5
生理的に受け付けない、ってたぶんこういうことを言うんだろう。
陰謀論男の笑顔を見たとたん、ぞわりと背筋が粟立った。「緊張」とか「恐怖」じゃない──これは、明らかな「嫌悪感」。
でも、私もいい大人だ。そうした不快感を、表に出さないくらいの配慮はできるつもりだ。
「すみません、どうぞ」
まずは「たまたま同時にシュガーポットに手が伸びた」──そう解釈したふりをした。
そうしておけば、陰謀論男の目論見には乗らずに済むだろう。下手に追及すると厄介なことになりそうだし、そもそも私の手に触れてきた理由なんて、気持ち悪すぎて知りたくもない。
そんな私の真意を、知ってか知らずか。
陰謀論男は、再びにやりと笑った。
「大丈夫、わかってるから」
──は? 「わかってる」って何を? 絶対わかってないよね、このおっさん。
方針変更。ここは、敢えて不快感を示したほうが良さそうだ。
(よし、いっそキツめに──)
なのに、眉間に力を入れたところで「すみません!」と慌ただしい足音が割り込んできた。
「お待たせしました、こっちがオーダーされた本です! 本っっっ当にすみませんでした!」
困った。まさかこのタイミングで、モブくんが再登場するなんて。
彼の前では、できればもう少し猫を被っていたい。まだまだ「気さくな女性客」のままでいたい。迷う私に、当然モブくんは「どうかしましたか?」と不思議そうだ。
仕方ない、ここは猫被り続行──そう決めて、私はにっこり笑ってみせた。
「なんでもないです、本、ありがとうございます」
「いえ、間違えたのはこちらですから!」
いえいえ、その間違いに、こちらは気づいていなかったわけですから──とは、もちろん言わない。せっかくのモブくんの心遣いだ。ここは笑顔で享受するべきだろう。
それに、伝えるべきことなら他にもある。
「すみません、ついでにもうひとついいですか?」
「ええ、なんでしょう」
「カフェオレの味、いつもと違うというか……ずいぶん、その……苦味が……」
遠慮気味に伝えたつもりだったけど、モブくんはその場にくずおれた。
「ああ、もう……だからあの人は……」
頭を抱え、ブツブツぼやくこと10秒。けれど、再び私が声をかけようとしたタイミングで「申し訳ありません」と、勢いよく立ちあがった。
「すぐに淹れなおしてきます! 本っっっ当に、申し訳ありません!」
角度90度のおじぎをしたところで、モブくんは手早くマグカップを回収した。そのあと、カウンターの奥から「カナさんのバカ」「うるさい、モブのくせに」みたいなやりとりが聞こえてきたけれど、ひとまず聞かなかったことにしておこう。
なにせ店長のやらかしのおかげで、モブくんとは想定以上の会話ができたわけだし。
それにしても、だ。
(モブくんと店長って、実際のところどんな関係なんだろう)
店長は「俺の犬」と言っていたけど、そのわりにモブくんはそれほど従順ではなさそうだ。
(じゃあ、なんであの発言?)
店長と従業員だから? 単にモブくんが犬っぽいから? それとも、もっと他に理由が?
あれこれ頭をめぐらせているうちに、モブくんがカフェオレを運んできた。
「どうです?」
「──大丈夫、いつもの味です」
「よかったぁ」
頬を緩めるモブくんは、やっぱり穏やかな大型犬のようだ。
(ああ、いいな、癒やされる)
だからこそ、私としたことがうっかり忘れてしまったんだ。左隣の、キモい陰謀論男のことなんか。
その男、只者につき 水野 七緒 @a_mizuno
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