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 美形というのは、何を着ても似合うものらしい。

 今、店長が身につけているのは、くたびれた白シャツとくすんだ緑色のエプロン──なのに、この人の美しさは1ミリたりとも損なわれていない。なんなら、このシャツとエプロンがとんでもなく高価な古着に見えてくるほどだ。

 そんな圧倒的美人が今、私の斜め後ろに立っている。

 とっくに給仕を済ませたにも関わらず、腕組したまま立ち去ろうとしないせいで。


(え、なんで?)


 これがモブくんなら、まだわかる。最近は、給仕のついでにちょっとした会話をかわすようになっていたから。

 けれど、この人と私は、雑談をするような間柄じゃない。というか、これまで一言も言葉をかわしたことがなかったはずだ。

 なのに、なぜ彼は定位置であるカウンターの奥に戻ろうとしないのか。


「あの……?」


 何かご用ですか? そう続けるはずだった私の言葉は、彼の不機嫌そうな「あのさ」に、いともあっさりつぶされてしまった。


「あんたの目的って何?」

「……え?」

「あんた、なんで、あいつに目をつけたわけ?」


 あいつ──とは、もちろんモブくんのことだろう。他に、該当する人物は思い当たらない。

 なので、すぐさま頭を働かせた。結果、私の脳みそは、5つほどの「模範解答」を弾きだした。

 さて、どれにするか。さらに頭を働かせようとしたその矢先「あんたの目的はわからなくもないけどさぁ」と、店長はあいかわらず腕組みしたまま形のいい顎をクッとあげた。


「あいつに目をつけても無駄だよ? あいつは、俺の犬だから」


 犬──俺の、犬。

 その言葉を、私は口のなかでひっそり転がした。

 目は逸らさなかった。ここで逸らしたら、たぶん負けてしまう気がしたから。


(それは、嫌だ)


 だって、私は「彼」が欲しい。なにせ、一目見ただけで「初めては、この人がいい」と、ひらめいた相手なのだ。

 だから、絶対に負けたくない。

 店長は、わずかに目を細めた。まるで私の本心を、探ろうとするかのように。


(だったら、どうぞ)


 好きにすればいい。どれだけ目をこらしたところで、どうせこの人は何も掴めやしない。ただ外側がきれいなだけの、自称「モブくんの飼い主」なんかには──


「カナさん!」


 ひどく悲痛な声が響いたかと思うと、ものすごい勢いで、モブくんがカウンターから飛び出してきた。


「もう! なにやってんですか!」

「なにって、見てのとおり仕事じゃん。彼女のオーダー、運んだだけじゃん」

「それ、カナさんの仕事じゃないですよね? 給仕は俺がやるって約束でしたよね?」

「仕方ねーじゃん! お前、いつのまにかいなくなってるし!」

「トイレに行ってただけです! ていうか俺、行く前にちゃんとそう伝えたじゃないですか!」


 強い口調で詰め寄られたにも関わらず、店長はそっぽを向いたまま「知らない」と吐き捨てる。


「そんなの聞いてない。つまり、なにも言わずに勝手に消えたお前が悪い」

「いや、だからちゃんと言いましたって!」


 さらに、モブくんは、私のテーブルの上を見るなり「ああっ」と悲痛な声をあげた。


「やっぱり間違ってる……カナさんがやると、いっつもそう!」

「そんなわけない! 俺は、ちゃんと番号どおりの本を……」

「そう言いながら、いつも間違えるじゃないですか!」


 モブくんは、卓上にあった本を取り上げると「すみません、今、正しい本を持ってきますので」と、素早く頭を下げてカウンターの奥に引っ込んだ。

 残された店長は「なにあいつ、モブのくせに生意気」と、どこかの悪役令嬢のような言葉を吐き出したものの、周囲からの視線に気づいたのか、気まずそうに裏口に引っ込んだ。

 はぁ……まさに「台風一過」って感じ。

 それにしても、さっきのモブくん、店長に言いたい放題だったな。てっきり、もっと従順なタイプかと思ってた。実際、店長からも「俺の犬」呼ばわりされていたくらいだし。


(でも、アレ……飼い犬に手を噛まれてる状態だったよね)


 思い出したら、ちょっと笑えてきた。内心ニヤニヤしながら、私はカフェオレの入ったカップに手をのばした。

 ──で、一口飲んですぐに「うぐっ」ってなった。

 え……ちょっと待って? ミルクたっぷりのはずのカフェオレがこんなに苦いとか、どう考えてもあり得なくない?


(やば……まさかの嫌がらせ?)


 けど、さっきのモブくんの口振りだと、ただの店長の「やらかし」の可能性もありそうだし……そのあたり、あとで確かめようと決意して、私はシュガーポットに手をのばす。普段は「無糖派」の私だけど、さすがにこの激苦カフェオレには適度な糖分が必要だ。

 ところが、ふたを掴もうとしたその手を、私はすぐさま引っ込めるはめになった。


(えっ……何?)


 いきなり手の甲に重なってきた、かさついたてのひら。

 偶然なんかじゃない。だって、手の主──左隣に座っていた「陰謀論」男は、私を見てニヤリと笑ったのだ。

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