かべる。
「──だ、だいきらいだっ!」
「どこが嫌いなのか具体的に教えてくれ。即刻改善する」
ノクスは彼女を床に下ろし、身体ごと振り返り──そして手を伸ばした。
顔を見合わせて話ができるとは、なんて幸せなことだろうか。
「……そういうところだ」
ノクスは首を傾げる。
「ちゃんと言わないと──僕にも考えがあるが、いいか?」
「よ、よくないっ……!」
必死に首を左右に振り出した彼女の手を、ノクスは強く引いた。ぐらりと身体は傾き、ノクスの胸に倒れ込む。柔らかなシルバーブロンドの髪を撫でながら、ノクスはこの上なく幸せそうに微笑った。
──────────────── ◆
ノクス・プルヴィア〈大陸歴1447-1524〉はオヴリヴィオ帝国の執政官。平民でありながら史上最年少で試験を首席で合格、政界入りを果たした後は宰相補佐官として三年ほど城に仕官し、その後は皇弟セシルと共に南方の領(のちのノクスルーネ領)へ赴任し、領主代行を務めた。その後は大使としてエクウォルへ赴き、がらくた市(のちの花市)を考案。それから再び皇城に戻ってきたのは、皇帝が皇后を迎えた年のことである。妻についての記述はないが、エヴァン・セネリオの日記によると「山猿のような女性」らしい。
/『オヴリヴィオ帝国史』より
忘却の蝶は夜に恋う 北畠 逢希 @Akita027
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